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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第三間章
218/374

布の厚さに遮られて 中編

 【クロイツ・ライン】の研究塔【グリトニル】は帝城を中心に置くなら左翼にある。


 しかし、【ビルレスト】と違い【グリトニル】は帝城から距離があり、独自の防衛壁が築かれており、帝城とも尖塔の一つとしか繋がっていない。


 その様子を空から見ると、まるで帝都に突き刺さった矢尻のように見える。


 危険な研究も取り扱うという名目で帝城から少し距離を置いているせいか、外壁近くに食い込んでいるようにみえるのだ。


「あの……、イルメントルート術師長……?」


 【キルヒア・ライン】と宰相に書類を提出した帰りの話だ。


 いつものようにこの世全てに己しかいないみたいな態度で中央を歩くイルメントルート。

 そして彼女に付き添う形でイルメントルートに聞いたのはイルメントルートの弟子のミスティ・マイカースだ。


 術式師を示すローブはもちろんのこと、ひまわりのように明るい黄色の髪を二つに分けてくくって快活そうな髪型なのだが、その表情はどことなく眠たそうである。


「どうして先月の議会で決まった対空術式の開発を遅らせてまで、あの『全方位防衛型守護鎧』の開発を……?」


 少し腫れぼったい瞼が示すようにミスティはここ何日か寝ていない。


 例えその顔が黙っていると『寝てるの?』とほかの同僚に聞かれるのが悩みになるような、はっきりしない顔であっても実際の睡眠不足とはまた別だ。


 原因はハッキリしている。


 突然、イルメントルートに奇妙な着ぐるみ制作の調整に駆り出されて頑張っていたら、通常業務の『対空術式考案』が滞り始め、そっちも頑張っていたらいつの間にか建国祭が始まっていたのだ。

 今も遅れていた対空術式考案を仕上げ、スケジュールを提出した帰りなのだ。


「ワシューくんと呼べ。ワシューくんと」

「はぁ……」


 心底、どうでもいいと思うミスティであった。


 そもそもそのワシューくんのせいで寝不足なので、本当は文句の一つも言ってやりたい。

 しかし、相手は上司で、しかも口答えが無意味な相手だ。

 それがわからないほどミスティは新人ではない。

 五年もイルメントルートのわがままに付き合わされ続けてきたのだ。

 もはや諦めの境地にある。


「会心の出来だと思わないか? 複合金属と繊維による多重構造防御機構に我々の刻術技術をふんだんに取り入れた意欲作……、まさに帝国の技術の粋を集めた一品物さ」

「いえ、そういうことではなく……」


 微妙に期待していた答えと違っていて、モヤモヤする。


「どうしてそこまでの技術を使って、わざわざ噂の女騎士のために専用の防具なんて……」


 たかが着ぐるみを鎧にしようという考えもおかしいが、そこまでの技術を投入するのもおかしい。


 いや、そもそもが身を守る防具というのなら素直にオルナの『黒装』を直してやれば良かったのだ。

 なのに材料が足りないと帝王や【キルヒア・ライン】に嘘をついてまで、わざわざ着ぐるみを用意している。


 イルメントルートがおかしいのは良く知っているが、今回のように根源となる理由がわからないのも珍しい。


「何故? 何故と問うたかね? よろしい。疑問を持つことはいいことだ。疑問は尽きることがない。疑問に思う限り疑問は誰の前にもあり、人は未来永劫、疑問と戦い続ける」


 イルメントルートには必ず『理由』がある。

 相手を嫌うのも、好くのも、行動するのもしないのも、必ず一つ以上の理由がある。

 帝国の重鎮にもなれば当たり前の行動だが、イルメントルートの『理由』は他の者と少しだけ違う。

 せめて『理由』の一端でも聞かないとやってられないミスティだった。


「騎士オルナは希少な存在なのさ」


 一方、イルメントルートは明確にそう答えた。


 ミスティと同じように徹夜しているはずなのに力が有り余っていた。

 とても四十代とは思えない快活さに『この人、歳を取らないんだろうか』と思ってしまう。


「誰一人として気づいてやいまい。その希少価値に。途方もない存在価値に。世界で私だけが知っている。気づきは簡単だ。【アルブリヒテン】の選定の儀はよく知っているな?」

「はぁ……」


 選定の儀は建国祭のメインイベントだったものだ。

 そう、過去形だ。


 建国祭は無駄に飲み食いする場ではない。

 【アルブリヒテン】の所有者を決める場でもあった。

 今は所有者が決まっているので【アルブリヒテン】の選定の儀は行われない。


 騎士オルナが死ぬまで選定の義は行われないだろう。


「代々の長官どもは【アルブリヒテン】に使われた技術を再現しようと努力を重ねてきた。しかしだ。今に至るまで【アルブリヒテン】の再現には至っていない。当然だ。あれは神代の時代に作られた失われた技術の結晶だ。現代の誰もアレを壊すことも作り直すこともできやしまい!」


 【クロイツ・ライン】の最重要研究課題に【アルブリヒテン】がある。

 【アルブリヒテン】の解明はもっとも重要な研究であり、帝国存亡でない限り優先されるべきとまで言われている。


 いや、言われてきた。


 何世代も前からずっと――それこそ初代の頃から。


 だが、実態は違う。

 【アルブリヒテン】の研究は停止して久しい。

 少なくともミスティがこの【クロイツ・ライン】の一員になった時にはもう研究は続けられていなかった。

 その理由は簡単だ。


「せいぜい劣化模倣品と研究の過程で生まれた『黒装』、特に『黒装』くらいか? 現在、利用価値と実用性を両立できた作品は」


 誰一人として【アルブリヒテン】を解明することができなかったからだ。


「知りたくはないか? 【アルブリヒテン】を。その作った神の精神性、模倣さえできれば人は神性をこの手で作り出すことすらできるのだぞ! ならば之を疑問に思わずして何を疑問と思うか」


 それは【クロイツ・ライン】の悲願だ。

 代々の責任者の全てができないからと諦め、いつか技術が積み重なり、【アルブリヒテン】に届くことを夢見て死んでいった者たちの悲願だ。


「だが悲しむべきは解明されていない部分ばかりだということだ。それでも法則性のようなものは突き止めているのだよ」

「法則性、ですか……?」


 その解明への一筋をイルメントルートが見つけた。

 ミスティはそう期待してしまう。

 それだけの力のようなものが言葉使いにあった。


 いつの間にか橋を渡り終え、研究室の前までやってきた二人は、ドアの前で立ち止まる。


「術式を斬る機能と射程超過。おそらくまだ機能が組み込まれているはずだが、歴代の所有者は未だ隠された機能まで発揮しきれていない。それと選定機能だな。そう選定だ。重要な部分はそこだ。歴代の所有者がどんな者が覚えているか?」

「えっと、一応……」


 人物絵が完全に残されている者もいればいない者もいる。

 しかし資料だけは残されており、ミスティもそうした知識は頭に入っている。


「彼らにも共通点がある」

「【アルブリヒテン】の所有者に共通点はなかったはずでは……?」


 少なくともミスティが見た資料に共通点があったように見えない。

 体格も剣術も、得意とする技、中には戦いが苦手な者すら居た。

 共通点どころか項目分けしたほうが早いくらいだ。


 無理矢理、共通点らしき部分をあげるのなら所有者は『どこかしら変わっていた』ということくらいだろうか。

 妙なことに執着したり、反対に普通なら当たり前にすることを杜撰だったり、性格面に問題がある者ばかりだった。

 しかし、それにすら変なところがある程度で、その変なところにも共通点はない。


「あるさ。よく考えてみろ。【アルブリヒテン】は帝国の強さの象徴。帝王に並ぶ武器――神具だぞ。その凄まじき恩恵である【アルブリヒテン】。所有者の処遇は上も下も置けない立場なはずだ。しかし何故、騎士オルナが【アルブリヒテン】を持っていて、なお、『あそこまで邪険に扱われている?』」

「……邪険、ですか?」

「そう。あの痴れ痴れしき【キルヒア・ライン】は強さの信望者だぞ。強ければ強いほど、そして忠義があればあるほど良い。筋肉バカどもの巣窟なのさ。しかしだな、そんな筋肉で呼吸するような輩の巣窟に居て、どうして最強の武器を持つ腕のある者を外周部隊に置いているさね。無駄でしかない。最前線のど真ん中、それも使い捨てのように使ってやればいい。そうすれば【アルブリヒテン】と共に強くなる」

「それは、まだ経験不足だからという話を聞きましたが……」

「経験不足など体のいい言い訳さ。ようするにあれらは嫉妬しているのさ」


 意外な内容にミスティはポカンとしてしまった。

 ミスティが持つ【キルヒア・ライン】たちのイメージは『修行僧』に近い。


 ひたすら鍛え、ひたすら帝国のために働き、ひたすら帝国の治安維持と外敵排除にのみ勤しむ。


「嫉妬……、アウルス筆頭たちがですか?」


 ある意味、ストイックな彼らが嫉妬――考えもしなかった言葉だ。


「強さを求める男ほど嫉妬深いと思え。では何故、嫉妬する? 嫉妬とはなんだ? それはな、『自分に持っていないものを誰かが持っている時に生まれる感情』だ。無いものねだりだが、これには一つ、ある要素が足りていない」


 言われてみればなるほど、と心の中でポンッと手を叩いた。

 彼らは強さに執着し、その強さは騎士として役立つ。


 この夏の暑い日、鎧を着て何十週も走り込む彼らに『何が彼らをそこまで掻き立てるんだ』と思ったことは一度や二度ではない。

 執着と言ってもいいのだろう。


「その相手が自分より『下の立場』でないと発生しづらいのさ。考えても見ろ。お前は私に嫉妬するか?」

「え……? いえ、それはないかと」

「どうしてだ。言っちゃぁなんだが私はお前よりも高みにいるぞ? 術式技術、刻術技術、発想、考案力、構築力、構成力、その全てはお前より上だ。金もあるぞ? 地位もある。しかも美しい」

「自分で言うのは……、いえ、なんでもありません。それはその、当然だからじゃないでしょうか?」

「何が当然だ?」

「イルメントルート術師長が偉大だということは良く知っているので……」

「誰も神に嫉妬しない。つまりそういうことだ」


 密かに自分を神扱いしたイルメントルートに、ものすごい顔をしてしまったミスティだった。


「アウルスどもは騎士オルナを下に見ている。その理由は?」


 ようやく明解になり始めた疑問。

 おそらく疑問を答えるための疑問であることは、ミスティも予想がついていた。


 今までの話、歴代所有者と騎士オルナの特異性。

 それらを並べて見て、あっさり答えが出てしまった。


 簡単すぎて本当に正しいのかすら疑う答えだったが、一度、思いつくとこれ以外考えにくい。


「もしかして女だからですか……」


 自信がなかったわけではない。

 イルメントルートの意図を履き違えたら答えも間違ってくる。


 なので自信なさげに言うとイルメントルートはひどくしかめっ面をされた。


「そのとおり。くだらない話だが真相は単純なものだ」


 答えはあっていたようだ。

 ミスティは内心、ホッとする。


「腕前や出自、性格、そのどれもが当てはまらない。たった一点、性別が違うというだけというだけで意味なく、それも階段でも降りるかのような気安さで見下している」


 しかし、イルメントルートは内心でため息をついていた、

 渋面を作ったのはミスティの自信の無さが鼻についたのだ。


 ミスティには直弟子と言っていいくらいの時間を費やしている。

 なのに大事な局面になるとこうして自信を出せずにいる。

 明確な根拠があるくせに自信がないのだ。


 こうした部分を矯正する方法はいくつかあるのだが、イルメントルートは何も言わない。

 彼女はいちいち人格面にまで口を出さない。

 結果さえ出してくれたらそれで満足なのだ。


「守るべき民、か弱い女子供が自分より強い。そんな程度で嫉妬し、邪険に扱う両肩も視野も狭い男の集まり。それが【キルヒア・ライン】だ」


 若干、イルメントルートの偏見も混ざっているが紛れもなく現状を現した一言でもあった。

 それは常々、オルナが憤っている部分であり『どうしてできる仕事を回してくれないんだ』という気持ちに似ていた。


 イルメントルートからすれば『使える者を遊ばせている行為』にしか見えず、最近ではそのことでよくアウルスに嫌味ばかりを言ってしまう。

 元から仲良くない二人だが、オルナの存在がさらに拍車をかけた形だ。


「さぁ、最初の問いに戻ろうか。歴代所有者と騎士オルナはどう違う?」


 ミスティは突然、質問の難易度が下がったことに狼狽えない。


 イルメントルートがいつも言うとおり、一つの疑問は一つの解決だけではなく別の疑問を解決する手段にもなる、と頭に刻み込まれていたからだ。


 今回の場合、別の問題の答えがそっくりそのまま別の問題の答えになる。

 そんな趣旨が隠された問題だったと気づいたのだ。


「……歴代所有者は男性で、騎士オルナは女性です」

「然り。騎士オルナはな、長らく信じ続けられてきた『【アルブリヒテン】は男しか持てない』という【クロイツ・ライン】の仮説をひっくり返し、なおかつ新しい疑問を生み出し、歴代の誰よりも強い!」


 渋面を切り替えて言葉に力を込めるイルメントルート。

 研究に没頭し、疑問に対する答えを得たイルメントルートはまるで子供のように言葉を強める。


 ミスティにとってはその変化は呆れると共に、素直にすごいと思える部分だ。


 そこには魑魅魍魎とした馬鹿し合いをする政治家の顔なんてこれっぽっちもない、純粋さがある上にそんな気持ちをこの歳まで抱えているのだ。


 研究者としては満点の在り方だろう。


「彼女は黄金の卵だぞ! これを愛さずにいられないのなら研究者など止めてしまえ! 古き慣習を壊し、新しい方程式を提示した存在に肩入れしない研究者などいないのだ! つまり、私は彼女を愛している! いつか我々の知らない境地、新しい疑問と答えを生み出す逸材としてな!」


 例え、その言葉と仕草がマッドサイエンティストみたいに見えてしまっても、ミスティは注意しない、できない、したくない。


「それがわざわざ対空術式を遅滞させてまで、騎士オルナのための鎧を作ったわけですか?」

「ワシューくんと同じ性能の『黒装』には少々、時間がかかる。壊れてくれて吉事さね。何せ堂々と作り直せるのだからな。今回のアレは言い訳としては十分だろう。帝王陛下も騎士オルナに関しては甘い部分がある。もしかすると……」


 イルメントルートにも帝王のことはわからない。

 一回りほどの年下にも関わらず、見ていると思わず傅いてしまうカリスマと威圧感があるのは確かだ。


 だが、イルメントルートは帝王にある種の『同族の匂い』というものを感じていた。


 それがなんなのかイルメントルートは深く追求しない。

 この世には解いてはいけない謎というのもある。

 さも自分だけがオルナを知っていると豪語したが、もしもイルメントルートと帝王が同族ならオルナの特異性に気づいていてもおかしくはない。


 何にせよ、仕事以外は深くは関わらない。

 これがイルメントルートの、帝王へのスタンスだ。


「いや、ともあれ時間を得られるのなら十分だ。幸い、ワシューくんは私が趣味で作っていたものさね。これでようやく新しい『黒装』に取り掛かれるぞ」

「アレが趣味ですか……」


 死体のような目をした鷲の騎士、という形を生み出したイルメントルートの感性に脅威を感じる瞬間だった。


 ボイスチェンジャー機能すら趣味だというのだから恐れ入る。


「騎士オルナのことも考えてもいるのだぞ。アレは少々、対人面に不慣れすぎる。殺伐とした空気を出しすぎなのさ。もったいない。あぁして仮面を用意してやれば、間接的にだが人の扱いにも慣れるだろう。アレの人柄を知れば好く者もいる。ワシューくんはそのための歩行器のようなものだ」

「(赤ん坊扱い……)」


 さりげない上から目線かつ母親のような気遣いに、ミスティは少し苦笑いをする。

 一方、イルメントルートは語りながらも別のことを考えていた。


「(私としても騎士オルナには多くの味方を手に入れてもらい、認めてもらわなければ困る。アレの有用性さえわかれば、より多くの成果を得られる配置にもつけるだろう。そうなれば【アルブリヒテン】の隠された機能を発揮する機会も得られる。できれば『空飛ぶ賊』がもう一度来て騎士オルナと殺し合って欲しいところだが、そんな運良く強敵など現れまい)」


 せいぜいアウルスを小突いてオルナを活躍させるくらいしかできないことをもどかしく思いながら、彼女は未来を悲観していない。

 これから起こる未曾有の事件に対してもイルメントルートの目からは興味の光は尽きないだろう。


 その傍らには眠たそうなミスティの顔があるくらいだ。

 彼女たちはドアを開き、いつもの研究所へと足を踏み入れた。



 ハーシェルが冒険者仲間から聞いた情報はそう多くない。

 特に急ぐわけでもないが、しかし、のんびりしているような話でもない。

 このどっちつかずな状態が逆にハーシェルの心に余裕を生んでいた。


「(さて、これで五軒目だが……)」


 冒険者ギルドの周辺をぐるりと回ったら、次に行く。

 どこに居るかは完全にランダムらしく、運が良くないと会えないらしい。

 いつまで依頼を受けつけているかすらわからないため、無駄足を踏む可能性もある。


 しかし、無駄足でもいいと思っていた。

 無駄なら無駄で祭りの雰囲気を冷やかしながら歩いておしまいだ。

 危険もなく、ほどよく満足感が得られる。


「(昼くらいまでのんびり歩き続けるのもいいな。行進式が始まるのは昼頃だから、適当に見に行って、それで終わりの鐘が鳴りゃぁ最後の宴会しておしまい)」


 そんなことを考えながら『天の星』と描かれたギルドの看板が見える。

 そこの周囲も少し調べて次のギルドへ向かう。


 何時、止めるかは気分次第だ。

 元々、やる気はあったが血眼になってまでやることでもない。

 向上心はあっても、それとこれはまた別だ。


「(しかし、改めてギルド周りを探ってみると全部、おんなじような場所にあるんだな……)」


 冒険者ギルドの位置はある程度、決まっている。

 帝都であろうと他の地方都市でも同じことだ。


 大通りや裏通りに面していて商道路の近くであること。

 外壁側か、あるいは中央横道あたりに作られることもある。

 交通の便が良い場所に建てられやすいのだ。


 これは冒険者たちが持ち帰ってくる物品を早く裁くためだ。


 依頼の内容は原生生物の討伐と同じくらい捕獲も多い。

 討伐は冒険者が素材を勝手に剥ぎ取っていいが、使い道のない内臓や骨や肉は捨て置かれるままだ。

 いずれ他の原生生物たちが片付けてくれるとはいえ、内臓の中には錬成の材料になるものから『生きているうちでないと効果がないもの』もある。


 そうした物品が欲しい錬成師や薬師、肉屋や骨細工師は多く、捕獲も需要の多い仕事だ。

 では捕獲した原生生物はどうするか。

 当然、冒険者が持って帰ってこなければならない。

 小型の原生生物なら檻に入れておけばいいが、大型にもなると檻自体が高い。そのうえ重たく、荷車や竜車が必要になる。

 

 荷車や竜車に原生生物を載せている場合、商用通路を使わなければならない。

 法的に原生生物は冒険者の商品として扱われるせいだ。


 原生生物はギルド所有の倉庫か、依頼人によって引き継がれる。

 それまでの間、一時的にギルドが原生生物を留めておくのでギルド周辺は『原生生物が暴れて逃げ出しても被害が少ない場所』と『商用通路や商道に近い場所』、二つの立地条件が整っている場所に建てられやすいのだ。


 そこまでのことをハーシェルは知らない。

 ただ、ほんの少しだけ自分と身近な世界にも預かり知らない理由があり、少しだけ世界が広がったような気分を味わったくらいだ。


 概ね、気分は悪くなかった。

 完全に肩から力は抜けて、着ぐるみが居た時のような覚悟や嫌な想像はなくなってしまっていた。


 だからだろうか? そんな時だからこそ、見つかる。


「(見つけた。もしかするとアイツがそうなのか――)」


 ギルドの近くどころかすぐ隣りの裏道に持たれている麻のローブの子供。

 子供というより、もう青年と言った具合だろう。

 微妙な年頃だ。

 身長差はあるだろうが十四か十五、ローブの下からでもまだまだ成長できそうな体格が見て取れる。


 小奇麗な麻のフードを目深にかぶっているので顔までわからない。

 それ以外は特筆すべきところはない、こうして前もって情報をもらっていないと何かの客引きにしか見えない様子で街に溶け込んでしまっている。


「(探さなければならないと思いこんでいる時は見つからなくて、こんな気分の時には見つかる、か。まぁ、でも良かったかもしれないな。変な緊張せずに自然と話しかけられる)」


 ごくごく自然な足取りで近づき、大通りから少年を隠すように立ち位置を定める。


「もしかしてアンタが最近、ギルドに隠れて依頼しているってヤツか?」

「………」


 フードを小さく動かしたが、肯定するつもりで動いたわけではなく、急にハーシェルが近づいたので何事かと思って顔を動かしただけだろう。


「別に言いつけてやろうとか場代を払えとか、そんなことを言いたいわけじゃない。わかるよな」


 少年に向けて、腰の革袋をポンッと叩く。

 叩いた弾みにチャリっと銅貨が擦れる音がする。

 お世辞にもあまり入っている言えないくらいの音で、暗にお金がないことを示しただけだ。


 実際、少し前に一仕事終わらせたばかりなので金自体は持っている。

 持っていた金は食べ歩きに困らない程度だけ残して、所属ギルドに預けてあるのだ。


 危険な真似をして殺されたとしても金まで盗まれることがないようにだ。


 少年は無言で裏道の奥へと入っていく。

 拒絶されるような空気でもなかったので、たぶん着いてこいという意味と受け取ったハーシェルもまた少年を追う。


 二人は無言で歩いていく。

 裏道を縫うように歩き、スラム街に入ったと思ったらそこすら通過し、外壁近くまで近づいたと思ったら急に方向転換して、中心部に向かったりと色々な道を通る。


 ついていきながら『これはもう行進式には間に合わないかな』なんて関係ないことを考えていたら、


「やることは簡単さ」


 ふいに少年が声を出した。

 アルトな声はまだ声変わりが完全でないせいか、それとも元からあまり低くならない体質なのか想像しづらい。


 声の質は問題ではない。

 こうして喋りだしたということは、目的地が近いのだろうと当たりをつける。


 ハーシェルの推測は間違っていなかった。

 少年が立ち止まると無造作に手を伸ばして、民家らしき家の扉を開く。

 そのまま闇に溶けるように家の中へと入っていった。


 すでに自分の正確な居場所がわからなくなっていたハーシェルだが、その民家周辺の特徴を密かに目で探り、違和感のない時間を置いて少年に続いてドアをくぐった。


「(典型的な隠れ家みたいな光景だな)」


 部屋の中は何もなかった。

 外から見た感じよりも広く、二階への階段がある程度で全ての間取りを一つにしたような空間だけがある。

 壊れた家材くらいあるかと思ったのだが、そんなこともない。

 テーブルが一つ。ポツンと部屋の中央に置いてあって寂しさを感じてしまう。


 少年は部屋でもローブを脱がず、そのままの姿でハーシェルと向かい合う。


「行進式で所定の位置についた後、これを飲むだけさ」


 ローブの中から手を出し、小瓶を見せてくる。


「……これはなんだ?」


 狩ってはいけない場所での原生生物の討伐や捕獲を頼まれるか、密書でも運ぶものかと想像していたハーシェルは意外な内容に少しだけ二の足を踏んでしまった。

 動揺してしまうと怪しまれるので冷静に持ち直し、再び小瓶を持つ少年を見る。


 飲むということは薬か何かなのだろう。

 となると一番、気になるのはその効能だ。


「一体、何のために。いやどんな効果があるんだ?」

「新薬の実験、だね。一時的に源素が見えるようになるって薬さ」


 ハーシェルの疑問は軽く答えられた。

 はぐらかされると思っていたが、簡単に答えたことも意外だがその内容にも驚く。


「そんな薬、聞いたことがないぞ。『眼』の話は術式師から聞いたことがあるが、アレは教会に頼まないと刻んでもらえなかったはずだ。それに刻んだ後も修行しないと見えないって話だ」


 人間の身体で唯一、恒久的に刻術処理できる部位が目だ。

 【戦術級】以上の強烈な術式の過剰反応で一時的に肉体が刻術化することはあっても、術式を止めればすぐに収まる。


 こうした反応は秘術の一部であり、ハーシェルが知っているわけでもない。

 あくまで一般的な術式の知識に当てはめてのことだ。


 いよいよ怪しくなってきた話にハーシェルも内心で警戒する。


「だから新薬なんだろ。実際、何色まで見えるかは知らないけどね」

「わざわざ行進式でやる理由は? 源素を見るだけなら別に行進式のどこかで使わなくっちゃいけないのか?」

「……そこまで話さなければならないかい?」

「(しまった。警戒させたか?)」


 しかし、素直な疑問でもあった。

 少年はハーシェルを疑うような空気を出している。


 ローブで隠れている眼はきっとハーシェルを探っているだろう。


「俺は簡単な依頼で大金が手に入るって聞いて受けたんだぜ。危ない橋はなるべく渡りたくない。もちろん必要なら渡るが身体に害があるかもしれないものをホイホイと飲むわけにもいかない。これで飯を食ってる身なんでね」


 二の足を踏む理由を口にすれば少しはガードが下がる。

 そう思っての言葉だ。


 向こうは誰でもいいかもしれないが、だからと言って本当に誰でもいいわけでもない。

 不正な依頼である時点で受ける側にも黙ってもらわないと困るのだ。


 こんな怪しい依頼を受ける人数もそう多くない。

 不正依頼の時点で嫌厭するからだ。

 それに、すでに不正依頼についての情報が一般の冒険者にも話が流れているところから少年も足元に水が流れ込んできていると知っているはずだ。

 あまり少年も手間をかけたくないはずだろう。


 ある意味、この推測は正しい。


「……依頼人はもっと上さ。そして依頼人は表立ってでも裏向きでも公にこの薬の存在を隠しておきたいのさ。もっとも隠しておきたいのは関係性だけどね。効能が軍用の結界にも通用するかどうかの確認は表立ってできないからね。行進式なら彼の【キルヒア・ライン】たちが全力で帝王を守ろうとするだろう? 本気の結界と隠蔽術……、それらを見破る手段があったらどう思う」


 ハーシェルは勘が当たったと確信した。

 簡単に話したということは向こうも余裕があるわけではなく、素早く話をまとめて、すぐに逃げ出したいのだ。


 この時、ハーシェルがもう一つの答えに気づいていても、もはやどうにもならなかっただろう。


「……大事じゃないか」

「だから表立ってできない。その分、そこらの依頼じゃありえない額を用意した。何せ秘密の実験さ」

「これは俺以外にもいるのか?」

「さぁ、と言いたいところだが薬の実験というものがどういうものか知らないのかな?」


 妙な話に変わったことに少し身を引くハーシェル。


「簡単な話、薬ってのはどんな人間にも効かなきゃ意味がない。お兄さんたちだって信用の置けない薬は買わないだろ。これはその信用作りでもあるんだ」


 なるほどな、と素直に思う。

 確かに言われた通り、ハーシェルが買う携帯薬は世話になった冒険者から教わったモノを使い続けている。


 恩人への信用度がそっくりそのまま薬への信用につながったのだ。


「副作用はないはずだから安心して」

「それは不安しか煽っていないんじゃないか?」


 お互い、警戒していることはわかっている。

 なので先に警戒して、相手を警戒させたハーシェルは歩み寄らなければならない。

 この話に納得した、という風な態度を取る。


 どういうということのない、交渉の習いみたいなものだ。

 こうした受け答えは冒険者をしていると自然と身についてくる。


「しかし、お兄さんはずいぶん到着が遅かったようだけど?」

「ん?」

「いや、何。実はこの依頼を受ける人のほとんどはね。僕が前もって南方の人に事前交渉して用意していた人ばかりなんだよ」

「いやいや、待てよ。じゃぁあんたはどうして依頼なんかしたんだ? 俺はどうでもいいが、あんたからすれば捕まるかもしれない危険まで冒してんだぜ」


 テーブルの上にコトンと置かれた小瓶。

 これを手に取ればハーシェルは依頼を受けたことになる。


 しかし、依頼の受理前後にするような話の内容とは思えず、つい伸ばした手を止めてしまう。


「滑り込みで入ってくる人なんかいないと思っていたら、お兄さんが来た」

「実際、居たじゃないか。それに言ってもただの冒険者だぞ。万年金欠の」

「ふぅん。なら後は時間までは――そろそろかな」


 少年がゆっくりと外を見る。

 窓は木の板で塞いでいるが、遠くの方から術式の音が聞こえる。


 どうやら行進式の祝砲が上がったようだ。

 これからゆっくりと帝都の中央道路を帝王と兵が練り歩いていく一大イベントが始まる。


「行進式が始まったようだね。でね、ここには人がたくさんいたんだよ。お兄さんが最後」

「そうなのか」


 薬が本当に源素を見る効果があるかどうかはどちらでもいい。

 今までのやり取りからお互い、信用なんてあってないものだろう。

 この場はそのまま実験開始までついてくるか、ここで飲まされてから行進式に行くか、どちらにしてもそれくらいの疑いくらい当たり前だろう。


 前者ならハーシェルにもチャンスがある。

 指定の場所で薬を飲むと言われたが、そのどこかに寄っては紛れてしまえば、そのまま逃げられる。

 そうでなくても主街道や商道に出てしまえば、行進式の始まった時間なら人が溢れているだろう。


 チャンスはいくらでもある。


 そして、『主街道や商道にはギルドがある』。

 この際、どこのギルドでもいいから入り込めば少年は追ってこないだろう。


 ここで聞いた話を伝えたら、今度は冒険者組織が味方についてくれる。

 依頼内容もハーシェルの良い様に転んだのも救いだ。


「で、俺は一体、行進式が進むどこらへんで待っていたら――」

「ところで、その中の何人かが行方知れずなんだけど、お兄さんは何か知らないかな?」


 言われ、一瞬、ハーシェルは意味がわからなかった。


「いや、何の話だ?」


 行方知れずも何も、ハーシェルは小銭とコネのために少年に近づいたのだ。

 少年の事情なんて知るよしもない。


 少年のほうは油断なくハーシェルを見ている。

 それ以上に室内がやけに息苦しく感じる。


 肌がひりつくような感覚は一度、魔獣に襲われた時に経験したことのある感触だ。

 いわゆる殺意に当てられ、肉体が勝手に緊張している状態だ。


「正直、侮っていたよ、本当に。まさかこの寸前で気づかれるなんて。きっと帝王は危ないからという理由で行進式を止めたりはしないだろう。矜持って大変だね。予定どおり行われるはずだ。でも、失敗か成功かなんて僕にはどうでもいいことさ」


 動きの鈍い身体と意味不明な言葉にハーシェルは混乱する。


「(わ、わけがわからねぇ……。こいつの仲間がいなくなったのはいいとして、それがなんで王様の話に繋がるんだ。もしかしてこいつの計画はもっととんでもなくヤバいものだったのか? じゃぁ、この薬も源素を視るっていうのは嘘か? いや、そんなことよりもこいつ、ヤバいぞ。見た目どおりじゃねぇ)」


 冒険者として七年間も生き抜いてきた男がたった一人の少年の殺気を受けて動けないという事実に、ようやく危機感を抱き始める。


「(なんでこんなガキが魔獣みたいな空気を出してんだ……)」


 知らず喉が鳴る。

 緊張で足が震えそうになっても腰を抜かさないだけ場数を踏んでいたのが幸いだろう。

 経験が重心を前に傾けさせ、すぐにでも動けるような構えを取っている。


「母様が残してくれた、これさえ試せたらね」


 テーブルの薬を再び少年が手に取り、わざとハーシェルに見せるような仕草をする。

 少年の実力がハーシェルよりも上回っているからこその余裕。

 如何様にも対処できるとわかった上での行動だ。


 舐められている、と感じながらも腹は立たない。

 それだけの実力の開きを感じる。


 ハーシェルが考えていた通りに少年はあまり手間をかけたくなかった。


 せめて背後関係のヒント――仲間を連れて行ったのが【テルリット・ライン】かそれとも地方領主の私軍なのか、それだけでも掴もうと話し合っていたが、それも行進式が始まってしまえば意味がなくなる。

 元々、本当に来るとは思ってなかった。


 襲撃くらいされると覚悟のことだったが、この後に及んで人員を潜伏させようとする帝国側の思惑に乗り続けるのもよろしくない。

 さっさと始末し、事の成り行きを見計らって逃亡。


 これが少年の頭にあることだった。


 ただ一つ誤算だったのは、ハーシェルは本当に何も知らず、ただの人違いだったことだろう。


「な、何を言ってるんだ! お前、何を」


 ハーシェルには、このボタンのかけ違えみたいな状況をどうにかする方法なんて浮かばない。

 そもそも何が狂っているのかも理解していないのだ。


 少年が何か困った状態にあり、尻に火がついている状態なのがわかってもどうしようもない。

 ただなんとかしないと本当に取り返しのつかない事態に転がっていくことだけは理解できた。


 ゆっくりと少年の、小瓶とは逆の手がハーシェルに向けられる。

 その何気ない仕草に頭の中で警戒アラームがガンガンと鳴り響く。

 密集し始めた源素がハーシェルに危機感を抱かせているのだ。


「もう始まるよ。もう止められない。運命の賽は投げられた。帝王はどうなるかな? ラインの乙女たちはどう出るかな? でもお兄さんは死ぬ。それだけは変えられない運命さ」


 無詠唱の、それもゼロ距離での射出。

 無造作に、それでいて当たり前のように放たれる雷撃――


「――がッ」


 ――強烈に背中を壁にぶつけたハーシェルはまだ生きていた。


「あれ?」


 少年も意外そうに手のひらを見ていた。


 なんてことはない。

 撃たれるよりも早くハーシェルが避けただけだ。


 立ち位置なんて気にもせずに全力で避けなければ死ぬ。

 そう考えたわけではなく身体が理解していた。


 ハーシェルはそうした経験が何度もあった。

 そんな気負いがなければ十歳から今まで生きていけなかった。

 万事が死ぬかもしれない恐怖との戦いであり、生まれて初めて原生生物と向かい合った時はずっと死んでしまう恐怖がこびりついて眠れもしなかった。

 余裕が出来始めたのはつい最近のことだ。それまで必死になって生き抜いてきた。

 そんな精神状態であったことと少年がハーシェルを舐めていたからほんの少しだけ寿命が伸びた。

 

 痛みにもんどり打つよりも早く、呼吸さえせず、バネじかけのように手短な窓へと体当たりした。

 ハーシェルの重さに耐え切れなかった窓の板はあっさり壊れ、転がりながら外に出る。


「―――!」


 声を出そうとして呼吸し忘れていたことに気づく。

 肺に空気がないので声も出ない。

 一呼吸、それさえできれば声が出せる。


 声を出せば誰かが気づいてくれる。

 相手が後ろ暗い計画を立てて人目につかないようにしているのなら、人を呼べば少しは躊躇するかもしれない。

 恥だの臆病だの、そんな考えはない。

 逼迫し、対面も考えずに生き足掻くことはみっともないかもしれないが、生きる者として正しいことだ。


 一呼吸。

 次の瞬間、背後の窓ごと壁が粉砕される。


 弾け飛んでくる瓦礫がドスドスとハーシェルの身体に突き刺さり、皮膚と肉の柔らかさで痛みだけを置いて跳ねていく。


「(無茶苦茶だ……)」


 ハーシェルからすればこの感想は言葉の形をしていなかった。


 街中でこんなに派手な術式を使うなんて自分で自分の首を絞めているようなものだ。

 この音と叫び声、あるいは助けを呼ぶ声をあげたら、間違いなく少年は『危ないもの』と認識されるだろう。

 運がよければ、たまたま近くにいる警備の騎士か、お人好しな冒険者が助けてくれるだろう。

 一般人でも見て驚いて騒ぎ立てるくらいできる。

 そしたら余計に目立ち、生き残る確率が増える。


 この爆発のおかげで痛みに呻くハメになっても、誰かが近づきやすくなれば十分だった。


「助け! 誰か助けてくれ!!」


 大きく叫ぶのと、煙と土埃の中から少年が出てくるのは同時だった。


「お兄さん、格好悪いなぁ。子供相手に大人が助けを呼ぶだなんて」


 少年はおどけるように両肩をすくめる。

 その様子に『こうしてはならない』という感覚がないことに気づく。


 良心や道徳といった言葉にならない行儀は頭にこびりついて行動を抑制する。

 なのに少年には一切、『こうしてはならない』という感覚がない。


 とにかく少年はまるでハーシェルを道端に居た虫を踏んづけてやろうみたいな気持ちで行動しているように見えるのだ。


 ともあれ声は出せた。

 あとは誰かが来るまで生き延びることができれば勝ちだ。


「お兄さん、もしかして誰か助けてくれるのを待ってるとか? 実は近くに仲間でもいるのかな?」


 ここでハーシェルは一つの誤ちを抱えていた。


「でも来ないよ? だって今頃、『街の皆は行進式を見に行っていて警備の騎士たちもそっちにかかりきり』なんだしさ」


 言われ、ハッとする。

 少年の言うとおり、この周辺はほとんど人がいなかった。

 スラムに近いこともあり、危ない場所に近づくような好奇心の強い一般人も少ないだろう。

 本来なら警備の騎士の巡回ルートでもあるこの辺も、帝王の身を守るために行進式のルート周辺に力を入れている。


 警備が薄いのだ。

 

 もちろん仲間もいない。


 仲間がいるとしても、それはハーシェルが死んでから行動し始めるだろう。

 もしもチームで活動していたとしても今回は明らかに危ない橋だ。

 仲間を巻き込もうとはしなかっただろう。

 そもそも仲間がいたらこんな依頼でのし上がろうとは考えない。


「……ちくしょう」


 震える膝で立ち上がり、少年から距離を開けて睨みつける。

 こうして相対しても、やはり少年からはイヤな空気を感じる。


 無詠唱からの術式に躊躇のなさ。

 ハーシェルから見ても少年は優れた術式師、それも上級かそれ以上の強者だ。

 ただの術式師ならハーシェルの敵にもならなかったろう。

 しかし、無詠唱は元より『ハーシェルのような肉体的に優れた相手からアドバンテージを取る』ために作られた技術だ。

 無詠唱が使えるという時点で勝ち目は薄い。真正面から向かえば、術式を撃たれておしまいだ。


 せめて防御結界の一つも張れたら少しくらい違ったのかもしれないが、それだって本職の術式師には遠く及ばないだろうし、結果はジリ貧だと見えている。

 どう足掻いてもハーシェルには不利な要素しか見えない。


「うん。もう覚悟したって顔だね」


 稲妻球が全部で六つ。

 無詠唱で少年の周囲に浮かび上がる。

 下級のウル・プリムとはいえ六つ、それもアレンジを加えてあるのか通常の術式よりも強く激しく電光を瞬かせている。


 唯一、勝てる部分と言えば肉体的な面だろう。

 いっそ捨て身で殴り飛ばせば運良く術式の構成が解除されて、そのまま一方的に殴り続けられるかもしれない。

 分の悪いというレベルではないが、何もしないよりマシな内容だろう。


「それじゃあお兄さん。バイバイ」


 だけど覚悟は遅かった。

 一歩踏み出すよりも早く、少年の稲妻球が殺到する。


 一つ、一つがハーシェルにとって致命的な術式。

 危機感だけは背中を撫で回すのに目の前の術式をどうすることもできないのだ。

 目を瞑ることもままならない。


「(ダメだ、これは)」


 何がダメだったのか今ひとつわからない。

 ただなんとなく、この場になって浮かんできた気持ちは後悔でも恐怖でもなかった。


 それこそ一番、出て欲しい時に悪い目を出したサイコロを見た時のような、どうしようもない気持ちだった。


「ワシュ!」


 奇妙な声と共に稲妻球がサッと黒い何かに横合いから押しつぶされた。

 拍子抜けさえするようなタイミング。


 視界の全てが何かの影に覆われたと理解し、それが大きな身体の背中だと理解したときには逆に混乱してしまったくらいだ。

 そいつの横幅がありすぎて視界のほとんどを埋め尽くしてしまったせいで影と勘違いしたのだろう。 


「――は?」


 だから、素っ頓狂な声をあげてしまった。


「ワシュ? ワシュワシュ! ワシュ~」


 そいつはいつか見た着ぐるみだった。


 死んだようなまん丸の目に鷲の騎士という、どういう感性で作られたのかどうかわからない奇妙な着ぐるみ。

 その着ぐるみが薄黒い結界のようなものを張り、ハーシェルの前に立っていたのだ。


 それがますますハーシェルの混乱に拍車をかけていた。


「ワシュ!」

「……いや、すまんがわからん」


 何やら聞かれているようなのだが、ボイスチェンジャーのせいでまったく通じていなかった。


 ハーシェルは運が良かった。

 しかし、彼は運だけに頼っていなかった。


 思いつく限りは行ってきたし、生き足掻くことに躊躇を持たなかった。

 本来なら最初の一撃で死んでいたはずのところを必死になったからこそ運を掴むことができたと言える。


 もっとも掴んだ運が連れて来たのは着ぐるみで、素直に助かったという気分は薄かったのだが。



 少しだけ時間を行進式前――ちょうどオルナがハーシェルを追いかけようとした頃に巻き戻す。


「……ワシュ(不覚だ)」


 お世辞にも良いとは言えない視界で、イラつきながら周囲を見渡していた。


「(冗談でも騎士が不審者を見失うだと……ッ! なんという失態だ!)」


 着ぐるみの奥でオルナは歯噛みする。

 全ては着ぐるみが原因だった。


 人よりも倍ほどある横幅に歩くたびに子供に指をさされ、注目の的になる着ぐるみでは、よくよく言わなくても尾行なんてできるものではない。


 すぐに見つかっておしまいだ。


 なので後ろからではなく跳躍し、民家の屋根に乗って、そこから尾行をしていた。

 ここでも着ぐるみが原因になる。


 視界が悪すぎたのだ。


 中の人が見えないようにと網目で作られた穴があり、そこから覗くように視界を確保していたのだが、やっぱりというか尾行には不向きであった。


 相手から見えない位置というのはこっち側から見えない位置でもある。


 ハーシェルと少年を視界に収めようとすると大きく前に出なければならず、角を曲がるなどして二人が見えなくなってからようやく顔を出す、ということを繰り返していれば、やがては見失ってしまう。


「(くそ……、犬に吠えられるわ、ベランダで洗濯しているマダムにギョッとした顔で見られるわ、たまったものではないぞ! この着ぐるみ!)」


 もう十分、着ぐるみが嫌いになったオルナだった。


 それでも諦めずにペタペタと足音を立てて、二人を追っていた。


「なんだ、この着ぐるみ……、と、とにかく出すもん出しやがれよ」

「ワシュ(だまれ!)」

「へぶぁッ!?」


 スラム近くでうろついていると人相の悪い男たちに絡まれたりもした。

 有無も言わさずに殴り飛ばした後、悠々と去っていった着ぐるみがスラムで話題になったのは余談だろう。


 ともあれ見失った。

 当然のように見失った。


 当たり前すぎて、ちょっと凹んだオルナだった。


「(いっそ応援を呼ぶか? しかし、相手は何かしたわけではない。何か良からぬ空気を漂わせていただけで応援を呼んでしまえば私ではなく【キルヒア・ライン】の尊厳に傷がつく。そして、もうそろそろ行進式が始まる。警備はそっちに集中するだろう。応援は来ないと見ていい)」


 近くにいるはずなのは間違いない。

 せめて尾行する前に話しかけるべきだったかと後悔しかけて、首を振る。


「(何かするにしても話しかければ警戒される。何らかの事を起こそうとしている前に話しかけたらそこでおしまいだ。それに話しかけても私の勘で連行するわけにもいかない。何もなければそれでいいのだ。だからこそ尾行していたことを忘れるな。思い馳せるのは過去ではなく、これからどうするべきか、だ)」


 ふと足元の影を見て、それとなく空を視る。

 首を無防備にさらすわけにはいかないので、斜めに見ているだけだったがピンと来る。


「(そうか。別にこそこそと後をつける必要はなかったのだ)」


 気づき、術式を展開する。

 不平や不満、特に現在、ストレスの溜まっているオルナの周辺にうろついていた黒の源素を糧に構成される術陣。


「ワシュ・ワシュワ(ルガ・クルガ)」


 足元に重力と反発する力場を生み出すというものだ。

 オルナの身体がふわりと浮き上がる。


 周辺を見渡せるくらいまで上昇したら、その場に留まった。


 この術式は強弱やアレンジで反発する力も変わるので力強い踏み込みにすら耐えられ上下移動を得意とするが、左右や前後への移動に向かない。


 空中の、その場に留まり続けるのなら一番、効率のいい術式だ。


 しかし、オルナは一つ、見落としていた。


「(見づらい……。どこまで私を邪魔するつもりだ、この着ぐるみは)」


 身体を折り曲げないと真下まで見れないのだ。

 いくら足元に力場を発生させているとはいえ、体勢を崩せば逆さま状態になってしまう。


 仕方ないので身体を固定するために別の術式を使う。


 いっそ着ぐるみを脱ぎ捨てるべきかと考えるが、着ぐるみの中は狭いので最低限の衣服しか来ていない。

 下着とシャツとズボン程度だ。

 そんな姿で『騎士だ』と言っても信じてもらえないだろう。


 少なくとも女性が騎士だと言って、信じられるような国ではない。


 この辺で恥ずかしいという感覚が出てこない時点で女性なのかと疑うレベルだと指摘する者はいない。


「(こんなことで二つも枠を使うとは)」


 帝国正式採用術方式でもあるチェクト・レノ方式は言ってしまえば『クロスボウ』だ。


 基本となる術式構成があり、追加構成を組み入れることで発動させる。

 追加構成を枠と捉え、そこに術式を放り込む仕様だ。

 ゆえに発射機構に矢をセットするクロスボウに例えられる。


 言ってしまえば絵画の額縁があり、そこに絵画をはめ込んで使うように作られてある。

 これのメリットは基本となる方式が決められている分だけ他人と術式を共有しやすく、発動もいちいち全てを描くよりも早く撃つことができる。


 デメリットとして個人によって額縁を持つ個数が異なり、オルナでも四つが限度だ。無理をして五つ。数が少ないのだ。


 これは枠組みで術式が固定されるチェクト・レノ方式と、陣圧縮ができ精神が壊れるまで最大数を撃てるサートール方式との違いだろう。

 使いやすく安定し、固定数に縛られるチェクト・レノ方式。

 難しいが不安定で、人類の最大許容量まで使えるサートール方式。


 どちらが優れているというものでもないが、少なくともオルナにとって術式枠は貴重なものだ。

 着ぐるみのせいで一枠使うと考えると、こう殺意が沸く。

 しかし、誰が悪いかと言えば誰が悪いかわからないので行き場のない殺意だけが渦巻くハメになる。


「(しかし、これだけしてどこにも見当たらないということは建物の中に入ってしまったのか……)」


 しばらくすると突然、民家の一部から土煙があがる。

 音も聞こえ、すぐに気づくことができた。


「(あそこか!)」


 ただの爆発事故かもしれないが、事件が起こっていながら不審者探しをする理由もない。

 すぐさま力場を爆発した場所に向けて、強く蹴りつける。

 三つ目の枠に強化術式を使い、弾丸のような速度で現場に向かう。


 優れた動体視力は襲われる不審者の姿が見える。

 土煙の向こう側を睨みつけているところから何かに襲われているのだろう。


「(助けるべきか?)」


 と頭によぎった瞬間、行動は決まった。


「(いや、例えなんであれ、帝国民を守るのが騎士の務めだ。捕まえるかどうかは後で決める!)」


 土煙側から稲妻球が放たれるのを見ながら、四つ目の枠で黒属性の術式結界を作り、着地の衝撃を消すと同時に稲妻球を吸収する。


 黒属性の防御結界は物理結界であり、他の結界にない特殊な効果がある。

 相手の術式を吸収し、源素に変えてしまうというものだ。

 吸収した源素を使おうと思えば使えるがすでに四つの枠を使い切ってしまっている。

 術式を一度、終了させない限り枠は元に戻らない。


「うわ、なんかきた」


 揺らぐ黒色の薄膜。

 その向こう側にいる少年を見て、オルナは眉を顰めた。


「(またこの手の類か!)」


 少年はローブで顔を隠しているものの、ニヤニヤとした口元が見える。


 以前、戦った賊と同じ格好だ。

 ローブの柄や佇まい、身長差や体格、声に至るまで何一つ似ていなくても同じ格好というだけで苦虫を噛み潰した気分を味わう。


 明らかにこの少年が爆発を起こしたのだろう。

 不審者と敵対していることは明白だ。

 となると不審者が何かをして少年を怒らせたように見えるが、オルナの動物じみた勘が違うと囁いている。


「ワシュ!(おい、お前!)」


 まだポカンとしたままのハーシェルの目がさらに見開く。


「ワシュ? ワシュワシュ! ワシュ~(何があった? あまり時間はないぞ! この少年は油断ならない)」


 注意を呼びかけたつもりだった。

 親切心やこの状況の情報が欲しかったという意味もある。

 少年の実力がわかるから集中力も裂けない。


 少年はあぁして面白そうに見てはいるが、オルナが気を抜いた瞬間、致命の術式を使おうとするだろう。


「……いや、すまんがわからん」


 最初にハーシェルが『意味もわからず攻撃された』という意味で言ったのかと思ったが、


「何を言ってるんだ?」


 ここまで言われ、ようやく気づいた。


「(……もしかして私の言葉は別の言葉に変換されているのか? そういえば私が怒鳴っても子供たちは一向に怯えたりしていなかった。それに見た感じ、この不審者はそれなりの場数をくぐっているように見える。言い訳するにしても何かしら言うはずなのに『わからない』はない)」


 となると今まで必死で子供相手に『止めろ』や『来るな』などといった言葉が全部、別の言葉になっていたのなら……、着ぐるみと夏の暑さとはまた違う赤みがオルナの頬を差す。


「(くっ――!)」


 今すぐ過去の自分に注意をしてやりたいところだが、それよりもボイスチェンジャー機能が邪魔だった。

 密着する着ぐるみの内側、その源素の流れを辿り、喉あたりにそれらしき術式具があるとわかった瞬間、外側から変声術式具を毟り取って捨てる。


 突然、自らの喉笛を掻き千切る鷲の着ぐるみに少年とハーシェルは驚いた。


 キレたオルナの握力はリンゴくらいなら軽く握りつぶせる。

 着ぐるみの腕でも十分、外側から壊すことも可能だろう。


「何があったのかと聞いたのだ!」


 そして、怒鳴られたものだからハーシェルも、


「あ、あぁ、しゃべれたのか、あんた。てっきり喋れないもんかと。大丈夫だこれでも冒険者だ。その、そっちのヤツは子供だが不正依頼の――」


 その外見が『死んだ瞳をして喉笛を噛みちぎられた鷲の騎士』になってしまったため、ドン引きしていたことも含めて、しどろもどろにならざるをえなかった。


「もういい。大体わかった。この冒険者の怯えは本物であり、貴様には――」


 土煙も収まり、夏の風がオルナと少年の間を駆け抜ける。

 ゆっくりと着ぐるみの剣を抜いて、少年に向ける。


「――悪意がある」


 少年の周囲には複雑な紋様の術式陣を待機した宙に浮かせ、終始、オルナを警戒していながら侮る空気がある。


「人を見るなり失礼な着ぐるみだなぁ。そこの彼が悪いことをしたと思わないのかい」

「以前、私は貴様のような格好をした男と戦ったことがあった」


 少年の言葉にはきっと意味はない。

 少年に侮る姿勢がなくならない限り、会話は無意味だ。


「あの男は私を最悪の敵だと言った。そいつもなんというか最悪だった。そして殺意があった」


 賊との戦いは確かに苦いものだった。

 地力で圧倒できても、賊はオルナの戦闘行動全てに対応してみせた。


「だが敬意もあった」


 侮りなど一切なく、最後の瞬間まで策を張り巡らせ、あっという間に逆転してみせた。


「貴様にはそれが感じられない」


 敵対者とはこうあるべきという形を、オルナの胸に残した。


「先に子供のイタズラにあった。あの子たちは皆、己の成したいことを全力で成していた。心ゆくまま気ままに」


 着ぐるみ相手に全力を出し、躊躇がなかった。

 子供たちは決して、己の行動が悪いものだと認識していないだろう。

 遊びたい盛りだ。そこまで目くじらを立てる人もいなく、そもそも悪いと考える人もいないだろう。


「貴様にはそんな無邪気さがある」


 しかし、どんなものも過ぎれば悪いものになる。

 自分自身がどんなに悪くないとしても、他人にとっては致命的な傷になりかねない。


「悪意があり、敬意がなく、そして無邪気。それらが混じりあったモノを人は――」


 無邪気は悪意がない、という意味ではない。

 悪意を省みない心は悪意に対する歯止めがない。

 相手に対する敬意もなければ、それはもう止まらないのと同じだ。


「悪と呼ぶ。貴様のような者は帝国に仇なす者だ」


 そして、自侭に行動するものは輪を乱し、力があればあるほど輪を壊していく。

 具体的に何をしようとしているかまではわからないが、みすみす見過ごすつもりもない。


「でもいいのかい? 君はよくわからないけれど騎士? なのかな? たかが個人の諍いにまるで目の仇のように扱って。公平に民を取り締まるのが騎士の役目じゃなかったのかな」


 オルナはアウルス筆頭も『法の裁きに委ねさせろ』と言っていたことを思い出す。

 そのため力を入れていた足をそのままその場に留まるために使ってしまう。


 ハーシェルにはそのオルナの停滞が危うく見える。


 着ぐるみの騎士がハーシェルの生命を守っているのなら、躊躇されてはたまったものではない。


「こいつは帝王の――」

「陛下をつけろ不敬者!」


 騎士として帝王は尊く、仰ぎ見る者だ。

 なので一般市民にも厳しいオルナだった。


「……帝王陛下の行進式で何かを企んでいるみたいだ。新薬の実験だのなんだの言ってやがった」

「これで決まりだな。話を聞かせてもらおうか。もちろん、おとなしく法の裁きを受けるというのなら早急に投降しろ。帝王陛下の御名とルーカンの名に置いて、公平かつ厳粛な裁きが下される。だがあくまで抵抗するというのなら生命の保証があると思うな」

「あ~あ、やれやれ。ほんっと面倒くさい相手が来たもんだ。たかが着ぐるみに僕がやられると思っているあたり、相当だよお前」


 後ろに跳躍する少年、追うオルナ。

 お互い、狭い民家では戦いづらいと判断し、民家の上に飛び乗る。


 術式師である以上、少年はオルナから距離を取らなくてはならない。

 いくら無詠唱を使えても、距離を取らないと近接面で不利になる。それが術式師だ。


「ルーカンの名の下に名乗れ悪漢!」

「いいよ。そうだなぁ……、【クリック・クラック】なんてどうかな?」

「【キルヒア・ライン】外周部隊所属――オルナ・オル・オルクリスト」

「オルナ? どこかで聞いた名前だなぁ……うわっと」


 クリック・クラックと名乗った少年にオルナの剣が迫る。

 振りかぶられた剣を体をそらして避わし、返す刀で胴に蹴りを放つ。


 ぐにゃん、と奇妙な感触がクリック・クラックの足に伝わるが元々、攻撃のための足ではない。

 大きく足を折り曲げて、再び蹴ることでオルナとの距離を取る。


 一方、オルナも一瞬、たたらこそ踏んだがすぐに民家を飛び越え、クリック・クラックを追う。


 直後、飛んできた稲妻球は黒属性の結界で吸収する。


「(強化術式を使いながら逃げ回りつつ術式を使う、こうした相手は接近までが重要だ。しかし、なんだこの違和感は?)」


 オルナとクリック・クラックは強化術式で身体能力を上げている。


「(明らかに私よりも弱い体格、強化術式も私と同程度とみなしてもこの動きは奇妙だ)」


 いくら着ぐるみを着て、動きづらかったとしてもオルナの身体能力は高い。

 少年程度なら地力で負けることもない。


 よほどの強化術式の使い手――ヨシュアン・グラムのような複合術式で強化を最大限まで高めていない限り、最初の一刀で勝負は決まっていた。

 ローブの下でチラリと見える無機質な術陣帯は、賊よりも劣るとハッキリわかる。


「(逃げに徹している? 回避に専念しているから仕留め損なったか? 確かに積極的な動きではないが根本がおかしい。あの体格で私か私以上の身体能力がないとあんな動きはできないぞ?)」


 突然、クルリとクリック・クラックが背中を見せる。

 そのまま民家の屋根を伝って逃げようとしている。

 

 追いかけない理由もない。

 だが相手も素直に追わされるつもりもない。


「ルガ・プリム」


 一枠消費して三つの黒い球体を浮かべる。

 こうした攻撃術式はあまり使わないオルナだが、距離が開いた相手と戦えないわけでもない。


 クリック・クラックめがけ、まっすぐに飛んでいくルガ・プリム。

 源素を吸収し、削る力に変える術式は黒白の術式結界かルガ・プリムの許容量を越える源素を食わせない限り、止まることはない。


 それが三つ、しかも自動追尾のアレンジまで加えている。


「しつこいなぁ」


 飛び跳ねて速度を落とさずに振り返る。

 無造作に払われた手から三つの青光の線がルガ・プリムを突き刺し、消滅させる。


「リオ・フラムセンか」


 青の源素は速度を伴った術式と組み合わせると周囲の源素を散らす効果がある。

 音速は十分、青の源素を活性化させる速度だ。


「(術式師相手に術式戦を仕掛けるのは無謀か。やはり距離を詰めるしかない)」


 オルナも術式師としての腕は本職に負けていないつもりだが、やはり専門職とはどうしても差が出てくる。

 ならばとルガ・プリムを使った一枠を再び、別の術式に変更する。


 さらに強化術式を使い、速度を上げる。

 ぐんぐんと詰まっていくクリック・クラックとの距離。

 

 それでもクリック・クラックは不敵な笑みを崩さない。


 屋根から飛び降りると道を行く竜車の前に躍り出る。


「な――! 危ないぞ!」


 御者台に座っていた商人がクリック・クラックに怒鳴りつける。


「うるさいなぁ。ちょっと黙ってくれる?」


 商人から陸竜の手綱を奪うとそのまま手のひらを商人につきつける。


「ベルガ・ウル・ウォハルク」


 瞬間、商人と竜車が粉々に吹き飛ぶ。

 稲妻が交じる轟音と降り注ぐ肉片に近くの通行人や住人が悲鳴を上げて逃げ惑う。


 暴れる陸竜を片手で制しているクリック・クラックを見下ろしたオルナは、その光景に面貌を険しくした。


「なんという――!」


 普通、術式に関係する者は心をフラットに保てと言われる。

 どんな光景を見ても心を荒げない。

 特に術式に向かっていく術式騎士は鉄のような心が求められる。


 だが、街中で惨事を起こし、あろうことか殺人までする者を見て、怒らない騎士はいない。


「どうどう。おや? 着ぐるみの騎士の登場だ」

「貴様……ッ!」


 陸竜を御して、オルナを見上げる。


「正直、君とやりあう暇はないんだよ。ちゃんと結果を見届けないといけないからね。だから――」


 陸竜の口を無理矢理開けると、小瓶の薬を逆さにする。

 卜ポトポと溢れる薬品が陸竜の喉に流し込まれる。


「君の相手はコイツだ。言っとくけどコイツを無視して僕を追っかけてきてもいいけど」


 陸竜がのたうち苦しみ、横倒れになったと思ったらグニグニと皮膚の下を虫が這うように脈動し始める。


 その変化は頭にきていたオルナでも青褪める光景だった。


 陸竜の皮膚が剥がれ、肉が盛り上がり、黒ずんでいくのだ。

 目玉を押し上げて、赤い肉腫が飛び出し、骨格すら歪めて立ち上がる陸竜。

 ぷす、ぷす、とむき出しの肉が小さく弾け、そこからも醜悪な肉種がうぞうぞと這い伸びる。


「後悔しても知らないよ」


 粘性の黄痰がポタリ、ポタリと糸を引き、地面に落ちるたびに醜悪で肉の腐った匂いを充満させ、過剰な肉体変化に耐え切れず叫べば聴く者に単調で不快な金切り声で耳を塞がせた。


 ギョロリと肉腫の瞳と目線があっただけで、オルナの肌が生理的嫌悪でざわつく。


「たしか、コイツは『ヴィーパー』という種類に変わるんだっけ」


 砂上の魔獣『ヴィーパー』。

 南方に出現しやすい魔獣種の一匹で、キャラバンに恐れられるほどのバケモノだ。

 魔獣が獰猛なのは当たり前だとしても、『ヴィーパー』が殊更、恐れられるのは執拗に追いかけてくることだろう。


 狙った獲物をその醜悪な体躯と速さで迫り、キャラバンの全てを食い尽くすまで殺戮を続ける。


 逃げる者もキャラバンの群れと判断されてしまえば生命がない。

 逃げた者が居たのなら食い尽くした後にソイツを追いかけて食い殺しに行くのだ。何年もかけて逃げた者を襲いに来た例もある。

 

 『ヴィーパー』と遭遇すれば最後、殺すか殺されるかしかない。


 そして、『ヴィーパー』に生まれ変わった陸竜は獲物となる群れを識別する。

 この場合、『ヴィーパー』が何を群れと認識するかだ。


「あは! どうやらコイツは帝国を群れと認識したみたいだよ!」


 つまり、『ヴィーパー』が生きている限り帝国を貪り続けるのだ。

 追い払うことも縛めることもできないバケモノが、あろうことか街中で生まれた瞬間だ。


「魔獣を創るか! この外道ッ!」


 生物として魔獣を恐怖する感情はある。

 だが、それ以上に怒りが勝っていた。


 屋根から降り、『ヴィーパー』の正面に立つ。


「最後に一つ、いいことを教えてあげるよ。『ヴィーパー』に使った薬を持ったヤツらがさ。行進式の近くに潜んでいるよ」


 その言葉と同時に、『ヴィーパー』が突進してくる。

 幅広の剣を横に倒しながら、駆け抜けざまに斬りつけるが、


「(お、重い!)」


 思ったよりも硬い手応えと威力に剣を持って行かれそうになった。

 

「(剣が短く、太くなければ折れていた……)」


 装備に救われた感があるが、そもそも【アルブリヒテン】なら切り裂くことができたと思うと素直に喜べないオルナだった。


 そして、逃げようと跳躍したクリック・クラックに向けて指を向ける。


「ルガ・フラムセン」


 三つの黒い光線がクリック・クラックを狙うが寸でで避けられてしまう。

 しかし、フードにかすめたようでハラリと落ちる。


「あっちゃ~……」


 クリック・クラックはすぐに顔を手で覆ったが、オルナは素顔を目撃した。

 特に何の変哲もない素顔だが、問題はむしろもう一つのほうだ。


 避ける際に右腕をかばった。

 結果、ルガ・フラムセンがフードをかすめた。


 何かあると思わせるのは十分だ。

 おそらく右腕に何かを隠している。


「逃がすか!」


 クリック・クラックを追おうとして、背後からの叫び声に足を止めるオルナ。


 振り返ると殺戮が行われていた。


 『ヴィーパー』は商店に突っ込み、そこにいた店子を貪っていたのだ。

 近くにいた冒険者が『ヴィーパー』の背中から剣を突き立てるが通らない。

 その冒険者も『ヴィーパー』に噛みつかれ、腸をぶちまけて生命を落とす。


「ほらほら。早く倒さないと『ヴィーパー』が皆を殺しちゃうよ。それでも騎士なのかな? それともその着ぐるみと一緒で紛い物なのかな?」


 空から腹が立つ言葉をかけられたが、いらだちを噛み殺して『ヴィーパー』を倒すために駆ける。


 四つの枠全てを強化術式に当てて、最高速度と最大腕力で『ヴィーパー』の額に剣を突き立てる。

 うねうねと動く肉腫がオルナの腕を破壊しようと巻きつき、力をこめてくるが着ぐるみの硬さがオルナの腕を救った。


 より強く、剣で額から腹まで破り裂いて、汚れた血飛沫を撒き散らせた。

 そして、全力で振りかぶった剣が『ヴィーパー』の首を跳ねる。

 

「ライガ・ルガ・プリム!」


 倒した余韻に浸るより先に強化術式を解除。

 枠を開けて、攻撃術式をセットした。


 首を跳ねられてもなお脈動する『ヴィーパー』の体を飲み込む暗黒の球体は一気に縮小させ『ヴィーパー』をこの世から消滅させる。


 魔獣の体はそのままにしていると不浄を撒き散らす。

 魔獣の死体周辺で、また魔獣が生まれるのだ。


 源素を吸収する黒属性は無色の源素を吸収すると自壊し、消滅する。


 同じように首も処理して空を見上げてもクリック・クラックの姿はない。


「逃げられたか……!」


 終始、逃げの手ばかりだったクリック・クラック。

 使った手がオルナの常識を超えすぎていた。

 魔獣を生み出す薬はもちろん、街中で堂々と魔獣を作ろうという考えも狂っているとしか言い様がない。


 これはオルナでなくても、守るべきものがある騎士ほど絡められる。

 翻弄され、逃げられる。


 そもそも本気で戦おうとしていなかった。


「いや、まだ終わっていない! 早く行進式に向かわなければ!」


 行進式でも同じように魔獣化する薬を持った人がいる。

 クリック・クラックの策略で騙されたのか、それとも望んで飲むのかまではわからないが、少なくともその作戦に参加した人間がどうなるか――最悪の未来しか思い浮かばない。


 どこに消えたかわからない敵を見つけるよりも帝王と、そして巻き込まれるだろう人々を守ることが先決だ。

 そう考えすぐに行進式の現場に向かうために走り出した。


 この時点でオルナはクリック・クラックによって行進式の位置からもっとも遠い場所におびき出されていた。

 クリック・クラックはオルナを危険視していなかったが結果、帝国の鬼札を一つ、事件から遠ざけた形になった。


 そして、今、この瞬間。

 行進式で起きている事件の方こそ、この日に起きたもっとも大きな事件であった。



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