布の厚さに遮られて 後編
行進式の行程はそう難しいものではない。
帝都の広場から出発し、門をくぐり主道となるルーカン主通りを直進、正門前まで行くと曲がり、もう一つの主道でもあるブリストン副道を経由して帝城に帰ってくる。
その行進経路はちょうどUの字を描く形になる。
本来、全ての区画を回るべきなのだが、行進式は暗殺される可能性の高い行事だ。
過去に何度か帝王暗殺が行進式に行われてきた。
長く続いた分だけ帝国は歴史と共に少しずつ何かを変えていった。
行進式もその一つだ。
その度に輝かしいはずの行進式は国防という理由で移動距離を縮めてきた。
しかし、だからこそ帝王は前に出た。
国としての対面もあるが、いかなる暗殺にも屈しないという姿勢を帝王は見せつけなければならない。
国民に、兵に、そして敵に、全てに威風を分からせなければならない。
しかし、忠臣として帝王をむざむざ危険に晒すわけにもいかない。
「というわけで中止を箴言しますよ」
「断る」
「そういうと思っていました。はぁ……、大変だなぁ、こりゃぁ。特にアウルス君が」
頬杖をついて当たり前に言い放つヴィルヘルム。
対して、わざと肩を落としたポーズで首を振るテレンツォ。
「行進式を止める理由にならん」
それが例え、テレンツォから『良からぬ陰謀』の話を聞いた時でさえ、ヴィルヘルムは一瞬で行進式の続行を決定した。
「あぁ、それとウルグス君もかな」
テレンツォが持ってきた話を共に聞いていたウルグスは頭を抱えた。
前もって秘密計画を知れたのはいい。
さすが特務の長と手を叩いてやってもいい。
しかし、何故、行進式が始まる寸前で言ったのか理解できない。
「もっと早く情報を掴むことはできなかったのですか?」
「いやいや、確定情報じゃなかったからねぇ。さらってきたまでは良かったんだけど、予想外に粘ってね。もう指がなくなっちゃったんだよ」
「そう言った暗黒質な話題は場をわきまえてもらえませんか」
式典用の竜車に乗り込む寸前で、テレンツォが現れ、この話が始まったのだ。
本来なら帝王だけで乗っているはずの竜車には急遽、ウルグスとテレンツォが乗っている。
だけならまだいい。
竜車から顔を出すのは帝王だけだ。二人がでしゃばらない限りわからない。
「計画は『薬を使って、こちらの軍用術式構成を盗むこと』らしいんですけどねぇ、どーにも臭い。持っていた薬は現在、イルメントルートが調べてる途中です。言っちゃぁなんですが、とても軍用術式狙いとは思えませんねぇ。なんていうかもっと破滅的な匂いがするんですよね」
「テレンツォ特務長。特務の長ならもっと具体的に言ってもらえませんか」
「だから、ようするに『軍用術式の盗視』は協力者への言い訳で、本命はもっと別の何かじゃないかなぁ、と」
「別の計画とはなんですか」
「暗殺じゃないかな?」
ウルグスはギョっとする。
国に置いて暗殺というのはもっとも許してはいけない犯罪だ。
「というより詳しくは暗殺じゃないよねぇ」
「テレンツォ特務長!」
ヴィルヘルムが小さく手をあげるとウルグスも黙らざるをえない。
「暗殺ではない暗殺。面白い話だ。聞かせろ」
「行進式で暗殺される理由をご存知ですかね? 帝王陛下」
なめらかな右目の仮面を少しさすり、にゅぅと目を歪めるテレンツォ。
その姿にウルグスは、ヴィルヘルムを試しているようなふてぶてしさと同時に、どこか楽しんでさえいるように見える。
「守られた巣穴から不特定多数の前に姿を現す好機であること。衆目に内部の混乱や情勢の不安を煽ること。何よりの利点は」
気怠げな口調のわりにスラスラとよどみなく利点を挙げていく。
ウルグスもこれらの利点は一番、最初に思いついた。
「想定しやすいことですねぇ」
想定と言われ、一瞬だけ心の中で首をひねったウルグスもすぐに理由を思いつく。
「どんな計画も前情報と違わない情報を欲しがるものでしてね。戦略然り、行軍然り。行進式は地形という一番、動かない情報をあらかじめ、それも誰でも手に入れられるのです。街の中にさえ居たらですがね」
情報というものを二つに分けるのなら、『動く情報』と『動かない情報』に分けられる。
正確には『動かない情報』などないのだが、変化が乏しい、あるいは無視しても構わない情報は『動かない情報』に分類される。
いわゆる前提条件に近い。
地形や自軍の数、国の規模。
これらは政治に関わる者なら大まかでも知っておかなければならない知識だ。
「想定しやすく、それでいて林のように建物があり視界は極めてよろしくない。この商店の向こう側は誰も見えない。そうした暗がりに隠れることも可能。暗殺する側の利点は非常に多い」
往々にしてこうした『動かない情報』は覆された時の衝撃が大きい。
あるべきはずのものがなくなれば、前提としていた全ての価値が変わるのだ。
「誰だって手に入る情報を利用する価値は薄いでしょう」
しかし、『動かない情報』は動かないから『動かない情報』なのだ。
簡単に覆らないから前提にしている。
「もちろん、こっちも相手側を想定して、商店の屋上や群衆の中にも私服兵を忍ばせていますよ」
お互い、同じ情報を共有しているからこそ一度、裏をかけたらあっという間に要人を殺されてしまう。
「でもねぇ。暗殺っていうのは『知られていないからできる』のであって、今回みたいにあからさまなのは暗殺じゃないんですよ」
暗殺は発覚した時点で半分が失敗と同じなのだ。
つまり暗殺を企てた者の計画は失敗の可能性が強く、失敗も同然だ。
そう言いたいのかと思ったウルグスは、しかし、沈黙したままだった。
「ただの襲撃ですねぇ。こんなものは」
まだ話が続きそうだったというのもあるが、何より先が見えてこない。
特務という仕事は暗殺や襲撃、そう言った相手の行動を先読みしたり、他国の出方を非正規手段で手に入れ、場合によってはテロを起こす集団だ。
その特務の長が『暗殺されそうですよ』と言いに来ただけだとは思えない。
「そもそも本当に隠す気があったかすら怪しいですねぇ。まるで子供が書いた絵本みたいじゃぁありませんか……。見つかっても構わないという点がどうしても引っかかりましてねぇ。だから考えました。何を狙い、何を考え、何がしたかったのか。杜撰でも良かった理由。大体はわかっていますが後はただ一つ、答えを知るだけで口にできそうですねぇ」
しかし、様子を見ているとつらつらと長話し始めたのでいい加減、注意しようとしたら、バサバサと翼の音が近づいてくる。
窓を開けると伝令用の小型飛竜が、するりと入ってきて『きゅぁ!』と一鳴きする。
「あー、きたきた。さすがに仕事が早いですねぇイルメントルート女史は」
テレンツォが腕を出すと器用に小型飛竜が止まる。
鳥のような足につけられた書簡ケースを開けて、羊皮紙を読み始める。
「……こりゃぁ、とんでもないものを引っ張り出してきたようですねぇ」
言葉ほどに緊張感がないことにひっかかるウルグス。
「貸してください。『本薬品は視覚に類する効能はなく、初期動物実験の結果』――」
端的かつ効能だけを書いてくれていることに内心、感謝しつつ読み進める。
「――『服用させた鼠が魔獣に変化した。既存にない魔薬である』!?」
そして、言葉に出して、まずイルメントルートがとうとうおかしくなったのかと思った。
魔獣というのは自然発生するものだという常識がある。
これは『動かない情報』と言ってもいい。
少なくとも街中で発生するものではない。
無色の源素と生物の二つがあれば発生する、なんてことをウルグスは知らない。
ヴィルヘルムもテレンツォも知らないだろう。
元々が専門知識に分類される知識だ。
ともあれ、この情報で『動かない情報』は覆されたことになる。
「これで決まりましたねぇ。相手の狙いは暗殺でなく襲撃。あぁ、思い出した。この手法。どこかの誰かに似ていると思ったんですよ。人間というのを一つの消耗品みたいに扱うやり方。しかし、所詮似ているだけというか。やっぱりこうして相対してみると違いますねぇ。なんというかあの悪名高き魔女は『人間という種に躊躇がない』けれど、どこか大事な研究を行う時のような慎重さと疑い深さがありましたが、いやはや」
「テレンツォ特務長。我々のわかるようにおっしゃってください」
「うん? あぁ、それは後で説明しますよ。どうせならイルメントルート女史も交えて話したほうが良いんじゃないですかねぇ? しかし、今回は目の前のことに集中しましょう」
パンと手を叩くテレンツォにジト目なウルグスだった。
「さて。この度の企ての真相は簡単。魔獣化という爆弾のついた人間を衆目に紛れさせ、大騒ぎを引き起こし、行進式を邪魔し、運がよければ帝王陛下の殺害を目論んだ――ただの嫌がらせですねぇ」
「た、ただの嫌がらせ? そんなことのために帝国一つを敵に回すつもりですか、その敵首魁は!」
「図太いとか余裕があるからとか、そんな感じでなく、帝国が一番、立地条件が良かったからここで騒ぎを起こそう、なんて気軽さがありますよねぇ、この事件」
「そんな日当たりがいいから決めた家みたいな理由があってたまりますか!」
そんな理由で帝国を脅かされては堪らない。
いや、その前にそもそも国を相手にするなんて大事をなんの覚悟もなくできるはずがない。
相手はウルグスの常識から途方もなく外れた存在であり、それこそ『空飛ぶ賊』に近しい相手だと気づかなかった。
「ところで帝王陛下。どうされます? ここまで聞いて」
「アウルスにこう伝えろ」
ヴィルヘルムは慌てなかった。
まったく光の加減で色合いが変わる不思議な髪が、金色からうっすら暗い桃色に見えた程度で、その表情も態度もいつも通りと変わらない。
今すぐに紅茶でも飲めるような気軽さのまま、
「お前たちは何が相手でも余の敵を屠れるか否か、と」
あっさりと重労働を課したのだった。
「いやはや、そんな聞かれ方をしたらアウルス筆頭も発奮するしかない」
「陛下。本当にこのまま行進式をお続けになられるのですか!?」
「もちろんだ」
そろそろ城門を抜けるので立ち上がるヴィルヘルム。
ここから先、何があってもヴィルヘルムは車内に戻ることはない。
例え襲撃されたとしても逃げるのではなく悠々と背を向け、一切の顔色すら変えずに堂々と去らねばならない。
あるいはその場で事を見定めるか。
どちらにしても、それこそどんなバケモノが襲ってこようとも、みっともない姿は見せてはならない。
「叩いて潰せ。前から来るのなら堂々と。隠れてくるのなら引きずり出して始末しろ」
竜車の内扉から屋根に登ってしまうヴィルヘルム。
見る者がその姿を見れば、まったく意に介していないように見えるだろう。
内心、どうなのかはウルグスにもわからない。
子供の頃からずっと見てきた主君ではあるが、一度もその内心を悟らせなかった。
一度だけあったとしたら王妹殿下シリアリースの呪いをどうにかしたいと語った時だけだろう。
「承知しました。我が強壮なる帝王陛下」
見えなくなったヴィルヘルムにテレンツォは恭しく頭を下げる。
どこまでも胡散臭さしか感じられない仕草や言動ではあるが、ラインの三姉妹の中で【テルリット・ライン】がもっとも忠義に厚い。
むしろ特務は忠義がなければ出来ない仕事だろう。
その忠義が国に向けられたものか帝王自身に向けられたものか定かではないが、忠義がある限り裏切らない。
「とりあえず、こっちも情報を使って追い詰めてしまいましょうかねぇ」
「敵首魁をですか?」
「いやいや。そっちはどうやら偶然、女騎士さんが居るみたいなので、任せてしまいましょうか。逃がしても白面に追いかけさせればいいですしねぇ」
帝王ヴィルヘルムを絢爛豪華な竜車の屋根に立ち、群衆を眺めるように行進式はつつがなく行われた。
そして、彼らにとって事件が始まり、同時に終わろうとしている瞬間でもあった。
※
テレンツォからもたらされた情報を聞いたアウルスの行動は早かった。
帝王の警備を近衛に任せ、自身も帝王の乗る竜車を先導する位置を保ちながら、不審な動きがないかチェックしていた。
騎竜に乗っていたおかげもあって見通しはいい。
真正面から来る相手には近衛とアウルスで十分だろう。
民衆たちに警戒しろとハンドサインで伝えると【キルヒア・ライン】もまた無表情で了解する。
何故、今になって民衆を警戒するのか、疑問に思わない。
彼らはアウルスの決定を信じ、疑問を挟まない。
他にも私服兵と特務の白面両方を使って民衆に紛れさせている。
元より人員は割り当てられていた。
しかし、その人数はそう多くない。
万単位で集まった人々の中から南方の人間だけを見張るのは無理があった。
ましてや混雑する民衆の中、南方の人間だけを取り押さえるのは至難を極めた。
作戦が始まる前に捕まえられた実行犯は、人違いや逃げられたのも含めて両手で数えられる程度だった。
それでも兵たちは決して諦めなかった。
しかし、生き足掻くことで救われる者がいれば、足掻いたところでどうにもならないこともある。
※
道の両側にひしめく民衆たち。
あまりの押し合いにルーカン主通りは両側にロープを張らなければならないほどだ。
鉄杭に縛られたロープを越える者はいない。
それは不敬に値するからだ。
それでも幾人かは危なげなく身体をロープの向こう側に押し出されそうになっては後ろに怒鳴り込んでいる。
今か今かと行進を待ちわび、他愛のないお喋りすら叫ばなければ聞こえないくらいの活気の中で私服兵の叫びはそう気にならないものだった。
「おい! そこの男! 止まれ!」
混雑する人々をかき分けながら手を伸ばす私服兵。
彼のすぐ目の前には南方人らしき黒い肌の男がいて、さきほど小瓶を飲んでいるところを目撃したので話しかけようとしたのだ。
何もおかしな光景ではない。
それこそ暗殺――襲撃事件があるという前知識がないと穿って見ない行為だ。
街中では至るところで水分補給のための革袋や木のジョッキを掲げ、喉を潤している。
冒険者に至っては体温を冷ます薬品『冷血剤』を使用している者もいる。
もはや民衆の中はカオスだ。
職務に忠実な私服兵は人を押し倒しながらも突き進み、やがて最前列までやってきてしまう。
汗だくになりながらも不審者の肩に手をかけた瞬間、その手が弾けた。
一瞬、何が起こったか私服兵は理解できなかった。
「うっ……、ああ?」
三つの指がポトリ、ポトリと落ちていくのすら無数の足の中に紛れて、もうよくわからない。
認識、痛みは遅れてやってきた。
「―――ッ!?」
反射的に身体を丸めて、硬直する。
しかし、ここで痛みに悶えても『私服兵の指を握りつぶした男』は止まらない。
「ぐぐ……ッ! 行かせるな……ッ、頼む、誰か」
荒い息と共に呟いても誰にも届かない。
私服兵が痛みを噛み殺せたのは単にここが雑踏だったからだ。
ここで悲鳴を上げれば動揺が広がり、恐慌に陥るとわかっていた。
何が何でも痛みと悲鳴を噛み殺し、不審者を抑えなければならない。
何故なら、すぐそこまで行進式の先頭が顔を出しているからだ。
腕を押さえて止血しながらも、男を止めようとした。
だが、男はロープの向こう側へとあっけなく跨いで道路に出ると、幾人か同じように抜け出してくる者が現れる。
十数名。
それだけの数が私服兵や特務の白面たちから逃れたのだろう。
「おい! 貴様ら早く端に寄れい!」
配置された警備兵が声をかけても男たちは無反応だった。
熱にやられたようにボーッとした目。
フラフラと頼りない足元に、だらしなく空いた口。
よだれすら垂れ流しているのに拭おうともしない。
他にも共通点があるのなら行進路に出てきた人々が皆、南方人だったことだろう。
だが、この時も警備兵はあまり気にしなかった。
事が急すぎてアウルスも全ての兵に情報を回せなかった。
調べるのと捕まえるのに必要な最低限の人員にしか情報を回せなかったのは仕方ないと取るべきだろう。
なので警備兵は何も知らない。
このルーカン主通りで何が起きつつあるのか。
そのことを知っていれば、もっと別の対応もあっただろう。
「もうすぐ帝王陛下がお通りに……ッ!?」
南方人が熱にやられている姿が不思議に思ったくらいで、すぐに警備兵は男の肩を強く掴んだ。
ズルリ、と服の下で何かがヌメる感触がして、慌てて手を離してしまった。
そして、手にびっちりとこびりつく黄濁色の液体を見て、息を吸い込んだ。
男を見れば顔の半分がズルリと剥がれ落ちて、赤に彩られた真っ白な頬骨を露出させていた。
鼻をつくアンモニアを煮込んだような臭い。
クチュリ、クチュリとかさぶたを剥ぐように落ちていく人としての顔と身体。
皮膚、血、肉、それぞれがそれぞれ流れ落ち、地面に落ちた瞬間、熱したフライパンに落とした脂のように溶けていく。
むわりと地面から言い知れない臭いが這い上がってきて警備兵はむせる。
警備兵が視界の端を見ると、行進路に出てきた人々の全てが男と同じ有様だった。
何が起きたのか理解できない。
ただ背中を掻き毟るような生理的嫌悪のガリガリと皮膚をかじる音と、それらに囲まれた警備兵の動悸が周囲の音よりも大きく響いていた。
これは危ないものだ。
いてはならない――許してはならない存在だ。
生物本能がそう告げている。
警備兵は生物本能に従って、戦う技術に身を任せるがまま剣を抜いた。
「このバケモノが!」
誰かがつんざくような悲鳴をあげるが、警備兵は気にしている暇がない。
一刻も早く、この汚れたバケモノを駆除してしまわなければならない。
使命感、仕事としての務め、本能。
どれ一つ欠けても警備兵は動けなかっただろう。
本能を戒め、強くなる訓練を積んできた兵士だから行動できた。民衆ならすでに心弱いものなら腰が砕けて立てなくなっていただろう。
だが、それはあくまで最低ライン。
これから蠢く異形どもと戦うにはあまりにか細い精神の糸だ。
既に白骨化してしまった男の脳天めがけ、振り落とされる剣。
何万回、何十万回と振り下ろされ続けた技術は茎のように細い指にあっさりと止められてしまう。
カタカタと鳴る顎はまるで警備兵を嘲笑っているようでもあった。
無造作に剣を奪われ、警備兵は釣られるように転がり、尻餅をついてしまう。
すぐさま睨みつけ、相手の変貌を目の当たりにしてようやく自分が相手にしていた者を理解した。
「な、なな、なんでこんなところに……、ノックマッチが」
ノックマッチ。
本来なら戦場跡か、あるいは廃都、洞窟内に現れる有名な魔獣だ。
その知名度だけなら酒場に行けば一度は冒険者の会話から聞けるくらい、メジャーなものだろう。
死んだ人間の骨や動物の骨、そうした物体に無色の源素が集まり、成ったものをノックマッチと呼び、人々は忌み嫌う。
彼らは罠のように物陰に潜み、通過しようとする生者を殺し、喰らう。
生きるために喰うのではない。
彼らにとって生者は塊すぎていて、分解しづらいものだから『顎という部品を使って粉々にし、内源素を抽出している』のだ。
その姿が生者にとって死をありありと映して見えるので、冒険者にとっては忌むべき魔獣の一つとして数えている。
しかし、彼らは元々、死んだ者が成るものだ。
周囲の源素バランスが崩れている場所で適切な処置もされず放置された死体から現れるもので、白昼堂々、それも活気のある道路なんかに発生するものではない。
ましてや今の今まで生きていた者が成る者でもない。
異常事態だった。
突然、現れたノックマッチの集団に民衆は悲鳴と怒号と共に逃げ出そうとする。
ある者は誰かを突き倒し、ある者は人を足蹴にして逃げていく。
賑やかだった晴れの日は、一瞬にして陰惨で狂行溢れる恐慌へと変わってしまった。
もはや誰も止められないだろう。
他の警備兵たちも頻りに怒鳴り散らして収めようとするが逆効果だ。
少なくとも警備兵には何もできない。
私服兵たちも恐慌に紛れてしまったせいで身動きが取れない。
白面はその中をするすると動いていたが、もはや事態が取り返しの効かないところまできてしまったと悟って、自ら姿を消した。
次の作戦のための情報を主人に仰ぐためだ。
ただ誰もが予感していた。
この十数名のノックマッチによって人々は殺されるだろう。
魔獣一体ですら村が滅びるような世の中で、十数体の魔獣は地方都市を壊滅させるほどの悪夢だ。
「――静まれ!!」
怒号を貫く、若く威厳に溢れた声を全ての者が聞いた。
竜車の上に立ち、何事もなかったように泰然自若の構えを取った帝王の姿を見た瞬間、民衆は止まった。
止まるはずもない恐慌が、たった一人の姿を見て止まったのだ。
いや、正しくは一人ではない。
王を従うように陣立てて歩く全身鎧の騎兵。
古の鎧と戦車に乗った行進式のためだけの装いすら、矜持の光に輝いている。
帝国近衛が最高峰、剛鷲騎士団。
そして、彼らよりも上位あるいは並ぶとされる帝国の守護職。
帝国でもっとも知られている、最強の騎士団。
黒い刻術防具である『黒装』を身に纏い、一糸乱れぬ練度で現れる騎士の姿に人々はため息すらついてしまう。
帝国を守る3本線にしてラインの三姉妹が一つ、【キルヒア・ライン】。
粛々と行進を続ける圧倒的戦力。
近衛と【キルヒア・ライン】……、そして、その武威を自由に扱う権限を持つ若き王に誰もが期待したのだ。
警備兵も私服兵も、事態を忘れて見入ってしまった。
「(あぁ――これだ)」
何がこれなのか、警備兵と私服兵は言葉にできなかった。
お互い違う位置にいても帝国を守ろうとした者たちは、その姿を見た瞬間、痛みや驚きを忘れて惹かれてしまった。
これが王だ。
これが我々の仰ぎ見る者だ。
忠を尽くすべき御方だ。
兵は皆、一様に期待した。
民衆は皆、先ほどの恐慌が嘘のように安心した。
王一人来たところで何一つ、変わりはしない。
それが現実だ。だがそれでも期待する。
「脳なしどもが余の帝国に楯突くか――」
たった一人の王の言葉にノックマッチたちも動けない。
すでに脳などなく、本能すらない魔獣が王の言葉にたじろいだように微動する。
「――潰せ。余興にもならん」
王の命に騎士たちは剣を抜く。槍兵は石突きで地面を叩いた。
既に得物を抜いていた騎士はそれらを天に翳した。
「御意に! 御意に!」
一丸となって応じた叫びと同時に蹂躙が始まる。
集い、一枚の盾となって駆けるのは近衛騎士たちだ。
鋼に彩られた彼らは王を守るために在る。
そのため、装備は極めて防性に特化したものだ。
大盾。そして長槍。それら全て儀式用のものである。
彼らの本来の武装は行進式では使われない。
なぜならば彼らは戦争をしない騎士ではある。
王の護衛である騎士たちが攻め込まれるということは劣勢を意味するからだ。
劣勢に持ち込まれた戦を精鋭だけで押し返せるものではない。
長槍と大盾の武装は最前線のものであって、精鋭が持つ武装ではない。
儀礼の武器だ。
戦うためのものではない。
しかし、彼ら近衛は決して戦争できない騎士ではない。
瞬発よりも忍耐に特化した騎士でありながら、彼らは駆けた。
王命である。
その一言がまがいものを本物に変えた。
彼らを凶悪なファランクスに仕立てたのだ。
大盾から飛び出す鋼の長槍はノックマッチを無造作に串刺し、見せしめのようにつるし上げた。
ノックマッチは人骨の魔獣だ。
槍などの突き刺す武器は意味をなさない。
だが、彼らは人体の構造に違いない。
無数の槍が関節を、肋骨を、頭骨を縫い合わしてしまえば動けはしない。
六体のノックマッチは何もできないまま、槍にぶら下げられてしまう。
「お見事!」
近衛の大盾を足場にして跳躍する黒い影。
彼らは【キルヒア・ライン】の精鋭だ。
黒鉄を陽に輝かせ、動けぬ骸を剣で引き裂いていく。
刻術武器は鋼を裂くために作られた武器だ。
如何にノックマッチの鋼よりも硬い頭骨であろうと、彼らは安々と裂いてみせた。
全力の攻撃、全力の一撃に負けない強化術式と肉体性能を持つ精鋭ならば、魔獣の硬さは脅威に値しない。
跳躍と同時に叩きつけ、着地と同時に仕留め終わる。
全身鎧とは思えない鮮やかな挙動は、しかし、大きな隙とも言えた。
着地してすぐ体勢の整わない精鋭六名にノックマッチたちが腕を伸ばして掴みかかろうとする。
敵は待ってくれない。
ノックマッチの枝のような手は見た目以上の武器だ。
肉をそのまま抉り裂ける握力に無色の源素による瘴気が傷つけた者を無力化する。
黒装とはいえ真正面から受けて立てば、被害は甚大だろう。
「連鎖術式!」
アウルスの号令と共に、後ろに控えていた【キルヒア・ライン】たちが一斉に手をかざす。
彼らの間を鎖のように術式が巻きつき、複数の陣をつなぎ合わせている。
チェクト・レノ方式による連鎖術式は下級同士を束ね、上級へと変化させ、次に上級を束ねることで徐々に威力を増していく。
人が集まれば集まるほど術式同士は共鳴しあい、やがては一つの巨大な術式へと変化する。
【戦術級】術式。
「放て!」
次のアウルスの号令と起動陣を発動させたのはほぼ同時だった。
瞬時に展開された術式の効果は襲いかかるノックマッチたちを吹き飛ばし、同時に発生した氷と共にミキサーされ、バラバラと崩れていく。
骨を砕く方法は簡単だ。
潰すか削るか、大体、この二つしかない。
普通ならば極めて重たいもので押しつぶす方法を選ぶだろう。
素材はそこらに転がっており、石器などは簡単に作れる道具だ。
だが【キルヒア・ライン】はもう一つを選択した。
硬度がなくとも速度が伴えば鋼を削る。
氷結の粒と吹きすさぶ風は嵐になってノックマッチたちを削り、足を止めるどころか全滅させるに至った。
街中で【戦術級】術式を放つなど正気の沙汰ではないと言われるだろう。
言ってしまえば広範囲の爆弾を街中で破裂させるのと変わらないのだから。
しかし、何も無策で【戦術級】術式を選んだわけではない。
事が始まる前から、すでに警備兵たちが結界石を置いていた。
行進式でもっとも警戒すべきは長距離射出による暗殺だ。
術式から弓矢に至るまで、ありとあらゆる射出武器を想定している。
民衆が行進の前に出ないようにと張られたロープ。そして、ロープを支える鉄杭には細工が為されている。
ズラリと並ぶ鉄杭には結界石が埋められ、ロープには対物結界が仕込まれている。
ロープは荒縄のように見せかけ中にワイヤーが組み込まれており、それはちょうどヨシュアン・グラムが作った『びりびりハリセン』と同じ技術が使われていた。
帝国が保有する刻術技術はただのロープに対物結界を付加させた。
ロープは民衆を守ると同時に、民衆から帝王を守るためにあったのだ。
もっとも対物と言っても源素のコストから帝王が通過する時のみ発動する上に、発動する前なら乗り越えようとすれば乗り越えられる。
『この場には帝王が居て、現在、対物及び対術結界が道に添うように張られているのなら』、あとは指向性さえ定めてしまえば【戦術級】の術式の影響で壊れることもない。
アウルスの計算は正しく、ノックマッチに対して効果的なタイミングで最大威力を行使できたと言える。
バラバラと落ちていく骨に民衆は勝利を信じられずにいた。
期待はした。安心もした。守られてもいる。
それでも魔獣は突然、現れる形を伴った災害だ。
そんな災害に勝てた。
圧倒的で、無傷で、それでいてこうとわかるくらいに簡単に。
そして勝利を示すように鳴らされる鋼の音に、おずおずと湧き上がる声がいつしか歓声に変わり、熱狂に至るまでいつまでもかからなかった。
魔獣十数匹。
兵に換算して百数十名の戦力。
そこにいた近衛騎士と【キルヒア・ライン】の数は百数名。後方に待機する兵は皆、それぞれの兵団を代表するものであっても四百あまり。
数こそ圧倒的でも実際に戦うには道は狭く、戦える数字はそう多くない。
実質は百対百程度の、おおよそ戦と呼ぶには小さすぎる戦場だった。
民は皆、この時のことをいつまでも語り草にするだろう。
突然、現れた魔獣を颯爽と圧倒してみせた帝国の強兵たちを。
だが同時に、この後もまた語り草となる。
まだ事件が終わっていないと理解していたのは、この場で二人。
「アウルス。お前が行け」
「はっ!」
帝王ヴィルヘルムとアウルスだけだった。
※
彼らは本能として知っている。
己の存在理由を知っている。
生まれた訳を知っている。
人も原生生物も、昆虫も源素すら吸収する無色の源素。
無色に犯された生命は飢えるために捕食するのではなく、捕食するために捕食する。
しかし、彼らには本能がない。
脳髄や肺、心臓、果ては生命を維持する機能がなくとも存在する。
起源もなく、理由もなく、どうしようもなく生存生命体の敵対者だった。
そして、それは己自身も含まれていた。
彼らは見た瞬間、己の敵対者が巨大だと知っていた。
現れ、発生した瞬間、巨大な敵を打倒するための巨大な方法を知っていた。
敵対者の敵対者であっても、まだ同じ敵対者のカテゴリーで当てはめられた。
人が刻んだ学術のカテゴリーではない。
世界が定めた方式としてのカテゴリーに分類された。
愛も悲しみも怒りも憤りもない。
しかし、同時に愛も悲しみも怒りも憤りもあった。
魔獣と呼ぶのは人だけだと知るのは何時になるだろうか?
彼らもまた世界の一員。
人が寄り添うように彼らも寄り添う。
彼らは同士であり同志であり、同時だった。
生まれ、発生し、そして自然のように寄り添った。
ガタガタと枯れ木の瓦礫を崩したように合わさり、一つになろうとした。
果たしてソレは成り、彼らは生まれた瞬間、消滅し、一つの敵対者になった。
彼の姿を見た者は歴史でコレが初めてになる。
今はまだ名前のない魔獣。人から生まれた人の集まった魔獣。
帝国に現れた凶悪な上級魔獣。
死神とも揶揄された生者への絶対敵性因子。
後に彼はこう呼ばれる。
【墓人トート】と。
※
アウルスが騎竜を動かし、前に出たのを人々はデモンストレーションだと思っただろう。
しかし兵たちはアウルスの表情がいつもより険しいとわかり、少し動揺した。
言葉にするのなら『もう終わったはずなのにどうして筆頭はあのような厳しい顔をしているのか』、だろう。
多くの兵は不安になりながらも、同時に警戒する術を教え込まれていた。
わからないことこそもっとも警戒しろ、と。
なので油断はなかった。
まだ何かある。
そう考え、強く剣を握り締める彼らにアウルスは緩やかに手で空を払った。
「総員。下がれ」
静かな声であった。
不思議なことに熱狂渦巻く空間の中で響き渡る命令に、兵たちは素直に後退を始め、帝王を守るような陣形を取る。
そして、変化は如実に現れる。
バラバラと崩れた骨たちが意思を持ったかのように動き、一つに固まっていく。
「(さて――初めて見るな。この異常は)」
アウルスも耳にした程度の噂があった。
ある種の魔獣は共食いをする、というものだ。
共食いをした結果、生き延びるのではなく、より強烈な個体になるために共食いをする、というものだ。
真実はわからない。
そもそも目の前のソレは共食いとは言い難い。
うずたかくそびえ立つ骨塚。
そこから現れたソレは奇妙な体格をしていた。
肥大化した上半身に棒のような手足。
一頭身としか言えない奇抜な異形。
しかし、誰もソレを愛らしいとは思えないだろう。
十数名の骸骨がひしめき合って寄り添う様は、人を使って作ったパズルのようにさえ思える。
骸骨球としか言い様がない。
骨で作られているはずなのに内臓のような、脈動するおぞましい艶めかしさがあった。
申し訳ない程度につけられた足も手と足のパーツで作られており、支えきれないはずの重さに耐えている。
ひょろりと伸びた腕に取りつけられた手には異形の鈍器が握られていた。
いや、握ってはいない。もはや鈍器と同化してしまっている。
肋骨を組み合わせたうすら長い棍棒を両手に携え、カリカリカリカリと神経に響く音を鳴り響かせる。
【墓人トート】がこの世に生まれた瞬間――人々は目撃した。
誰もがトートから目を離せない。
奇抜で異常な存在でありながら、もう見たくないと言い切れるのに目を離せない。
正面を向いているはずなのに視線を感じるのは無数の骸骨がそこらかしこに張り付いているせいだろう。
物言わぬ眼窩が複眼のようにあちらこちらを見ているので、目を逸らせばその隙に命を刈り取る死神に魅入られたような気分になるのだ。
ガリガリとこの世の常識が剥離していく音がする。
匂い立つ死の香りは案外、何も感じないものである。その無味無臭さが逆に際立つ。
己の意思とは無関係に流れる冷たい汗、暑さすら忘れるほどの身震い。
生きるとはこれほど匂い立つものなのかと有無も言わさず理解させられる。
目を閉じていてもきっと、あの存在を感じ、生命は震えるだろう。
気の弱い者は卒倒し、場数を踏んだ冒険者ですら足の震えが止まらない。
腰を抜かしたものなど数え切れないほどだ。
兵の中にすら、震えを止められない者がいる。
その中でアウルスはゆっくりと剣を抜き放つ。
「いくぞ。【キャバルリー】」
アウルスのためだけに調整された刻術武器にして、ディザン家の銘剣【キャバルリー】。
死の具現を前にアウルスはリラックスしたように弛緩し、構えてすらいない。
だらりと剣を下げ、ただトートを見上げていた。
トートも理解している。
アウルスが今まで相手をしていた兵よりも数段、強烈な源素を纏う者だと。
躊躇はない。ただ近寄り、棍棒を振り落とした。
ズドン、と音を立てて陥没する石畳。
それはもう威力にして上級術式に匹敵する威力だったろう。
対してアウルスは何もしなかった。
本当に何もしなかったわけではない。
何もしてないようにしか見えなかっただけだ。
何故なら兵も民衆もアウルスの動きが止まった瞬間しか見ていなかったからだ。
皆、結果しか見えていない。
もう一度、ズドンと音がする。
「……存外に硬い」
トートの棍棒とつながった右腕が地面に落ちた音だ。
いつの間にかアウルスはトートの後ろにいた。
【キャバルリー】を振り抜いた構えから、ゆっくりと首だけで敵を見やる。
アウルスはトートが振り抜く瞬間に合わせ、爆発的な速度ですり抜けざまに【キャバルリー】を振り上げていた――だけではない。
振り上げ、振り下ろしたのだ。
一度で斬れなかったのでもう一度、切りおろしてようやく腕を切断したのだ。
そのすれ違う、一瞬でだ。
【キルヒア・ライン】や実力のある兵は恐怖すら忘れて感嘆の息を洩らした。
彼らはアウルスが二度斬りつけたことは理解できても、目で追えなかった者たちだ。
ほぼ同時に鳴る微細な斬撃音を聞き取ったのだろう。
だがトートはなんの痛痒もなかったかのように、鈍重な仕草でアウルスに向き直る。
「(骨か……。致命傷がないと見るべきだろう。ならば)」
左の棍棒が草木を刈るかのように横薙ぎに迫る。
避けることはできる。しかし、ここで避ければすぐ隣は民衆だ。
【キャバルリー】を正眼に構え、最大強化術式で横薙ぎを受け止める。
棍棒がぶつかった瞬間、衝撃波がアウルスを貫き、余波が物理結界を破壊する。
耐え切れなかったようにロープが千切れ飛び、空中で四散する。
そのおかげか民衆は突風に吹かれた程度で済んだ。
「名乗ろう。デクよ」
途方もない破壊力をたった一人で受け止めたアウルスは剣で棍棒を弾き返す。
もちろんアウルスもタダでは済んでいない。
しびれる腕。内臓を叩かれたような痛みが全身に走っている。
だが、その一切を無視する。
「我が名はアウルス・ディザン。【獅豪】を継ぎし【武神】なり!」
骨の巨人相手に一歩、踏みこむ。
胴が空いているからこそ、踏みこむ。
その一歩で既に射程距離だ。
【瞬歩】。
優れた肉体性能と技術を持つ剣士なら【幽歩】の次に覚える歩法。
たった一歩の踏みこみで相手の懐に入り込む、それだけの技術だが受けた者は皆、一様にこう言うだろう。
『いつの間にか懐に入り込まれていた』と。
傍から見ればスライド移動したようにしか見えないほどの低い踏み込みは高い肉体性能と優れたタイミングで行われた瞬間、人は錯覚する。
視覚に頼らないトートすらも騙される【瞬歩】から繰り出された振り下ろし。
続けざまに振り下ろし、逆袈裟に持っていき、横に薙いだ。
その度に弾け、壊れていく骨の鎧。
球体がかじられたように欠け、不気味な結晶を露出させた。
揺らめく陽炎を凝縮したソレは源素結晶だ。
源素が結晶化するのなら、無色の源素もまた源素結晶化する。
魔獣同士の融合によって圧縮された源素結晶を破壊すれば、上級魔獣は止まる。
だが、無色の源素結晶の破壊は大惨事を引き起こす。
源素結晶を破壊したとき、内包された源素を周囲にバラまく作用がある。
当然、無色の源素もバラまかれる。
そうなればこの場にいる全ての者は無色の源素に侵されるだろう。
内源素を食われ、衰弱死する。それらを人は瘴気と呼ぶ。
破壊しなければトートは止まらず、破壊すれば民衆と仲間、そして帝王を危険にさらす。
そう考えたアウルスは誰も予想していない行動を取った。
「ぬおおおお!!」
無色の源素結晶に腕を突っ込んだのだ。
触った瞬間、瘴気が手のひらと腕を侵すがその不快感と痛みを無視して、源素結晶を握る。
そのまま引きずり出すたびに、骨が逃がすまいと源素結晶を覆い隠す。
骨をブチブチと砕き剥がしながら、アウルスは大きく腕を引き抜いた。
未だじゅうじゅうと手を腐らそうとする源素結晶を黒属性の防御結界で覆う。
供給が絶たれたトートは最期とばかりに棍棒を振りかぶる。
還せ、還せと恨みがましく見るトートにアウルスは口元を歪める。
「ぬるい!」
決死の棍棒が宙を舞う。
振り落とすよりも早く、アウルスが跳躍しながら片腕を断ち切った。
「連鎖術式。対象個体。極光を許可する」
着地、宣言と共に【キルヒア・ライン】は連鎖術式を撃ち放つ。
限定範囲のみを焼く昇火術式。
敵周囲を強固な対術結界で包み、その中に可能な限りの熱を加える。
火が酸素を吸うため旋風すら起こるが、不思議と熱は周囲に漏れない。
その光景がまるで光のように見えるので極光と呼ばれる殲滅術式だ。
業火に包まれトートが足掻く。
物理結界に阻まれ、音のない悲鳴をあげ、やがてグズグズと崩れ去っていく。
無色の源素結晶がトートの中にあったのなら、その術式ごと食われていたか、あるいは耐えきられていただろう。
残りの無色の源素では防ぎきれずに寄り代が崩されていく姿はまるで火葬場の骨のように見えたろう。
人々は理解する。
魔獣の脅威を斬って捨てる【獅豪】の意味を。
獅子のごとき勇敢さ。
豪傑のごとき剣才。
指揮官として過たない判断力。
痛みすら構わずに敵殲滅に動くアウルスの姿は、【武神】の中でもっとも苛烈な剣士に相応しい称号だと心で理解した。
【キルヒア・ライン】筆頭アウルス・ディザン。
勝利を喜ぶ人々の中で、彼はゆっくり【キャバルリー】を鞘に納めた。
彼は【キルヒア・ライン】の顕現だ。
【キルヒア・ライン】は帝王を守る者ではない。
それは近衛の仕事であって【キルヒア・ライン】の仕事ではない。
彼は――彼ら【キルヒア・ライン】は『帝王を含めた民衆、領土、国益、全てを含めた帝国という枠組みの敵対者を滅ぼす者』であり、帝国の剣なのだ。
剣は守るためにあるのではなく、裂くためにある。
そう彼らは体現する。
それはオルナの矜持とは少し違うものであり、同時に【キルヒア・ライン】とオルナの間にある決定的な齟齬ではあるが、アウルスもオルナもまだそのことに気づかない。
※
沸き立つ民衆を見ながらイルメントルートは行進式を割ってアウルスの前に姿を現した。
その後ろにはゾロゾロと宮廷術式師しか着用を許されないローブを纏った一団がついてくる。
「よくよく民衆は気楽なものよな」
アウルスとイルメントルートはまるで決闘でもするかのように向かい合う。
「何をしに来た。イルメントルート」
「何を? 何をだと? よくよくその頭は筋肉しか詰まっていないように見えるな。アレで終わったと本気で言っているのなら魔獣関連の資料を読む事を勧めようかね」
「――瘴気か」
「無色の源素さね。瘴気などという民間の呼称は好かん。それといつまでソレを握ったままでいるつもりさね」
イルメントルートが差すものは無色の源素結晶だ。
黒属性の物理結界で覆っているが、今もまだアウルスの手をグズグズと侵食していっている。
まるで平然としているように見えるが、常人なら気を失う不快感に苛まされているところだろう。
高い抗術式力と意地で押さえ込んでいるだけだ。
「処置は任せた」
「お願いしますが抜けているようだがの」
「正気かどうかを疑う言葉だな」
人々から見れば神妙な話をしているように見えるが内容は刺々しい。
「骨を集め、昇華作業に当たれ。ミスティは柩を持て」
指示された【クロイツ・ライン】はすぐさまアウルスが散らかした骨、棍棒などを集め、六色の源素で浄化していく。
手のひらに乗るくらい小さな宝箱を抱えたミスティが駆け寄ると、アウルスに一度、頭を下げ、宝箱を差し出す。
無色の源素結晶を抑制する六色の源素結晶を埋め込み、徐々に浄化しながら封印する柩――【レーギャルン】と呼ばれる封印機構だ。
アウルスも素直に柩に無色の源素結晶を収める。
「その腕。医術技量団に見せたほうが良かろう。しばらくは持てぬぞ」
そして、そのまま帝王の下に向かおうとするアウルスにボソリと呟く。
「行進式が終わり次第、向かわせてもらおう」
そう告げるとすぐにイルメントルートの前からいなくなってしまった。
「アレ、痛くないんですか?」
ミスティの『眼』からも瘴気に侵されている様子がハッキリとわかる。
源素が忌避し、その手の周辺だけ近寄っていないのだ。
そのうえ、モヤモヤとした嫌な何かが漂っているような気配がする。
あれでは剣どころかペンも握れないだろうと、ぼんやり思う。
「我慢しているのだろう。やせ我慢だけは一級品さね」
間違いなく腕も一級品だろう、とは思ったミスティだが口には出さない。
そんな褒めるようなことを言えばイルメントルートの機嫌が悪くなるからだ。
「はぁ、騎士って大変なんですね」
ミスティからすればその程度の感想だが、イルメントルートからすればもっとも忌まわしく思っている姿だ。
いわゆる無駄な怪我、という有様を如実に示している。
特に一騎打ちの場面。
アウルス一人が戦ったおかげで兵から犠牲者を出さずに、民衆にも被害はない。
結果も過程も大満足な終わらせ方だったろう。
だが、しばらく最大戦力の一人であるアウルスは使い物にならなくなった。
そんな時にまた次の魔獣を作り出されでもしたら、どうするつもりなのか。
【キルヒア・ライン】から犠牲者を出しながら討伐するのか?
それともオルナを前に出して、同じことを繰り返させるのか?
少し遅れたとはいえ【クロイツ・ライン】も到着していたのだ。
【キルヒア・ライン】だけの連鎖術式に【クロイツ・ライン】が加われば【戦略級】術式も撃てるようになる。
そうなれば強力な魔獣相手でも寄り代だけを破壊できたのだ。
他にも街中で戦う必要もなかった。
街の外に誘導する手もあったろうし、街中の被害を鑑みるのならそちらが最良の手だったはずだ。
帝王にも退いてもらえば被害も危険もなく、万々歳だったろう。
仮定ではある。
しかし、『街中で魔獣を生み出すような輩に常識が通用する』とは考えにくい。
次の魔獣を放り込んでくる可能性はあるのだ。
結局のところ、現実にその可能性はなかった。
オルナがクリック・クラックの素顔を見たことで当の本人は尖塔の上で隠密術式で隠れてしまっている。
『眼』持ちがいればすぐにバレてしまうので【クロイツ・ライン】が現れた頃から、すでに逃げてしまっていた。
「己一人――いや【キルヒア・ライン】だけが帝国の剣であろうとする、その姿勢が気に入らんのだよ。昔からな」
この場にもうイルメントルートがいる必要もない。
帝王も作業を見続けるつもりがないのか竜車の中に入ってしまっている。
来た道をすぐに引き返すイルメントルート。
そして、竜車の中ではウルグスが歯噛みしながら『この惨状』を眺めていた。
「(道路が……、初代がお作りになられたルーカン主通りに陥没が……! よく見れば脇の商会まで破壊されてるじゃないか! いつの間に……、この復興費用、どこから捻出するつもりだ!)」
主にお金の心配をしていたのだった。
「ちょうどいい。作り直すか?」
真顔で聞いてくるヴィルヘルムに殺意が湧きそうになる。
「箔がついて良かったじゃないですか。ねぇ、ウルグス君」
テレンツォもニヤニヤしてリラックスしていた。
「今年度の夏予算の仕分けは全て終わっているんですよ。特務から捻出させてもいいんですよ」
「アレを壊したのはアウルス君だよ? 【キルヒア・ライン】から取ったらいいじゃないですかねぇ」
「外交が緊迫している状態で軍備に予算をかけないなど首を絞めているのと同じでしょう!」
「とは言ってもリスリアの草は中々手練でねぇ。今だってこの状況、どこかで見てるかもしれないよ。この事件は全部、筒抜けになってると見ていいね。いっそ間を取って【クロイツ・ライン】から取ったらいいと思うけど」
「そんなこと言ってイルメントルート女術師長が何を言い出すかわかったものじゃありません。大体ですね、あの無色の源素結晶の管理でも予算がかかるというのに……」
無色の源素結晶はどの国でも貴重な研究材料だ。
モノがモノなだけに管理は厳重さを要求され、封印柩【レーギャルン】にしても使い捨てのようなものだ。
なので使用した分、作り直さなければならない。
あの術式具にどれだけのお金がかかるのかと考えるだけでも頭が痛い。
「いっそ民に任せるか……、恩を売らせて特権をチラつかせればいくつかの商会が手回ししてくれるはず」
もちろん、特権を売るつもりはない。
権利を商会に売るということは帝国の力を商人に与えるのと同じだ。
逼迫した時の手段としては十分だが、夏の税が入ってきて事実、懐が潤っているこの状況で商会に頼るというのも面子に関わる。
「等分に削るというのも角が立つ……」
これが一番なのだが、実際にやると各方面から苦情が殺到するのだ。
会議が一番、紛糾する要因をわざわざ作るのも馬鹿げている。
面倒でも一番、納得しやすい答えを探すためにウルグスは俯く。
「此度の事件。背後は掴んでいるだろうな」
帝王の一言にテレンツォは困ったような顔をする。
「そうですなぁ、白面からの情報だとあまり芳しくないようですねぇ」
「そんなわけないでしょう! 魔獣を創る薬なんてのを生み出す施設や技術、組織があるはずです。かなり特殊な知識が必要とされる大掛かりな施設なはずでしょう。秘匿された錬金工房か、現政権反対派の貴族の懐か……そんなに特殊なら没収して資金にしてしまえば」
「南方を洗うことになりますが、たぶん、そんな施設なんか出てこないと思いますけどねぇ」
「理由もなく断定しているわけではないでしょう。訳を求めます」
「他国に施設を作ってモノだけ持ってきたから、こんな堂々と嫌がらせしてきたに決まってるじゃないですか」
ウルグスも本気で言っていたわけではない。
むしろテレンツォが言うとおり、捕まらない自信があるから帝国に喧嘩を売ったのだ。
それなりの対処はしていると見るべきで、つまり、資金の強奪は望みは薄いということだ。
「……冬予算から前借りする形にするしか」
借金である。
特別な手段ではあるが予算のやりくり上、起こりうることだ。
なんの間違いでもないのに意味なく物悲しい気持ちになるウルグスだった。
「余剰予算があるでしょうに。何をケチ臭いことを言っているんでしょうかねぇ」
余剰予算はある。
当然、それを使えば道路を直すくらいわけはない。
だがシリアリースの呪いを解くためにも、ある程度の資金は貯めておかなければならない。
もちろん、冒険者を雇う賃金や情報はウルグスが私財で賄っているが、実際の術式具を買うお金は予算から出している。
名目上は帝王の財宝として。
もちろん予算ばかり使うと反発も出るので帝王の私財も使われている。
「何やら妙なことを調べているようですが、予算の私的利用はあまり褒められたものじゃないですよ、ウルグス宰相くん」
「……私的ではありません。ちゃんと陛下の許可を得て調べ、購入させているものです」
「ウチを使わずに?」
「リスリア相手に情報戦で負け続けている貴方に言われるとは思っていませんでした」
「痛いところを突きますねぇ。こっちも練度をあげる時間が欲しいから強くも言えないんですけど」
ウルグスのこうした動きすら掴んでいる辺、一流でもあるのだ。
ウルグスからすれば敵も仲間も協力者も全て、騙さないといけない立場にあるため、こうした質問をされると非常に苦しい。
立場もあるのでおおっぴらにできない現状だ。
当の本人はどこ吹く風で頬杖をついているので、怒りの持っていきようがない。
「まぁ、困ったらウチを使ってくださいねぇ。そのための【テルリット・ライン】ですし」
「犯人に出会ったら言っておいてください。草一本、私財が残ると思うなと」
「海賊も真っ青な脅し文句ですねぇ」
さらにニタニタするテレンツォにも怒りたいところだが、グッと我慢してもっと良い予算の捻出方法を考えるために黙り込んだ。
後日、リスリアより『お前んとこの工作員がまたリーングラードにちょっかい出したろ』と言われ、対応に追われるハメになるウルグスの姿があった。
まだ呑気に予算の計算をしていられたのはある意味、僥倖だったのかもしれない。
※
オルナが屋根を飛びながら急ぎ、行進式の現場に辿りついた時には全てが終わっていた。
歴史あるルーカン主通りが無残な姿になってしまっていることに怒りを覚え、同時に全てが終わっていることに残念な気持ちと同時に誇りのようなものを感じていた。
「(さすがは本隊。民衆も散っていないところを見ると無事に殲滅できたようだ。私一人が来たところで大した役に立たなかっただろう。それにしても……)」
派手にえぐられたり、溶けてなくなった石畳を見ると【戦術級】が使われたことは間違いない。
それだけの数の魔獣が現れたことだけは理解できた。
骨らしきものを浄化作業している【クロイツ・ライン】から、魔獣はノック・マッチに代表されるアンデッド系の魔獣だったことも理解した。
だからこそ、クリック・クラックを逃がした事実が苦い。
「(本隊に比べて私のこの体たらくぶり……。アウルス筆頭が私を外周部隊に置く理由も頷ける)」
オルナはほんの少しだが本隊の【キルヒア・ライン】より強いと思っていた節があった。
慢心とも取れるかもしれないが、実のところは事実である。
オルナはアウルスの他、隊長格に匹敵する実力がある。
純粋な剣技だけで比べても本隊の隊員となんら遜色もない。
ただ実戦経験や実地訓練が不足している面もあるが本隊に加入させても能力的に問題ない。
しかし、そんなことを教えてくれる仲の良い友達もおらず、他の隊員からも嫌厭されているか無関係を貫かれているために客観的にオルナを見てくれる人が少ないのも原因だろう。
適材適所が泣いて謝るレベルの不遇であった。
「(己の不明を恥じる前に報告しなければ……)」
ともあれ、オルナには筆頭に伝えなければならない情報がいくつかある。
魔獣を創る薬のこと、その所有者であるクリック・クラックのこと、そして、クリック・クラックの素顔、一部の商店が破壊されたことも報告内容だ。
独断専行したことも怒られるだろうし、近くの警備兵と連携を取らなかったことも減点される部分だが、その全てを隠すつもりはなかった。
道を走るより屋根を通ってきたので人目につかないように降り、さて本隊と接触しようとした瞬間――
「あ! 着ぐるみだ!」
――テンションの高い子供たちに見つかってしまった。
一人、言えば次々に子供たちはオルナを発見する。
偶然ではない。
ルーカン主通りでは行進式が再開されようとしている上にまだ民衆がいる。
そんな中、着ぐるみを着たオルナが近づけば絶対に見つかる。
だけならまだしも、さっきまで魔獣という過大なストレスを受けて泣き叫んでいたばかりだ。
母親に抱きついたり父親にしがみついて、なんとか未熟な精神を無意識に守っていたところ、更なる癒しとして着ぐるみは絶好の標的でもあった。
現に今までは殴る蹴るなどの行動をとっていた子供たちはしがみつくように抱きついてくる。
「ま、待て……、私は今から報告に行かねばッ!」
まとわりつく子供たちにオロオロするオルナ。
蹴る殴るされたなら嫌がることもできるが、こうして好意を前に出されたり、助けを求められると途端にどうしたらいいかわからなくなり、行動が取れなくなってしまう。
そうこうしている間に骨の昇華が完了し、行進は進み、オルナの目の前を通過していく。
行進に参加している何人かはチラリとオルナの姿を見つけ、内心で笑いそうになったが努めて真顔を維持していた。
彼らは別に意地悪で笑ったわけでなく、そうしたオルナの姿を見て、普段の仏頂面とは違う面を見つけて微笑ましく思っただけだった。
何人の、ほんの少数ではあったが『子供に囲まれて困ったように右往左往する姿』は十分、『仏頂面で生真面目で生意気な女』の印象を和らげる効果があった。
「(どうすればいい、どうなっているんだ私は? そして、これは一体、何の試練なんだ……?)」
当の本人は非常に困っていたが、特に問題はなかったろう。
行進の最後列を見送り、肩を落とした着ぐるみを慰める子供たちの姿が街の主道で見られたが、概ね大勢に影響はなく。
民の間では帝国の強兵っぷりを遺憾なく示した事件でもあった。
※
クリック・クラックは霧の森で佇んでいた。
王国と帝国の国境にある魔獣が多い地域であり、冒険者の自殺の名所とも言われている森だ。
子供が一人でいる場所ではない。
「本当、しつこいなぁ」
それ以上の不自然はその手に握られているものだろう。
人の頭が握られているのだ。
まだ首からポタポタと落ちている血が殺してすぐだと証明していた。
彼らはルーカン主通りで事件に関わった南方人を捕まえようとしていた【テルリット・ライン】の特務官――『白面』と呼ばれる者たちだ。
情報収集から不法な行為にまで手を染める帝国の暗部。
その実力は隠密という技術では【キルヒア・ライン】を越え、正面での戦闘行為にしても通常兵を軽くいなす。
「まだ白面で良かったかな? もしもあの【絶影】が来ていたらさすがに困るし」
適当に頭を放り捨てると、強化術式で一飛びで木の上に登る。
魔獣を創る薬を持っていても魔獣からすればクリック・クラックも獲物でしかない。
クリック・クラックにとっても霧の森は十分、危険な場所だ。
しかし、ここからか南方の端からしかリスリアに不法侵入できないのだから、距離的に考えると霧の森を抜けるしかない。
「それにしても……、面白い国だったなぁ」
一つ間違えば大惨事だった帝国の事件。
『魔獣襲撃事件』と呼ばれる事件をクリック・クラックは心底、楽しんでいた。
思い出しては機嫌が良くなる様は『お気に入りのおもちゃで遊んでいた』ようにしか見えない。
お気に入りといえばあの着ぐるみ。
時間さえあったら一番、楽しめそうだった。
「でも、ちゃんとお母様の残した通りにできたんだから、きっと喜んでくれるだろうなぁ」
木を飛び移りながら、クリック・クラックは笑う。
妄想の母はとても笑顔で機嫌が良さそうだからだ。
「だから、『また』リスリアにも行かなきゃ」
すでにクリック・クラックは全ての準備を整えていた。
「お母様を殺したリスリアに」
帝国の情勢、実験。
リスリアの情勢、そして、やろうとしていること。
その全てを知っていて動いている。
「あの男のいるリーングラードに」
結局のところ、帝国はクリック・クラックの致命的な矛盾に気づかないまま事件の幕を下ろしてしまった。
しかし、あくまで帝国は理解できなかっただけだ。
クリック・クラックが霧の中に消えていた頃、帝国の後宮。
その隠された一室はぬいぐるみや人形でデコレートされたおもちゃ箱のような部屋だった。
部屋の中央に置かれた部屋の主のために用意された、小さなテーブル。
そこには談笑する兄妹の姿があった。
しかし、談笑の内容は微笑ましいものとは到底、かけ離れていた。
「これが事件が概要。そして、内容だ。どう思う?」
帝王ヴィルヘルムはオルナが得た情報をアウルス経由でまとめ、テレンツォが得た情報も加えて、その全てをシリアリースに語っていたのだ。
事件の全てを聞いたシリアリースの顔が曇る。
「かわいそうだわ」
そして一言、ポツリとつぶやいた。
「かわいそう? 何が可哀想なんだ」
「えぇ、お兄様」
いつもの、想像を超える言葉が出てきてもヴィルヘルムは慌てなかった。
シリアリースがヴィルヘルムの想像を超えるなどということはいつものことだ。
「だってこの子、自分が間違っていることに気づいていないんだもの」
「どうしてそう思う?」
「この子はきっとお母様から大事なことを教わっていなかったの。いいえ、大事なことの代わりに間違ったことを教えられてきたんだわ。えぇ、きっとそう」
決めつけのような言葉は何時だって真実に一番、近かった。
だからヴィルヘルムは否定しない。
ただ理解し、『そうである』と受け入れてきた。
「魔獣はこわい。とても怖いもの。だから誰もが魔獣が怖くて触りたくない。魔獣を信じている人もいるのでしょうけれど、それは怖くて仕方ないから信じようとしただけ。本当の意味で信じているわけじゃないの。何かと比べた時、どうしても魔獣よりも人を頼る。それが人だと思うの。だってこの人たちは全て知っていて行動したのですから」
テレンツォの情報では今回の件で遺体がすでに消滅しているので思った以上に身元調査が難航していた。
南方人らしきこと。
そして、彼らの持ち物の中に【嵐のファーヴニール】を象る紋章が出てきたところから、なんらかのシンパではないかという情報だけはあった。
もちろん、その情報もシリアリースに伝えたが『計画が鮮明に実行犯まで伝わっている』という情報までは知る術がなかったので情報に記されていない。
「リース。彼らがなんだったのかわかったのか」
「はい」
静かに窓の外を眺めるシリアリース。
「始めにおかしいと思ったのは『薬を飲んでから行進式まで歩いていたこと』。薬を飲んで魔獣になるまで意識があったんだと思うの。そうするとこの人たちは皆、『目的を持ってお兄様の行進を妨げようとした』。どうしてなのかは……、たぶん色々な理由があると思うけれど彼らが『お兄様に何かを伝えたかった』から、歩いたの。人から魔獣になりながら、でも、必死で。強制されたから、言われたから、そんな理由ではできない何かで」
報告書での実行犯は確かにそのとおり動いている。
薬を飲んでから行進路に歩いていっている。
「でも、それだとこの男の子が『皆を騙して薬を飲ませたら絶対にできない』ことなの。本当のことをこの人たちは知っていて、でも魔獣になった。魔獣に対して怖いという気持ちはあったけど、そうね、神様でも信じるように魔獣を信じていたら少しだけ怖くなかったかもしれないかな?」
狂信者、という言葉がヴィルヘルムに浮かぶ。
昔からこの国、いや、国の威信の届かない遠く民ほど特殊な信仰が流行る。
今では神々に数えられている炎神パルクトーでさえも、ずっと昔はただの異教と呼ばれていたのだ。
そして、とある特殊な信仰形態をヴィルヘルムは伝え聞いていた。
生物の敵である魔獣を崇めるという、一風変わった信仰だ。
思想錬成師ならより詳しく知っていることだろうが、ヴィルヘルムもそこまで詳しいわけではない。
魔獣信仰。
古くからある異形に頼る信仰。
この事を頭に刻み、話を促す。
「お兄様に伝えたかったことは……、これはたぶん、お兄様が一番、よく知っていると思いますの」
「そうだな」
南方人の何割かがリスリアの移民政策に乗っかかった。
不毛な土地で暮らすよりも内地の豊かな土地のほうが生きやすいからに決まっているからだ。
しかし、南方は過酷な環境ではあるが人が住めないわけではない。
立派な文化を持ち、かぼちゃや南部にしかない香辛料など、武器となる交易品も多い。
では事情があって残された者は?
リスリアの政策についていけなかった者、嫉妬する者、身体的な理由、信じる理由、土地を愛する心、様々の理由の下、リスリアの政策に合わない者もいただろう。
特に南部の治安の悪さも有名だ。
盗賊の類はひしめくほど多い。
キャラバンの形をした盗賊団がいるくらいだ。
今回、南方から来た者たちは何を帝王に求めてきたか。
帝国に何を訴えたくてこんな襲撃を行ったか。
「帝国もリスリアと同じことをしないようにと牽制したか」
南部の人を誘致するということは、南部から人が奪われることに等しい。
それぞれが納得し、角の立たないようにしても同じ境遇の第三者から見れば『人が奪われたようにしか見えない』。
彼らはリスリアに報復すべきなのだろうが、すでにリスリアにいる南方人はそれぞれの暮らしを営んでいる。
元同胞を巻き込むわけにはいかない。
同時に、他の国に同じことをされてはたまったものではない。
王国ではなく帝国を選んだのはそうした理由の他に『帝国も同じことをするのではないか』という不信。
獣人種からすれば『より酷い形で連れて行かれるのではないか』という疑心。
『やすやすとは人を奪わせない』という、的の外れた示威。
そう、唆されたというのは簡単だ。
無辜の民だと嘯いて、クリック・クラックだけのせいにするのも楽だ。
しかし、そうではない。
帝国の在り方がそう南方人に思わせた。
帝王のやり方が南方人を決意させた。
無自覚で無責任で、言いがりに近い理由であったとしても実際にそう思い、動いた。
結果が大惨事に繋がる最悪へと導いた。
誰が悪いというわけではない。
ただ転がるように出目が悪かっただけだ。
なら帝国として何をするか。
いくつかの自治体を滅ぼすか。
それとも魔獣信仰狩りを行うか。
どちらにしても南方への対処は変わる。
「お兄様……」
「構わない。先を進めてくれ」
帝王としての手腕が試されたことなど、王になってからいくつもあった。
これもまたそのひとつだ。
それにまだ話は続いているのだ。
何よりシリアリースに心配そうな顔をさせ続けるわけにもいかない。
すぐにヴィルヘルムは兄としての顔に変わる。
「普通の人なら魔獣を創ればどうなるかわかると思うの。多くの人が困るって。でもこの子は何か――金銭や立場とかそうした目的が無くて『誰かの気を引いて甘えたがっているように』見えるんですもの」
ここから導きだされるのはテレンツォの答えだ。
嫌がらせ目的。そうテレンツォは推測した。
シリアリースも同じ答えに辿りついたのならクリック・クラックの目的は間違いないのだろう。
「でも誰も理解してくれないと思うわ。甘えたくても誰もそんな困った子を救えないから、この子はずっとさみしいままよ。かわいそうだわ」
祈るように手を合わせるシリアリース。
今回の事件で少なからず被害は出た。
商店の店子や商人、私服兵の指に冒険者数名と市民がどさくさ紛れで軽い怪我を負っている。
最小の被害ではあるが被害は被害だ。
そして、シリアリースはそんな切り捨てられた端数のような哀しみにも祈り、心を震わせる性格でもあった。
「この子を救える人がいるのなら、それはこの子にそんなことを教えた人。そして同じ境遇の子」
同時に、決してヴィルヘルムではありえないこと。
「それと、とても――」
帝国に弓引いた逆賊にすら、心を痛めるのだ
「――とても厳しい人。きっとお父様のように受け入れて、それでも怒ってくれる人じゃないとこの子は間違ったことを間違ってると理解してくれないわ」
政治というものに手を染めていると、やがては汚れていく。
金、身分、意地や見栄、誤解、悪意。
そうしたものを始末していくと必然、手は赤く染まる。
シリアリースには決してそうなって欲しくない。
祈る少女の横顔を見て、常に思うは偽らざる本心。
「救われて、そして正しくなって欲しいわ」
それが叶うことはないだろう。
ヴィルヘルムは妹の心を否定しながらも、
「そうだな。現れると良いな」
口だけの、ありえない願いに同意した。
※
ハーシェルが所属冒険者ギルドに辿りつき、全てを話し終わったあとギルドのマスターは困惑していた。
確かに朝の一番にハーシェルから不正依頼の調査に行ってくると言われていた。
場合によっては救助も必要かとそれなりに腕の立つスカウト何人かに声をかけておいた。
できる手を打っておいたつもりだ。
だが当の本人が怪我をしながらもちゃんと顔を出し、内容を聞けば困惑が勝った。
言ってしまえば『変なローブの少年が無詠唱で術式を使い、殺されそうなところ着ぐるみに助けられ、二人でどこかに消えてしまった』というのだ。
しかもその少年が語る依頼内容は『不正の薬を使って行進式で何かを企む』だ。
一度、頭を冷やさせるために寝ることを勧めたが、ここからが本当に困惑する出来事だった。
後日、荒々しくドアを開けた騎士が言うにはハーシェルが帝国転覆を企む錬成師の少年を見つけ、その発見の報告をしたということで報奨金を渡しに来たというのだから意味がわからない。
「お前さん、一体、何をやらかしたんだ」
「俺だって聞きたいよ」
当のハーシェルも混乱せずに全てを語り終えた後、頭がおかしくなったんじゃないかと思ったくらいだ。
布袋に入ったずっしり重いお金。
数えてみれば銀貨と銅貨が等分に入っていた。
ハーシェルからすれば冒険三~四回分くらいの金額だろう。
「まぁ、間違いなく相手は帝国の騎士だったからなぁ。お前の言ったことは本当だったんだろうが……、よく生きてたな」
「これが死ぬ前の夢じゃないなら、そうなんだろうな」
適当に布袋をカバンに詰め込んでハーシェルはギルドを出た。
今日はもう仕事という気分ではなかった。
その日その日で休みを決められる冒険者ならでは理由ではあったが、
「(なんていうか、浮ついているな)」
足が地に定まっていないというか、醒めない夢の中に放り込まれたような気分というか。
とにかく濃厚な死の予感だけは現実にあって、そのあとの急展開を考えると本当に助かったのかどうかもあやふやな状態だった。
この角を曲がるとすぐにでもクリック・クラックと名乗った少年が出てきて、ハーシェルを殺すのではないかと思うくらいだ。
「(いや、いやいや。さすがにそれはないな)」
せめて何か現実と繋がっている証拠のようなものがあれば、あれが『生死を分けた瞬間をくぐり抜けた』という自信が持てる。
「いや、待てよ?」
クリック・クラックの名前を聞く前に着ぐるみの名前も聞いていたはず。
そう考え直し、着ぐるみも名乗ったはずだった。
「……騎士、オルナ?」
必死に思い出して、出てきた言葉にハーシェルは『そんなことがあるのか』と疑った。
騎士オルナといえば帝国初の女性騎士で、何年か前の選定式では【アルブリヒテン】を引き抜いた女だ。
その時、ハーシェルも選定式に参加していて、期待半分で臨んで当たり前のように選ばれなかった。
そのあとは他人事ではあったが帝国に住んでいる以上、女騎士の名前はそれなりに聞こえてくる。
「……ルーカンの名の下に名前を名乗ったのなら本物なんだろうけど」
何故、着ぐるみを着ていたのか。
行進式でも大きな事件があったはずなのに、何故、あんな辺鄙なところにいたのかもよくわからない。
普通に考えればクリック・クラックを追ってやってきた思うべきなのだろうが、状況がつかめていない感じもあった。
「実は苦労していた、とかな」
ハーシェルより強いオルナでも苦労するのか。
なんの慰めにもならない話ではあったが、ようやくハーシェルの知る現実と夢が繋がったような気がして、納得することができた。
ギルドが経営している宿に入り、金を分け、それから色んな場所に隠す。
帝都とはいえスリやひったくり、強盗などは起こる。
簡単に負けるつもりもないが、そうしたものに警戒しておくに越したことはない。
「飯食って、それから武器でも手入れしてもらうか」
良い武器が安く売っていたら交換してもいい。
防具の手入れもある。瓦礫にあたってほつれた服も仕立て屋で直してもらわないといけない。
常備薬は足りていただろうか?
切れそうな紐はないだろうか?
装備の前でにらめっこして、ガタつきの酷い小手だけ持って宿を出る。
何か大きく変わったことはない。
ただ、地に足をつけて、人より危険の多い日常に戻っただけだ。
※
【キルヒア・ライン】の本部【ビルレスト】。
二週間ぶりにアウルス筆頭に呼び出されたオルナはまたしても肩を震わせていた。
「――というわけだ。前回の件は失点も多かったが犯人の素顔を暴けたのは大きい。しかし、それだけで済まされないというのはわかるな。鑑みて、一つの任務だけで済んだのは幸いではないか」
「しかしッ!」
まず周囲の警備兵と連携が取れなかった件は、行進式と同時であったこととボイスチェンジャー機能による会話不能状態では難しいという意味で相殺。
犯人を取り逃がした件はクリック・クラックが逃げに打ったのと先に魔獣の処理を優先したことによる判断を評価され、相殺。
ほとんどの失態は帳消しにされていた。
しかし、一つだけ言い逃れできないものがあった。
「独断で持ち場を離れた件。これだけはどうにもならん。特にお前は『規律を守らなくてはならない立場』だ。それをこの任務で帳消しにできるというのだから安いものだろう」
「ぐ……ッ! これは本当に騎士の仕事なのですか!」
アウルスもこの任務に関しては思うところもある。
実は密かにアウルスが討伐した上級魔獣の件でチャラにしてやろうと考えていたが、イルメントルートの邪魔が入り、話が通らなかったのだ。
そんなことを知らないオルナはまた苦悩していた。
「あの着ぐるみをまた着て! 今度は商店街のマスコットをやれというのが!」
「諦めろ。今度は声音変更機能はON/OFFにできるよう改造されたとのことだ」
「(なんの慰めにもならない!?)」
さすがに最後のは言葉にならなかったオルナだった。
実はオルナの着ぐるみ――イルメントルートの作った鷲の騎士ことワシューくんがちょっとした話題になっていた。
子供たちを中心に、特に上級魔獣の恐怖に晒された民衆からすれば、あの時、子供に囲まれたワシューくんは癒し的な存在になってしまったようだ。
次第に商店や商会に問い合わせ、ワシューくんに関する情報を聞きたがった人々が増え、これがビジネスチャンスだと見た商会、そして商会と繋がった貴族を動かした。
イルメントルートだけではなく、こうした外野の貴族の邪魔もありアウルスも強く出れなかったわけだが、それもまたオルナには聞かせられない。
「諦めろ。これは命令だ」
「……承知、しましたッ」
これで着ぐるみから解放される、と安堵していた日常が嘘のようだった。
直った『黒装』が返ってきた時なんか、涙ぐんで『黒装』を抱きしめたくらいだ。
ちなみにこの奇行を見たミスティは『まるでぬいぐるみを抱く女の子みたいだなぁ』と思ったりしたのは余談だ。
「待て。騎士オルナよ」
げんなりと肩を落として部屋を出ようとするオルナを止める。
どんよりとした顔のオルナはそれでもちゃんと直立している辺、手馴れたものだった。
「(理想と現実というものはひどく乖離している。どんなものも理想通りに起こるはずもない。それは帝王陛下であっても同じだ。だがらこそ我々がいる。我々は誰かの理想のために戦う者だ。帝王陛下を守るためにあるのではなく帝王陛下が描く理想……、陛下が望む全ての生命の行き先を邪魔させないためにある。帝王陛下が指差す理想こそが我々の道であり、守るべきもの。私たちは一つの理想を実現するためにいる)」
アウルスはそう実現してきた。
しかし、もう十年もすれば前線に立ってはいられなくなるだろう。
その貴重な時間すらも、瘴気に侵された腕のせいで少し奪われてしまった。
「(我々は理想であってはならない。我々は血と地に足をつけて進む軍勢であるべきだ)」
だからこそ、オルナには期待しているのだ。
自らの【獅豪】を継ぐか、あるいはまだ空席の武神を継ぐ者として。
帝国の剣になれるオルナを育てる。
女性とか男性とか関係ない。
口に出せばアウルスですら批難されかねない言葉ではあるが、アウルスの偽らざる本音でもある。
「理想を求めるな。理想になるな。お前は騎士だ」
何か大事なことを言わんとしているアウルスにオルナは傾聴する。
「理想の礎となれ。それがお前の望みだろう? 騎士オルナ・オル・オルクリスト」
その礎が着ぐるみを着ることなのだが、
「(これは……、もしかして口伝して頂いている、のか? 私のような者に! なんということだ!)」
感動してしまっていた。
オルナはアウルスが戦うシーンを見れなかったため、先の戦いが隊員同士の噂になるたびに歯噛みしていた。
どうしてもっと早く到着しなかったのだと自分を責めていた。
こっそり噂を聞いているオルナにとって、当の本人から騎士の心構えを聞けたのだ。
オルナにとっては嬉しさで弾けそうな言葉でもある。
「全身全霊をもって必ずや!」
思った以上の覇気と共に返され、アウルスは『良い顔だ』と小さく頷いた。
ちょっと何かがズレている上下関係ではあったが概ね問題はないのだろう。
揚々と出て行ったオルナを見て、少し鼻から息を出し、イスに持たれるアウルス。
それもすぐに背を伸ばして、次の書類に取り掛かる。
先の事件が何一つ、解決していなくても。
そこに暮らす者、守ろうとする者たちは少しずつ動いていく。
時代も時間も、そして、何かも。
「(それにしてもあの事件は一体――)」
ふと筆を止めるアウルス。
「(何かの前触れであることには間違いない。しかし、我々は本当に訪れるだろうモノに対して無知すぎる。対策を取らねばならないな)」
アウルスが密かに南方を探ろうと決意した瞬間だった。




