箱庭の夏はまだ始まったばかりです
屋上でリィティカ先生の叶わない夢を聞いた、次の日。
アンニュイな気分で教鞭を奮っていました。
とりあえず可能性がないわけでもないので、黙っておくことにしました。
それがまた罪悪感をチクチクと刺激します。
もちろん、こんな気分でも授業内容を変えるつもりも生徒をいじめたりもしません。
こういう時、精神抑制技術は便利です。
常に一定のパフォーマンスを保つ思考法。
術式師において一番、必要な技術であり精神の在り方です。
ですが、常にその状態で居続けることもできないのも事実です。
常にフラットな精神を保ち続けるには自分はまだ若いですし、そこまで達観しているわけでもありませんしね。
戦闘中ならいざ知らず、日常的に使うには自分でもまだまだ修行が足りないということです。
なので精神抑制とはまた別のことを考えてながら授業をしました。
「しかし、一体、誰が私軍に干渉できたのか」
リィティカ先生の師を連れ去った騎士たち。
おそらく、なんらかの特命を受けた者たちでしょう。
王や軍閥に知られずに騎士を動かせる者たちと言えば、貴族院くらいしか思いつきません。
貴族院は文字通り、リスリアの領主たちによって構成された集団です。
今は見る影もなく零落してはいますが、未だ強い権力を少し保有しており、地方領主の私軍に干渉くらいできるでしょう。
しかし、その行動はリィティカ先生個人はともかく『義務教育計画』には何のダメージを与えません。
例え、何故シューリンを捕まえたと貴族院に詰め寄ったとして、何の証拠もなく、また貴族院に何のダメージも与えません。
こちがらできるのは、せいぜい私軍を動かしたことへの注意くらいです。
足はつかないわけです。
シューリンの返還にも、犯罪者だからという理由で不可能でしょう。
面倒なことに綺麗に言い訳が整い、事の本筋をそれて行動しているのです。
王都に拘留されているシューリンに出会うことができれば、なんとかなるのでしょうが。
ベルベールさんに調べてもらった方がこっちの足もつかない上に、確実なのでベルベールさんにお願いしましょうか?
「先生ー、干渉って何の話? 白属性の話なんかしてたっけ?」
耳聡いマッフル君が質問してきました。
「いいえ、こっちの話です」
「なら紛らわしいこと言わないでよ! こう、術式は座学にしても実践にしても難しいんだから!」
生徒に怒られてしまいました。
最近ではどうも、マッフル君だけじゃなく他の子たちも怒りっぽいというか、感情的になりやすい傾向にあります。
夏の暑さのせいでしょうか?
どことなく緊迫感じみたものを感じているのも気のせいでしょうか。
もちろん、気のせいではありません。
そう、それは今月末に控えた【貴族院の試練】のせいでしょうね。
やはりレギィの出現は生徒たちにも影響を与えているようです。
試練が近づいてきたというプレッシャーをちゃんと感じている証拠です。
自分は強い日差しをカーテンで遮って、再び、教鞭をとります。
今日の座学のお相手は見ての通り、ヨシュアンクラスです。
「強化術式――ウォルルムの音韻は使用難易度よりも術式を使いながら動くということがもっとも難しいところです。術式と同時に肉体を動かす方法は様々な手段がありますが、簡単に分けて二つです。このあたりは絶対に本には載っていないところですね」
汗を流しながら机にしがみついている生徒たち。
一方、自分は涼しい顔をして彼女たちを監視しながら、チョークで黒板に紋様とか書いたりしています。
いつもの光景。
いつもの授業内容。
すっかり手馴れたものです。
「法務院から流通している術式の本や適当な術式師から学ぶと固定矢台みたいな術式師になってしまうのが珠に傷ですが、まぁ、君たちは運がいいことに先生は実践派です。実戦にしか使えないようなものから特殊なミッションに使うようなものまで役に立つ術式技術を教えているので全員、動きながらどころか日常生活しながら術式を撃てる程度には鍛えてあげましょう。感謝してくださいね」
「日常的に術式を大判振る舞いする輩がどこに……」
マッフル君と同じく、夏仕様となったクリスティーナ君は、ふと自分と目が合って納得の顔をしていました。
「あぁ、いましたわね、目の前に」
なんだか失礼な言い方ですね。
「一応、言っておきますが先生が使う術式技術のアレコレは、そういった側面から見ればまだまだですよ」
「先生は日常でも十分、猛威を奮っています」
と、エリエス君よりツッコミが入りました。
腰のブックホルダーに入った本は『伝説の愛憎劇 その真実』と銘打たれています。何があったし、そのブラックでドロドロなユーモア。
「いえいえ、本当の話。先生の知り合いの中には日常会話をしながら、術式でお茶とか入れる人がいますからね」
君たちも一度、見ていますよ。
この前、壇上でね。
「うわぁ……、すごいのですっ。そしたらご飯の支度がらくらくなのです」
「なんだか誤解されているようですが、普通にそんなことをするとお茶を入れる前にダウンしますよ?」
「ふぇ……? そうなのですか?」
「陶器のお茶請けを壊さないように、しかし、持ち上げ、諸々の作業をするために要求される術式の繊細さは……そうですね。君たちが最初に覚えたフロウ・プリムを一万個くらいに分断して輝かせ、それらを同時にバラバラな方向に移動させるくらいの技量が必要です」
「ふぇえ?」
実際、レギィくらいでしょうね。
集中すれば自分も同じことができますが、やはり、お茶くらい集中せずに飲みたいものです。
それよりも一人、静かな子がいますね。
誰よりも机にしがみついている――もとい、机に突っ伏して荒い息をついている確認済不思議生物。
「リリーナ君。何をしてるんですか」
「あぅー……、体があつい……、であります」
無駄に色気を出しながら言うんじゃありません。
エルフは基本、暑さに弱いですからね。
森の奥で引きこもっている種族に夏の暑さは厳しかろう。
確かに今日は近日、稀に見る暑さです。
今年の最高気温をキープしているのではないでしょうか?
仕方ないので少しだけ優しくしてあげましょう。
「熱中症……、ではないですね」
額に手を当ててやっても、そんなに高い熱を感じません。
熱中症になると体温調節がうまくいかず、発熱して、汗もかけなくなりますからね。
ほら、こんなに汗が手についてたら熱中症とはいえな……うわ、汗が手に、手に。
「――!」
突然、ガバリと起き上がった駄エルフが自分の手を掴みます。
「……なんで先生はこんなに冷たいのでありますか?」
「今、著しく人格批判をされたような気がしますね」
「こんなに暑いのに、どーして先生だけは涼しい顔をしてるでありますか?」
「気合が違います」
無駄に勘が鋭いですね。
脇腹と右肩に裂傷、体の各種に筋肉断裂と日常生活を送るのも辛い最近です。
少しでも快適に過ごせるように色々と苦労しているんですよ。
この体温調節用の術式具。
実はウォルルムの術陣を基本にして作られています。
熱された外気から身を守る術式に、リオ・ウォルルムという青属性の術式があります。
肉体を強化するのではなく、肉体を保護する術式に近いですね。
この術式具をポケットに忍び込ませています。
形は繋ぎ合わせた六つの指輪のような形で、冷やしすぎないように微調整するため金属の量が普通の指輪より多いのです。
周囲の温度を変えているわけですから、必然、接近されるとわかります。
セロ君は自分の手に触れて、冷たいと感じたようですが、実際は周囲の温度に冷やされていただけです。
術式具的には結構、高難易度なのはともかく微調整用の素材に銀を使うのが……、ちょっともったいない感じです。
「あやしい……ぐでー、であります」
「頭が働いていないのなら、氷水で冷やしてあげましょうか?」
「濡れ濡れになったリリーナを見たいのでありますな」
氷水の代わりに氷をプレゼントしてあげました。
大きさは人の頭くらいでいいですかね?
ゴン、と、妙に響く音と共に他の生徒に向き直りました……が、何やら全員、ジト目なのは何故でしょう?
「どうせ珍妙な術式具で……」
「これだから先生は……」
「大人はずるぃです……」
「是非、次の術式具の特別授業で作り方を教えてください」
エリエス君……、涼しそうな顔しているのに暑かったんですね。そのうえ、ちゃっかりしてます。
全員、見事なくらい夏仕様なのは単に暑かっただけですか?
「先生も使ってるのですもの。いっそ私たちの分まで作ってもらおうじゃありませんの。プロなんですから顧客の要望に答えたらどうですの」
「三つの理由で却下です。一つは高額で希少なものを使うこと。二つ目は五人分の術式具を作る時間を考えるのなら試練に向けたテストを作ります。最後に、君たちは有利不利問わず、術式具による効果を禁止しています。これは君たちの実力が術式具の効果でわかりにくくなってしまうためです。義務教育計画は君たちが均一の教育を受けて、どれだけ成長するのかを試す場でもあるのです。効果の有無が義務教育の是非に関係するという主旨に反します」
と、つらつらと否定してみたのに何故かジト目は止めない。
一瞬、エリエス君の瞳が怪しい輝きを見せたような……。
「要約すると、特に先生自身は術式具の使用を否定していないことになります」
……いや、待て。これは引っ掛けです。
「少なくとも君たちの術式具使用の禁止が解かれるわけでもありません」
「……ちっ」
うわお、危なかった。
あそこで慌てて否定することが、この引っ掛けの主旨です。
あえて術式具を否定していない部分だけを拾って指摘すると、何故か一瞬、『自分は術式具で体温調節していることを否定していない』=『自分は術式具を使っています』という風に聞こえます。
一種のミスリードですね。
理屈ではなく、感情に訴える系です。
ここで心の平穏を崩してから、一気に言質に持っていく。
貴族や王族の会議なんか、こんな風な会話が横行しています。
いつの間にこんなことを覚えて……、その腰の本か。
いつか有害図書にしてやります。
「別に術式具を使わなくても暑さ寒さに対応する術式ならありますよ」
「術式を使いながら授業なんて受けられませんわ」
将来的にはこの子たちにも【源素融合】や【ザ・プール】を教えるわけですから、今のうちにちゃんと教えておいたほうがいいのかもしれません。
ウォルルム系を使用するために必要な思考法を。
「先生が邪悪な笑みを浮かべています」
「また何か思いついたわけ?」
「そういえば! 知ってましてよ!」
突然、立ち上がったクリスティーナ君に良い予感がありません。
「先生は他のクラスに授業される前に私たちで実験してるそうじゃありませんか!」
何故、バレたし。
専門制に移行して、生徒がどれだけ授業についてこれるかを試すために、あえてヨシュアンクラスには実験的な授業をしていました。
そのせいかヨシュアンクラスの術式の授業は他よりちょっとだけ進んでいるのです。
「役得ですね」
「どうしたらそんな感想に辿り着けるか神経を疑いますわ!」
「先生に神経とかデリカシー求めたら負けじゃね」
「だからと言って諦めたら、それこそ負けじゃありませんこと! 貴族の常は勝利、すなわち常勝によって支えられているのですわ。先生だからといって負けるつもりで挑む者に勝利はないのですわ。愚民の貴方にはそんなこともわからないのですわね」
「あんたはこんなに暑いのにさ、相変わらずだよね」
マッフル君は熱と授業のサンドイッチに怒る元気もなかったようです。
よかったよかった。喧嘩は片方にやる気がなければ、なかなかうまくいかないものです。
これで静かに授業できるというものです――
「負け愚民」
「………」
「負け犬は声も出せなくて?」
「もうあんたとも三ヶ月、顔合わせてるわけだけど、そろそろ決着をつけたくなってきたし」
「望むところですわ。当然のように地べたに這い蹲らせてあげますわ」
「そっちが泥に塗れて吠え面かかないようにね」
「なんですって?」
「なんだよ?」
最近、もう突発性の喧嘩では動じなくなった自分に驚きますね。
最初のころはもう、いちいち反応していたのが嘘のようです。
すぐにびりびりハリセンで沈めてみたら、オシオキ着弾前にかすかな反応をしましたね。
一応、死角からの一撃だったのですが、二人共、攻撃が来る気配を感じて体を動かしたようです。
ヘグマントの教育が着々と身についてきているようです。
普通のゲンコツなら打点をズラされて痛みも少なかったようですが、全身凶器のびりびりハリセンには通用しません。
「……先生、どうして紙製なのにびりびりハリセンは術式具なのでしょうか?」
エリエス君たちもオシオキくらいでは動じないあたり、鍛えられています。
「後で教えることになるでしょうが、針金と鉄粉を使っているんですよ」
このびりびりハリセンの紙と紙の間に術陣の形をした針金を。
その向かい合わせの表面に金属粉を薄く広げています。
「術式具の基本は金属板による刻印ですが、その逆も可能なんですよ」
溝を源素の通り道にする刻印と、針金のような金属そのものの中に源素を通す導体の二種類があります。
導体はその性質上、融解したときに【術陣臨界】を引き起こす可能性もありますが、稀でしょう。
「他にもどうして腕輪に形を変えるのですか」
「金属の板を用意して、曲げてみましょう。すると元に戻ろうとする力が働くでしょう? あれを弾性といい、金属の性質の一つです」
「でも曲げすぎると折れます」
「限界もあるということです。この弾性を極端に尖らせた物質を針金にして、びりびりハリセンに使っています」
オリハルコンとミスリルを基本に、琥珀金などの複数種の金属とある種の原生生物の一部を組み合わせた金属を『オレアニス・メタル』と呼びます。
別名、賢銀。
この金属の特性は弾性よりも強い弾性、超弾性を持ちます。
この超弾性を更に越える剛弾性を持ち、あまりに元に戻ろうとするので削り出しでのみ加工できます。
熱を加えると意味不明な形になります。触手みたいにうねうねと動き出します。
しかし、加工後、電気を流すとどれだけ曲げても加工後の姿に戻ろうとするのです。
びりびりハリセンはこの性質を利用して、熱を使った収納と電気を使った展開の二つの形態を持つのです。
今、明かされるびりびりハリセンの真実です。
「これ一つで家が建つくらいのお金がかかってますよ?」
「先生はお仕置き道具に技術と金銭を使いすぎです」
「家で殴られるよりマシでしょう」
「意味がわかりません」
その気になったらできると思いますよ?
というか昔、メルサラが塔の一部を持ち上げて、投げつけてきましたからね。
似たようなことを自分もした記憶があります。
たしか術式で作った巨大な石版を射出しました。
投げられた側はたまったものじゃないでしょうが。
「そうそう、私的なことですが次の参礼日、ちゃんとした室内用の送風器を作りますから興味があるのならお手伝いに来ていいですよ」
「いきます」
反応早いですね。
リリーナ君ももそもそとした瞳で見てきます。
あぁ、涼しいならなんでもいいわけですね。
やがて、のそりと動き始める喧嘩常習犯たち。
めきめきと抗術式能力が鍛えられている二人です。
そろそろ起きると思いました。
「さて、授業を開始しましょう。と、言いたいところですが思い出しました。ウォルルムの思考法については次回に回すとして、君たちは術式能力を測る四つの項目を知っていますか?」
曖昧な顔をしているようなので、どうやら知らないようです。
そういえばこの項目に関して、今まで触れていませんでした。
【適性判断】もあるので、今のうちに伝えておきましょう。
「それではちょっと書き出していきましょうか」
黒板にガリガリとチョークを押し付けて、生徒たちに新しい知識をつけさせるのでした。
人は誰かにどう見られるかを気にします。
特に女の子は、この『見られる』ことに敏感です。
男の不躾な視線くらい、すぐにバレますからね。
社会性の生き物である人間は、自分が他人からどう写っているかという興味を抱きます。
社会に置いて、自分の立ち位置がどれくらいのものなのか知りたがるのは、他人にとってどれだけ重要な位置にいるのかを知る術でもあります。
そして、誰かから必要とされていることが自信に繋がります。
生徒たちには己の実力を正確に理解できれば自信がつくでしょう。
無意味な自信ではなく、正確な理論に裏打ちされた自信があればセロ君も頑張りすぎないでしょう。
というわけでキリキリと頭を痛めてもらいましょう。




