↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第三章
PR
157/374

誰が為に作為あり

「ヨシュアン先生ぃ」


 会議が終わって、それぞれの作業に戻ろうとした時、リィティカ先生から神託が舞い降りました。

 窓から入る夏の夕暮れが、赤金の羽のようにリィティカ先生を飾り、胸元で高遠にも握られた端然な指先が決意の意思を、否が応にも心を打ちつけてきます。


 やっべぇ、綺麗すぎます。


「お話がぁ、ありますぅ」

「お時間は十分のようですね。河岸を変えましょう。ついでに食事なんかどうです?」


 よし。さりげなく食事に誘えました。

 今までリィティカ先生と二人で食事が取れなかったので、そろそろ二人っきりなシチュエーションが欲しかったのです。えぇ。

 今まで頑張ってきた甲斐があったものです。報われる時は今まさに来たれり!


「真面目なぁ話ですのでぇ、食事はちょっとぉ」


 ちくしょう!

 血の涙が溢れます。


「わかってます、えぇ、わかっています。リィティカ先生の肩に力が入っているようなのでちょっとほぐしておこうかと思っただけです、お気になさらず」

「あのぉ……、なんでぇ泣いてるんですかぁ?」

「夕陽が目に沁みただけです」


 いつ、自分はリィティカ先生と食事を楽しめるのでしょうか?

 最近、シェスタさんが昼御飯時に貼りついてきますから中々、御飯に誘えないんですよね。


 ここは考え方を改めましょう。


 真面目な話ですが二人っきりには変わりありません。

 なので、良い風景の場所なんかを選んで、ムーディーな感じでときめかせてみたいと思います。


「屋上に行きましょう」


 そして、屋上しか思いつかなかった自分のテンパり具合が憎らしいです。

 いえ、あそこはあそこでいい眺めなんですけどね?

 意外性がなくて残念すぎます。


 暇が出来たら景観の良い場所探しにでも出かけましょう。

 もしも生徒たちもいるなら連れて行ってもいいですね。何が起こるかわからないドキドキ感が楽しめます。


 リィティカ先生を連れて、屋上へと向かいました。


 今日は少し風が強いようです。

 びょうびょうと風音がうるさいので、少しだけ術式を使って無風空間を作ります。


「さて、お話は『注射器』のことですね」

「はいぃ」


 その手には以前、医務室で見た小さなカバンが握られていました。


「ヨシュアン先生はどこで『注射器』を知ったんですかぁ? 『注射器』はシューリン師が考えた技術ですよぅ。私とシューリン師しか知らないはずですぅ」


 『注射器』を発明した……、ですか。

 それはたぶん、違うと思います。


「自分の故郷は義務教育の影響か、リスリアより文化、学術と優れた部分が多い国でして、あったんですよ」

「『注射器』がぁ、ですかぁ? でもぉ、ヨシュアン先生の故郷の話はしちゃダメだってぇ」

「疑問をそのままにしておくべきでもないでしょう? 少しくらいなら大丈夫です。とにかく、医学も発達していましたので『注射器』の概念も、その製法も確立していました」

「……そうだったんですかぁ」


 え、ちょっと落ちこんでいるようです。

 予想外でした。


「シューリン師はぁ、たくさんの人を救うためにぃ『注射器』を作ったんですぅ。血の流れがぁ人の生きる力を体に満たす水脈に例えてぇ、水脈の水質がぁですねぇ」

「……えー、血液は生存に必要不可欠な成分を流し、体全体に行き渡らせるもので、現在医学の瀉血などとは逆効果だと言いたいんですか?」

「なんでわかったんですかぁ?」

「いえ……、どう説明しましょうか」

「膿は体のぉ悪い液体でぇ、体の中にあると血の流れに溶けてぇ、体中に悪い力をですねぇ」

「だから、瀉血の効果は認めるけれど、今の医学は全て瀉血で片付けようとするきらいがあり、今回も貧血気味のセロ君に瀉血を使おうとした女医さん(36)と口論になった、ということですか」

「嘔吐剤もですぅ」


 危ないところでした。

 下手したら危うくセロ君が殺されていたことを示唆しています。


 貧血の時に瀉血をすると意識が飛びますからね。

 大人の要領でやられたらセロ君、死にますからね。

 原因は血液不足です。


 ちなみに人が死ぬ主な理由の一つが血液不足ですから。

 火傷然り、怪我然り。


 うわぁ……、怖ぇです。

 ある意味、間が良かったのでしょう。

 自分ではなくリィティカ先生が。


「ヨシュアン先生は物知りですねぇ。医学にも明るいんですねぇ」

「いいえ、自分は別にそこまで詳しいものではありません。経験則と故郷で積み重ねた知識のおかげですよ。ともあれ瀉血万能説は根強い信仰のようなものですからね。ちょっと女医さん(36)には注意しておきましょう」


 革命軍の医者が病気に瀉血を使おうとした時、ぶん殴ったことがあります。

 その後、膿の摘出以外には使わせないように、一昼夜かけて説得した記憶があります。


 最終的に崇められました。医聖呼ばわりでした。

 違うんです、そうじゃないんです。


 ちなみに、その説得時間の半分は『医聖ではない』ということでした。


「で、『注射器』の用法と効果を自分が知っていることがどうしてリィティカ先生が落ち込む理由に?」

「えっとぉ、顔に出てましたかぁ?」

「夕陽のせいかもしれませんけどね、見間違いでないなら」

「いいえぇ、当たってますぅ」


 欄干に手を伸ばして、リィティカ先生は夕陽を眺めました。

 その横顔に不覚にもときめてしまったのは内緒です。


「誰が一番最初だったかなんてぇ、きっとぉシューリン師は気にしないのにぃ。誰よりも病で苦しむ人を助けてあげたいってぇ人だったんですよぅ」


 あぁ、師こそが『注射器』の第一人者だと思っていたんですね。

 研究者や学者にとって、何が一番の名誉かといえば『その道の第一人者』という新分野の開拓にこそあります。

 

 その名誉がなかったとなれば、リィティカ先生も落ち込むでしょう。


「直接、夕陽を見ると目を痛めますよ?」


 リィティカ先生の目線を腕で遮ってみました。

 このさりげなさ、ちょっとカッコよくないですか?

 自分的には綺麗に決まったと思います。


 リィティカ先生は寂しそうに笑って、欄干に背中を預けました。


「『注射器』はぁ、そんなシューリン師がぁ『誰かの為に作った医療技術』だったんですよぅ。ヨシュアン先生の故郷の人にぃ、先を越されちゃいましたねぇ」


 と、リィティカ先生は言いますが、実は自分、こここそが少し引っかかるのです。

 そして、一番、聞きたい部分でもありました。


「実は自分は、このリスリアで『注射器』を見たことがあります」

「え……? シューリン師に会ったことがあるんですかぁ?」

「いいえ、違います。シューリン師と呼ばれる人に会ったことはありません。とある施設でです」


 あまり話したくない話ですが、仕方ありません。

 リィティカ先生から真実を引き出すために、あえて苦痛の記憶を呼び覚ましましょう。


「先代【タクティクス・ブロンド】にして【狂気の錬成師】【世界の摂理に挑む者】と謳われ、蔑まれた女。【狂える赤鉄】アルベルタ・サヴァルツュバルツ」


 内紛時においてのあの女の非道はえげつないの一言です。


 【イコンの子供たち】を筆頭にした狂気の錬成学の贓物。

 【フィーア】や【アペリティフ・フランメ】などの戦争薬物による非人道戦略。

 人体実験、解剖学、宗教的にも人道的にも危険視された実験を平気で行った魔女です。


 事、人体という面において、この大陸の誰よりも詳しかったでしょう。


 アレの悪魔じみた手腕により、リスリアの医療は大きく前進した面もあるでしょう。

 しかし、進んだ以上の屍の山をあのクソ女は積み上げてきたのです。


「リィティカ先生も同じ道にいる以上、名前を聞いたことがないとは言わせません」

「……は、はいぃ。確かに知っていますけれどぉ、会ったことはありませんよぅ?」

「その悪名も当然、知ってますね?」

「でも、功績も知ってますよぅ。悪薬、魔薬も多く作った人でしたがぁ、最新の疲労回復薬の理論はあの人の理論だったのですからぁ」

「当然でしょうね。あの女は人を壊すために薬を作っていたわけではありませんから」


 あのクソ女は度し難いことに、人を治すために人を壊し続けていたのです。


 くそ、未だにあの女に対しては憎悪と怒りしか浮かびません。

 唯一の救いはあの女は完全に、間違いなく、絶対的に、確殺したことです。

 首を跳ね、残った遺体すら粉砕しました。


 生きている可能性だけはゼロです。

 保証します。


「あの女の使っていた器材の一つが『注射器』です」


 目を見開いて、唖然としたリィティカ先生。


「自分が見たリスリアで初めての『注射器』は、アルベルタ・サヴァルツュバルツのものです」


 ヤツの施設の、実験室で見たのです。


 取り落としそうになった小カバンを支え、そっとリィティカ先生の胸元に押しつけました。


「勘違いはしないでください。それは忌まわしい武器でも、人を壊すものでもありません。人を癒し、治すための道具です」

「はいぃ……」


 リィティカ先生ほどの博愛の女神なら、『注射器』は神器と言っても過言ではないでしょう。

 いつの日かたくさんの人を救う技術ともなります。確定的です。間違いありません。

 だって女神ですもの。人を癒さないはずがない。


 アルベルタ・サヴァルツュバルツとは格が違うのです。


「『注射器』はとても高度な技術からなる医療器具です。優れた冶金術でなければ作れず、正しい医学知識がなければ使用できない道具です。だからこそ疑問です」


 問題は、本当に『注射器』の概念と製法をシューリンが生み出したのか、です。


「リィティカ先生。シューリン師はどこにいます。あの女の作った一つの地獄を見た者として、真偽を確かめなければなりません。シューリン師があの女と関係があったかどうかを」


 正義や義務を振りかざし、責めるつもりはありません。


 投獄されている事実を、自分が知っていると教えるわけにはいきませんので、こういう手法を取りました。

 遠まわしでしたが、これでリィティカ先生はシューリンの居場所を言わざるをえません。


 言わなければ、それはリィティカ先生も関与していた疑いを持たれます。

 そして、リィティカ先生は疑われるわけにはいかないはずです。


 シューリン師を助けるために。

 ここで捕まるような間違いは侵せない。


 否定も嘘もつけないはずです。


「……わかりませぇん」

「それは居場所がわからない、ということですか? それとも関係性のことですか」

「両方ですぅ。シューリン師はぁ、ある特効薬を作ろうとしていたところを騎士の人にぃ、連れて行かれてぇ……」


 影のかかるリィティカ先生の御顔。

 やはり騎士でしたか。

 ですが、それも妙な話ですね。


「騎士が捕まえたのですか?」


 何が違うかと問われたら、給料の出処が違うやら各種保証が違うやら色々ありますが、一番の違いは指揮系統です。


 騎士は大まかに三種類います。

 ヘグマントのような軍直属の騎士。クライヴさんのような国王直下の騎士。

 そして、もう一つが領主に仕える騎士です。


 今回はおそらく地方領主の私軍がシューリンを捕まえたのでしょう。

 クライヴさんたちや軍が動けば、必然、そこから情報を手繰り寄せられます。

 しかし、ベルベールさんの情報にはシューリンの身柄が拘束されたことしか書かれていませんでした。


 これ以上の情報をベルベールさんが知らないということは、私軍の騎士であるということです。


 国に黙って、秘密裏に動くことができるのは私軍だけです。


「非人道な実験をしているってぇ、話も聞かずにシューリン師は私の前でぇ……」


 その時のことを思い出して、屋上の床に小さな染みが穿たれました。


「そんなことぉ、ないのにぃ……。シューリン師はそんなことぉ、してないのにぃ……」


 ポケットに入っていたハンカチをリィティカ先生に差し出しました。


 哀しみに暮れるリィティカ先生はお労しさ全開で、つい抱きしめたくなりますが自重します。

 本当に自重します、えぇ。手がわきわきしますけど、ね!


 ハンカチを受け取ったリィティカ先生は涙を拭かずに、ハンカチを握り締めました。


「だからぁ、シューリン師は間違ってないってぇ証明しないとぉ……。『注射器』は間違いない技術だってぇ……、特効薬だって間違ってないってぇ……」

「えぇ。自分も同じ気持ちですよ。『注射器』自体に善悪を問うのはおかしなことです」


 それ以上にキナ臭い。


「捕まってからどうなりました? もしかしてわからないのですか?」

「はいぃ……、すぐに王都に移送するってぇ、会わせてももらえませんでしたぁ。どうしたらいいかわからなくなってぇ、そんな時に『義務教育計画』のお手紙がやってきてぇ、『無事、完遂できた暁には恩赦を与える』ってぇ」


 タイミングが良すぎます。


 それにやはり、リィティカ先生は恩赦目当てでしたか。

 初めの挨拶の時、リィティカ先生は弟子を取るために来たと言いましたが、アレも真実なのでしょう。


 ですが直接の理由はこっちなのです。


「それはおかしな話ですね。確かリィティカ先生は西部の領地出身でしたよね? 新裁判制度の整っていない領地は多いはずですし、まだ裁判に耐えうる法律も作られていません。ですから、今までの裁判と同じく領主の裁定によって裁判は執り行われるはずです。領地にとって優れた錬成師は利益にもなります。捕まえても利益になりません。いくら知名度の低い新医療方法だったとしてもそこまで過剰反応はしないでしょう」


 濃厚なキナ臭さはここから感じます。


 明らかに誰かの意思を感じます。

 作為というべき、何かです。


「大体、王都に搬送されるということは領主が裁定権を放棄したと同じことですよ? 自分では裁ききれないと判断した時くらいしかしません。なのに王のいる王都への搬送を決定した。これはどれだけ言い訳しても大丈夫なくらい王に委ねなければならないほどの重大事でもない限り、自らの無能を宣言しているようなものです。なのにどうして」

「わかりませぇん……」


 故に裁判、裁定は領地で完結しやすいのです。

 だからこそ悪癖の『保釈金詐欺』が横行するのです。


 これは裏取引が行われましたね。

 シューリンの身柄を王都に預ける代わりにそこの領主は何かをもらったはずです。


 そして、王都にいるはずのシューリンがいないとなると。

 どこかに拉致されたと見るべきですね。


 誰かの作為がそこにはあるのでしょう。


 誰が、何を、何のために……、そうです。


 一番、わからないのは何のためか、です。


 シューリンを捕まえるメリットは何です?

 そして、あつらえたタイミングでリィティカ先生に王都からの教師抜擢の任が降りる。

 

 このタイミングの良さが示すものは何です。

 リィティカ先生を教師にするためという理由にするには、あまりにもチグハグすぎます。


 手紙が届いた時点でリィティカ先生は教師になることが決まっています。

 拒否することはできません。


 理由付けする必要はない。

 なのにまるで飾り付けるかのように、教師になる理由、熱意を持たせる理由まで用意しています。

 赴任中の一年間、シューリンは閉じ込められる。


 閉じ込めている間にシューリンに何かを作らせている?


 ……時間稼ぎか?


 一番、ありそうな話は『特効薬』です。

 この『特効薬』を作られては困る誰かが、シューリンを拘束し、リィティカ先生をこの僻地リーングラードに送った。


 この二人がいなければ『特効薬』は完成しないとしたら?

 それが理由だとしたら、何の『特効薬』が誰のデメリットになる?


 これは是非とも『特効薬』について聞き出さないといけません。


「となるとその特効薬というのが領主にとって何か立場を悪くするものだったのでしょうか」

「いえぇ、そんなことぉありませんよぉ。だってぇ、その特効薬はぁ魔薬を中和しようとする試みでしたからぁ、人体投与もまだでしたぁ」


 魔薬。

 人を殺す毒。神経を壊す薬物、数多の薬物の中で他の一線を画す特殊な製法で作られた『悪魔のような効果を持つ薬』のことです。

 

 そのほとんどが理性を砕くことを主眼にしたものばかりです。


 欲情を引き出す媚薬や罪悪感をごまかす向精神剤、そういった肉体的なアプローチと同時に【源理世界】からの働きを加味した薬を魔薬と呼びます。

 【フィーア】や【アペリティフ・フランメ】なんかはもう、代表的な魔薬ですよ。


 特に【アペリティフ・フランメ】はコカイン以上ですね。

 何せ、使用したら【狂化】して、切れたら禁断症状で死にますからね。

 強烈な精神抑制技術を持っても、抗いきれないほどの欲求を生み出す薬が危険視されたわけです。


 欲しがる気持ちが強すぎて、譫妄(せんもう)や錯乱、どころかお腹いっぱいでも飢えを感じ、気が狂い暴力に走り、走りすぎて自傷、挙句、自殺するのです。


 人間の尊厳を真っ向から踏みにじるもの。


 だからこそ『悪魔の薬』、魔薬と呼ばれているのです。


「失望しちゃいますよねぇ、やっぱりぃ」


 困ったように指先をいじるリィティカ先生の言葉に、自分は思考を少しだけ止めました。


「生徒たちにぃ色んなことを教えるべき人がぁ、自分のことしかぁ考えてなかっただなんてぇ……、生徒だってぇそんな人に教わっても身につかないと思うんですよぅ」

「それは、そんなことないんじゃないですか? セロ君にだって真剣になって考えてくれたじゃないですか」

「違うんですよぅ。セロさんのことだけじゃなくってぇ、私はぁ、他にも治す方法があるかもしれないのにぃ『注射器』を選んだんですよぅ」


 もしかして気に病んでるのでしょうか?


「動物実験しかしたことないのにぃ『それしかない』ってぇ思い込んでぇ、セロさんのことなんてぇ、一つも考えてなかったんですぅ」


 あの時、自分が言った言葉です。


 どれだけの経験があって、どれだけの自信があれば本当にセロ君を救えるのか。


 そう問いかけたのです。

 問いかけに答えられず、冷静さを取り戻した時に初めて後悔したのでしょう。


「本当に人に刺せたのかどうかもぉ、わからないのにぃ!」


 できれば愛の告白のほうが聞きたかったですね。

 でも、リィティカ先生には必要な告白なのでしょう。


 自分は黙って、その言葉を受け止めました。


「もしもシャルティア先生ならもっときつい言葉を用意できると思います」


 リィティカ先生には相談に乗ってもらったことがあります。

 それだけではなく【火榴橙(かりゅうとう)】の時もお世話になりました。


 ですから今度は自分が返す番です。


「しかし、自分はどうにも無駄に頭が回るみたいで。さっきの言葉もリィティカ先生がセロ君のことを考えてくれていたようにしか聞こえませんでした」

「私はぁ!」

「生徒に対して、リィティカ先生は真っ先に一番大事な研究を使おうとしたのです。もちろん、まだ使用に耐え切れるほどの実験もしていない、効果のほどもわかっていない、色々問題はあったと思います。さすがに褒められる行為ではなかったと思います。だからこそです」


 今から綴る言葉は詭弁です。

 本当はそんなことはないと、自分もリィティカ先生もわかっています。


「錬成師にとって、そしてリィティカ先生にとっても一番、大事な研究を誰に見られるかわからないのに迷わず選択しました。女医さん(36)に研究内容まで説明して、自分にとって大事なものに賭けることができたリィティカ先生を、どうして怒れるのですか」


 でも本心です。

 あの時、確かにリィティカ先生は真剣だったのです。

 真剣に誰かを救おうと想い、行動したのです。


 保身にも走ったでしょう。

 後ろめたさもあるでしょう。

 間違いだって知っていたはずです。


「本気で生徒を心配しなければできない発想なんです。本気で想っていた証拠なんです」


 その想いは純粋だったのです。

 他クラスのセロ君のために、これだけを想える人を自分は恨めません。

 憎めませんし、怒ることすらできません。


「だから、ありがとうございました」


 ただ、涙を流してまで真剣に想ってくれたことに、感謝を捧げたいです。

 愛も捧げます。


「ヨシュアン先生ぃ……っ」

「大人なんですから助け合いましょう」


 さぁ、この胸に飛び込んでください。

 全力で受け止めますよ! 抱きしめます!


 カモン、役得!


「ごめんなさいぃッ!」


 あれぇ? 頭を下げられましたね。

 抱きついてこないんでしょうか?


「それと、許してくださってぇありがとうございますぅ……」


 好感度が足りなかったようです。

 いい雰囲気だと思ったんですけどね! ちくしょう!


「もっと冷静にぃ、今度は大丈夫だってぇ胸を張れるくらいにぃ、研究を進めてぇ、絶対に子供たちにも役にたつようなぁ研究にしてみせますぅ」

「え、えぇ、頑張ってください。応援してます。わからないことなら一緒に悩むくらいはできます。さすがに専門的な分野には程遠いでしょうが故郷の知識が必要な時はいつでも声をかけてください」


 綺麗事ばかりで吐きそうです。

 でも、我慢しましょう。

 これでリィティカ先生の信用は得れたはずです。


 長期的に見ればプラスです。

 焦るんじゃありません自分。


「頑張ってぇ、この一年で【アペリティフ・フランメ】の中和にぃ、成功してみせますからぁ」


 にこやかな顔のリィティカ先生を見て、自分は固まったと思います。

 確かに綺麗でしたが、そういう意味で固まったわけではありません。


 えー、【アペリティフ・フランメ】というのは【狂化】を引き起こして、とてつもない禁断症状が出ると言いましたね?

 死ぬレベルです。


 で、何に作用しているかという問題に入りましょう。


 そも【狂化】はどうやって発動するのかを先に示しましょう。


 【狂化】は【支配】の延長線です。

 【支配】は目視や気配から相手の行動を予測することです。眼などの感覚器全ては脳に繋がっていますよね?


 はい、問題です。

 【アペリティフ・フランメ】が何に反応して、結果、【狂化】に至るでしょうか。


 答え:脳が薬のせいでおかしくなってます。


 ようするに巨大な力を提供する代わりに脳へ多大なダメージを与える薬なんです。

 そして、脳はダメージを受けたら回復しません。


 もうわかりますね。


 中和したって脳へのダメージは残ったままなんですよ。

 投与直前ならなんとか中和できるでしょうし、被害は最小限です。

 ですが後遺症までは治せない。


 受けた傷は決して治らない。


 【アペリティフ・フランメ】に特効薬はありません。


 出来てせいぜい、【アペリティフ・フランメ】の効果を強制的に切る薬剤くらいでしょう。

 それだって禁断症状のせいで自傷や自殺、暴力沙汰に発展します。

 実際に服用者に投与しようにも暴れまわりますし、リスクは高すぎるでしょう。

 はっきり言えば殺したほうが早いと思いますよ?


 そのことを知らないリィティカ先生はしきりに頭を下げながら、屋上の扉をくぐり抜けてしまいました。

 一年ではきっと不可能でしょう。

 不可能問題に挑んでいるようなものです。


 何百年も医学が進んでも、まず不可能です。


 そもそも芽が開かない薬物の開発だなんて、そんな真実。

 流石に言い出せませんでした。


「どうしろっていうんですか、これ……」


 あんなに真剣なら黙っているべきでしょうか?

 それとも怒られるし泣かれるのも覚悟で説明しましょうか?


 うわぁ……、こんな十字架、背負わさないでください。


 せめて薬開発中にできた薬剤が別の何かを癒す薬になることを祈りましょう。


 黄昏よりも黄昏たまま、自分は中々屋上から出れませんでした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。