転ぶから怪我をする
屋台が燃えているとは思えないくらい、立ち昇る火柱。
黒煙の匂いはいつかを思い出すには十分すぎるほどです。
なんとなく心に眠っていた危機感とも焦燥感とも言える意識を刺激します。
「製水の術式具を持って消火に当たってくれ! 他の人は屋台の連結を外せ! 手空きの者は【宿泊施設】の近くに池があるから水を汲んできてくれ!」
ロラン商人の張りあげる声に、キャラバンの人々が動いていきます。
その間を縫って、ロラン商人の前へ。
「ロラン商人、無事ですか」
「ヨシュアン先生にシャルティア先生。お騒がせしています」
余裕そうに見えて、その顔は固い。
さすがに笑みの一つも浮かべられないくらいには焦っているようです。
「消火に手を貸していただいてもよろしいですか」
「えぇ」
「消火は我々がやる」
シャルティア先生が当然のように話に割りこんできました。
「浮き足立ったキャラバンの連中を収めることに集中しろ」
「それは、ですがあの火の勢いは普通ではありません。水をかけても消えない、術式も通用しない。それに」
燃えあがる屋台は三台。
家具屋だからという理由では思えない火の勢いに違和感しか覚えません。
いえ、考えている場合ではありませんね。
燃えているのは三台。
中心にはジェンキンスさんの屋台。
となれば、当然、最初に燃えたのはジェンキンスさんの屋台と見るべきでしょう。
まだ三台なら自分の術式で収まる範囲です。
幸い、消火に必要な術式はあり、自分も使えます。
これ以上の範囲だと、燃えているものを破壊するしかなかったのですが。
「こっちは自分に任せてもらえれば。それよりも」
喧騒の中、一際、激しい人の塊があります。
「貴様、ちょびヒゲジェンキンス! 俺の屋台が! どうしてくれるんだ!」
「知るか! ウチだって全焼しているんだ! 人の心配なんてしてられるか!」
「なんだと! お前のせいでな! 商品が全部焼けちまってるんだぞ!」
問題は何時だって人間です。
「アレをなだめてもらっていいですか」
ロラン商人も苦い顔でした。
気持ちはわからなくないですね。買ってきた商品は言うなら財産です。
お金そのものなのですから、生活を考えれば人間性なんて簡単にひっくり返ってしまうでしょう。
それが誰のせいだとわからなくても、巻きこまれたなら渦中の人物を責めてしまう。
責められた本人も被害者なのだから、どうにもならない。
理不尽に怒られたら、理不尽に怒り返してしまう。
誰かが止めるか落ち着くのを待つ余裕は、ありません。
「ヨシュアン、急げ」
「わかっています。焚き火をするにはこの光景、色々と心に悪いですからね」
シャルティア先生にも言われたので、さっさと火を止めてしまいましょう。
燃える屋台の前に飛び出します。
舐めるように家具を燃やす火。
これは間違いなく放火です。自然に起こりえない火勢こそが証明。
それも術式師が使った火。
術式の火は基本、すぐに収まるようになっています。
ですが術陣の一部を変更すれば、燃え尽きるまで燃やし続けることも可能です。
一般家庭で使う術式は授業で使うようにアレンジはしません。
何故なら『すでにプロの手により使いやすいようにアレンジされた術式』を使うからです。
アレンジは一種の技術なのです。
術陣を理解し、構成を変化させ、【源理世界】より現実の一部を変更させるための理解がなくてはいけません。
そして、それらの知識は術式師しか知らない。
「まずは術陣の解除」
このままだとロラン商人がいったように火は消えないでしょう。
その火の中にうっすらですが術陣が見えます。
それらを打ち消すか掻き消すかしなければなりませんが、既存の消火用術式では無理です。
あれはあくまで自然の火を消すための術式ですから。
「リオ・ウーラ・ブラムラート」
放水の術式に高速回転を意味するウーラの術陣を加えました。
空中の水分が集まり、渦巻きながら屋台を包みこむ。
それはさながら水の竜巻でしょう。
高速回転する青の属性は源素を追い払う特殊な性質があります。
当然、火の中の術陣もその限りではありません。
放火の術陣をぶち壊しながら、消火していく水の本流。
家具を飲み込み、屋台を覆い、高速回転で消し去っていく――
「あ……」
――バキバキと嫌な音をあげて、屋台が水の重みで倒れていく。
しかし、それでも高速回転する水の輪は止まりません。
止まらないどころか『予定通り』、回転しきった水は周囲に散らばりました。
他の二台を含めて、いえ、巻き添えにして。
「ヨシュアン……」
シャルティア先生のジト目が非常に怖いです。
自分の目の前に、原型をとどめていない屋台が三台。
「やりすぎてしまいましたね」
ロラン商人も頭に手を添えています。
ジェンキンスさんなんか口を開けて、呆然としています。
心無しか周囲の目も痛いです。
違うんです。
火だけ消すつもりだったんですよ。
それがね、勢いあまって屋台ごと吹き飛ばしただけなんですよ。
術式の火だとわかったから、術陣も消さないといけませんし、生半可な術式じゃ無理だったもんで。
ちょっと強気に行き過ぎました。
「おぉ……、私の屋台が」
「貴様ー!? どうしてくれるんだー! 影も形もないじゃないかー!」
怒鳴っていた男の一人が自分にもつっかかってきました。
その人を無造作にボディブローで黙らせて、天を仰いだりなんかして。
まさか屋台がここまで脆いとは思いませんでした。
「えー……、と。どうせ全焼ですし」
「第一声がソレか、この大馬鹿」
シャルティア先生に棍で頭を殴りつけられました。
ちょーいてぇです。
パラパラとふる雨は自分が弾けさせた術式の水です。
周囲の人もろとも水浸しにしながらジト目で見られるこの焦燥感。
この惨状、どうしたらいいものでしょうか?
絶望的な顔をして膝をつくジェンキンスさんとか、苦笑しているロラン商人、損害を計算し、保証関係を考えて目を険しくさせているシャルティア先生とか見てられません。
よし。逃げましょう。
「待て、どこへいく」
ガシリと掴まれた肩は虎の牙のようでした。
「リィティカ先生が心配なので、そっちに」
「あっちは大丈夫だ。こっちの原因をまず片付けておけ。おそらく揉めるぞ?」
う。これってキャラバンが学園の間にいる時の保証って本当にどうなんでしょうね。
こっちのせいになるんでしょうか。
ましてや今回、学園の計画の妨害に巻き込まれただけですし。
ともあれ、あの火事の真相をハッキリさせておきましょう。
変な方向に走られると非常に大変ですから。
「えーっと、さっきの火事ですが、術式による放火だと思われます」
ロラン商人たちが目を剥いています。
「それは、たしかに我々も恨みを持たれていないと言えば嘘になりますが……、こちらはキャラバンですよ。放火されるにしても」
「事故の可能性はないのか?」
ジェンキンスさんも平静を装いながら考えようとしてくれます。
いや、でも、ね?
術式を使っている以上、術者は近くにいるもんですよ。
「術式の火っていうのなら、あんた、家具屋だったろう? そういう話はあったんじゃないか?」
「いや、いや、確かに術式ランプが燃え続けて、火種になるって話はあるが……」
「それが原因だろう! おいおい、これは事故じゃないのか?」
ジェンキンスさんの周りに屋台の関係者らしき人たちが集まってきました。
自分の足元で気絶している商人もこの関係者……、家具屋台の人でしょう。
ちょうどいい。
「そういえばジェンキンスさん、アンタ、夕方に学園生徒から術式ランプ買っていたんだろ?」
「あ、あぁ、確かに購入したが」
その辺を説明しようと思ったら、どんどん話が進んでいきます。
待て待て、この人たち、どうして事故にこだわる?
シャルティア先生に目を向けると肩をすくめました。
「事故だと保証が確実につく。キャラバンの仕切りでもあるメルボルン商会はキャラバン全体の保証を受け持つからな。もちろん、危険性のある商品を取り扱った商人にも自己負担こそあれ、そのためにキャラバン全体から税金のように金を受け取る。ようするに事故のほうが都合がいいのさ。しかし、これが故意による放火だと違う。『個人に対して行われた犯行』の場合、身から出た錆としか言い様がない。それでも保証はつくが下手をすると無一文で放り出されることもあるぞ」
これはまずい。
一番、あって欲しくない目が出ました。
「言っちゃ悪いがそいつが原因じゃないのか! 若い職人だって修行して術式具を作るっていうのに、そんな奴らが作ったモノは信用できるのかよ!」
握り拳を作りながら絶叫する男。
……あ?
「待て! ヨシュアン!」
また肩を掴まれてしまいました。
「放してください。ちょっと話し合いに行くだけですよ」
「今すぐあの叫んでいる商人を殺しそうな顔で話し合い? 誰が信用する。あぁして、イチャもんをつけたら学園側から保証が出ると思い込んでいるバカの戯言だぞ」
人の生徒の作品を見もせずに勝手に事故の原因扱いだ?
ふざけるな! あの子らがどれほど努力したと思っている!
「抑えてください、ヨシュアン先生。彼も必死なんです。火事に巻き込まれたというのもあるでしょう、冷静じゃないだけです」
「そうですね、それで? 言っていいことと悪いことがある。他の誰でもない教師の前で生徒を貶されて黙っていろと?」
マッフル君は考え無しでしたよ? でも何も考えていない考え無しじゃない。
己を省みない考え無しでした。
鉄がないからと言って単純に採掘を選び、原生生物もいるだろう森を抜けて、やったことない採掘作業をして、実際、自分も諦めようとした重い、重い採掘籠を一人、女の子なのに担いで!
鍛冶師と前もって交渉し、依頼してもらえるように言って。
なおも男は叫ぶ。
「他にも居たろう? 学園生徒から買っていたヤツ! この三台、全員がそうじゃないか!」
ちゃんと筋道立てて、この三日でクラスメイトと一緒に作りあげたものだ。
きっと、話も空気も聞かないクリスティーナ君すらも話をして、協力してもらって、ちゃんとしたモノを作ってきた!
誰一人として、そこに妥協なんてなかった。
エリエス君は【火榴橙】の二の舞を踏まないように設計した。
セロ君は皆の足を引っ張らないようにと頑張ったことでしょう。
フラフラしているリリーナ君ですら、仲間のためにとデザインを頑張った。
頑張り全てを認めろなんて口が裂けても言いません。
だけど、何の確証もなく、検証しようともせず!
己の欲のために俺の生徒を貶めようとしたな?
「そうだろう! これは事故だ! 誤作動だったんだ、そうに違いない!」
「我慢しろ! ヨシュアン!」
我慢?
大事なもん貶されてまでする我慢にどれほどの価値がある!!
「だから俺たちに――ヒッ!?」
今にもブチ切れそうになっている自分を見て、ようやく男は声を出すのを止めました。
ですが、もう遅い。吐いた唾を飲むつもりなら相応の覚悟をしろ。
シャルティア先生の戒めを無理矢理、引きちぎって自分は男に詰め寄りました。
有無も言わさない、逃がさない、許しはしない。
ぶん殴るだけ。
それだけが思考を占めた時でした。
握り締めた拳を止めたのは、小さな物音でした。
「――ぁ」
音の正体は、夜道を照らすためだけに持っていた術式ランプでした。
その音を横目で確認しようとして、見てしまいました。
夜の暗さとは違う、別の影を差したマッフル君の顔。
どうして、こんな夜中にマッフル君が?
その後ろにはリリーナ君まで。
抜け出して、きた?
騒ぎがあったから物見高いリリーナ君と好奇心旺盛なマッフル君が、ヘグマント先生たちが寮にたどり着く前に抜け出してきたのでしょう。
アレフレット! あのバカ野郎!
お前が寝坊なんかするから!!
一番、聞かせたくないものを聞かせてしまったじゃないか!
落ちた術式ランプはカラカラ、と軽い音を立てて、地面を転がっていく。
「いや、違うし」
マッフル君が術式具の授業で作ったものとは違う、おそらくグランハザードに持たされた術式ランプでしょう。
そんなどうでもいいこと情報ばかり、頭に入ってくる。
「事故とか――起きるわけないじゃん!」
マッフル君の声はいつもの元気ある声と違い、震えていました。
信じられないものを見たという顔のまま、声を張り上げていました。
「ちゃんと確認して、エリエスだってさ、大丈夫だって、先生も大丈夫ってさ。ほら、あたしのせいじゃないし、大体、証拠も……」
今、マッフル君はどう考えているでしょうか?
どんな気持ちでいるのでしょうか?
必死で自分に否はないと言う様は間違いなく、この男と同じです。
ですが、誰が責められるでしょうか。
大人の視線に無防備にさらされ、疑惑を押し付けられている今。
まるでこの場の大人、全てがマッフル君を疑っているように見えるのではないでしょうか?
「証拠は! あたしらのせいだっていう証拠を出せ!」
そんな場で叫ぶ少女の姿に、自分は何を言えばいい?
信じる? 違うと同調してやる? どうすればいい?
何が正解だ? 誰を倒せばいい?
何をすれば震えている生徒を救ってやれる?
国を救えても、目の前で震える生徒を助けられなくてどうする!
「マッフル!」
最初に動いたのはシャルティア先生でした。
「門限はどうした。こんな夜中に寮を抜け出ていいと思っているのか。以前も同じことを言ったはずだぞ」
「ちが――そうじゃなくって、あたしはまだこいつらに!」
「寮に戻れ。これは我々の仕事だ。お前の話は後で聞く。今は帰って大人しくしていろ。悪いようにはしない」
シャルティア先生の言葉は有無を言わせませんでした。
それでいて、まっすぐマッフル君の否を突き刺しました。
なんてことを言うんだこの人。
それじゃ、まるでマッフル君が悪いみたいじゃないですか。
「――そんな話してないじゃん! 疑われてんだよ! 他の誰でもないあたしとクラスの皆が! 誰が! 誰がそんなこと言われて!」
「戻るんだ!」
叩きつけられる音に、マッフル君は言葉も動きも止めました。
浮き足立った全てがシンと静まり返りました。
誰一人、何も言えないまま、シャルティア先生とマッフル君を見ているしかない。
「―――!」
何も言えなくなったマッフル君は逃げ出すように……、いえ。
逃げたのです。
何も言えない、言わせてもらえない、この場から。
逃げるしか、できなかった。
「マフマフ!」
シリアスなのにその呼び方、どうなんです?
リリーナ君がマッフル君を追いかけていきます。
誰一人、この場の空気を壊したいと望んでいるはずなのに。
誰一人として、何も言えない空気になってしまいました。
掴み続けている男の襟を外してやり、無造作に突き出しました。
男はよろよろと尻餅をついて、怯えきった顔で見上げてきます。鬱陶しい。
「……シャルティア先生、マッフル君の頬を張ったことは後でお話しましょう。まず、今回の件は事故ではありません。生徒が作った術式具は自分が確認しました。誤作動を起こす余地はありません。これは信用を旨とする商取引の立会い人として信にかけて誓いましょう。また術式の火ですが、術式具の陣は金属に掘られた陣による物で、『火の中に陣が描かれた場合、術式者によるもの』に当たります。この中にも『眼』持ちの術式師の一人か二人、いるでしょう? それらが証人です。そして、最後に術式師の術式は力量によって源素に影響できる範囲が決められています。これが術式師が使った術式なら、犯人はすぐ近くにいます。探してください」
と言っても、犯人はすでに割れています。
何故なら、犯人に発見の術式具であるブローチを持たせています。
教師用の術式具を使えば、【発色】と【接色】の特性を使って位置を知ることができます。
ヨム・トララムのように。
今すぐ、追いかけることもできる。
捕まえて犯人だと突きつけることもできる。
何より、火が収まる瞬間。
森の暗がりから抜けて闇に消えていくシェスタさんが見えたような気がします。
ほんの一瞬だったので、ハッキリと見たわけではありませんが。
もしも、シェスタさんが犯人なら今、彼女は森に居る。
わかっています。
でも、そんなことより自分は……。
「シャルティア先生、自分はマッフル君を追います。寮に戻っているように思えません」
「そうか。こっちは任せろ。それと」
「悪役のような真似をさせてすみませんでした。でも、やりすぎです」
「あの場で何か言えるようになったら言え。ただし今回は、文句を聞いてやるぞ」
生徒を守ってやらないと。
マッフル君を探すために、自分は走り出しました。




