第95話 選定基準
黒田の車が目的地に着いた頃には、墓地を出た時よりも随分と陽が傾いていた。
街の中心部から離れ、車通りも少なくなっている。
助手席に座っていた蓮は、エンジンが止まると同時に窓の外へ目を向けた。
そこにあったのは、古びた二階建ての建物だった。
看板はない。
店なのか、事務所なのか、それとも誰かの住居なのか。
外から見ただけでは分からなかった。
「……ここですか?」
「ああ」
黒田は車を降りた。
蓮もシートベルトを外して後に続く。
入口へ向かう途中、黒田は一度だけ周囲を確認した。
ほんの一瞬だった。
だが、その仕草は島にいた時と変わっていない。
「黒田さん」
「何だ」
「ここまで警戒する必要あるんですか?」
「用心して困ることはない」
「……まだ狙われてるかもしれないから?」
黒田の足が僅かに止まった。
「それも、これから話す」
それ以上は答えず、入口横の呼び鈴を押した。
しばらくして鍵が開く。
中から顔を出した男と黒田が短く言葉を交わした。
蓮も中へ通される。
細い廊下を抜け、その先の部屋へ入った瞬間だった。
「…………え?」
蓮の足が止まる。
大きなテーブルの向こう。
そこに、見覚えのある女が座っていた。
向こうも蓮に気づき、目を丸くする。
「……蓮?」
「葵?」
水野葵だった。
あの島から生きて帰った五人の一人。
退院後も何度か会っている。
だが、今日ここにいることなど一言も聞いていなかった。
「なんで葵がここにいるんだ?」
「それ、私が聞きたい」
葵はすぐに黒田を見る。
「黒田さん。蓮を連れてくるなんて聞いてないけど」
「言ってないからな」
「そういう問題?」
「今日決めた」
「せめて連絡くらいしてよ……」
葵が呆れたように息を吐く。
島にいた頃よりも、黒田との距離が少し近くなっているように見えた。
「二人、いつから会ってたんですか?」
「今回のゲームが終わってからだ」
黒田が答える。
「もう一度エクストラバレットを調べ始めた。その途中で水野にも連絡した」
「葵も調査を?」
「私は黒田さんほどじゃないよ」
葵は苦笑した。
「突然連絡が来ただけ」
「突然ではない。調べてから連絡した」
「それを突然って言うんじゃない?」
黒田は答えず、椅子を引いた。
「神谷、座れ」
「はい」
「水野も」
「もう座ってたんだけど」
葵が小さく文句を言いながら椅子へ戻る。
蓮も向かいに腰を下ろした。
「さっきの続きだ」
黒田が切り出す。
「俺が二回目の参加者だったという話はしたな」
「はい」
「一回目から生還したあと、俺はエクストラバレットを調べ始めた。だが結局、運営の正体には辿り着けないまま、今回のゲームへ入れられた」
「二回目に」
「ああ」
黒田は頷く。
「ただし、一つ勘違いするな」
「何をです?」
「一回目のゲームにいた頃、俺は経験者が意図的に参加者へ混ぜられているなんて知らなかった」
「…………」
「二回目も同じだ」
黒田は続ける。
「今回のゲーム中にも知らなかった。俺以外に経験者がいるかどうかすら分からなかった」
「じゃあ、自分だけが二回目かもしれないと思ってた?」
「その可能性も考えていた」
「なんで二回目に選ばれたかも?」
「分からなかった」
黒田の答えは一貫していた。
「今も断定はできん。俺がエクストラバレットを調べていたから再び選ばれたのか、それとも別の理由なのか。そこはまだ推測の域を出ない」
蓮は頷きながら、ふと莉奈との会話を思い出した。
「……待ってください」
「何だ」
「経験者のことなら、莉奈から聞いたことがあります」
黒田の目が変わった。
「神崎から?」
「はい」
「何と言っていた?」
蓮は記憶を辿る。
莉奈がゲームマスターだと明かしたあと。
彼女から聞いた、いくつもの話。
「エクストラバレットには……毎回、ゲーム経験者が入れられるって」
黒田が黙った。
葵も蓮を見る。
「毎回?」
「はい」
「過去にゲームへ参加したことのあるPLAYERを、運営側が意図的に?」
「そう聞きました」
黒田の表情が険しくなる。
「人数は?」
「分かりません」
「選定基準は?」
「そこまでは」
「何のために経験者を混ぜる?」
「それも聞いてません」
蓮は首を横に振る。
「ただ……毎回、経験者が投入されるってことだけは言ってました」
「…………」
黒田は腕を組んだ。
「初めて聞いた」
「黒田さんも知らなかったんですね」
「ああ」
黒田はしばらく考え込んでいた。
「なら、俺が過去の生還者から聞いた話にも説明がつく部分がある」
「どんな?」
「初参加にしては、妙に適応が早かった参加者の話だ」
危険への対応。
他人との距離。
首輪への恐怖。
ゲームのルールを受け入れる早さ。
そうした部分で、最初から他の参加者とは違っていた者がいたという。
「だが、それだけで経験者だとは断定できない。職業や性格で説明できるからな」
「莉奈の話が本当なら……」
「その中に経験者がいた可能性が高くなる」
黒田が頷く。
蓮はさらに思い出す。
「あと……もう一つ」
「何だ?」
「莉奈は、二回目のPLAYERなら見たことがあるって言ってました」
今度は葵の表情が僅かに変わった。
「二回目……」
「うん」
蓮は続ける。
「毎回経験者が投入されるから、二回目の参加者がいること自体は珍しくないみたいだった」
黒田が静かに聞いている。
「でも」
蓮はそこで言葉を切った。
「三回目は見たことがないって」
「…………」
「少なくとも莉奈が知ってる範囲では、三回目のエクストラバレットに参加したPLAYERはいない」
黒田はしばらく何も言わなかった。
やがて。
「……なるほどな」
小さく呟く。
「これで一つ繋がった」
「何がです?」
「俺が二回目だったことだ」
黒田が自分を指す。
「俺は、自分がなぜ二回目に選ばれたのか分からなかった。だが神崎の話が正しいなら、二回目の経験者を投入すること自体は、運営にとって特別なことではない」
「そうなりますね」
「俺が二回目だからといって、それだけで異常な例というわけではなかった」
黒田はそう言ってから。
隣の葵へ視線を向けた。
「そして」
葵が小さく息を吐いた。
「……やっぱり、その話するんだ」
「神谷にも伝えておいた方がいい」
「何の話?」
蓮が二人を見る。
黒田が答えた。
「今回のゲームには、俺以外にも経験者がいた」
「…………え?」
蓮は黒田を見る。
「誰ですか?」
「水野だ」
その名前を聞いた瞬間。
蓮の視線が葵へ向いた。
「葵?」
葵はすぐには答えなかった。
少し困ったような表情を浮かべ。
最後には諦めたように頷いた。
「……うん」
「今回が?」
「二回目」
「…………」
蓮は言葉を失った。
「黒田さんは知ってたんですか?」
「ゲーム中は知らなかった」
「じゃあ、いつ?」
「終了後だ」
黒田は答える。
「今回のゲームが終わってから、俺は以前より深く調査を始めた。過去の生還者を探し直し、ゲームに関係していると思われる情報を集めた」
その過程で。
水野葵という名前に繋がった。
「以前のゲームの情報を追っている時、水野と一致する人物が出てきた」
「それで葵に?」
「ああ。俺から確認した」
蓮は葵を見る。
「じゃあ……黒田さんに言われるまで、誰にも話してなかった?」
「うん」
「佳子も?」
「知らない」
「詩織も?」
「知らないよ」
「俺も……」
「今初めて」
葵は申し訳なさそうに笑った。
「ごめん」
「いや……」
責める気にはなれなかった。
島にいた頃。
自分が同じ立場だったとして、果たして「以前にもこのゲームへ参加したことがある」と簡単に打ち明けられただろうか。
おそらく無理だ。
「水野が二回目だと把握しているのは、今のところ俺だけだった」
黒田が言う。
「今、神谷にも話した。佳子と七瀬にはまだ言うな」
「分かりました」
「俺も、水野が二回目だと分かったのはゲームが終わったあとだ。今回の島にいた時は何も知らなかった」
これで。
莉奈の話とも繋がる。
毎回。
経験者が投入される。
今回のゲームでは。
黒田。
そして葵。
少なくとも二人がそうだった。
「じゃあ」
蓮は考えながら言った。
「俺も……次のゲームに入れられる可能性があるってことですか?」
黒田はすぐには答えなかった。
その沈黙で。
蓮は自分が何を聞いたのかを理解した。
次のゲーム。
半年間、考えないようにしていた言葉だった。
「ある」
黒田が答えた。
短く。
はっきりと。
「むしろ俺は、可能性が高いと思っている」
「……高い?」
「ああ」
「なんで俺が」
「知りすぎた」
黒田の声が低くなる。
蓮は黙った。
「普通の生還者が知っている情報と、お前が知っている情報は違う」
黒田が指を一本立てる。
「ゲームマスターの存在」
莉奈。
聡子。
「参加者の中に運営側の人間が混ざっていること」
さらに。
「ゲームマスターにも本物の首輪がつけられ、個別条件があり、死ぬ可能性があること」
二本目。
「観客の存在」
島の外。
自分たちを見ていた者たち。
人間の生死へ金を賭けていた者たち。
三本目。
「そして今、経験者が毎回投入されていることまで知った」
黒田の指が下がる。
「それだけじゃない」
「…………」
「神谷智和」
父親の名前。
「お前の親父がエクストラバレットと関わっていた可能性が高い」
蓮の表情が硬くなる。
「俺が親父の息子だから?」
「それだけで選ばれたとは言わん」
「じゃあ……」
「向こうがお前をどう見ているか、俺たちには分からない」
黒田は断定を避けた。
「だが少なくとも、お前はもう『一度参加して生き残っただけのPLAYER』じゃない」
知りすぎた。
その言葉が。
改めて蓮の胸に落ちる。
「神崎の話を信じるなら、経験者は毎回投入される」
「はい」
「そして二回目の参加者は実際に存在する」
黒田。
葵。
「なら、お前が二回目に選ばれることは何もおかしくない」
「……次のゲームで?」
「その可能性もある」
黒田は答える。
「だが、必ず次とは限らない」
「…………」
「その次かもしれん」
蓮は黒田を見る。
「もっと先かもしれない?」
「ああ」
「でも……」
蓮は莉奈の言葉を思い出す。
「三回目はいない」
「神崎が見た範囲ではな」
「それって、二回参加したら終わりってことじゃないんですか?」
「可能性はある」
黒田は頷いた。
「通常のPLAYERは最大二回まで。そういう選定基準が存在するのかもしれない」
なら。
一度目を終えた蓮に残されているのは。
あと一度。
「ただし」
黒田の声が変わった。
「俺なら、それを安全材料にはしない」
「どうして?」
「神崎自身が、運営のすべてを知らなかったからだ」
莉奈はゲームマスターだった。
それでも。
他人の端末アルファベットを知らなかった。
個別条件も知らなかった。
運営のすべてを把握していたわけではない。
「神崎が三回目を見たことがない。それは重要な情報だ」
黒田は言う。
「だが、『三回目は絶対に存在しない』という証明にはならん」
「…………」
「それに」
黒田は蓮を見る。
「お前が普通のPLAYERと同じ扱いを受ける保証もない」
蓮の背筋に冷たいものが走った。
「どういう意味ですか」
「言っただろ。お前は知りすぎた」
黒田が静かに続ける。
「もしお前が二回目へ投入され、生き残ったとして」
「…………」
「そこでさらに運営側の情報を手に入れたら?」
蓮は答えられない。
「それでも『二回参加したからもう安全だ』と言い切れるか?」
「……分からない」
「俺も分からん」
黒田は即座に答えた。
「だから怖いんだ」
次に選ばれる可能性。
それだけではない。
二回目を生き残れば終わり。
そう信じられる根拠すらない。
「神谷」
黒田が言った。
「俺の考えでは、お前が今後二回目に選ばれる可能性はかなり高い」
蓮の喉が動く。
「次回かもしれない」
「…………」
「一年後かもしれない。もっと先かもしれん」
黒田の目は真剣だった。
「だが、いつかまた選ばれる可能性は覚悟しておいた方がいい」
「……必ず?」
「そこまでは言わない」
黒田は首を横に振った。
「俺たちは選定基準を知らない。だから断定はできない」
そして。
「だが俺なら、お前がもう一度選ばれる前提で動く」
蓮は無意識に首へ手を伸ばした。
何もない。
首輪は半年前に外れた。
それなのに。
冷たい金属の感触が蘇る。
詩織が倒れた。
佳子の両手から血が流れた。
聡子が爆発に飲み込まれた。
相馬が死んだ。
そして。
腕の中で。
莉奈が笑った。
『ずっと……一緒だよ』
「……ふざけるな」
低い声が漏れた。
「蓮?」
葵がこちらを見る。
「また選ばれてたまるか」
蓮は拳を握った。
「勝手に連れていって、首輪つけて……殺し合わせて」
半年経っても。
怒りは消えていなかった。
「生きて帰ったら、また次の候補?」
黒田は黙って聞いている。
「だったら」
蓮は顔を上げた。
「選ばれる前に見つければいい」
「何をだ?」
「エクストラバレットをやってる奴らを」
黒田の目が僅かに細くなる。
「親父のことも調べる」
なぜ参加した。
どうやって生き残った。
その後。
なぜゲームに関わった。
そして。
なぜ最後に息子へ警告した。
「莉奈のことも」
なぜゲームマスターになった。
父親たちの過去と、何が繋がっていた。
自分と再会するまで。
何をされ。
何を見てきたのか。
「何も知らないまま、また連れていかれるなんて絶対に嫌だ」
しばらく。
誰も話さなかった。
やがて黒田が口を開く。
「だから、お前を連れてきた」
「え?」
「俺も一回目のあと、同じことを考えた」
黒田は立ち上がる。
「何も分からないまま、二度と関わらずに生きることもできた」
しかし。
黒田は調べた。
その先で。
二回目のゲームへ送られた。
「調べれば危険になるかもしれない」
黒田が言う。
「何も知らなければ、危険に気づくことすらできない」
「…………」
「どちらを選ぶかは、お前次第だ」
蓮は迷わなかった。
「調べます」
「いいんだな?」
「はい」
「神谷」
黒田が真っ直ぐ蓮を見る。
「一度始めたら、途中で何が出てくるか分からんぞ」
「それでも」
蓮は答える。
「親父が何を知ってたのか、俺は知りたい」
黒田は数秒、蓮を見つめた。
そして。
「ああ」
短く頷いた。
「なら来い」
部屋の奥。
もう一枚の扉へ向かう。
「どこへ?」
「さっき話した生還者だ」
黒田が扉の前で止まる。
「俺が調査の中で繋がった人間の一人だ」
「その人が親父を?」
「ああ」
蓮の鼓動が速くなる。
「神谷智和を知っている」
黒田が扉を開けた。
奥の部屋にいた男が、ゆっくり顔を上げる。
蓮には見覚えがない。
五十代ほどだろうか。
男は最初、黒田を見た。
次に葵。
そして。
蓮を見た瞬間。
動きが止まった。
「…………」
蓮も男を見る。
知らない。
間違いなく初対面だ。
それなのに。
男の方は、蓮の顔から目を離さなかった。
椅子から立ち上がる。
一歩。
また一歩。
近づいてくる。
「……神谷?」
男が呟いた。
「はい」
「名前は?」
「神谷蓮です」
「蓮……」
その名前を聞いて。
男の表情が変わった。
「そうか……」
懐かしむように。
小さく息を吐く。
「智和の息子か」
蓮の心臓が大きく鳴った。
「親父を……知ってるんですか?」
男は答えず。
蓮の顔をじっと見つめる。
「似てるな」
「え?」
「若い頃の智和に」
蓮は男から目を逸らさなかった。
「親父と、どういう関係なんですか?」
男はしばらく黙っていた。
やがて。
元の椅子へ戻る。
「座れ」
「…………」
「長い話になる」
蓮が向かいへ座る。
黒田と葵も少し離れたところへ腰を下ろした。
男はテーブルの上で両手を組む。
そして。
蓮が知らなかった父親の過去へ繋がる言葉を口にした。
「俺は――神谷智和と同じエクストラバレットに参加していた」
父親が残した警告。
莉奈が語ったゲームの裏側。
二回目を経験した黒田と葵。
毎回投入される経験者。
そして。
莉奈ですら見たことがないという、三回目のPLAYER。
次に自分が選ばれるのか。
それとも、もっと先なのか。
今はまだ分からない。
ただ。
待っているだけでは。
何も変わらない。
蓮は男を真っ直ぐ見つめた。
今度は。
何も知らないまま、エクストラバレットに連れていかれるつもりはなかった。




