第94話 親父の痕跡
「二回目……?」
蓮は、すぐにはその言葉の意味を飲み込めなかった。
聞き間違いかと思った。
しかし黒田の表情を見る限り、冗談を言っているわけではない。
「待ってください」
蓮は記憶を辿る。
「二回目って……前にも、あのゲームに参加したことがあるってことですか?」
「ああ」
「エクストラバレットに?」
「そうだ」
黒田は迷うことなく頷いた。
蓮は言葉を失った。
島にいた時から、黒田が普通の参加者とは違うと感じたことは何度もあった。
状況判断が早く、銃器を扱うことにも慣れていた。元警察官だと知ってからは、その理由を自分なりに納得していた。
だが。
それだけではなかった。
「なんで……言わなかったんですか?」
「言えると思うか?」
黒田の答えは短かった。
「最初の段階で俺が『以前にも参加したことがある』と言えば、どうなると思う」
「それは……」
蓮は言葉に詰まった。
ゲームの仕組みを知っている人間。
以前のゲームを生き残った人間。
そんな参加者が一人だけ混ざっていると分かれば、他の者たちがどう反応するかは想像できる。
頼ろうとする者もいただろう。
疑う者もいたはずだ。
場合によっては、主催側の人間ではないかと疑われてもおかしくない。
「それに、俺が知っていたルールが今回も同じとは限らなかった」
黒田は続ける。
「実際、細かい部分は違っていた。以前の経験だけで動けば、逆に全員を危険に巻き込む可能性もあった」
「だから黙ってた……」
「ああ」
蓮は黒田を見つめた。
思い返してみれば、黒田は必要以上に自分の知識を見せようとはしなかった。
生き残るために必要なことは話す。
しかし、自分がなぜそこまで冷静に動けるのかについては語らない。
あれは単に警戒心が強かったからではない。
隠していたのだ。
自分が一度、エクストラバレットから生還していることを。
「……一回目も、生き残ったんですよね」
「そうでなければここにはいない」
「何人くらい……」
蓮はそこまで言って、やめた。
聞いていいことなのか分からなかった。
黒田はそれを察したようだった。
「その話は、いずれする」
「……分かりました」
「今は別の話をしたい」
黒田は遊歩道の先へ視線を向けた。
夕方が近づき、昼間より人通りは少なくなっている。
「一回目のゲームが終わったあと、俺はエクストラバレットについて調べ始めた」
「警察として?」
「最初はな」
黒田の表情が僅かに険しくなる。
「だが、まともな捜査にはならなかった」
「どうしてです?」
「証拠がない」
その言葉に、蓮は納得した。
自分たちと同じだ。
「ゲームで使われた端末も首輪も残らない。どこで行われていたのかも分からない。生還した人間を病院へ運んだ者の記録も追えない。説明しようにも、話だけ聞けば作り話だ」
「……今回と同じだ」
「ああ」
黒田は頷く。
「それでも調べた。正式な捜査として動けなくなってからも、個人的にな」
「何か見つかったんですか?」
「最初のうちは何もなかった」
都市伝説としての噂。
出所の分からない書き込み。
突然消えた人間。
大金を手にしたという噂だけを残して姿を消した者。
似たような話はいくつもあったが、そのほとんどはエクストラバレットと関係があるのかさえ判断できなかったという。
「何年も追った」
黒田は淡々と話していたが、その年月が決して軽いものではなかったことは蓮にも分かった。
「そうしているうちに、一人見つけた」
「誰を?」
「生還者だ」
蓮の目が僅かに開く。
「黒田さん以外の?」
「ああ。俺とは別のゲームを生き残った人間だった」
「別のゲーム……」
その言葉に寒気がした。
頭では分かっていた。
自分たちが参加したゲームだけではない。
父親も過去に関わっていた。
黒田も以前に参加している。
莉奈も聡子も、主催側の人間としてゲームへ入れられていた。
それでも。
改めて「別のゲームの生還者」と聞くと、エクストラバレットというものが自分の想像より遥かに長く、何度も繰り返されてきたことを突きつけられる。
「最初は相手も何も話さなかった」
黒田は続けた。
「当然だ。いきなり知らない人間から『エクストラバレットを知っているか』と聞かれたところで、普通なら逃げる」
「どうやって信用してもらったんです?」
「俺も生還者だと証明できる範囲で話した。ゲームの中でしか知り得ないことをな」
「それで?」
「少しずつだ」
黒田は何年もかけたという。
一人と繋がり。
その一人から別の噂を聞き。
さらに別の生還者へ辿り着く。
全員が協力的だったわけではない。
二度と関わりたくないと拒絶した者もいた。
名前を出すなと念を押した者もいた。
逆に、黒田と同じようにエクストラバレットを追っていた人間もいた。
「今は、何人かと繋がっている」
「何人か……」
「ああ」
「全員、エクストラバレットに参加したことがあるんですか?」
「少なくとも俺が直接確認できた連中はな」
蓮の胸がざわついた。
自分たち以外にもいる。
あの恐怖を知っている人間が。
首輪をつけられ。
条件を与えられ。
誰かが死んでいくのを見ながら、それでも生きて帰ってきた人間が。
「じゃあ……その人たちなら、運営について何か知ってるんじゃ」
「断片的にはな」
「ゲームマスターのことも?」
その言葉を口にした瞬間、黒田の目が変わった。
「……そこだ」
「え?」
「神谷。俺もお前に聞きたかった」
黒田が一歩近づく。
「古瀬と神崎について、お前は何を知っている?」
蓮は黙った。
聡子。
莉奈。
二人とも。
同じ言葉を口にした。
ゲームマスター。
「黒田さんは……どこまで?」
「二人が普通の参加者ではなかったことまでは疑っている。今回のゲームを調べ直していて、過去の生還者からも似た役割の人間について話を聞いた」
「似た役割?」
「参加者の中に混ざり、ゲームが停滞した時に流れを動かす人間だ」
蓮は莉奈との会話を思い出した。
参加者側に混ざる。
ゲームの進行が止まりそうになれば動かす。
けれど、すべての条件を知っているわけではない。
他の参加者と同じように首輪をつけられ、条件を与えられる。
そして。
死ぬこともある。
「……合ってます」
蓮が言った。
今度は黒田が黙る。
「莉奈から聞きました」
「神崎から直接?」
「はい」
蓮は、あの時の会話を思い出しながら話し始めた。
莉奈がゲームマスターだったこと。
ゲームマスターは主催側ではあるものの、すべてを知らされているわけではないこと。
他の参加者の端末アルファベットも、個別条件も知らない。
ゲームの進行が止まった時に、参加者側から動かす役割を持っていること。
そして、ゲームマスター自身も本物の首輪をつけられ、本物の個別条件を課されていること。
「莉奈も……死ぬ可能性がある状態で参加してた」
その言葉を口にすると、胸の奥が痛んだ。
黒田は黙って聞いている。
「聡子も、自分がゲームマスターだって言いました」
「古瀬本人が?」
「はい。死ぬ直前に」
蓮は聡子との最後の会話も話した。
聡子がゲームマスターだったこと。
自分たち以外にも、ゲームを経験している参加者が混ざっていると示唆していたこと。
ただし、誰がそうなのかまでは聡子自身も知らなかったこと。
「……だからだったのか」
黒田が小さく呟いた。
「何がです?」
「古瀬の動きだ」
島にいた時。
黒田も聡子に違和感を覚えたことがあったという。
怯えているように見える。
しかし、時折。
ゲームの流れを先回りするような動きを見せる。
その正体までは分からなかった。
「俺は二回目だったが、ゲームマスターなんて役割は知らなかった」
「一回目にはいなかったんですか?」
「分からん」
黒田は首を横に振る。
「いなかったのかもしれない。いたが気づかなかっただけかもしれない。生還者に聞いても、ゲームごとに細かい部分が違う」
「……じゃあ、莉奈たちも」
「神崎や古瀬だけとは限らない」
蓮は息を呑んだ。
「他のゲームにも……ゲームマスターがいる?」
「その可能性は高い」
黒田の言葉が重く残った。
莉奈は特別な一人ではなかった。
聡子も。
運営は何度もゲームを行い、そのたびに必要なら参加者の中へ人間を送り込んでいる。
それが事実なら。
いったい何人いるのか。
「それと」
黒田が言った。
「もう一つ確認したい」
「何ですか?」
「お前の親父だ」
蓮の表情が変わった。
「……親父?」
「神谷智和」
父親の名前を。
黒田が知っていた。
「なんで……」
蓮は黒田を見つめる。
「なんで黒田さんが、親父の名前を知ってるんですか?」
「調べた」
「俺から聞いたことありましたっけ?」
「いや」
黒田ははっきり否定した。
「だから調べたんだ」
蓮の中で警戒心が強くなる。
「どうして?」
「お前が島で言っていただろ。親父から、ゲームに関わるなと言われたことがあると」
蓮は思い出す。
父親の警告。
『ゲームに関わるな』
死ぬ前に言われた、あの言葉。
「一回目を経験している俺には、その言葉が引っかかった」
黒田は続けた。
「エクストラバレットを何も知らない人間が、息子にそんな警告を残すとは思えなかった」
「……それで親父を?」
「ああ」
「何か分かったんですか?」
黒田はすぐには答えなかった。
その沈黙だけで。
蓮は嫌な予感がした。
「神谷」
「はい」
「お前の親父は、エクストラバレットを知っていた」
蓮は何も言えなかった。
「知っていたどころじゃない」
黒田の目が、真っ直ぐ蓮を見る。
「神谷智和は――エクストラバレットの参加者だった可能性が高い」
「…………」
風の音だけが聞こえた。
父親が。
参加者。
蓮は、すぐには受け入れられなかった。
「……証拠は?」
「まだ決定的なものはない」
「だったら――」
「だから、これから確かめる」
黒田が遮った。
「どうやって?」
「さっき話しただろ」
過去の生還者。
黒田が何年もかけて繋がった人間たち。
「その中の一人が、神谷智和という名前を知っている」
蓮の鼓動が大きくなった。
「……親父を?」
「ああ」
「その人は、親父と一緒のゲームだったんですか?」
「そこまではまだ俺から話さない」
「なんでです?」
「本人から聞いた方がいい」
黒田はそう言うと、蓮をしばらく見つめた。
「俺はこれから、その人間に会いに行く」
「今日?」
「ああ」
「……最初から、そのために俺を?」
「お前が来るかどうかは決めていなかった」
黒田は僅かに視線を逸らす。
「エクストラバレットから生きて帰った人間を、もう一度そこへ近づけることになるからな」
その言葉に。
蓮は佳子の顔を思い出した。
『また調べてるの?』
『無茶しないでよ』
佳子は知っていた。
黒田がまだエクストラバレットを追っていることを。
だから心配していたのだ。
「黒田さん」
「何だ」
「佳子には……このことを?」
「全部は話していない」
「なんで?」
黒田は少し黙った。
「巻き込みたくない」
短い言葉だった。
しかし、その声には先ほどまでとは違うものがあった。
「佳子も生還者ですよ」
「だからだ」
「…………」
「一度で十分だ」
黒田は遠くを見る。
「俺は一回目が終わったあと、調べ続けた。その結果が二回目だ」
「調べてたから、また参加させられたって思ってるんですか?」
「断定はできない」
黒田は答える。
「だが偶然だとも思っていない」
蓮は黙った。
「俺がまた巻き込まれた理由が、調査していたからだとすれば」
黒田の声が低くなる。
「知ろうとすること自体が危険だ」
だから佳子には話さない。
だから連れていかない。
蓮には、ようやく黒田の考えが分かった。
「詩織も?」
「ああ。七瀬にも今は話さない方がいい」
「二人には一緒にいてもらう?」
「その方がいい。少なくとも一人にするよりはな」
黒田はそこで一度言葉を切った。
「ただし」
蓮を見る。
「お前は違う」
「俺が?」
「神谷智和の息子だからだ」
父親。
莉奈。
聡子。
ゲームマスター。
過去の生還者。
今まで別々だったものが、少しずつ一つに繋がり始めている。
「神谷」
黒田が尋ねた。
「一緒に来るか?」
蓮はすぐには答えなかった。
父親は言った。
『ゲームに関わるな』
その言葉を守るなら。
ここで断るべきなのだろう。
エクストラバレットは終わった。
二億円も受け取った。
生きて帰ってきた。
詩織もいる。
佳子も。
葵も。
黒田も。
これ以上、関わる必要などない。
それでも。
莉奈はなぜゲームマスターになった。
聡子はなぜ主催側へ入った。
父親はなぜエクストラバレットを知っていた。
そして。
なぜ最後に。
自分へあんな警告を残した。
知らないままにはできなかった。
「……行きます」
黒田の表情は変わらなかった。
「いいのか?」
「はい」
「一度知れば、戻れないかもしれない」
「それでもです」
蓮は黒田を見る。
「親父が何をしてたのか、知りたい」
それだけではない。
自分がなぜあの島へ連れていかれたのか。
莉奈がなぜあそこにいたのか。
エクストラバレットとは何なのか。
今度は。
誰かから与えられた条件に従うためではない。
自分自身の意思で。
その答えを探したかった。
「分かった」
黒田は短く答えた。
そして歩き始める。
「行くぞ」
「どこへ?」
黒田は振り返らなかった。
「生還者に会いに行く」
蓮もその後を追った。
半年前。
神谷蓮は、本人の意思とは関係なくエクストラバレットへ連れていかれた。
首輪をつけられ。
生きるために走り。
仲間を失い。
それでも帰ってきた。
そして半年後。
今度は自分の足で。
蓮は再び。
エクストラバレットへと続く道を歩き始めた。




