第8話 持ち主
《アップグレードデータを検出できません》
草むらに落ちた端末を囲み、六人は画面の文章を見つめていた。短い電子音が鳴るたびに、蓮は何か表示が変わるのではないかと目を凝らしたが、同じ一文が浮かんでいるだけだった。
「……アップグレードって、何?」
詩織が尋ねた。
「分からない。少なくとも、俺の端末にはこんな表示はなかった」
蓮が答えると、佳子も自分の端末を操作した。
「私も。普通に使ってるだけなら、出てこない画面だと思う」
「俺も見たことないな」
白石も画面を確かめていたが、やがて首を振った。
蓮は草むらへ手を伸ばしかけ、途中で止めた。詩織と出会ったときも、彼女のそばに端末が落ちていた。そのときは本人がすぐに目を覚ましたが、今回は持ち主の姿がない。
「触らないの?」
佳子が手元を見た。
「持ち主が近くにいるかもしれない」
そう口にすると、蓮自身も周囲が気になった。端末は電源が入ったままで、草に埋もれている。いつからそこにあったのかは分からないが、持ち主が遠くへ行ったとも限らなかった。
「……近くにいるのかな」
詩織が森へ目を向けた。
「いるなら出てきてほしいけどな」
白石はそう言うと、木々に向かって声を張った。
「おーい! これ、誰かの端末かー!」
「馬鹿。大声を出すな」
高橋が即座に言った。
「でも、持ち主を探すなら呼んだ方が早いだろ」
「お前が会いたい相手だけが来るとは限らない」
白石は言い返しかけたが、森を見て口を閉じた。声に応じる者はなく、葉の擦れる音だけが聞こえていた。
少し離れた場所で地面を見ていた黒田が、草むらの端にしゃがみ込んだ。
「足跡がある」
蓮が近づくと、黒田は倒れた草の先を示した。柔らかい土に靴底の跡が残っている。見える範囲では、一種類の靴跡が続いていた。
「こっちから来てる」
黒田の視線が地面をたどり、端末のそばを通って森へ向かった。
「ここを通って、向こうへ行ったらしい」
「じゃあ、端末を落として、そのまま森に入ったってこと?」
詩織の問いに、高橋が足跡を見ながら答えた。
「そういう可能性はある」
「でも普通、落としたら気づかない?」
佳子が眉を寄せた。
蓮も同じことを考えていた。端末がなければ地図も読めず、自分の条件を確かめることもできない。詩織が壊してしまったときとは違い、すでに使っていた人間なら、その重要さは分かっているはずだった。
「……捨てたとか?」
白石が言った。
「何のために?」
「知らねえよ。邪魔だったとか」
「こんな大事なものを?」
「じゃあ、落としたんだろ」
「だから、落としたら気づくんじゃないかって」
「俺に聞かれても分かんないって」
「静かにしろ」
黒田の一言で、白石と佳子は口を閉じた。
蓮は端末へ視線を戻した。拾いに戻るつもりなら、もっと分かりやすい場所へ置くだろう。落としたのだとしても、なぜこの画面が出たままになっているのかが気にかかった。
「これ、どうやって表示したんだろうな」
蓮は自分の端末を開いた。
【プレイヤー】
【クリア条件】
【ゲームルール】
【地図】
【端末アルファベット】
最初からある五つの項目が並んでいた。少なくとも、この中にアップグレードという項目はない。
「何か特別な操作をしたのかもしれない」
高橋が言った。
「隠し機能みたいな?」
白石が続ける。
「ゲームでよくあるやつ」
「普通のゲームと一緒にするな」
「例えだよ」
蓮は二人の声を聞きながら、足跡の続く森を見た。持ち主なら、この表示について何か知っているかもしれない。端末を落としたことに気づいていないのなら、知らせることもできる。
「足跡を追ってみよう」
詩織が顔を上げた。
「……危なくない?」
「危険はあると思う」
蓮は森から目を離さずに答えた。
「でも、持ち主なら何か分かるかもしれない。見失ったら、無理には追わない」
「全員で行く?」
佳子が尋ねると、高橋が首を振った。
「何人かは残った方がいい。持ち主が戻ってくる可能性もある」
「そうだな」
蓮が頷くと、白石がすぐに手を上げた。
「じゃあ俺、探す方!」
「遠足じゃないんだぞ」
「分かってるって」
「俺も行く」
黒田が言った。蓮は彼の足元へ目を向けた。ここまで足跡を見つけ、その向きを確かめている。自分たちだけで追うよりは、黒田がいた方が見つけられる可能性は高そうだった。
「じゃあ、俺と黒田と白石で――」
「待って。私も行く」
佳子が口を挟んだ。
「四人もいらないだろ」
「だったら、白石が残れば?」
「何で俺?」
「声、大きいから」
「気をつけるって!」
佳子は白石の抗議を聞きながらも、蓮を見ていた。
「私も確かめたい」
「何を?」
「端末も、持ち主も。ここで待ってるより、自分で見たいの」
蓮は少し黙った。佳子は死体を前にしたときも、怖いからこそ知りたいと言っていた。その気持ちは分かったが、それだけで彼女のことを理解できた気にはなれなかった。
「……分かった。俺と佳子と黒田で行く」
「えー……」
白石が不満そうな声を漏らした。高橋はそちらを見ず、蓮に言った。
「三十分で戻れ。それ以上は深追いするな」
「心配してんのか?」
「待つ側にも都合がある」
「分かった。三十分だな」
蓮が答えると、白石が高橋の横顔を見て笑った。
「素直じゃないねえ」
「黙れ」
*
先頭を黒田が歩き、その後ろに蓮、最後に佳子が続いた。
木々の間へ入ると、広場はすぐに見えなくなった。湿った土にはところどころ靴跡が残り、黒田は何度も足を止めて地面を確かめた。見失ったように思えても、少し周囲を調べると、再び進む方向を示した。
「こっちだ」
「よく分かるね」
佳子が足元を見た。
「私には、全部同じ地面に見えるけど」
黒田は返事をせず、草の倒れた場所をまたいだ。
「……無視された」
「今は気にするな」
蓮が言うと、佳子は小声で返した。
「蓮も、結構そういうところあるよね」
「そうか?」
「自覚ないんだ」
蓮は返事をせず、前方へ意識を戻した。
話しながらも、周囲の音には気を配っていた。足跡の主がこちらの声を聞いている可能性もある。相手がどんな人間か分からない以上、木々の陰や茂みの向こうを、確かめずに通り過ぎる気にはなれなかった。
しばらく進んだところで、黒田が足を止めた。
「ここから分からない」
蓮も横へ出て地面を見た。それまでの湿った土が途切れ、硬い地面が露出していた。落ち葉も少なく、靴が通った跡を蓮には見つけられなかった。
「どうする?」
佳子が周囲を見回した。
左右には同じような木々が並び、人影もない。蓮は端末で時刻と現在地を確かめた。ここから当てもなく歩けば、三十分という約束を越えてしまうかもしれなかった。
「少しだけ周りを見て、何もなければ――」
「待って」
佳子が声を潜めた。
「今、何か光った」
指差した先へ目を向けたが、蓮にはすぐに見つけられなかった。
「どこだ?」
「あっち。地面の近く」
佳子が数歩進み、草の根元にしゃがんだ。蓮も近づくと、土の上に小さな透明の破片が落ちていた。葉の隙間から差す光を反射していたらしい。
「ガラスか?」
拾い上げ、縁を慎重に確かめる。黒田が横から覗き込んだ。
「プラスチックだな」
「何か壊したのかな」
佳子は周囲を探し、少し先にも同じような破片を見つけた。
蓮は二つを見比べた。材質も厚みも似ていた。足跡の主が落としたものとは限らないが、ほかに進む方向を判断する手掛かりはなかった。
「もう少し見てみるか」
三人は地面を確かめながら進んだ。破片は途切れ途切れに落ちており、そのたびに立ち止まっては、次の欠片を探した。何かを壊したあとに運んだのか、歩く途中で欠け落ちたのか。周囲には、その元になりそうなものは見当たらなかった。
二十メートルほど進んだところで、黒田が片手を上げた。
「止まれ」
蓮はすぐに足を止めた。黒田の視線を追うと、木々の向こうに人影があった。
一人だった。こちらへ背を向け、立っている。
佳子も気づいたらしく、蓮の横で動きを止めた。
「……誰かいる」
蓮は相手の姿がよく見えるところまで、ゆっくりと進んだ。
「おい」
人影の肩が動いた。振り返ったのは女だった。
三人を見た瞬間、女の表情が強張った。
「来ないで」
鋭い声に、蓮は足を止めた。佳子も黒田も、それ以上は近づかなかった。
女の首には、同じような金属の輪があった。
「俺たちも参加者だ。中央広場から来た」
蓮は両手を見える位置に置いた。女の視線が、蓮から佳子、黒田へと移った。返事はなく、身体を少し横へ向けたまま、こちらの動きをうかがっている。
「広場に端末が落ちてた」
その言葉に、女の表情がわずかに動いた。
蓮は続けた。
「あれ、お前のか?」
女は黙った。蓮を見つめたあと、小さく首を振った。
「違う」
「……じゃあ、それは?」
佳子が女の右手へ目を向けた。
蓮もそこで気づいた。女は何かを握っていた。指の隙間から黒い部分が見え、その先に細い金属の端子らしいものがのぞいている。
女はすぐに拳を握り込み、手を身体の陰へ寄せた。
「何でもない」
「何でもないようには見えないけど」
佳子が一歩前へ出た。
「来ないで!」
女の声が強くなり、佳子は足を止めた。
蓮は女の手元から顔へ視線を戻した。隠したものが何なのかは分からない。だが、尋ねられたくないことなのは明らかだった。
黒田は黙ったまま、女と周囲の茂みを交互に見ていた。蓮も、それ以上近づくつもりはなかった。こちらは三人で、相手は一人だ。問い詰めるほど、警戒されるだけかもしれない。
広場の端末に出ていた文章を思い出した。
《アップグレードデータを検出できません》
女が握っていたものと、何か関係があるのだろうか。途中に落ちていた透明な破片も気になったが、今ここで結びつけるだけの根拠はなかった。
「……名前だけでも教えてくれ」
蓮が言うと、女は警戒したまま三人を見比べた。一度だけ背後へ目を向け、それから浅く息を吐いた。
「……水野」
声は硬かった。
「水野葵」
蓮は頷き、自分たちも名前を伝えた。葵は黙って聞いていたが、握った右手を緩めることはなかった。
これで、出会った参加者は七人になった。だが、端末の持ち主を見つけたのかどうかさえ、まだ分からない。
蓮は葵の背後へ目を向けた。森はさらに奥へ続いている。彼女がどこへ行こうとしていたのかも、手の中のものを何に使うつもりなのかも聞けないまま、三人と葵の間には距離が残っていた。
書き溜め放出していきます。




