第7話 6人
「俺、白石悠真」
そう名乗った青年は、人懐っこい笑顔を浮かべたまま、建物の入口に立つ四人を見渡した。
「いやー、よかった。マジで。起きてからずっと知らない森だし、首には変なのついてるし、端末には意味分かんないこと書いてあるしさ。俺、一人だったら泣いてたかも」
「……よく喋るね」
詩織が思わず呟くと、白石は苦笑した。
「緊張すると喋るタイプなんだよ、俺」
「今、緊張してるの?」
「めちゃくちゃしてる」
笑って答える姿からは、そうは見えなかった。だが、蓮は話の途中で何度も首輪へ伸びる手に気づいていた。指先は金属の表面を撫で、離れたかと思うと、また同じ場所へ戻っていく。
口を動かしていないと、不安に耐えられないのかもしれなかった。
「白石。喋りすぎだ」
後ろの男が低く言った。
「名前くらいいいだろ?」
「相手のことを何も知らない」
男は蓮たちから目を離さなかった。手にした端末を身体の近くで持ち、入口の横にいる黒田や、その反対側の佳子にも注意を向けている。
「そっちは?」
蓮が尋ねると、男の視線が止まった。
「名前くらいは教えてもいいだろ」
しばらくの沈黙のあと、ようやく返事があった。
「……高橋健吾」
「神谷蓮だ」
蓮に続いて、詩織と佳子も名前を伝えた。黒田が最後に短く名乗ると、白石は顔を見ながら確かめるように繰り返した。
「蓮、詩織、佳子、黒田……俺と高橋で、六人か」
「参加者は十五人らしいからな。残り九人だ」
「半分近く集まったじゃん」
白石が嬉しそうに言った。その声を、高橋が遮った。
「集まったから何だ」
「え?」
「人数が増えれば、安全になるとは限らない。ルールを読んだだろ」
蓮は黙って高橋を見た。
法律は適用されない。何度も確かめたあの一文を、この二人も気にしているらしかった。
「でもさ、今のルールなら、別に俺たち同士で争う必要なくない?」
白石の言葉に、蓮は頷いた。
「俺もそう思う。首輪を外して、七十二時間生き残る。少なくとも、分かってる範囲じゃ、それがクリアの条件だ」
自分たちの条件が互いにどう関わるのかは、まだ知らない。簡単に全員が助かると言い切ることはできなかったが、最初から敵同士だと決めつける理由もなかった。
「だったら、協力した方がいいじゃん。十五人全員でクリアすりゃいい」
「十億円は、十五人で分けることになるけどね」
佳子が言うと、白石は少し考えた。
「十億を十五人……えーっと……」
「約六千六百六十六万円」
黒田が答えた。
「十分じゃん!」
あまりに迷いのない返事に、詩織が吹き出した。
「そこ?」
「いや、十分だろ。六千万以上だぞ? 俺なら喜んで帰る!」
「帰れたらね」
「急に怖いこと言うなよ」
佳子の言葉に白石が顔をしかめ、詩織がまた小さく笑った。蓮もわずかに肩の力を抜いた。出会ったばかりの人間と、金額の計算をして笑っている。その短い間だけは、首元の重さを意識せずにいられた。
「そう考えない奴もいる」
高橋が言った。
「十五人なら六千六百万。一人なら十億だ」
「高橋……」
「ここにいる全員が、同じ額で満足する保証はない」
白石の笑みが薄れた。
蓮は端末を持つ手に力を込めた。協力した方がいいとは思う。それでも、誰が何を望んでいるのか分からない以上、すべてを明かすことはできなかった。自分のクリア条件も、《H》という端末の文字も、今は伏せておくつもりだった。
*
「ところでさ、ここ、何かあったの?」
白石は建物の中へ目を向け、入口をくぐった。数歩進んだところで、足が止まった。
「……何これ」
壁を見ていた。
『助けて』
『帰りたい』
『誰も信じるな』
『嘘つき』
刻まれた言葉を目で追ううちに、白石の口元から笑みが消えていった。最後に『見られている』の前で立ち止まり、振り返った。
高橋も中へ入り、壁を確かめた。
「誰が書いた」
「分からない。俺たちが来たときには、もうあった」
蓮が答えると、佳子が続けた。
「昔の参加者かもしれないって考えてる」
「昔?」
白石が聞き返した。
蓮は少し迷ってから、入口の外へ目を向けた。ここで言葉を濁しても、広場を調べれば、いずれ二人も気づくだろう。
「見てもらった方が早い。外にある」
「何が?」
「……来れば分かる」
*
建物の裏へ回ると、白石は足を止めた。
「……嘘だろ」
少し離れた場所に立ったまま、それ以上近づこうとしなかった。高橋も黙っていた。先ほどまでの険しい表情とは違う、戸惑いがその顔に浮かんでいた。
蓮は二人の様子を見ながら、袖を鼻へ押し当てた。何度戻ってきても、臭いに身体が慣れることはなかった。
「これ……全員、死んでんの?」
白石は一歩進みかけ、すぐに止まった。
「ああ。俺たちは、過去にこのゲームへ参加した人間じゃないかと考えてる」
「過去って……これ、初めてじゃないってこと?」
「その可能性は高いと思う」
「根拠は?」
高橋が尋ねた。
「腐敗の進み方が違う。同じ時期に死んだようには見えない。それに、俺たちと似た首輪をつけてる」
蓮が示すと、高橋は死体へ近づいていった。
「おい、行くの?」
「確認する」
白石の声にも足を止めず、高橋は手前の死体の前へしゃがみ込んだ。口元を覆いながら首輪を見て、次に衣服へ目を向ける。
蓮はその後ろ姿を見ていた。疑い深い男ではあるが、人の説明を否定するだけではなく、自分でも確かめようとするらしかった。
「端末は?」
高橋が振り返った。
「破片なら見つけた」
「どこだ」
蓮は先ほど戻した場所を指した。
「あの袖のところだ」
高橋は破片を拾い、自分の端末と見比べた。表裏を確かめ、しばらく黙ってから言った。
「……確かに似てるな」
「だろ」
「ほかには?」
「今のところ、それだけだ」
高橋は破片を元の場所へ置いた。
「これだけで断定はできない」
「分かってる。でも、関係がある可能性は高いと思う」
高橋は否定せず、もう一度、首輪の残った死体を見た。
「ちょっと待って」
白石の声で、蓮は振り返った。
詩織がバッグから取り出した端末を、白石が見ていた。手持ち無沙汰に様子を確かめていたらしい詩織は、その声に顔を上げた。
「それ、壊れてんじゃん」
「あ……うん」
「どうしたの?」
「踏んだ」
「誰が?」
「私」
「自分で?」
「わざとじゃない!」
詩織はむっとした顔をしたが、すぐに視線を落とした。
「起きたとき、蓮が目の前にいて……怖くて逃げようとしたら、踏んじゃったの」
「また俺が悪いみたいに言うな」
「だって、びっくりしたんだもん」
二人の顔を交互に見て、白石がわずかに笑った。
「なんだ、意外と仲いいじゃん」
「よくない」
「よくない!」
声が重なり、佳子が口元を緩めた。だが、高橋は詩織の端末を見つめたままだった。
「ルールは読めたのか」
「蓮に見せてもらった」
「自分のクリア条件は?」
詩織が黙った。高橋はその反応を見て、眉を寄せた。
「……確認する前に壊したのか」
「何も見てない」
「まずいな」
「それ、黒田にも言われた……」
詩織が肩を落とした。
「いや、でも、直せるかもしれないだろ?」
白石が口を挟むと、高橋が顔を向けた。
「どうやって」
「そこは、これから考える」
「何の当てもないんだな」
「今はないけどさ。まだ何も調べてないだろ」
白石はそう返し、詩織の手元を覗いた。ただ、画面の亀裂を見て、すぐには次の言葉が出てこなかった。
蓮も壊れた端末へ目を向けた。今分かっているのは、《A》という文字だけだった。それが何かの役に立つとしても、詩織に断りなく他人へ伝えるつもりはなかった。
*
六人は死体のある裏手を離れ、広場へ戻った。風の通る場所まで出ると、ようやく息を深く吸うことができた。
「これからどうする?」
佳子が尋ねると、白石が答えた。
「ほかの参加者を探した方がいいと思う。人数が多ければ、できることも増えるし」
「危険も増える」
高橋が返した。
「またそれかよ。じゃあ、ずっと六人でいるの?」
「六人でいるとも言ってない」
「面倒くせえな、お前」
「お前が考えなさすぎる」
白石はため息をつき、反論を諦めたように手を振った。
二人のやり取りを聞きながら、蓮は端末の地図を開いた。中央広場の周囲には、まだ調べていない建物がある。ほかの参加者を探すにしても、島について調べるにしても、行ける場所はいくつもあった。
ただ、歩き続ける前に、済ませなければならないことがあった。
「……水と食料だな」
「え?」
佳子が画面から顔を上げた。
「俺たち、まだ何も確保してない」
全員が黙った。白石が腹に手を当てた。
「言われたら、腹減ってきた」
「私は喉が渇いた」
佳子の言葉で、蓮も口の中の乾きに気づいた。目を覚ましてから森を歩き、広場を調べている間、飲み物のことまで考える余裕がなかった。
「七十二時間なら三日だ。ゲームのことを調べるにしても、水は必要だろ」
「賛成」
佳子が頷いた。高橋も反対はしなかった。
黒田が蓮の端末を指した。
「ほかにも建物がある」
蓮は表示を動かし、広場から少し離れた一角を確かめた。いくつかの建物が記され、その中には比較的大きなものもあった。
「ここ、何の建物?」
詩織が横から覗き込んだ。
「名前は出てない」
分かるのは位置と形だけだった。水や食料がある保証はないが、このまま広場で話し続けるよりは、確かめに行く方がよさそうだった。
「行ってみる?」
佳子に聞かれ、蓮は頷いた。
「行こう」
そのとき、短い電子音が聞こえた。
全員の動きが止まった。詩織が首元へ手を伸ばしかけ、蓮も反射的に自分の端末を見た。
もう一度、音がした。
「……俺じゃない」
白石が画面を確かめながら言った。
「私も違う」
佳子も端末を持ち上げた。高橋と黒田の手元にも、変化はない。蓮の画面には、先ほど開いた地図が表示されたままだった。
三度目の音がして、蓮は広場の端へ顔を向けた。
「あっちだ」
六人は音を頼りに歩いた。草が伸びた一角へ近づくと、また同じ音が聞こえた。
「この辺……」
佳子が身をかがめ、草をかき分けた。その下に黒いものが見えた。
「あった」
白石が近づこうとしたが、高橋が腕を出して止めた。
「待て」
「タブレットじゃないの?」
「まだ触るな」
蓮もすぐには手を伸ばさず、周囲の草を慎重に退けた。
落ちていたのは、やはり黒い端末だった。大きさも形も、自分たちが持っているものによく似ている。画面は点灯していたが、見慣れたメニューは表示されていなかった。
「誰の……?」
詩織が呟いた。
画面の中央には、一つの文章だけが浮かんでいた。
《アップグレードデータを検出できません》
「……アップグレード?」
佳子が読み上げた。蓮は自分の端末と、草の中の端末を見比べた。
その言葉どおりなら、端末には何かを追加したり、機能を変えたりする仕組みがあるのかもしれない。だが、何を使い、どうすればいいのかは分からなかった。そもそも、目の前の端末だけに出ている表示なのか、自分たちのものにも関係があるのかさえ、確かめられていなかった。
「誰かが置いていったのかな」
詩織が周囲を見回した。
蓮も顔を上げた。近くに持ち主らしい人影はなく、広場の向こうには静かな森が続いていた。
動いている端末を、そのまま置いていく理由があるのだろうか。落としただけなのかもしれない。それとも、取りに戻れなくなったのか。
短い電子音が再び鳴り、蓮は視線を戻した。
《アップグレードデータを検出できません》
表示は変わらなかった。水と食料を探しに行くつもりが、六人ともその場に留まり、草の中の画面を見つめていた。
蓮は手元の端末を持ち直した。地図やルールを読むための道具だと思っていたものに、まだ知らない使い方があるのかもしれない。その可能性を前にしても、今は、落ちている一台を拾っていいのかどうかさえ決められずにいた。




