第6話 信用
蓮は黒田から受け取ったパーツを、指先でつまみ直した。
親指の先ほどの、薄い黒い板だった。表には白い《G》の文字があり、一見すると何かを区別するための札に思える。だが、裏返して光へかざすと、端に細い金属の接点らしきものが並んでいた。
「……端末アルファベットと関係あるんじゃない?」
佳子が隣から覗き込んだ。
「可能性はあるな」
蓮は、詩織の壊れた端末に一瞬だけ浮かんだ《A》を思い出した。自分の端末に割り振られた文字も、すでに確かめてある。
《H》だった。
端末にはAからOまでの文字が割り振られているらしく、十五人という参加者の数とも一致していた。単なる識別記号なら、それで説明はつく。だが、手の中のパーツが何なのかは分からない。端末から外れた部品なのか、それとも、これ自体に別の用途があるのか。
蓮は接点らしい部分に目を凝らしてから、黒田へ顔を向けた。
「これ、どこに落ちてた?」
「森に入ってすぐだ」
「足跡の近くか?」
「ああ。追っていった途中にあった」
「その先は?」
「追ってない」
蓮は眉をひそめた。
「さっき、追ったって言っただろ」
「森の入口までだ」
「……本当か?」
黒田の視線が、まっすぐに蓮へ向いた。
「疑ってるのか?」
「確認してるだけだ」
「同じだろ」
蓮は言い返しかけ、口を閉じた。黒田の説明に、明確な矛盾があったわけではない。ただ、この男がどこまで行き、何を見てきたのか、本人の言葉以外に確かめる方法がなかった。
「ちょっと……」
詩織が不安そうに二人を見比べた。佳子は口を挟まず、やり取りを見ていた。
先に視線を外したのは黒田だった。
「好きに考えろ」
それだけ言って壁際へ移動する。蓮も追及せず、パーツへ目を戻した。
信用できないのは、黒田だけではなかった。佳子も詩織も、出会ってから数時間しか経っていない。言葉や態度から推し量ることはできても、それぞれが何を考え、何を話さずにいるのかまでは分からなかった。
自分も父親のことを黙っている。端末の文字が《H》であることも、誰にも伝えていない。相手が同じように何かを伏せていたとして、それだけで責められる立場ではなかった。
「ねえ」
詩織が、ためらいがちに口を開いた。
「一回、分かってることを整理しない?」
「分かってること?」
「うん。私、自分の端末が使えないから……正直、みんなより何も分かってない」
詩織はバッグから壊れた端末を取り出した。画面には大きな亀裂が走り、何も映っていなかった。
「……使えない?」
佳子が聞き返し、手元を見た。その表情が変わった。
「ちょっと待って。それ、端末?」
「うん……」
「見せてもらっていい?」
差し出された端末を受け取り、佳子は画面を確かめた。側面のボタンを押しても反応はなく、角度を変えると、蜘蛛の巣のように広がった亀裂だけが光った。
「完全に壊れてるじゃない」
壁際にいた黒田も、こちらへ目を向けた。
「どうした」
「えっと……目が覚めたとき、蓮が目の前にいて……」
「俺のせいみたいに言うな」
「だって怖かったんだもん。逃げようとしたときに、踏んじゃったの」
詩織は気まずそうに目を伏せた。
「これが何なのかも、まだ知らなくて……」
佳子は壊れた画面を見下ろしたまま尋ねた。
「ルールを見る前?」
「うん」
「自分のクリア条件も?」
詩織は小さく首を横に振った。
「何も見てない」
佳子が黙った。その沈黙に、詩織の顔がさらに強張った。
「まずいな」
黒田が低く言った。
「やっぱり……まずい?」
「条件が分からなければ、首輪を外すために何をすればいいのかも分からない」
詩織の手が首元へ伸びた。金属に触れたところで止まり、指先だけが輪の表面をなぞった。
「ちょっと。そんな言い方しなくてもいいでしょ」
佳子が黒田を見た。
「事実だ」
「そうだけど……」
佳子は息を吐き、詩織へ端末を返した。
「まだ、何か方法があるかもしれない」
「本当?」
「分からない。でも、これを用意した人間がいるんでしょ。修理できる場所とか、壊れたときの対処法とか、何か残っている可能性はあると思う」
「……うん」
詩織は両手で端末を受け取り、胸元へ引き寄せた。安心できたわけではないのだろう。俯いたまま、亀裂の走った画面を親指でそっと拭った。
「捨てるなよ」
黒田の言葉に、三人が顔を向けた。
「壊れていても端末は端末だ。あとで必要になるかもしれない」
「……分かった」
詩織は頷き、端末をバッグへしまった。
蓮はその様子を黙って見ていた。画面が使えないだけなら、自分のものを見せることはできる。だが、彼女個人の条件までは分からない。もし端末ごとの文字にも何か意味があるなら、故障によって失ったものは、地図やルールを読む手段だけではないのかもしれなかった。
「じゃあ、全員が知ってる情報から確認しようか」
佳子が言った。
「それなら、詩織にも共有できるな」
蓮が応じると、黒田も反対はしなかった。
「参加者は十五人で、制限時間は七十二時間」
詩織が、これまでに聞いたことを確かめるように口にした。佳子がその先を続けた。
「賞金は十億円。クリアした人が複数いれば、その人たちで分配する」
「首輪がない状態で、七十二時間生き残ればクリアだ」
蓮が付け加えると、詩織は首元から手を離した。
「それと、ルールを破ったら首輪が作動するんだよね。条件を満たさずに端末を読み込ませたら、爆発する……」
「法律は適用されない」
黒田が言った。
誰もすぐには言葉を継がなかった。その一文だけは、何度聞いても引っかかった。ほかの説明のように、何をすればどうなるのかが明示されていない。その曖昧さが、不安を大きくしていた。
「それって……何をしても捕まらないってこと?」
詩織が尋ねた。
「そういう意味にも取れるね」
佳子は答え、少し眉を寄せた。
「でも、だからって何をしてもいいわけじゃないでしょ」
「十五人全員が、そう考えるとは限らない」
黒田の返事に、佳子が口を閉じた。
「賞金は十億だ」
蓮も黙って聞いていた。
今のところ、参加者同士で争わなければならない理由は見つかっていない。それぞれが条件を達成し、首輪を外せるのなら、協力する方がいいはずだった。
だが、賞金は分配される。大金を前にしても全員が同じように考えるという保証は、どこにもなかった。
「クリア条件は、簡単に話さない方がいい」
黒田が続けた。
「俺も同意見だ」
蓮が言うと、詩織は二人を見比べた。
「でも、協力した方がいい条件もあるんじゃない?」
「あるかもしれない。そのときは、必要だと思った相手に話せばいい。最初から全員に教える必要はないだろ」
「……そっか」
「端末のアルファベットも、同じね」
佳子が手元の端末へ目を落とした。
「何に使われるのか分からないうちは、むやみに教えない方がいいと思う」
蓮は頷くだけに留めた。佳子も黒田も、自分の文字は明かしていなかった。詩織の《A》だけは、壊れた画面に浮かんだところを蓮が見ている。それを今、口にするつもりはなかった。
「じゃあ、そのGは?」
詩織が、蓮の持つパーツを見た。
「誰かの端末の文字なのかな」
「分からない。端末と関係あるのかどうかも、まだ確かじゃないしな」
裏側の接点をもう一度確かめてから、蓮は黒田へ差し出した。
「持っておけ。お前が見つけたものだ」
黒田はすぐには受け取らなかった。
「お前が調べなくていいのか?」
「今見ても分からない。だったら、拾った本人が持ってた方がいい」
少しの間を置いて、黒田が手を伸ばした。表と裏を確かめ、パーツをポケットへしまう。
「……分かった」
「なくすなよ」
「言われるまでもない」
佳子が小さく笑った。
「信用してないのに、そこは返すんだ」
「信用してないからって、何でも自分で持つ必要はないだろ」
「そういうところ、蓮らしいね」
「会って数時間で、何が分かるんだよ」
「何となく」
「便利だな、その言葉」
「便利だよ」
佳子が笑い、詩織の口元もわずかに緩んだ。蓮は呆れて息を吐いたが、先ほどまで詩織の肩に入っていた力が抜けたのを見て、それ以上は言わなかった。
そのとき、壁際にいた黒田が顔を上げた。
「静かにしろ」
大きな声ではなかった。それでも、その響きに三人は口を閉じた。
「何?」
佳子が尋ねると、黒田は入口を見たまま答えた。
「……足音だ」
蓮も耳を澄ませた。風に揺れる葉の音が聞こえる。その合間に、地面を踏む音が混じった。少し間を置き、また聞こえた。
「誰か……来る?」
詩織の声が小さくなった。
蓮は入口へ近づき、外を確かめた。広場にはまだ人影がなかったが、森の方から聞こえる音は、徐々にはっきりしてきていた。
「一人じゃない。二人いる」
「分かるのか?」
「歩く間隔が違う」
黒田は短く答え、入口の横へ移動した。佳子も反対側へ回り、木々の間をうかがった。先ほどの笑みは、もう消えていた。
「隠れる?」
詩織が小声で聞いた。
「いや。向こうも参加者なら、いずれ会う」
「参加者じゃなかったら?」
蓮は答えられなかった。
この島にいるのが、本当に参加者十五人だけなのかさえ、確かめられていない。壁に刻まれた『見られている』という言葉を思い出し、窓の外にも目を走らせた。
「詩織、俺の後ろにいろ」
「……うん」
詩織が近づいてきたのを確かめ、蓮は森へ視線を戻した。
やがて足音が止まった。
相手の姿はまだ見えなかった。こちらに気づいたのかもしれない。誰も動かずに待っていると、突然、森から声が響いた。
「おーい!」
詩織が驚いたように顔を上げた。
「誰かいるんだろー?」
若い男の声だった。遠くの知り合いを呼ぶような、妙に明るい響きがあった。
蓮は答えず、声のした方を見つめた。ほどなく木々の間から青年が現れ、建物の入口に立つ蓮たちを見つけた。
「あ、やっぱりいた!」
青年の顔が、ぱっと明るくなった。首には金属製の輪があり、手には黒い端末を持っている。見える範囲では、蓮たちと同じ参加者に思えた。
少し遅れて、もう一人の男が姿を現した。こちらは表情が硬く、広場や建物へ絶えず視線を動かしながら歩いていた。男の首にも輪があり、手には端末があった。
「よかったー。マジで誰にも会わないかと思った」
青年は安心したように息を吐き、そのまま近づこうとした。だが、後ろの男に肩を掴まれ、足を止めた。
「近づくな」
「え?」
「まだ信用できない」
男は蓮たちを一人ずつ見た。蓮も相手から目を離さなかった。向こうが警戒しているからといって、こちらまで安心できるわけではない。
青年は肩を掴む手と、建物の入口に立つ四人を見比べた。それから、困ったように笑った。
「いやいや、そんな怖い顔すんなって」
端末を持ったまま両手を軽く上げ、その場に留まった。
「俺、白石悠真。そっちも、ここで目が覚めたの?」
人懐っこい笑顔だった。張りつめたこちらの様子にも気づいているはずなのに、その声には、誰かに会えたことへの安堵が滲んでいた。
隣の男は笑わず、白石の肩から手を離したあとも、蓮たちを見据えていた。
蓮はすぐには距離を詰めず、入口に立ったまま頷いた。
これで六人だった。ようやく出会えた相手を前にしても、喜ぶより先に、その手元や表情を確かめている自分がいた。




