第5話 残された痕跡
「じゃあ、どうする?」
佳子に尋ねられ、蓮は中央広場を見渡した。建物の裏には死体が積まれ、その近くには森へ続く足跡が残っている。周囲に点在する古びた建物も、まだほとんど調べていなかった。
気になるものは多いが、四人で同じ場所を見て回っていては時間がかかる。
「手分けしよう」
蓮はそう言い、顔色の悪い詩織へ目を向けた。
「詩織は、無理に死体の方へ来なくていい」
「……助かる」
心底ほっとした声だった。先ほどの様子を思えば、もう一度あの場所へ連れていく気にはなれなかった。
「じゃあ、私と建物を見てこようか」
佳子が詩織に声をかけた。
「一人で動くのも危ないし」
「……ありがとう」
「いいよ。私も、あれをずっと見ていたくないから」
佳子は建物の裏へちらりと視線を向けた。口元には笑みを浮かべていたが、すぐに顔を戻した。
「黒田は?」
「足跡を見る」
黒田は森の方を見たまま答えた。
「森には入るなよ」
「指図される理由はない」
「だったら好きにしろ。ただ、勝手に消えるな」
そこで黒田が蓮を見た。
「お前は俺の保護者か?」
「違うから言ってんだよ」
黒田の口元がかすかに動いた。笑ったようにも見えたが、確かめる前にいつもの無表情へ戻っていた。
「一時間後、ここに戻る」
蓮は一度、端末で時刻を確かめてから頷いた。
「それでいい」
黒田は足跡の残る場所へ向かい、佳子と詩織は広場の端にある建物へ歩き出した。蓮は二人の後ろ姿を見送ってから、再び死体のある裏手へ回った。
*
「……何度見ても慣れないな」
袖で鼻と口を覆い、蓮は死体の前にしゃがみ込んだ。
戻ってきた途端、臭いが喉の奥まで入り込んできた。しばらく離れていたせいか、先ほどよりも強く感じられる。蓮は込み上げる吐き気をこらえ、呼吸を整えてから手元へ目を落とした。
この人たちは、本当に過去の参加者だったのだろうか。似た首輪をつけていることだけでも、その可能性は高いように思えたが、ほかにも確かめられるものが欲しかった。
衣服や所持品、見える範囲の傷を、少しずつ調べていく。身体を動かさなければ分からない場所も多く、すべてを確かめることはできなかった。それでも、手前から順に見ていくうち、ある死体の首元で視線が止まった。
「……首輪がない?」
周囲には金属の輪を残した者が何人もいるのに、その死体の首には何もついていなかった。見える範囲には、無理やり引きちぎったような大きな傷もない。
「外したのか……?」
蓮は自分の首輪に触れた。
以前も同じルールだったとは限らない。だが、もし解除条件を満たして外せたのなら、この人物は一度、首輪から解放されたことになる。それなのに、ほかの死体とともにここへ積まれていた。
解除したあとに死んだのか、それとも死後に誰かが外したのか。そもそも、最初からついていなかった可能性もある。首輪がないという事実だけで、どれか一つに決めることはできなかった。
それでも、外せさえすれば安心できるのだと、簡単には考えられなくなった。
次の死体へ目を移したとき、汚れた袖の隙間から黒いものがのぞいているのに気づいた。蓮は慎重につまみ、引き出した。
薄いプラスチックの破片だった。表面は割れ、泥で汚れていたが、その形には見覚えがあった。
「……端末か?」
詩織が壊してしまったものと、よく似ていた。蓮は手の中の破片と、自分の端末を見比べた。
同じものだと断定はできない。それでも、この人物も自分たちと似た端末を持っていたのなら、過去の参加者だったという考えを裏付ける手掛かりになる。
破片を裏返すと、細かな傷と泥に覆われた隅に、何かが刻まれていた。指で汚れを拭い、光の当たる方へ傾ける。
「……アルファベット?」
文字らしい線は見えたが、その先が欠けていた。角度を変えても、何と書いてあったのかは読み取れなかった。
「くそ……」
近くの地面にも目を凝らしたが、残りの破片は見つからない。もう少し探そうと姿勢を変えたところで、背後から声がした。
「熱心ね」
蓮は肩を跳ねさせ、振り返った。少し離れた場所に、佳子が立っていた。
「……驚かすなよ」
「ごめん」
佳子は足を止めたが、あまり悪びれた様子はなかった。
「詩織は?」
「建物の入口。ここから戻ればすぐ見えるところにいる」
「一人にするなよ」
「子供じゃないんだから」
「そういう意味じゃない。ここが普通じゃないって、分かっただろ」
蓮が真顔で返すと、佳子の笑みが消えた。
「……そうね」
死体へ目を向け、わずかに顔をしかめる。それでも彼女は引き返さず、蓮の手元が見えるところまで近づいてきた。
「何かあった?」
「これ」
破片を差し出すと、佳子が目を細めた。
「端末?」
「たぶん。袖のところに引っかかってた」
「じゃあ、やっぱりこの人たち……」
「過去の参加者だった可能性は高いと思う」
佳子は破片から死体へ視線を移し、そのまま黙った。風が吹き、重い臭いが二人の間へ流れ込んだ途端、慌てて鼻と口を押さえた。
「……よく調べられるね」
「やりたくてやってるわけじゃない」
「怖くないの?」
蓮は破片を見下ろしたまま、少し間を置いて答えた。
「怖いよ」
佳子が意外そうな顔をしたので、蓮は眉をひそめた。
「何だよ、その顔」
「もっと平気な人なのかと思ってた」
「そんなわけないだろ」
今も、なるべく死体の顔を見ないようにしていた。手元から意識を逸らすと、調べるのをやめて立ち去りたくなる。声や態度に出さずにいるからといって、平気なわけではなかった。
「何も分からない方が怖いんだよ」
何が起きるのか、何をすれば首輪を外せるのか。ここにいる者たちが、なぜ死んだのかも分からない。すべてを知ることはできなくても、避けられる危険が一つくらいはあるかもしれなかった。
佳子は返事をせず、蓮の横顔を見ていた。
「……何だよ」
「別に」
「じゃあ見るな」
「そんなに見てない」
「見てただろ」
佳子が少し笑った。
「何でも一人で平気にやる人かと思ってたから」
蓮は返事をしなかった。佳子も、なぜそう見えたのかまでは話さず、視線を手元の破片へ戻した。
それ以上踏み込んでこないのは、ありがたかった。知り合ったばかりの相手に、今の気持ちを詳しく説明する余裕はなかった。
「そっちは? 何か見つけたのか?」
「だから呼びに来た」
佳子の表情が改まった。
「建物の中に、変なものがある」
「変なもの?」
「来れば分かる」
蓮は少しためらってから、破片を見つけた場所へ戻した。佳子が先に歩き出し、蓮も立ち上がってその後を追った。
*
広場の端にある建物は、近づくといっそう傷みが目立った。壁には亀裂が走り、窓ガラスもほとんど残っていない。
入口で待っていた詩織は、蓮たちを見るなり顔を上げた。
「遅い」
「悪い」
「一人にされると怖いんだけど」
今度は佳子へ向けて言った。
「ごめんって」
佳子は苦笑しながら謝った。蓮は入口から室内をのぞいたが、奥は薄暗く、何があるのかよく見えなかった。
「それで、何があった?」
「……あれ」
詩織が指した方へ、三人で進んだ。足を踏み入れるたびに、床の埃がわずかに舞い上がる。壊れた机と倒れた椅子があり、壁際には中身のない棚が残されていた。
その奥へ目を向け、蓮は足を止めた。
「これは……」
壁に文字が刻まれていた。
硬いものの先で何度も削ったのだろう。深くえぐられた線もあれば、表面をかすっただけのような細い線もある。文字の大きさも揃っておらず、いくつもの言葉が壁を埋めていた。
『助けて』
『帰りたい』
『誰も信じるな』
『嘘つき』
蓮は一つずつ目で追った。乱れて読みづらいものや、途中で途切れたものもあった。何人が、どれほどの時間をかけて残したのかは分からない。ただ、読んでいると、その場で壁を削り続ける誰かの姿が浮かぶようだった。
「これ……昔の参加者が書いたのかな」
詩織が蓮の後ろから言った。
「……たぶんな」
「こっちにもある」
佳子に呼ばれ、別の壁へ近づいた。そこには、ほかよりも大きな文字が深く刻まれていた。
『見られている』
三人とも、しばらく何も言わなかった。
「……何これ」
詩織の声が、静かな室内に落ちた。彼女は文字を見つめたあと、不安そうに振り返った。
「運営にってこと? カメラとかあるのかな」
蓮も天井や壁の隅へ目を向けた。見える範囲には、それらしいものは見つからなかった。
だが、誰かが十五人をこの島へ運び、端末を用意し、首輪を取り付けたのは確かだった。禁止区域へ入れば首輪が作動するという説明もあった。何らかの方法で行動を把握されていると考えても、不思議ではない。
「……趣味悪いね」
佳子が呟いた。
蓮は壁の文字へ視線を戻した。
父親も、こんな場所を知っていたのだろうか。この島に来たことがあったのか、それとも別のところで存在を知ったのか。考えるほど、もう聞くことのできない疑問が増えていった。
「蓮?」
佳子の声で顔を向けた。
「何?」
「急に黙ったから」
「……何でもない」
佳子は少しの間こちらを見ていたが、問い直すことはしなかった。
そのとき、外から足音がした。
三人は同時に入口へ目を向けた。誰かが建物へ近づいてくる。
「……黒田?」
詩織が呼びかけたが、返事はなかった。足音だけが続き、蓮は片手で二人を制して、入口に近い位置へ移動した。
やがて、戸口に男の姿が現れた。
「……何してる」
黒田だった。
詩織が大きく息を吐いた。
「びっくりさせないでよ!」
「勝手に驚いただけだ」
「……この人、ほんと嫌い」
蓮は黒田の背後を確かめてから尋ねた。
「早いな。一時間経ってないだろ」
「ああ」
「何かあったのか?」
黒田は言葉で答える代わりに、握っていた右手を開いた。掌に、小さなものが載っていた。
「……それは?」
佳子が近づいた。泥に汚れており、薄暗い室内では金属片のようにも見えた。
「足跡を追った」
「森には入るなって言っただろ」
「指図される理由はない」
「お前な……」
「入口までだ。そこで見つけた」
差し出されたものを、蓮は受け取った。指で泥を拭うと、金属ではなく、プラスチック製の小さな札だと分かった。
中央に、一文字だけ刻まれていた。
《G》
「……G?」
覗き込んだ詩織が呟いた。
蓮は、彼女の壊れた端末に一瞬だけ浮かんだ文字を思い出した。《A》という白い文字がノイズの中に現れ、すぐに消えたのだった。
「端末アルファベットと、何か関係あるのかな」
佳子が言った。
「可能性はあるな」
蓮は札を裏返し、側面も確かめた。ほかに文字や印は見当たらなかった。
端末に関係する札なのか。それとも、別の何かを区別するためのものなのか。仮に端末の記号だったとしても、誰がいつ落としたのかまでは分からない。
蓮は黒田へ目を向けた。男は説明を加えず、手元の札を見ているだけだった。
見つかった場所が足跡の先だったというだけで、持ち主を決めることはできなかった。今の参加者が落としたのかもしれないし、死体と同じように、以前から残っていたものなのかもしれない。
蓮は明るい入口の方へ札を傾けた。泥を拭った部分に、《G》の文字がはっきりと見えた。それ以上のことは、どれほど眺めても分からなかった。
外には誰かが森へ向かった足跡があり、建物の裏には古い死体が積まれている。手の中の札が、そのどちらに近いものなのかさえ判断できなかった。
顔を上げると、壁に刻まれた文字が再び目に入った。
『見られている』
蓮は窓の向こうへ視線を移した。広場に人影はなかったが、そこから続く森の奥までは見通せなかった。




