第4話 新たな参加者
風が吹くたび、建物の裏手には強烈な腐敗臭が立ち込めた。
「……まだ調べるの?」
少し離れた場所から、詩織が声をかけてきた。顔色は悪く、こちらへ目を向けても、すぐに視線を外してしまう。先ほど吐いたばかりなのだ。無理に近づかせるつもりはなかった。
「ああ。何か残ってるかもしれない」
「何かって……?」
「このゲームの手掛かり」
蓮はそう答え、死体のそばへしゃがみ込んだ。背後で詩織が息を詰める気配がしたが、足音は続いてこなかった。
「無理して来なくていいぞ」
「……行かない。絶対行かない」
「それでいい」
即座に返ってきた言葉に、それ以上は何も言わなかった。
蓮自身、触れずに済むならそうしたかった。息を吸うたびに胃がむかつき、視線を動かすだけで、折り重なった手足が目に入る。それでも、何も知らないままこの島を歩き回るよりは、今ここで調べられることを調べておくべきだと思った。
父親が残した言葉の意味も知りたかった。だが、それ以上に、ここから生きて帰る方法を見つけなければならなかった。
一番手前にある死体は、かなり腐敗が進んでいた。衣服は汚れ、ところどころが破れている。その首元には、金属製の輪が残っていた。
「……やっぱり同じか」
自分の首輪へ触れながら、見える範囲を確かめた。細部まで一致しているかは分からないが、形はよく似ていた。隣の死体にも、その奥に見える首元にも、同じような輪があった。
ほとんど骨が露出しているものもあれば、それより新しく見えるものもある。専門的な知識はなかったが、全員が同じときに死んだようには思えなかった。この島では、以前にも同じようなことが行われていたのではないか。見れば見るほど、その疑いは強くなった。
蓮はためらいながら、手の届く死体の衣服を調べた。ポケットを確かめ、袖口や足元にも目を向ける。身元が分かるものでも、ゲームに関係するものでも、何か一つ残っていないかと思った。
だが、財布もスマートフォンも見つからなかった。身分証らしいものさえない。
「何も持ってない……」
誰かが回収したのか、それとも最初から持ち込めなかったのか。空のポケットだけでは判断できなかった。
もう少し奥を確かめようとしたところで、詩織に呼ばれた。
「蓮」
「何かあった?」
「違う。こっち来て」
声の調子が変わっていた。顔を上げると、詩織は死体ではなく、足元の地面を見ていた。
蓮は立ち上がり、彼女のそばへ向かった。
「どうした?」
「これ」
指差された場所では雑草が途切れ、湿った土が露出していた。そこに、靴底の跡が残っている。
「……足跡?」
「うん。私たちのじゃないよね」
蓮はしゃがみ込み、地面へ目を凝らした。一つだけではなかった。いくつもの跡が、死体のある場所から離れるように続いている。
いつついたものか、正確には分からない。それでも、長く雨風にさらされていた跡には見えなかった。
「これ……古くないよな」
「私もそう思う」
蓮は立ち上がり、足跡の続く先を見た。広場の端から先には、再び深い森が広がっていた。
「誰か、ここに来たんだな」
「ほかの参加者?」
「可能性はある」
「……追うの?」
蓮は首を振った。
「誰のものか分からない」
同じ参加者だからといって、安全な相手とは限らない。端末にあった、法律は適用されないという一文が頭を離れなかった。意味が分からないからこそ、無防備に知らない相手を追うべきではなかった。
「一旦、広場に戻ろう」
「うん」
二人が引き返しかけたとき、森の中で草の擦れる音がした。
蓮は振り返った。詩織も動きを止め、木々の奥を見つめている。枝葉の向こうで、何かが動いた。
蓮は一歩前へ出て、詩織を背後へ下がらせた。
「誰だ」
返事はなかった。蓮は茂みから目を離さず、もう一度呼びかけた。
「いるんだろ。出てこい」
数秒ほど間があったあと、女の声が返ってきた。
「……そっちこそ、誰?」
木々の間から、長い髪の女性が姿を現した。取り乱した様子はなかったが、その視線は蓮の顔から手元へ、続いて背後の詩織へと動いた。こちらを注意深くうかがっているのが分かった。
手には黒い端末があり、首には金属製の輪がはまっていた。
蓮が口を開く前に、その後ろから低い声がした。
「一人じゃない」
もう一人、男が茂みを抜けてきた。ほとんど表情を変えず、蓮たちを見ている。男も端末を持ち、同じような首輪をつけていた。
四人は距離を保ったまま向き合った。相手もこちらへ近づこうとはせず、しばらく誰も口を開かなかった。
先に沈黙を破ったのは、女性だった。
「その首輪……あなたたちも参加者?」
「たぶんな」
「たぶん?」
「目が覚めたらここにいた。それだけだ」
「……私たちも同じ」
蓮は二人の手元を確かめてから尋ねた。
「何て呼べばいい?」
女性は少しためらい、蓮の顔を見た。
「……夢篠佳子」
隣の男にも視線が向いたが、男はすぐには答えなかった。やがて、短く名乗った。
「黒田修司」
「俺は神谷蓮」
蓮が返すと、背後にいた詩織も小さく口を開いた。
「……七瀬詩織」
名前を交わしても、誰も距離を詰めなかった。佳子は詩織の強張った顔を見てから、建物の裏へ視線を向けた。
「……見た?」
蓮が尋ねると、佳子は頷いた。
「見た。吐きそうになったけどね」
隣の黒田は何も言わなかった。その顔からは、死体を見てどう思ったのかも読み取れなかった。
「そっちは、何か分かったか?」
佳子は手にした端末を少し持ち上げた。
「参加者が十五人いることと、七十二時間。それから、賞金十億円と首輪のことくらい」
「俺たちと同じだな」
「最初に見られる情報は、みんな同じなのかもしれないね」
蓮は佳子の端末へ目を向けた。
「ほかには何が出てる?」
佳子の返事が、わずかに遅れた。
「……あなたは?」
問い返されて、蓮は彼女の顔を見た。
おそらく、考えていることは同じだった。どこまで話すべきか、何を話せば不利になるのか。情報を比べたいと思う一方で、そのために自分の手元を明かしていいのか判断できずにいる。
「地図は見た。だから中央広場に来た」
蓮が答えると、佳子はしばらくこちらを見ていたが、それ以上は尋ねなかった。
「私たちも似たようなもの」
「二人は、最初から一緒だったのか?」
「違う」
今度は黒田が答えた。
「途中で会った」
それ以上話すつもりはないらしく、男は口を閉じた。蓮も、続けて問いただすことはしなかった。
詩織がそっと近づき、蓮にだけ聞かせるつもりの声で囁いた。
「……怖い、この人」
黒田の視線が動いた。聞こえていたらしいと気づき、詩織が身体を強張らせた。
「安心しろ」
「え?」
「俺もお前たちを信用していない」
詩織は返す言葉を失った。佳子が二人を見比べ、苦笑した。
「そういう言い方するから怖がられるんじゃない?」
黒田は答えなかった。
少なくとも、二人がすぐに危害を加えてくる様子はなかった。ただ、それだけで安心することもできない。蓮が相手を観察している間にも、向こうは同じように、こちらの言葉や動きを見ているはずだった。
「一つ聞いていい?」
佳子が、端末を持ち直した。
「あなたたち、自分のクリア条件は確認した?」
蓮は彼女を見た。詩織も顔を上げたが、何も言わなかった。
「それを聞いてどうする?」
数秒の間を置いて蓮が返すと、佳子は少し目を細めた。
「……やっぱり、そうなるよね」
「何が?」
「みんな同じ条件なのか、違うのか。それを知りたかっただけ」
「だったら、まず自分のを言えばいい」
佳子は黙った。
蓮も続きを促さなかった。何を確かめたかったにせよ、彼女は自分の条件を明かすつもりはないらしかった。
「……なるほど」
「お互い様ね」
佳子は小さく笑ったが、その目は慎重なままだった。黒田も会話に入ろうとはしなかった。
蓮の隣では、詩織がバッグに手を添えていた。中には壊れた端末が入っている。彼女は自分の条件を確かめることさえできていないが、今この場で、それを二人へ伝える理由はなかった。
「ほかには?」
蓮は話を変えた。
「何か見つけたか?」
「今のところは何も。人を探して、ここに来ただけ」
「あ……」
佳子の返事を聞き、詩織が口を開いた。
「足跡があった」
蓮が隣を見ると、詩織は先ほどの場所を指差した。佳子もそちらへ顔を向けたが、黒田は何も言わずに歩き出した。
「おい」
呼びかけても、黒田は足を止めなかった。土の露出した場所へ行くと、しゃがみ込んで地面を調べ始めた。
しばらくして、低い声がした。
「……俺たちのじゃない」
佳子が近づいた。
「分かるの?」
「方向が違う」
蓮もそばへ行き、黒田の指す場所を見た。
「これは、森から広場へ来た跡じゃない」
「じゃあ?」
「広場から森へ向かってる」
靴先の向きと足跡の並びを示され、蓮はその先へ目を向けた。先ほど自分たちが見たとおり、跡は森の方へ続いていた。
少なくとも、今現れた二人とは別の誰かが、ここにいたらしい。
「ほかの参加者かな」
詩織の問いに、黒田は顔を上げずに答えた。
「分からない」
森の入口には草が茂り、その奥の地面は見えなかった。誰がどこへ向かったのか、追ってもいない自分たちに分かるはずがなかった。
「これからどうする?」
不意に佳子が尋ねた。蓮は足跡から目を離し、彼女を見た。
「俺に聞くな」
「なんとなく。あなたが決めそうだから」
「勝手に決めるな」
「じゃあ、どうする?」
「結局聞くのかよ」
佳子が少し笑った。蓮は息を吐き、広場と周囲の建物を見回した。
ここへ来れば何か分かるかもしれないと思っていた。実際、ほかの参加者とは出会えたが、分からないことはむしろ増えていた。目の前の二人についても、名前と、同じ首輪をつけていることくらいしか知らない。
「まず、この広場をもう少し調べる」
「死体も?」
詩織が顔を引きつらせた。
「あれは俺がやる」
「……お願いします」
返事があまりに早く、佳子が小さく笑った。
「じゃあ、私も手伝う」
蓮は彼女を見た。
「大丈夫なのか?」
「平気とは言ってない」
佳子は建物の裏へ視線を向けた。口元に力が入り、さっきまでの笑みが消えた。それでも、やめるとは言わなかった。
「何も知らないままの方が怖いから」
蓮は返事をしかけて、口を閉じた。自分も、同じことを考えていた。
ふと目が合ったが、佳子は視線を外さなかった。蓮の方から建物へ顔を向けた。
「……好きにしろ」
「そうする」
迷いのない返事を背に、蓮は歩き出した。少し離れた場所では、立ち上がった黒田が二人を見ていた。
協力することになったからといって、信用したわけではなかった。佳子も同じだろう。今は互いに、調べるべきだと考えた場所が一致しているだけだった。
蓮にも、話していないことがあった。
三年前、父親が死の間際に残した言葉。ゲームには関わるなと、手首を掴んでまで言い聞かせた理由。それを佳子や黒田へ打ち明けるつもりはなかった。
詩織にも、まだ話せなかった。
父親が何を知り、このゲームとどんな関係にあったのか、蓮自身にも分かっていない。口にしたところで説明できず、余計な疑いを招くかもしれなかった。確かめられるまでは、自分の中に留めておくしかない。
建物の裏へ戻る手前で、蓮はもう一度、森へ続く足跡を見た。
十五人のうち、ここにいるのは四人だった。残る十一人がどこで何をしているのか、あの足跡を残した者がその中にいるのかも分からない。
風が吹き、再び腐敗臭が流れてきた。隣を歩く佳子が口元を覆った。蓮も袖を鼻へ押し当て、死体のそばにしゃがみ込んだ。
さっきは何も見つからなかった。それでも、ここを離れる前に、もう少し確かめておきたかった。父親の言葉も、この島で起きていることも、今はまだ、何一つつながってはいなかった。




