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エクストラバレット  作者: ほむら
1章 エクストラバレット

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第84話 走れ

警告音が、もう一度鳴った。


 佳子の端末に表示された数字が、また一つ減る。


「行くぞ」


 黒田は短く言った。


 佳子はすぐには動けなかった。


 意識を失った蓮。


 その少し向こうには、葵に傷を押さえられている詩織。


 そしてさらに離れた場所には、もう動かない莉奈がいる。


 ここを離れていいのか。


 そんな迷いが、足を地面へ縫いつけていた。


「佳子」


「……分かってる」


 黒田を見る。


「分かってるけど……」


「だったら行くぞ」


 冷たく聞こえる言葉だった。


 けれど。


 黒田の視線も一度、蓮たちへ向いていた。


 置いていきたいわけではない。


 今はそうするしかない。


 佳子は息を吐いた。


「……葵!」


 呼びかける。


 詩織のそばにいる葵が振り返った。


「蓮と詩織、お願い!」


「分かった!」


「絶対戻ってくるから!」


 葵が頷く。


「早く行って!」


 佳子は唇を噛んだ。


 そして。


 黒田とともに走り出した。


 *


 走り始めてすぐ。


 佳子は自分の身体が思っていた以上に消耗していることに気づいた。


 脚は動く。


 だから走れる。


 そう思っていた。


 だが、走るたびに両手へ痛みが響く。


「っ……!」


 身体が上下する。


 その振動だけで、撃たれた両手が脈打つように痛んだ。


 無意識に手を身体へ寄せようとして。


 それすら痛い。


「佳子!」


「大丈夫!」


 前を走る黒田が振り返る。


「大丈夫だから!」


 言い切って。


 さらに地面を蹴った。


 森の中は走りやすい場所ではない。


 爆発の影響で折れた枝。


 雨を吸って柔らかくなった土。


 露出した木の根。


 少しでも足元を見誤れば転ぶ。


 普段なら手をつけば済む。


 今の佳子には。


 それができない。


「足元見ろ!」


「見てる!」


「転ぶなよ!」


「分かってるって!」


 返事をした直後。


 木の根に足を取られた。


「――っ!」


 身体が前へ傾く。


 手をつけない。


 このまま倒れれば。


 顔から地面へ突っ込む。


「佳子!」


 黒田が腕を伸ばした。


 佳子の身体を横から受け止める。


「っ……!」


「大丈夫か!」


「……ごめん」


「謝るな」


 黒田自身も顔を歪めた。


 佳子が気づく。


「黒田さん……?」


「何でもない」


「今、痛そうな顔した」


「してない」


「した」


「気のせいだ」


「嘘」


 黒田は答えなかった。


 ここまで。


 黒田も何度も負傷している。


 莉奈との戦い。


 相馬との銃撃。


 疲労も限界に近い。


 それでも。


 黒田は佳子より先に立ち上がった。


「行くぞ」


「……うん」


 また走る。


 時間は待ってくれない。


 *


「黒田さん」


「何だ」


「端末」


 走りながら佳子が言う。


「あとどれくらい?」


 黒田の動きが僅かに止まりかける。


「知らない方がいい」


「それ、少ない時に言うやつでしょ」


「……」


「見せて」


「走れ」


「黒田さん」


「今は前だけ見ろ」


「……分かった」


 聞かなかった。


 聞くのが怖かった。


 端末は今、黒田が持っている。


 両手を撃たれた佳子には操作できない。


 だから。


 黒田の表情を見るしかなかった。


 そして。


 その表情だけで十分だった。


 時間がない。


 本当に。


 ないのだ。


 佳子は速度を上げた。


 胸が苦しい。


 呼吸が追いつかない。


 それでも走る。


「……間に合わなかったら」


 思わず。


 言葉が漏れた。


 黒田が振り返る。


「何?」


「間に合わなかったら……どうなるのかな」


「考えるな」


「でも」


「考えて何か変わるか?」


「……変わらない」


「なら走れ」


 黒田は前を向いた。


「間に合わなかった時のことは、間に合わなかった時に考える」


「それじゃ遅いでしょ」


「だったら間に合わせるしかないだろ」


 佳子は。


 一瞬だけ黒田を見た。


 こんな時なのに。


 僅かに笑ってしまった。


「黒田さんって、無茶苦茶だね」


「今さらか」


「うん。今さら」


 その笑みは。


 すぐに消えた。


 頭に浮かんだのは。


 詩織。


 蓮。


 そして。


 美月だった。


 自分を逃がすために残った。


 あれから。


 美月には会えていない。


 どこにいるのかも分からない。


「……美月」


 小さく名前が漏れる。


「何?」


「何でもない」


 佳子は前を見る。


 戻らなければ。


 蓮たちのところへ。


 そして。


 美月も探さなければ。


 まだ。


 何も終わっていない。


「死ねない……」


 黒田には聞こえないほど小さく。


 佳子は呟いた。


「まだ、死ねない」


 *


 どれくらい走ったのか。


 時間の感覚がなくなっていた。


「止まれ」


 突然。


 黒田が足を止めた。


「え?」


「分岐だ」


 前方。


 森の中で地形が二つに分かれている。


 黒田が端末を取り出す。


 地図。


 現在地。


 C-01。


「……こっちだ」


 右。


 二人は再び走り出した。


 だが。


 数十メートルも進まないうちに。


「待って!」


 佳子が声を上げた。


「何だ!」


「違う!」


「何が?」


「さっきのところ!」


 佳子が振り返る。


「地図、もう一回見て!」


「こっちで合ってる!」


「でも――」


 佳子は周囲を見る。


 何かがおかしい。


 以前。


 地図を何度も見てきた。


 島を移動してきた。


 地形そのものを覚えているわけではない。


 それでも。


「C-01って、もっと低い方じゃなかった?」


 黒田が端末を見る。


 地図を拡大する。


「……」


「黒田さん?」


「……くそ」


「え?」


「高度差がある」


 直線では近い。


 だが。


 この先は斜面が急になる。


 そのまま進めば。


 大きく回り込むことになる。


「戻るぞ!」


「うん!」


 来た道を引き返す。


 ほんの僅かな判断ミス。


 それだけで。


 何分失った。


 佳子には分からない。


 ただ。


 怖くなった。


「端末!」


「走れ!」


「時間見て!」


「佳子!」


「見て!」


 黒田が走りながら画面を確認する。


 その表情が。


 固まった。


「……黒田さん?」


 答えない。


「あと何分?」


「……」


「言って!」


 黒田が佳子を見る。


 そして。


 残り時間を告げた。


 佳子の呼吸が。


 一瞬止まった。


「……そんな」


「だから走れ!」


 現実に引き戻される。


「間に合わない……」


「間に合わせる!」


「でも!」


「まだゼロじゃない!」


 黒田が怒鳴る。


「ゼロになるまで走れ!」


 佳子は。


 唇を噛んだ。


「……うん!」


 二人は走った。


 *


 息が。


 苦しい。


 肺が焼けているようだった。


 脚も重い。


 身体が走ることを拒否している。


 それでも。


 佳子は止まらなかった。


「はっ……はっ……!」


 黒田も同じだった。


 呼吸が荒い。


 速度も最初より落ちている。


 それでも。


 二人は進む。


「黒田……さん……」


「何だ……」


「先……行って……」


「馬鹿言うな」


「私より……速いでしょ……」


「俺だけ着いてどうする」


「でも……」


「条件忘れたのか」


 黒田が言う。


「お前が俺を連れていくんだろ」


「……」


「一緒じゃなきゃ意味がない」


 佳子は。


 返事をしなかった。


 いや。


 できなかった。


 ただ。


 走った。


 そして。


 突然。


 森が開けた。


「……!」


 黒田が足を止める。


 佳子も遅れて止まった。


 前方。


 木々が途切れている。


 その先に。


 見覚えのある標識。


 佳子の目が大きくなる。


「……C……」


 息を整える余裕もない。


 黒田が端末を見る。


 地図上の現在地。


 目的地。


 二つは。


 ほとんど重なっている。


「C-01……」


 佳子の顔に。


 初めて希望が浮かんだ。


「着いた……?」


「いや」


 黒田の声で。


 その希望が止まる。


「まだだ」


「え?」


 黒田が前を指す。


 境界。


 あと少し。


 数十メートル。


 そこを越えなければ。


 C-01には入らない。


「……嘘」


 佳子が呟く。


 その瞬間。


 端末から。


 警告音が鳴った。


 さっきまでとは違う。


 短く。


 鋭い。


 何度も。


《WARNING》


 黒田が画面を見る。


「走れ!」


 佳子も走り出した。


 残り時間。


 目的地。


 首輪。


 全部が。


 一つの数字へ収束していく。


「佳子!」


「走ってる!」


 十メートル。


 まだ。


 五メートル。


 警告音。


「黒田さん!」


「止まるな!」


 佳子の首輪から。


 今まで聞いたことのない電子音が鳴った。


「――っ!」


 恐怖で。


 脚が止まりそうになる。


「佳子!」


 黒田が叫ぶ。


「前見ろ!」


 佳子は顔を上げた。


 境界は。


 目の前だった。


「行け!」


 黒田と。


 佳子が。


 同時に。


 最後の一歩を踏み出した。

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