第83話 お前も生きるんだ
銃声が止んだ。
ほんの少し前まで、相馬の銃声と黒田の発砲音が絶え間なく響いていた森が、嘘のように静まり返っている。
相馬はもう動かない。
木々の向こう。
地面へ倒れたまま、その身体が起き上がることはなかった。
葵はしばらく相馬を見つめていた。
自分が撃った。
自分の銃弾で。
相馬は死んだ。
銃を握る手が、微かに震えている。
「……葵」
佳子の声で。
葵はようやく顔を上げた。
そこには。
木の根元へ倒れた詩織がいる。
「詩織……」
葵は銃を下ろした。
負傷した右脚を庇いながら、黒田たちの方へ歩き出す。
一歩ごとに痛みが走る。
それでも止まらなかった。
「詩織!」
佳子はすでにそばにいた。
両手を撃たれているため、満足に身体を支えることさえできない。それでも痛みを堪えながら詩織の顔を覗き込み、何度も呼びかけている。
「詩織! 聞こえる!?」
返事はない。
詩織の首元には血が滲んでいる。
そのすぐそば。
泥の上には、壊れた首輪が転がっていた。
「佳子、少し離れて」
追いついた葵が言った。
「え?」
「私が見るから」
佳子が身体をずらす。
葵は詩織のそばへ膝をついた。
呼吸を確かめる。
首元の傷を見る。
近くにあった布を使い、出血している場所を押さえた。
その動きには迷いがなかった。
「……葵」
「息はある」
佳子が息を呑む。
「生きてるの?」
「うん」
葵は詩織の傷を押さえたまま答えた。
「生きてる」
その言葉を聞いて。
佳子の肩から僅かに力が抜けた。
「よかった……」
葵はそれ以上何も言わない。
ただ。
詩織を必要以上に動かさないようにしながら、傷を押さえ続けていた。
その手つきを。
黒田が一瞬だけ見る。
だが。
何も聞かなかった。
今は。
それよりも先にしなければならないことが多すぎる。
「……蓮は?」
佳子が振り返った。
少し離れた場所。
そこには。
莉奈が倒れている。
そして。
そのそばに。
蓮がいた。
*
「……莉奈」
握った手は。
もう握り返してこなかった。
蓮はしばらく。
その場から動くことができなかった。
莉奈の顔には。
最後に見せた微かな笑みが残っている。
「……」
ずっと一緒。
忘れないでね。
最後に交わした言葉が。
何度も。
頭の中で繰り返される。
蓮はゆっくりと莉奈の手を地面へ置いた。
指が離れる。
それだけで。
胸の奥が引き裂かれるようだった。
「……ごめん」
誰に向けた言葉なのか。
自分でも分からなかった。
莉奈なのか。
詩織なのか。
それとも。
今まで死んでいった全員なのか。
蓮は顔を上げた。
少し離れた場所に。
人影が集まっている。
黒田。
佳子。
葵。
そして。
地面へ倒れている詩織。
「……詩織」
蓮の表情が変わった。
莉奈に撃たれた。
首元を。
「詩織……!」
蓮は立ち上がろうとした。
両脚に力を入れる。
だが。
身体が大きく揺れた。
「っ……」
片膝をつく。
頭の奥が鈍く痛む。
視界が滲む。
爆発で飛ばされた時。
何度も地面へ身体を打ちつけた。
頭も。
背中も。
肩も。
どこが痛いのかすら。
もう分からない。
それでも。
蓮は立った。
「……詩織」
一歩。
前へ。
足元が揺れる。
もう一歩。
莉奈の身体から離れていく。
詩織のところへ。
「……蓮?」
佳子が気づいた。
顔を上げる。
「蓮!」
その声に。
葵も振り返った。
蓮が歩いてくる。
いや。
まともに歩けていない。
身体を左右へ揺らしながら。
今にも倒れそうになりながら。
それでも。
詩織へ向かっている。
「詩織……」
「蓮、来ないで」
葵が言った。
蓮は止まらない。
「詩織は……」
「動かない方がいい」
「俺は……大丈夫だ」
「大丈夫じゃない」
葵の声が強くなる。
「爆発に巻き込まれたんでしょ」
「でも……」
蓮がまた一歩踏み出す。
その瞬間。
膝から力が抜けた。
「神谷!」
黒田が動いた。
倒れかけた蓮の身体を横から支える。
「……離して」
「無茶するな!」
「詩織のところに……」
「その身体で行ってどうする!」
「いいから……」
蓮は黒田の腕を振りほどこうとした。
だが。
力が入らない。
むしろ。
黒田に支えられていなければ立っていることさえできなかった。
「蓮」
葵が呼ぶ。
「そこでいいから」
詩織の傷を押さえたまま。
「動かないで」
「……詩織は」
蓮の声が掠れる。
「詩織は……どうなんだ」
葵は。
少しだけ間を置いた。
「生きてる」
蓮の目が動く。
「……ほんとか」
「うん」
「生きてるのか……」
「生きてる」
その言葉を聞いた瞬間。
蓮の身体から。
力が抜けた。
「神谷?」
黒田が支える。
「……よかった」
蓮が呟く。
視界の向こう。
木の根元に横たわる詩織。
僅かに胸が上下している。
生きている。
それだけを。
確認した。
「……よかった……」
「蓮?」
佳子が呼ぶ。
蓮の目から。
急速に光が失われていった。
「おい、神谷!」
黒田の声も。
遠ざかっていく。
「蓮!」
最後に聞こえたのは。
誰の声だったのか。
分からなかった。
蓮の身体が。
黒田の腕の中へ崩れ落ちた。
「神谷!」
反応がない。
「蓮!」
佳子が駆け寄った。
撃たれた両手を庇いながら。
それでも。
蓮のそばへ膝をつく。
「蓮! ねえ!」
「佳子、落ち着け」
「だって!」
「息はしてる」
黒田が蓮を地面へゆっくり横たえる。
「爆発の後から無理しすぎたんだ」
「蓮……」
佳子が顔を覗き込む。
呼びかけても。
蓮は目を開けない。
少し離れた場所では。
葵が詩織の傷を押さえ続けている。
詩織。
蓮。
二人とも倒れている。
莉奈は。
もう動かない。
「……何なのよ……」
佳子の声が震えた。
「もう終わったんじゃないの……?」
相馬は死んだ。
莉奈も死んだ。
戦っている人間は。
もういない。
それなのに。
誰一人。
助かった気がしなかった。
その時。
電子音が鳴った。
佳子が顔を上げる。
「……え?」
もう一度。
短い警告音。
音は。
佳子の端末からだった。
「私の……?」
佳子は撃たれた両手を見る。
自分ではまともに操作できない。
「黒田さん……」
黒田が端末を取り出した。
画面が点灯している。
そこに。
新しい表示。
《GAME TIME》
《WARNING》
減り続ける数字。
黒田の顔から。
表情が消えた。
「……まずい」
「何?」
「時間がない」
「え……」
佳子が画面を見る。
残された時間。
それは。
もう安心していられるほどの長さではなかった。
「待って……」
佳子の声が小さくなる。
「まだ……終わってないの?」
黒田は答えなかった。
代わりに。
佳子の首元を見る。
そこには。
まだ首輪がある。
「佳子」
「……何?」
「お前の首輪」
佳子の手が止まる。
「まだ外れてないな」
「……うん」
「条件は?」
「え?」
「お前のクリア条件だ」
黒田の声が変わった。
「何をすれば外れる」
佳子は一瞬。
言葉を失った。
それから。
自分の首輪へ視線を落とす。
「……2nd STAGEが始まった時に……」
佳子は思い出す。
何度も見た。
自分の条件。
「首輪が外れていた生存者を一人……C-01まで連れていく」
黒田の目が動く。
「生きた状態で?」
「……うん」
数秒。
黒田は何も言わなかった。
そして。
すぐに理解した。
「俺がいる」
佳子が顔を上げる。
「え?」
「俺の首輪は、2nd STAGEが始まる前に外れてる」
「……!」
「条件に当てはまる」
佳子の目が見開かれる。
「黒田さん……」
「C-01は?」
「地図に……」
佳子は端末へ目を向ける。
黒田が操作した。
地図を開く。
現在地。
C-01。
その位置を確認した瞬間。
黒田の顔が険しくなった。
「……遠い」
「間に合う?」
黒田は。
残り時間を見る。
地図を見る。
もう一度。
残り時間。
答えは。
簡単には出なかった。
「黒田さん……?」
佳子の声に。
黒田が顔を上げる。
「行くぞ」
「……え?」
「今すぐだ」
佳子が蓮を見る。
意識を失っている。
その向こうには詩織。
「でも……」
「迷ってる時間はない」
「蓮と詩織が――」
「水野がいる」
佳子が葵を見る。
葵は詩織のそばから離れていない。
「でも葵だって怪我してる!」
「それでもだ」
黒田が言う。
「ここで時間を使ったら、お前の首輪が外せなくなる」
「……」
「佳子」
黒田は。
はっきりと言った。
「お前も生きるんだ」
佳子の唇が震えた。
蓮を見る。
詩織を見る。
そして。
自分の首元にある黒い輪を見る。
警告音が。
再び鳴った。
時間だけが。
待つことなく。
減り続けていた。




