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エクストラバレット  作者: ほむら
1章 エクストラバレット

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第77話 会いたい

莉奈の姿が森の奥へ消えてからも、三人はしばらくその場を動けずにいた。


雨は完全に上がっている。それでも森の中には水の音が絶えず、葉先から落ちる雫が濡れた土を叩くたび、詩織は無意識にそちらへ視線を向けてしまう。


莉奈が戻ってきたのではないか。


そう思ってしまうほど、身体の奥にはまだ緊張が残っていた。


「……行った、よね」


佳子が森の奥を見つめながら呟いた。


黒田はすぐには答えず、銃を構えたまま莉奈が消えた方向を警戒していた。完全に足音が聞こえなくなってから、ようやく銃口を下げる。


「たぶんな」


「戻ってきたりしないかな」


「分からない。だが、少なくとも今は追ってくる気配はない」


黒田の言葉を聞いても、佳子の表情から警戒は消えなかった。


当然だった。


佳子にとって莉奈は、自分を森の中で執拗に追い続けた相手だ。あの日本刀を抜いていなかったとはいえ、目の前へ現れただけで身体が当時の恐怖を思い出してしまう。


それでも。


今回は何も起きなかった。


莉奈はA端末を受け取ると、本当にそのまま去っていった。


佳子はゆっくり詩織を見る。


「……詩織」


詩織は自分の右手を見つめていた。


ほんの少し前まで。


そこにはA端末があった。


最初に目を覚ました時から、自分の命と一緒について回ったものだった。途中で壊れたこともあった。それでも修復され、再び使えるようになってからは、首輪を外すために必要な唯一の道具として持ち続けてきた。


今はもう。


ない。


自分から莉奈へ渡した。


「本当に……よかったの?」


佳子の問いかけに、詩織はすぐには答えなかった。


首元へ手を伸ばす。


硬く冷たい首輪の感触が指先へ伝わった。


これだけは。


まだ残っている。


Aを手放した以上、たとえ条件を満たしたとしても、自分で首輪を外すことはできないかもしれない。


その現実を考えると。


怖くないわけがなかった。


むしろ。


怖い。


「……分かんない」


詩織は小さく答えた。


佳子が目を瞬かせる。


「分かんないって……」


「これでよかったのかは、分かんない」


詩織は首輪から手を離した。


「怖いよ。端末なくなっちゃったし、この首輪だってどうなるか分からないし……」


自分で決めたことなのに。


いざ手元からAがなくなると、不安は一気に大きくなった。


あの端末があれば助かったのか。


それすら分からない。


条件を達成するつもりがなくても、別の方法が見つかった可能性だってある。


それを。


自分は手放した。


「でも」


詩織は莉奈が消えていった方向を見る。


「蓮が生きてるって分かったから」


佳子は黙って聞いている。


「それだけでも……よかった」


爆発現場に残されていた肉片を見た時。


詩織は。


本気で蓮が死んでいるのではないかと思った。


端末の条件が変わっていなかったことで、まだ生きているかもしれないという希望は持てた。


それでも。


確信はなかった。


莉奈の言葉を完全に信用しているわけではない。


けれど。


あの時の莉奈が、蓮の生死について嘘をついているようには見えなかった。


蓮は生きている。


怪我はしている。


でも。


まだ生きている。


それだけで。


今は十分だった。


「……だから、会いたい」


詩織が言った。


佳子が詩織を見る。


「蓮に?」


「うん」


詩織は頷いた。


「ちゃんと自分で確認したい」


生きているところを。


自分の目で見たい。


それに。


伝えなければならないこともある。


自分の条件。


今まで隠していたこと。


そして。


なぜAを渡したのか。


「銃も返さなきゃ」


詩織は手にしている拳銃を見る。


蓮から預かったもの。


ずっと持っていた。


「……返すって言っちゃったから」


その声を聞き。


佳子は少しだけ表情を緩めた。


「じゃあ、返さないとね」


「うん」


二人のやり取りを聞いていた黒田が口を開く。


「問題は場所だ」


詩織と佳子が黒田を見る。


「莉奈は神谷のところへ戻ると言った。だが、場所は教えなかった」


「追いかける?」


佳子が尋ねる。


黒田はすぐに首を横へ振った。


「もう遅い。森の中であいつを追うのは危険だ。それに、追いついたとしても、こっちを敵と判断されれば面倒なことになる」


佳子は思わず黙った。


莉奈の動きを思い出したからだ。


銃を向けられても怯まず。


森の中を追い。


刀一本で黒田の持っていた銃まで使えなくした。


今回は戦わなかった。


だからといって。


安全な人間になったわけではない。


「でも、蓮を探さないと」


詩織が言う。


「分かってる」


黒田は周囲を見回した。


爆発によって地面が荒れ、木々の一部も傷ついている。雨のせいで痕跡の多くは流されていたが、人が通った跡が完全に消えているわけではない。


「莉奈はここから神谷のところへ戻った。なら、向かった方向だけは分かる」


黒田が莉奈の消えた森の奥を見る。


「一定の距離を取って進む。見つけても不用意に近づくな」


佳子が頷く。


「うん」


詩織も。


「分かった」


と答えた。


三人は歩き始めた。


濡れた森は歩きにくく、少し油断すると靴底が泥に取られる。黒田が先頭を歩き、その後ろを佳子、詩織の順で進んでいく。


詩織は何度も周囲を見回していた。


蓮が。


この先にいるかもしれない。


そう考えるだけで足が速くなりそうになる。


だが。


同時に。


胸の奥には別の不安もあった。


蓮は。


自分の条件を知らない。


もし。


再会したら。


言わなければならない。


自分の端末には。


蓮を殺せと表示されていることを。


どう説明すればいいのか。


ずっと隠していた。


怖かったから。


蓮に知られれば。


離れられるかもしれない。


警戒されるかもしれない。


最悪の場合。


自分を敵として見るかもしれない。


それが怖くて。


言えなかった。


けれど。


もう隠したくない。


Aを渡した今なら。


なおさらだった。


「……佳子」


歩きながら、詩織が声をかける。


「なに?」


「蓮に会えたら」


少し迷う。


それでも。


言った。


「私、自分で話す」


佳子は何のことか分かった。


「条件のこと?」


「うん」


詩織は前を見ながら頷く。


「ちゃんと話す」


佳子はすぐには返事をしなかった。


詩織の条件を初めて見た時。


怖かった。


今でも。


まったく怖くないと言えば嘘になる。


追い詰められた人間が。


最後まで同じ判断をできる保証などない。


この島で。


何人もの人間が変わっていった。


それを。


佳子も見てきた。


それでも。


詩織が自分からAを手放したことは。


一つの答えなのかもしれない。


「……うん」


佳子は静かに頷いた。


「その方がいいと思う」


詩織は少しだけ安心したように笑った。


その時だった。


先頭を歩いていた黒田が。


突然、片手を上げた。


「止まれ」


声は小さかった。


だが。


二人はすぐに足を止めた。


黒田は前を向いたまま動かない。


佳子の表情から。


笑みが消える。


「……どうしたの?」


黒田は答えない。


耳を澄ませている。


森の中では。


雨水の落ちる音。


風に揺れる枝葉。


遠くで鳴く鳥。


いくつもの音が混ざっている。


その中に。


別の音があった。


ぬかるんだ土を。


踏む音。


一度。


そして。


もう一度。


詩織も気づいた。


「……誰かいる」


黒田がゆっくり銃を構えた。


佳子も武器へ手を伸ばす。


詩織は蓮の拳銃を握り直した。


三人とも。


莉奈が戻ってきたのかと思った。


だが。


足音が違う。


莉奈は。


森の中をほとんど音も立てずに動くことができる。


今聞こえているのは。


もっと重い。


何かを引きずるような。


不規則な足音だった。


「下がれ」


黒田が低い声で言う。


佳子と詩織が数歩下がる。


黒田は木の陰から。


足音のする方向を見た。


誰も見えない。


だが。


確実に。


近づいている。


一歩。


また一歩。


時折。


足音が止まる。


そして。


また動き出す。


まるで。


身体のどこかを庇いながら歩いているような音だった。


佳子は息を潜める。


「莉奈じゃ……ないよね」


「たぶんな」


黒田の声が低くなる。


その時。


森の奥で。


金属が木に触れるような小さな音がした。


黒田の表情が変わった。


何かを知っているような反応だった。


「……まさか」


「黒田さん?」


返事はない。


黒田は銃を構えたまま。


木々の隙間を睨んでいる。


やがて。


遠くに。


人影が見えた。


歩き方がおかしい。


片脚を庇うように身体を傾け。


片腕も。


自然には動いていない。


それでも。


手には。


武器らしきものが握られている。


佳子の喉が鳴った。


詩織も。


拳銃を握る手に力を込める。


人影は。


まだ遠い。


顔までは見えない。


だが。


黒田だけは。


その姿を見ながら。


小さく呟いた。


「……相馬」


その名前を聞いた瞬間。


佳子の背中を。


冷たいものが走った。


黒田は知っている。


相馬が。


何をしている人間なのか。


そして。


あの男がまだ生きているということが。


何を意味するのかも。


森の奥で。


相馬直人は。


傷ついた身体を引きずりながら。


ゆっくりと。


三人のいる場所へ近づいていた。

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