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エクストラバレット  作者: ほむら
1章 エクストラバレット

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第76話 葛藤

雨が止んでからしばらく経っていたが、森の中にはまだ湿った空気が重く残っていた。


枝葉に溜まった雨水が、ときおり大きな雫となって落ち、地面にできた水溜まりを小さく揺らしている。厚い雲に覆われた空から差し込む光は弱く、昼なのか夕方なのかさえ分からなくなりそうな薄暗さがG-02を包んでいた。


蓮は太い木の根元に背中を預け、身体を休めていた。


爆発に巻き込まれた時の衝撃は、まだ身体の奥深くに残っている。少し動くだけでも節々に鈍い痛みが走り、頭を急に動かせば視界が揺れるような感覚もあった。それでも、意識を取り戻した直後と比べればかなり楽にはなっている。


もう少し休めば歩ける。


そう考えていた蓮だったが、先ほどから別のことが気になって仕方がなかった。


莉奈がいない。


最初は近くにいるのだと思っていた。水でも探しているのか、それとも周囲に誰かいないか確認しているのかもしれない。


だが、いくら待っても戻ってこない。


蓮は嫌な予感を覚えた。


「……まさか、あいつ」


詩織のA端末。


自分のクリア条件を達成するために必要な、最後の一台。


その話をした時、莉奈は詩織を殺してでも端末を持ってこようとしていた。蓮が止めたことで、少なくとも最初から殺すことだけはしないと約束したものの、莉奈がどこまでこちらの意図を理解しているのかは怪しい。


蓮としては、身体がもう少し動くようになってから一緒に行くつもりだった。


詩織本人に事情を説明し、そのうえでAをどうするのか話し合う。


それが当然だと思っていた。


だが莉奈にとっては、蓮が口にした「殺すな」という部分さえ守れば、それ以外は自由だと考えていてもおかしくない。


蓮は木の幹へ手をつき、ゆっくりと立ち上がろうとした。


「っ……」


脇腹から背中にかけて痛みが走り、思わず顔を歪める。


それでも木へ体重を預けながら身体を起こした。


もし莉奈が一人で詩織を探しに行ったのなら、ここでのんびり休んでいる場合ではない。


そう思って一歩を踏み出そうとした、その時だった。


濡れた草を踏む足音が聞こえた。


蓮は顔を上げる。


木々の間から現れたのは、見慣れた少女だった。


「蓮」


莉奈は蓮を見つけると、少し嬉しそうに表情を緩めた。


何事もなかったかのような顔だった。


だからこそ。


蓮は眉を寄せた。


「……お前、どこ行ってた」


「ちょっとそこまで」


「ちょっとそこまでって顔じゃないだろ」


「どんな顔?」


「そういう話じゃない」


蓮は木へ身体を預けながら莉奈を睨んだ。


「何も言わずにいなくなって、どこ行ってたんだよ」


莉奈は少しだけ視線を逸らした。


それだけで蓮には分かった。


「……詩織のところか?」


「うん」


「お前な……」


思わず額へ手を当てる。


やはり勝手に行ったらしい。


「俺、一緒に行くって言ったよな?」


「でも蓮、寝てたし」


「だから起きるまで待てよ」


「時間もったいないじゃん」


莉奈は何がおかしいのか分からないという顔をしている。


「それに、ちゃんと約束守ったよ」


「何の」


「詩織、殺してない」


あまりにも堂々と言われて、蓮は返す言葉を失った。


数秒ほど莉奈を見つめたあと、深いため息を吐く。


「俺が言ったのは、殺さなければ何してもいいって意味じゃないんだぞ」


「何もしてないよ。刀も抜いてないし」


「……本当だろうな」


「本当」


莉奈は腰の日本刀へ軽く触れた。


「体格のいい、頭の硬そうな男の人にはずっと銃向けられてたけど」


「……誰だよ、それ」


「佳子と詩織と一緒にいた人」


蓮は少し考えた。


「黒田か?」


「名前は知らない」


莉奈にとっては、以前に顔を合わせたことのある男という程度の認識なのだろう。


「とにかく、その人にも何もしてないよ。蓮が殺すなって言ったから」


「詩織だけじゃなくて全員だからな」


「分かってる」


即答した莉奈を、蓮は疑うような目で見た。


本当に分かっているのかは怪しい。


「それで?」


蓮は尋ねた。


「詩織に会って、何したんだ」


「Aをもらってきた」


「……何?」


莉奈は服の中へ手を入れると、一台のPLAYER TERMINALを取り出した。


それを見た瞬間。


蓮の表情が変わった。


端末に割り当てられた文字。


A。


間違いない。


詩織の端末だった。


「……それ」


「もらった」


蓮は驚きながら端末を見つめた。


Eはすでに破壊している。


自分のクリア条件に必要なのは、あとAだけ。


つまり。


目の前の端末を壊せば。


条件は達成される。


だが、蓮が最初に感じたのは喜びではなかった。


「待て」


蓮は莉奈を見る。


「どうやって手に入れた」


「詩織にもらった」


「本当に?」


「うん」


「奪ってないだろうな」


「奪ってない」


「脅したりもしてないか?」


「してないってば」


莉奈は不満そうに眉を寄せた。


「ちゃんと話したよ」


「何を」


「蓮のクリア条件」


「……は?」


蓮の顔が引きつる。


「お前、俺の条件まで話したのか?」


「だって言わないとAを渡してもらえないでしょ?」


莉奈は当然のように答えた。


「AとEのPLAYER TERMINALを壊したら蓮がクリアできるって教えた。Eはもう壊したことも」


蓮は何か言い返そうとして。


やめた。


頭が痛くなってきた。


莉奈が勝手に行ったことも。


自分の条件を勝手に話したことも。


あとで言わなければならないことはいくらでもある。


だが。


今はそれより気になることがある。


「それを聞いて、詩織がAを渡したのか?」


「うん」


「……なんで」


「蓮に生きてほしいからって」


蓮は黙った。


莉奈の手にあるA端末へ視線を落とす。


PLAYER TERMINALは、このゲームにおいて単なる機械ではない。


自分のクリア条件を確認し、条件を満たしたあとには首輪を外すためにも必要になる。


詩織だって。


それくらい分かっている。


それなのに。


Aを手放した。


「……佳子たちは何も言わなかったのか」


「止めてたよ」


「やっぱりか」


「佳子と、あの頭の硬そうな人が、渡さない方がいいって言ってた」


それでも。


詩織は渡した。


その事実が。


蓮には引っかかった。


「詩織は、自分の条件について何か言ってたか?」


「知らない」


莉奈は首を横へ振った。


「聞いてないし、詩織も言ってない」


蓮はしばらく黙った。


それなら。


なおさら分からない。


なぜ詩織は、自分にとって必要なはずの端末を手放したのか。


単純に。


蓮を助けるため。


それだけなのかもしれない。


だが。


蓮はどうしても、そのままAを壊す気にはなれなかった。


「莉奈」


「なに?」


「それ、貸してくれ」


莉奈はA端末を見る。


「壊す?」


「いや」


蓮は手を差し出した。


「詩織の条件を確認する」


莉奈は一瞬だけ首を傾げたが、素直にA端末を差し出した。


蓮はそれを受け取った。


手の中に収まった端末を見つめる。


自分のものではない。


詩織が持っていた端末。


自分が最初に彼女と出会った時から、Aとして割り当てられていたもの。


一度は壊れ。


それでも再び使えるようになり。


そして今。


詩織本人ではなく。


蓮の手の中にある。


蓮は端末を起動した。


画面が明るくなり、見慣れた項目が並ぶ。


《プレイヤー》


《クリア条件》


《ゲームルール》


《地図》


《端末アルファベット》


蓮の指が。


《クリア条件》


の文字の上で止まった。


他人の条件を見る。


本来なら。


勝手にしていいことではない。


だが。


詩織はAそのものを自分へ渡した。


しかも。


蓮を助けるために。


その理由を知らないまま端末を壊してしまう方が、蓮にはできなかった。


一度だけ迷ったあと。


画面へ触れる。


表示が切り替わった。


そして。


蓮は。


そこに現れた文字を見た。


《INDIVIDUAL CLEAR CONDITION》


《24時間以上行動を共にした参加者を1名殺害してください》


《該当する参加者が存在しない場合、現時点で最も長く行動を共にした参加者を1名殺害してください》


蓮の指が止まった。


何も言えなかった。


森の中では、雨水が葉から落ちる音が続いている。


莉奈も何も言わない。


蓮はただ。


画面を見つめていた。


一度。


文章を読む。


意味が理解できず。


もう一度。


最初から読み直した。


《24時間以上行動を共にした参加者を1名殺害してください》


「……殺害?」


思わず声が漏れた。


自分が読み間違えたのかと思った。


だが。


何度見ても同じだった。


蓮は画面から目を離せないまま、頭の中で条件を整理し始める。


二十四時間以上。


行動を共にした参加者。


詩織が。


この島で。


最も長く一緒にいた相手。


そこまで考えたところで。


蓮の顔から血の気が引いた。


「……待て」


最初に出会った。


山の中で。


倒れていた詩織を見つけたのは。


自分だ。


そこから何度も離れた。


別々に行動した時間もある。


それでも。


詩織と行動を共にしてきた時間が最も長い人間。


もし。


二十四時間以上という条件に当てはまる人間がいるのなら。


「……俺?」


蓮の声が。


先ほどよりも小さくなった。


莉奈が隣から画面を見る。


「蓮なの?」


「……たぶん」


答えながらも。


蓮自身が信じられなかった。


詩織のクリア条件。


それは。


自分を殺すことなのか。


蓮は呆然と画面を見つめた。


そこでようやく。


別の事実に気づく。


詩織は。


この条件を知っている。


当然だ。


自分の端末なのだから。


そして。


その端末を。


蓮へ渡した。


蓮を殺せば。


自分が助かるかもしれない。


それなのに。


詩織は。


自分が生き残るための条件を抱えたまま。


その対象になっている可能性が高い蓮を助けるために。


Aを手放した。


「……なんでだよ」


蓮の声が震えた。


莉奈が蓮を見る。


蓮は気づいていない。


自分がA端末を強く握りしめていることにも。


「なんで……これを俺に渡すんだよ」


詩織から答えを聞いたわけではない。


莉奈も知らない。


だから。


本当の理由は分からない。


けれど。


一つだけ分かる。


少なくとも。


詩織は今。


蓮を殺すためにAを手元へ残すことを選ばなかった。


自分が助かるために。


蓮の命を奪う方を選ばなかった。


「……詩織」


蓮は小さく名前を呼んだ。


これまで詩織が条件を明かさなかった理由まで。


ようやく分かった気がした。


こんな条件。


簡単に言えるはずがない。


まして。


対象になっている可能性の高い相手へ。


「蓮」


莉奈が呼びかける。


蓮は反応しなかった。


「A、壊す?」


その言葉で。


蓮はようやく顔を上げた。


莉奈は。


純粋に聞いている。


これを壊せば。


蓮が助かる。


彼女にとっては。


それだけで十分なのだろう。


蓮は手の中のA端末を見た。


自分の条件。


《AとEのPLAYER TERMINALを破壊してください》


Eはもうない。


残るのは。


このAだけ。


壊せば。


自分の条件は達成される。


けれど。


蓮は首を横へ振った。


「……まだ壊さない」


莉奈の眉が寄った。


「なんで?」


「詩織に会う」


「どうして?」


「聞きたい」


蓮はA端末の画面を消した。


「なんでこれを俺に渡したのか。なんで……こんな条件なのに俺を助けようとしたのか」


莉奈には。


その気持ちがよく分からなかった。


「でもAを壊せば蓮は助かるよ」


「分かってる」


「だったら壊せばいいじゃん」


「できるかよ」


蓮は静かに答えた。


怒鳴ったわけではない。


それでも。


莉奈は口を閉じた。


「詩織は俺を殺せば助かるかもしれない。それなのにAを手放したんだぞ」


蓮は手元の端末を見る。


「理由も聞かないで、そのまま壊せるわけないだろ」


莉奈はしばらく黙っていた。


やがて。


少しだけ不満そうな顔になる。


「……蓮って、やっぱり詩織や佳子のこと気にするよね」


「今その話じゃない」


「私は気になる」


「あとにしろ」


「嫌」


「莉奈」


蓮は頭が痛そうに額へ手を当てた。


だが。


次の瞬間。


身体がふらつく。


莉奈がすぐに腕を伸ばした。


「ほら」


倒れそうになった蓮の身体を支える。


「まだ無理じゃん」


「……ゆっくりなら歩ける」


「休めばいいのに」


「時間がない」


相馬がまだ生きている。


ほかの参加者がどうなっているのかも分からない。


そして。


今は。


詩織に会わなければならない。


蓮はA端末を自分の手元へしまった。


「これは俺が預かる」


「壊さないの?」


「今はな」


「せっかく持ってきたのに」


「詩織から預かったんだろ」


「似たようなものでしょ」


「全然違う」


莉奈は納得していないようだったが、それ以上は言わなかった。


代わりに。


蓮の腕を自分の肩へ回す。


「歩ける?」


「なんとか」


「無理したら運ぶよ」


「それはやめろ」


「なんで?」


「なんでもだ」


莉奈は不思議そうな顔をした。


二人が歩き出してから。


莉奈が何かを思い出したように口を開く。


「そういえば」


「今度は何だ」


「詩織、蓮の銃持ってるっていってた。」


蓮が莉奈を見る。


「俺の?」


「うん。返すって言ってたよ」


「……そうか」


蓮は少しだけ表情を緩めた。


莉奈はその変化を見逃さなかった。


「嬉しそう」


「別に」


「今ちょっと嬉しそうだった」


「気のせいだ」


「詩織だから?」


「うるさい」


莉奈は不満そうに頬を膨らませた。


それでも。


蓮を支える腕を離すことはなかった。


濡れた森の中を。


二人はゆっくりと進んでいく。


蓮の手元には。


詩織のA端末がある。


壊せば。


自分は助かる。


その事実は変わらない。


けれど。


端末を起動したことで。


蓮は知ってしまった。


詩織が抱えていた条件を。


そして。


その条件を抱えたまま。


自分を助けるためにAを手放したという事実を。


だから。


今の蓮には。


それをただのクリア条件の一部として壊すことなど。


できなかった。

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