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エクストラバレット  作者: ほむら
1章 エクストラバレット

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第75話 交渉

雨上がりの森に、濡れた草を踏む音が響いた。


爆発の痕跡が生々しく残る場所で、佳子たちは一斉にその音が聞こえてきた方向へ視線を向けた。


誰かがいる。


しかも、その足音は隠れようともせず、ゆっくりとこちらへ近づいてきている。


黒田が真っ先に反応した。


手にしていた銃を構え、佳子と詩織を庇うように半歩前へ出る。佳子も黒田から受け取った武器へ手をかけた。


詩織は蓮から預かった拳銃を握りしめる。


ほんの少し前まで、この銃を本人へ返すことだけを考えていた。


けれど今は違う。


もし現れたのが莉奈なら。


本当に自分は撃てるのだろうか。


その答えを出すより先に、木々の向こうから一人の女が姿を現した。


佳子の身体が強張った。


「……莉奈」


忘れるはずがない。


雨の中、自分を執拗に追い続けた女。


水野莉奈が、三人の前に立っていた。


その腰には日本刀がある。


だが、抜いてはいない。


莉奈は三人の姿を確認すると、そこで足を止めた。


黒田。


佳子。


そして最後に。


その視線が詩織へ向けられる。


「……見つけた」


小さな声だった。


それだけで佳子の背中に冷たいものが走った。


あの時もそうだった。


莉奈は怒鳴るわけでも、感情を露わにするわけでもなかった。


ただ当然のように追ってきた。


だからこそ怖かった。


「止まれ」


黒田の低い声が飛ぶ。


銃口は莉奈の身体へ向けられている。


「それ以上近づくな」


莉奈は黒田を見た。


そして。


「分かった」


素直に足を止めた。


刀へ手を伸ばすこともしない。


黒田の眉がわずかに動いた。


以前とは違う。


自分が銃を向けても怯まずに距離を詰め、持っていた長銃を使えなくした女が、今は警告に従っている。


その違いが、かえって不気味だった。


「何しに来た」


黒田が尋ねる。


「用があるの」


「誰に?」


莉奈は答えなかった。


代わりに。


詩織を見る。


その瞬間、詩織の手に力が入った。


佳子から聞かされた話が脳裏に蘇る。


莉奈は佳子を執拗に追い続けた。


そして爆発現場で倒れていた蓮を見つけると、そのままどこかへ連れていった。


目の前の女なら。


知っている。


蓮が今、どうなっているのか。


「蓮は?」


詩織が尋ねた。


莉奈の表情が、ほんのわずかに変わる。


「生きてるよ」


詩織の呼吸が止まった。


佳子も目を見開く。


「……本当に?」


「うん」


「嘘じゃないよね?」


莉奈は詩織を見つめたまま答えた。


「生きてる」


その言葉を聞いた瞬間。


詩織の身体から力が抜けそうになった。


「……よかった」


掠れた声が漏れる。


端末に表示された自分の条件が変わっていなかったことに、わずかな希望を見いだしていた。


蓮はまだ生きているかもしれない。


そう信じようとしていた。


それでも。


実際に生きていると聞くまでは、ずっと怖かった。


佳子も安堵したように息を吐く。


「蓮はどこ?」


「休んでる」


「怪我は?」


「してる」


詩織の表情が再び強張った。


「ひどいの?」


莉奈は少し考えてから答える。


「すぐ死ぬような感じじゃないよ」


それでも怪我をしていることには変わりない。


詩織はすぐにでも蓮のところへ行きたかった。


だが、黒田は警戒を解かなかった。


「お前が神谷を連れていったんだな?」


莉奈が黒田を見る。


「うん」


「何のために?」


「助けるため」


「……助ける?」


黒田の目が細くなる。


佳子も黙っていられなかった。


「じゃあ私は?」


莉奈の視線が佳子へ向く。


佳子は思わず身体を強張らせたが、逃げなかった。


「私を追いかけたのは何だったの?」


「……」


「殺そうとしたよね?」


莉奈は答えない。


「黒田さんにも襲いかかった。美月が止めようとしてくれた時だって、ずっと私を追ってきた」


声が震えそうになる。


それでも佳子は続けた。


「それなのに今さら、蓮を助けたなんて言われて……信じられると思う?」


莉奈はしばらく佳子を見つめた。


「別に信じなくていいよ」


「……何それ」


「今は佳子に用はないから」


その言葉に佳子の表情が強張った。


黒田も銃を構え直す。


「じゃあ誰に用がある」


莉奈の視線が再び詩織へ戻る。


正確には。


詩織が持っているものへ。


「A」


詩織が息を止めた。


「……え?」


「Aの端末」


莉奈は静かに言った。


「私に渡して」


森の中に沈黙が落ちた。


詩織は反射的に端末をしまっている場所へ手を当てた。


その動きを莉奈は見逃さなかった。


「やっぱり持ってるんだ」


「どうして……」


詩織の顔に警戒が浮かぶ。


「どうして私がAだって知ってるの?」


莉奈はすぐには答えなかった。


黒田が詩織の前へ出る。


「渡すな」


「黒田さん……」


「端末は首輪を外すために必要なものだ。理由も分からず渡せるものじゃない」


莉奈がわずかに首を傾げた。


「理由ならあるよ」


「何だ」


「蓮に必要だから」


詩織の目が揺れた。


「……蓮に?」


「うん」


莉奈が一歩だけ前へ出ようとする。


すぐに黒田の声が飛んだ。


「動くな」


莉奈は足を止めた。


一瞬だけ腰の日本刀へ視線を落としたが、手を伸ばすことはなかった。


蓮と交わした約束がある。


最初から殺すな。


まず話せ。


莉奈にとっては面倒なやり方だった。


それでも。


蓮がそうしてほしいと言った。


だから今は従う。


「分かった。ここから話す」


黒田は銃を下ろさない。


「神谷に必要って、どういう意味だ」


莉奈は黒田ではなく詩織を見た。


「蓮のクリア条件」


その言葉で。


三人の表情が変わった。


「蓮の……?」


詩織が呟く。


「うん」


「なんで莉奈が知ってるの?」


「見たから」


莉奈は隠そうともしなかった。


「蓮が倒れてた時、端末を見た」


詩織の眉が寄る。


勝手に蓮の端末を見たことには引っかかった。


けれど。


今はそれ以上に知りたいことがある。


「……何だったの?」


詩織が尋ねる。


「蓮の条件」


莉奈は答えた。


「AとEのPLAYER TERMINALを破壊すること」


一瞬。


誰も言葉を発しなかった。


詩織はゆっくりと自分の端末へ視線を落とす。


A。


それは。


自分が持っている端末だ。


「……破壊?」


「うん」


「それが……蓮のクリア条件なの?」


「そう」


黒田が莉奈を睨む。


「Eはどうした」


「もう壊したよ」


「何?」


「Eは私の端末だったから」


佳子が目を見開く。


「莉奈がE……?」


「うん」


「じゃあ、自分の端末を壊したの?」


「蓮に壊してもらった」


詩織が顔を上げる。


その言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。


Eはすでに破壊された。


蓮自身の手で。


なら。


残っているのは。


「……Aだけ?」


詩織が尋ねる。


莉奈は頷いた。


「あと一つ」


そして。


詩織を見る。


「詩織のA端末を蓮が壊せば、蓮は条件をクリアできる」


胸の奥が大きく揺れた。


自分の端末を。


蓮が壊せば。


蓮は助かる。


だが。


佳子はすぐに莉奈の言葉を信じなかった。


「待って」


「佳子……?」


「それ、莉奈が言ってるだけだよ」


佳子は莉奈を警戒したまま続ける。


「私たちは蓮本人から何も聞いてない」


黒田も頷いた。


「その通りだ」


莉奈へ銃を向けたまま問いかける。


「お前が嘘をついてない証拠は?」


「ないよ」


あまりにもあっさりした返事だった。


黒田の表情が険しくなる。


「ふざけてるのか」


「ふざけてない」


莉奈の声色は変わらない。


「本当のことだから」


「だったら神谷本人を連れてくればいい」


「怪我してるから休ませてる」


「場所を言え」


「嫌」


「何?」


「黒田さんたちを蓮のところに連れていきたくない」


黒田の指に力が入った。


莉奈の態度だけを見れば。


信用できる要素などほとんどない。


佳子も同じだった。


自分を殺そうとした女が。


今度は蓮を助けるためだと言っている。


簡単に信じられるはずがない。


「黒田さん」


詩織が声をかけた。


「待って」


「七瀬、こいつの言葉を簡単に信じるな」


「分かってる」


「分かってない。こいつは俺たちを襲ってる」


「そうだよ」


佳子も詩織を見る。


「私、本当に殺されると思ったんだよ」


「……」


「美月だってどうなったか分からない。そんな人が急に来て、蓮を助けるためだから端末を渡せって……私は怖い」


詩織は何も言わなかった。


二人が言っていることは正しい。


自分だって。


莉奈を信用しているわけではない。


それでも。


どうしても確認したかった。


詩織は自分の端末を取り出した。


画面に表示されるAの文字。


「莉奈」


「なに?」


「これを壊せば」


詩織は端末を見つめながら尋ねる。


「蓮は助かるの?」


莉奈は迷わなかった。


「うん」


「本当に?」


「蓮の条件はAとEの端末を壊すこと。Eはもう蓮が壊した」


莉奈の視線が詩織の手元へ落ちる。


「だから、あとそれだけ」


詩織は端末を見つめた。


自分の首輪を外すためにも必要なもの。


それなのに今。


蓮が生き残るためにも必要だと言われている。


そして。


詩織の脳裏には、自分の端末に表示されているもう一つの残酷な事実が浮かんでいた。


《24時間以上行動を共にした参加者を1名殺害してください》


《該当する参加者が存在しない場合、現時点で最も長く行動を共にした参加者を1名殺害してください》


蓮を殺せば。


自分は助かる。


けれど。


蓮は。


自分の端末を壊せば助かる。


「……なんなの、これ」


詩織の口元に、泣き出しそうな笑みが浮かんだ。


佳子が心配そうに見る。


「詩織?」


「私には蓮を殺せって言ってるのに……」


声が震える。


「蓮は、私の端末を壊したら助かるんだ」


どうして。


こんな条件にしたのだろう。


まるで。


どちらかが助かろうとすれば、もう一人が苦しむように。


最初から誰かがそれを楽しむために作ったかのようだった。


詩織は端末を握り直した。


そして。


一歩前へ出る。


黒田がすぐに反応した。


「七瀬、待て」


佳子も詩織を見る。


「詩織?」


「……いいの」


「何が?」


詩織は莉奈へ向かって端末を差し出そうとした。


佳子が慌ててその腕を掴む。


「待って!」


詩織が振り返る。


「これ壊したら、詩織はどうするの?」


その言葉に。


詩織の動きが止まった。


端末がなくなれば。


たとえ自分の条件を達成したとしても、首輪へ読み込ませることができなくなるかもしれない。


つまり。


自分が助かるための方法を失う可能性がある。


「……分かってる」


「分かってないよ」


佳子の声が震えた。


「蓮を助けたいのは私だって同じ。でも、だからって詩織が死んでいいことにはならないでしょ」


詩織は佳子を見つめた。


自分の条件を知られた時。


佳子は警戒した。


当然だと思う。


蓮を殺さなければならない条件を持つ人間が、すぐそばにいたのだから。


それでも。


佳子は今。


自分が助かる道を失うことを、本気で心配してくれている。


「……ありがとう」


詩織が言った。


「でもね」


自分の首輪へ触れる。


硬く。


冷たい感触。


これが外れない限り。


自分はこのゲームから逃れられない。


怖い。


死にたくない。


それでも。


「私、この条件を達成するつもりないから」


佳子が息を止めた。


「蓮を殺さないと外れないなら」


詩織は静かに首を横へ振る。


「私は、その方法では外さない」


強がりではない。


死ぬのは怖い。


今すぐ首輪を外したい。


生きて帰りたい。


それでも。


蓮を殺してまで生きるという選択だけは。


今の詩織にはできなかった。


「だったら」


詩織は莉奈を見る。


「蓮が助かる方に使って」


「七瀬」


黒田の声が飛ぶ。


「まだこいつの話が本当だと決まったわけじゃない」


「うん」


「なら渡すべきじゃない」


詩織は黒田を見る。


「でも」


少しだけ間を置く。


「本当だったら?」


黒田が黙る。


「これを渡さなかったせいで、蓮が死んだら?」


「……」


「私、それは嫌」


黒田は答えられなかった。


合理的に考えれば。


渡すべきではない。


情報が少なすぎる。


莉奈は危険人物で。


信用できる根拠もない。


だが。


これは詩織の端末だ。


最後に決めるのは。


詩織自身だった。


「佳子にしたことも、黒田さんにしたことも分かってる」


詩織は莉奈を見る。


「私も、莉奈が怖い」


莉奈は何も言わなかった。


「でも」


詩織はA端末を差し出した。


手が震えている。


端末を失うことも。


莉奈へ近づくことも。


首輪が外れないままになることも。


全部怖い。


それでも。


詩織は手を引かなかった。


「持っていって」


莉奈の表情が。


ほんの少しだけ変わった。


予想していなかった。


そんな顔だった。


「いいの?」


「うん」


「これがないと、詩織は困るんじゃないの?」


詩織は一瞬だけ黙った。


「困るよ」


「じゃあ、なんで?」


「蓮に生きてほしいから」


その答えを聞いて。


今度は莉奈が黙った。


詩織の言っていることが分からないわけではない。


むしろ。


その気持ちだけなら。


誰よりも分かる。


蓮に生きてほしい。


そのためなら。


自分がどうなっても構わない。


そこだけは。


莉奈と詩織は同じだった。


けれど。


だからこそ。


莉奈の胸の奥に、説明できない不快感が生まれた。


自分だけのものだと思っていた気持ちを。


目の前の女まで持っているような気がした。


「……やっぱり嫌い」


莉奈が小さく呟いた。


詩織が眉を寄せる。


「え?」


「なんでもない」


莉奈はゆっくりと手を伸ばした。


詩織の手から。


AのPLAYER TERMINALを受け取る。


その瞬間。


佳子の胸がざわついた。


本当に。


これでよかったのだろうか。


黒田もまだ銃を下ろしていない。


だが。


莉奈は受け取った端末を確認すると、大切そうにしまった。


「これで蓮は助かる」


詩織が莉奈を見る。


「約束して」


「何を?」


「ちゃんと蓮のところに持っていって」


「そのために来たんだよ」


「それと……」


詩織は一度言葉を止めた。


伝えたいことはいくつもあった。


無事でいてほしい。


心配した。


会いたい。


話したいことがある。


でも。


それは。


自分の口から言いたかった。


「……銃、預かってるって」


詩織は蓮の拳銃を見る。


「返すからって伝えて」


莉奈の視線が拳銃へ落ちる。


それから。


詩織へ戻った。


「それだけ?」


「……それだけでいい」


莉奈は少しだけ不満そうな顔をした。


それでも。


「分かった」


と答えた。


そして三人へ背を向ける。


「待て」


黒田の声で、莉奈が止まった。


「どこへ行く」


「蓮のところ」


「場所を言え」


「嫌」


「……」


「Aを持って帰るから」


莉奈は振り返った。


その目は。


佳子でも。


黒田でも。


詩織でもない。


もっと遠くにいる誰かだけを見ているようだった。


「蓮が待ってる」


そう言って。


莉奈は森の中へ歩き出した。


黒田は最後まで銃を下ろさなかった。


撃とうと思えば。


撃てたかもしれない。


だが。


莉奈は一度も刀を抜かなかった。


詩織を襲うことも。


佳子へ向かってくることもなかった。


やがて。


その姿が木々の向こうへ消えていく。


残された三人の間に、重い沈黙が落ちた。


詩織は。


端末を失った自分の手を見つめていた。


そこにはもう。


何もない。


自分の首輪を外すために必要だったもの。


そして。


蓮を助けられるかもしれないもの。


それを。


自分の意思で手放した。


佳子がそっと尋ねる。


「……本当によかったの?」


詩織はすぐには答えなかった。


首元には。


まだ首輪がある。


怖い。


死にたくない。


その気持ちは。


何も変わっていない。


それでも。


詩織は小さく頷いた。


「うん」


そして。


莉奈が消えていった森の奥を見つめる。


「蓮が助かるなら」


静かに。


もう一度だけ言った。


「これでいい」

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