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エクストラバレット  作者: ほむら
1章 エクストラバレット

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第72話 静かな攻防

「蓮を……見つけた」


佳子がそう告げた瞬間、詩織の顔からさっと血の気が引いた。


さっきまで佳子との再会を喜んでいたはずなのに、その表情は見る間に強張っていく。佳子の腕を掴んでいる指にも力が入り、この先に続く言葉を聞くことを恐れているのが、傍から見ていても分かるほどだった。


それでも、聞かないという選択肢など詩織にはなかった。


「蓮は……どこにいるの?」


掠れた声で尋ねられ、佳子はすぐに答えることができなかった。


あの場所で見た光景が、再び脳裏に蘇っていた。


雨に濡れた森の中で起きた大きな爆発。その音を追うようにして進んだ先で佳子が見つけたのは、地面に倒れている蓮だった。そして、その周囲には血に濡れた人間の身体の一部や、原形を失った肉片が散乱していた。


誰のものだったのか、佳子には分からない。


確かめる余裕などなかったし、あまりにも凄惨な光景を前にして、冷静に一つ一つ確認することなどできなかった。ただ、目に焼きついてしまったものだけが、今も鮮明に残っている。


「爆発があったの。かなり大きな爆発だった。その音がした方へ行ったら……蓮が倒れてた」


「倒れてた……?」


「うん」


「怪我してたの? 意識は?」


詩織が立て続けに尋ねてくる。


佳子は一瞬言葉に詰まった。その反応を見ただけで、詩織の表情はさらに険しくなる。


「佳子。蓮、生きてたんだよね?」


その質問に、佳子は答えられなかった。


生きていたと言ってやりたい。けれど、それは自分が確認した事実ではない。


「……分からないの」


詩織の目が見開かれた。


「分からないって……どういうこと?」


「ちゃんと確認できなかった。私も莉奈に追われてたし、それに……」


佳子はそこで言葉を詰まらせた。


言うべきかどうか迷ったものの、あの光景を隠したままでは説明にならない。


「蓮の近くに……あったの」


「何が?」


「人の身体の一部みたいなものが。肉片も散らばってたし、血もすごくて……誰のものなのか、私には分からなかった」


その言葉を聞いた瞬間、詩織の手が佳子の腕から離れた。


力が抜けたように一歩後ろへ下がり、信じられないものを見るような目で佳子を見つめる。


「……誰のものか、分からない?」


「うん」


「じゃあ……」


詩織の唇が震え始めた。


「じゃあ、それ……蓮のかもしれないってこと?」


「分からない。だから――」


「蓮のだったかもしれないんでしょ!?」


突然大きくなった声が、建物の中へ響いた。


佳子が驚いて言葉を失う。


詩織は自分でも感情を抑えられなくなっているようだった。目にはみるみる涙が溜まり、呼吸まで浅くなっている。


「詩織、落ち着いて。私はそんなこと言ってない」


「でも分からないって言ったじゃん!」


「誰のものか確認できなかっただけで――」


「だったら蓮かもしれないじゃん!」


詩織の頭の中では、すでに最悪の光景が作られ始めていた。


大きな爆発が起こり、その近くに蓮が倒れていた。そして周囲には、人間の身体の一部が散らばっていた。


佳子が見た肉片の中に、蓮の身体の一部が混ざっていたのではないか。倒れていた蓮は、すでに息をしていなかったのではないか。


考えたくないのに、一度浮かんでしまった想像が頭から離れてくれない。


「嫌……そんなの……」


詩織は何度も首を横へ振った。


「詩織」


佳子が近づこうとすると、詩織はさらに一歩下がった。


「だって蓮……ずっと一緒だったのに……」


島へ連れてこられ、何も分からないまま目を覚ました時から、蓮は近くにいた。


怖くなって逃げた自分を追いかけてきたのも蓮だった。中央広場であまりにも凄惨なものを目にして吐いた時も、何度も危険な目に遭った時も、気がつけば蓮がそばにいた。


いつからなのか、自分でも分からない。


けれど、蓮が生きていることを当たり前のように思っていた。


その存在が、もうこの島のどこにもいないかもしれない。


そう考えた瞬間、胸の奥が締めつけられた。


「私、まだ……」


何も言っていない。


何も伝えていない。


そして何より、自分は蓮に隠している。


自分の首輪を外すためには、その蓮を殺さなければならないということを。


「嫌……!」


詩織の呼吸がさらに乱れた。


その様子を見ていた葵が、眉を寄せる。


「ちょっと待って、詩織」


しかし、詩織にはほとんど聞こえていない。


「蓮が……蓮が死んでたら……」


「詩織、待ってって」


今度は少し強く言われ、詩織がようやく葵を見る。


葵は佳子へ視線を向けた。


「佳子。もう一回確認するけど、その肉片が誰のものなのかは分からないんだよね?」


佳子はすぐに頷いた。


「分からない。私が見た時には、もうああなってたから」


「神谷の身体が……その、明らかに欠けてたとかは?」


「そこまで確認できてない。倒れてる蓮を見つけたすぐあとに莉奈が来たから」


「莉奈が?」


「うん。だから私も、そこから逃げるしかなくて……」


葵は少し黙り込み、爆発が起きる前のことを思い返した。


蓮はこの建物から出ていった。


一人ではない。


「……古瀬さん」


小さく呟いた名前に、詩織が反応する。


「え?」


「神谷、一人で出ていったわけじゃないよ」


葵は詩織を見る。


「古瀬さんと一緒だったでしょ」


詩織の目がわずかに見開かれた。


そうだった。


蓮は聡子と一緒にここを出ている。


「じゃあ……」


希望を見つけたように詩織が口を開くが、葵はすぐに首を横へ振った。


「分からないよ。古瀬さんだって断定はできない。でも、神谷の近くに肉片があったからって、それが神谷のものだと決まったわけでもないでしょ。古瀬さんが一緒だったなら、その人のものって可能性だってある」


佳子はそこで初めて、蓮が誰かと一緒に行動していたことを知った。


「聡子も……蓮と一緒だったの?」


「ここを出た時はね」


葵が答える。


佳子は口元を押さえた。


あの肉片。


血。


爆発の跡。


もし、あれが聡子だったとしたら。


今度は別の恐ろしさが胸へ広がったが、それでも推測以上のことは何も分からない。


「でも……じゃあ蓮は?」


詩織は葵を見る。


「それが聡子のだったとしても、蓮が生きてることにはならないよね?」


「それは……そうだけど」


「だって倒れてたんでしょ?」


今度は佳子を見る。


「呼んでも起きなかったの?」


佳子は少し迷ってから頷いた。


「……うん」


「じゃあやっぱり……」


「詩織!」


佳子が両肩を掴んだ。


「死んだって決まったわけじゃない!」


「でも、生きてるって確認もしてないんでしょ!?」


詩織の目から涙が零れた。


佳子は何も言い返せなかった。その通りだったからだ。


莉奈に追われていた。自分自身も恐怖で混乱していた。だから仕方がなかったと言い訳することはできる。


けれど、蓮が生きていたのか、呼吸をしていたのか、脈があったのか。佳子は何一つ確かめていない。


「……ごめん」


佳子が俯く。


その言葉を聞いて、詩織の顔がさらに歪んだ。


「謝らないでよ……」


佳子を責めたいわけではない。


そんなことは分かっている。


ただ怖かった。


蓮が死んでいるかもしれないという可能性を、どうしても受け入れられなかった。


「蓮……」


詩織は胸元へ手を当てた。鼓動が異常なほど速く、頭の中では何度も同じ問いが繰り返されている。


何かないのか。


蓮がまだ生きていると分かるものは。


その時、ふとあるものが頭に浮かんだ。


「……端末」


「え?」


佳子が顔を上げる。


詩織は急いで自分の端末を取り出した。


「詩織?」


葵が呼びかけても答えず、震える指で画面を操作する。


表示したのは個別クリア条件だった。


《INDIVIDUAL CLEAR CONDITION》


《24時間以上行動を共にした参加者を1名殺害してください》


《該当する参加者が存在しない場合、現時点で最も長く行動を共にした参加者を1名殺害してください》


表示は変わっていない。


詩織は画面を食い入るように見つめた。


自分にとって最も長く行動を共にしてきた参加者。それが誰なのかは、考える必要すらなかった。


蓮だ。


だからこそ、この条件を誰にも話せなかった。


蓮を殺せば、自分は助かる。


そんなことを、どうして本人に言えるだろう。


けれど今、その恐ろしい条件が別の意味を持って見えた。


「……変わってない」


詩織が呟く。


「何が?」


佳子が尋ねる。


詩織は答えず、何度も画面を確認した。条件はそのままで、対象を失ったことを示すような変化も見当たらない。


もちろん、それだけで蓮の生存が証明されたわけではない。


端末が死亡を即座に反映するのか、条件の対象となる人間が死んだ場合に表示が変化するのか、そんなことは誰にも分からない。


それでも、今の詩織には縋れるものが必要だった。


「……生きてるかもしれない」


震えていた声に、ほんの少しだけ力が戻った。


「蓮、まだ生きてるかもしれない」


佳子が困惑する。


「どうして?」


「だって……まだ変わってないから」


「何が変わってないの?」


その質問で、詩織は我に返った。


「……」


口を閉ざす。


佳子には意味が分からない。


だが、葵は詩織の反応をじっと観察していた。


蓮が死んだかもしれないと聞いた直後、詩織は自分の端末を確認した。そして、そこに何かが残っていることを確認すると、蓮はまだ生きているかもしれないと言った。


偶然とは思えない。


詩織の端末には、蓮の生死と関係する何かが表示されている。


そう考えるのが自然だった。


「詩織」


葵が静かに呼ぶ。


詩織が顔を上げる。


「……なに?」


「今、何を確認したの?」


「何って……」


「端末」


葵は壁に手をつきながら立ち上がった。右脚の傷はまだ痛む。それでも、その表情には先ほどまでとは違う警戒が浮かんでいる。


「何で自分の端末を見て、神谷が生きてるかもしれないって思ったの?」


詩織の顔が強張った。


「それは……」


「神谷に関係する何かが表示されてるんでしょ?」


「違う」


答えるまでが早すぎた。


葵の疑念が深まる。


「じゃあ見せて」


「……嫌」


詩織は端末を胸元へ引き寄せた。


佳子が二人を交互に見る。


「ちょっと待って。何の話?」


「私にもまだ分からない。だから確認したいだけ」


葵は詩織から目を離さない。


「何もないよ」


「何もないなら見せられるでしょ」


「嫌だって言ってるでしょ!」


詩織の声が大きくなる。


追い詰められたように一歩下がった時、もう片方の手が無意識に腰元へ動いた。


そこには、蓮から預かっている拳銃がある。


葵はもちろん、その銃がもともと蓮のものであることを知っていた。蓮自身が以前、この場所で詩織に預けていた拳銃だ。


詩織に銃を抜くつもりがあったわけではない。


端末を奪われたくないという焦りから、無意識に手が動いただけだった。


しかし今の状況で、銃を持ったままにしておくことを葵は選ばなかった。


「詩織。その銃から手を離して」


「え?」


「蓮から預かってる銃なのは分かってる。でも、今は手を離して」


詩織がようやく自分の手の位置に気づいた。


「違う。私、撃つつもりなんて――」


「分かってる。だから手を離して」


「でも……」


「詩織」


葵の声が低くなる。


「お願いだから、今は言うこと聞いて」


詩織は迷った。


だが、端末だけは見られたくない。その焦りが勝ったのか、拳銃へ伸びていた手を完全には離さないまま、端末を身体の後ろへ隠そうとする。


その動きを見て、葵が踏み込んだ。


右脚へ鋭い痛みが走り、顔が歪む。それでも距離が近かったこともあり、詩織が反応するより先にその手首を掴むことができた。


「ちょっと、葵!」


「銃だけ預かる!」


「待って!」


「今は持たせておけない!」


「抜くつもりなんてないって言ってるでしょ!」


二人が揉み合い始め、佳子も慌てて間へ入った。


「二人ともやめて!」


「佳子、詩織を止めて!」


「何で!?」


「いいから!」


詩織は必死に抵抗したが、葵が奪おうとしているのは最初から拳銃そのものだった。蓮の銃だと知っているからこそ、こんな状況で事故が起こる前に自分が預かっておく必要があると判断したのだ。


やがて拳銃が詩織の手から離れ、葵の手へ渡る。


「返して!」


「条件を確認したら返すか考える」


「何で条件まで見せなきゃいけないの!」


「だったら神谷と何の関係があるのか説明して!」


「言えない!」


「じゃあ確認する!」


「やめて!」


詩織が端末を守ろうとする。


「お願い、それは見ないで!」


「詩織!」


佳子が肩を掴む。


「一回落ち着いて!」


「佳子まで……!」


「だって今の詩織、おかしいよ! 端末を見た途端、蓮が生きてるかもしれないって言ったんだよ?」


その言葉に、詩織の動きが一瞬止まった。


その隙に、葵が端末へ手を伸ばす。


「駄目!」


詩織が守ろうとしたものの、右脚を負傷している葵と、必死に二人を止めようとする佳子が入り乱れ、最後には端末が詩織の手から離れた。


葵が受け取る。


「返して……」


詩織の声が変わった。


さっきまでの強い抵抗ではない。


怯えていた。


「お願い……」


その様子を見て、葵は一瞬だけ迷った。


しかし、ここまで来て見なかったことにはできない。


画面を操作する。


そして表示された文章を見た瞬間、葵の表情から感情が消えた。


《INDIVIDUAL CLEAR CONDITION》


《24時間以上行動を共にした参加者を1名殺害してください》


《該当する参加者が存在しない場合、現時点で最も長く行動を共にした参加者を1名殺害してください》


葵は何も言わなかった。


その横から、佳子も画面を見る。


最初は意味を理解するまでに時間がかかった。


しかし、誰が対象になるのかを考えた瞬間、佳子の顔色が変わった。


詩織がこの島で最も長く行動を共にしてきた参加者。


「……蓮?」


佳子の声が、建物の中へ小さく響いた。


詩織は答えなかった。


答えられなかった。


「詩織」


佳子がゆっくり振り返る。


「これ……蓮なの?」


長い沈黙のあと、詩織は俯いたまま小さく頷いた。


「……そうだと思う」


その瞬間、三人の間にあった空気が変わった。


ついさっきまで、佳子は詩織との再会を心から喜んでいた。蓮が死んでいるかもしれないと知って取り乱す詩織を見ても、それだけ蓮のことを大切に思っているのだと感じていた。


なのに、その詩織が首輪を外すために求められていることは、蓮を殺すことだった。


佳子は無意識に一歩だけ距離を取った。


その動きを、詩織は見逃さなかった。


「違う」


すぐに首を横へ振る。


「私、蓮を殺すつもりなんてない」


葵は答えない。


「本当だよ。だから言えなかったの」


「……だから隠してたの?」


佳子が尋ねる。


詩織は頷いた。


「言ったら……絶対こうなると思ったから」


佳子は言葉を失った。


否定できなかった。


条件を知った瞬間、自分は詩織から離れた。


「私は蓮を殺したくない」


詩織は必死に言葉を続ける。


「首輪が外れなくても……そんなことしたくない」


「でも」


葵が静かに口を開いた。


「死ぬのは怖いでしょ?」


詩織が黙る。


「神谷を殺せば自分は助かる。そういう状況になっても、絶対に何もしないって言い切れる?」


「……」


答えられない。


蓮を殺したくない。


それは本心だった。


けれど、死にたくないという気持ちも同じくらい本物だった。


「私だって……死にたくないよ」


詩織の目から涙が零れた。


「怖いよ。こんなの外したいに決まってる。でも……だからって蓮を殺せるわけないじゃん……」


声が震える。


「どうしたらいいか分からないんだよ……」


佳子は詩織を見つめた。


条件を知った以上、完全に警戒を解くことはできない。


それでも、今の言葉まで嘘だとは思えなかった。


この条件を与えられ、誰にも言えず、ずっと一人で抱えていた。詩織自身もまた、このゲームによって逃げ道のないところまで追い詰められている。


「……様子を見よう」


佳子が言った。


葵が佳子を見る。


「詩織が危険じゃないとは言えない。でも、今ここで敵だって決めるのも違うと思う」


「佳子……」


「ただ」


佳子は詩織を見る。


その目には、再会した直後にはなかった警戒が残っていた。


「ごめん。条件を知る前と同じにはできない」


詩織はしばらく佳子を見つめたあと、小さく頷いた。


「……うん」


責めることなどできなかった。


もし逆の立場だったら、自分だって同じように警戒するだろう。


葵は詩織から奪った端末へ視線を落とした。


画面の端には、この端末を示すアルファベットが表示されている。


A。


蓮を殺すことが条件となっている詩織。


それでも蓮が死んだかもしれないと知った時、あれほど取り乱した。


どちらも嘘には見えなかった。


だからこそ、厄介だった。


誰が敵で誰が味方なのか。条件だけで判断することもできなければ、言葉だけを信じることもできない。


佳子は黙ったまま窓の外へ視線を向けた。


降り続いていた雨は、いつの間にかほとんど止んでいた。


蓮が生きているのかどうかは、まだ誰にも分からない。


それでも詩織は、自分の端末を握る葵を見つめながら、たった一つの可能性に縋っていた。


条件が変わっていない。


それだけで生存を証明できるわけではないと分かっている。


それでも今は。


蓮がまだどこかで生きていると信じたかった。

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