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エクストラバレット  作者: ほむら
1章 エクストラバレット

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第70話 相馬と美月

雨は、ようやく弱まり始めていた。


それでも森の中には、枝葉から落ち続ける雫の音が絶え間なく響いている。


濡れた土を踏みながら、相馬直人は木々の間を進んでいた。


歩くたびに、右脚へ鋭い痛みが走る。


古瀬聡子に撃たれた太腿の傷だった。


腕にも銃創がある。出血は完全には止まっておらず、濡れた服の下では血が滲み続けている。


そして胸。


そこにも聡子の放った銃弾を受けていた。


だが、それだけは身体へ到達していなかった。


相馬が服の下に着込んでいた防弾チョッキが、銃弾を受け止めていたからだ。


もし着ていなければ。


今頃、自分も聡子と同じように死んでいたかもしれない。


そう考えるだけで、背筋に冷たいものが走る。


もちろん、防弾チョッキが銃弾を止めたからといって、何事もなかったわけではない。


撃たれた時の衝撃は強烈だった。


深く息を吸えば胸の奥へ鈍い痛みが走り、身体を大きく動かすだけでも苦しい。


それでも。


生きている。


腕は動く。


脚も、引きずりながらなら歩ける。


なら。


進むしかなかった。


「……くそっ」


相馬は木の幹へ手をつき、わずかに身体を休ませた。


息が荒い。


全身が雨に濡れているせいで、腕や太腿からどれだけ血が流れているのかも分かりにくい。


本当なら。


安全な場所を探して休むべきなのだろう。


傷の手当ても必要だった。


だが、そんな時間が自分に残されているのか分からない。


相馬はゆっくり顔を上げた。


頭の中に浮かぶのは、あの表示だった。


《INDIVIDUAL CLEAR CONDITION》


《2nd STAGE開始時点で生存していた、自分以外の参加者13名全員の死亡を確認してください》


最初に見た時は。


何かの間違いだと思った。


その前までの条件は違った。


自分は達成した。


間違いなく達成した。


端末にも条件達成と表示された。


これで首輪が外れる。


これで助かる。


そう思った。


それなのに。


首輪は外れなかった。


《SYSTEM ERROR》


たったそれだけの文字で。


相馬が手に入れたはずの生存は取り上げられた。


そして。


誰かが死んだ後。


条件そのものが変わった。


自分以外の参加者全員の死亡確認。


ふざけている。


今でもそう思う。


だが。


怒っても。


叫んでも。


条件は変わらない。


なら。


やるしかない。


生きるためには。


「俺は……死なねえ」


相馬は呟いた。


誰に聞かせるでもない。


自分自身へ言い聞かせるためだった。


「絶対に……生きて帰る」


その時だった。


相馬の足が止まった。


前方。


雨音に混じって。


何かが聞こえた。


土を踏む音。


一度。


二度。


不規則に。


誰かがいる。


相馬は呼吸を抑えた。


痛む身体を木の陰へ寄せる。


手にしていた短機関銃を構えながら、木々の隙間へ視線を向けた。


しばらく。


何も見えない。


だが。


確かにいる。


相馬は待った。


やがて。


木々の向こうに人影が現れた。


女。


濡れた髪。


泥で汚れた服。


周囲を怯えるように確認しながら歩いている。


その顔を。


相馬は知っていた。


「……橘」


橘美月。


首輪はない。


1st STAGEで条件を達成し、首輪を外すことに成功した参加者の一人。


美月は一人だった。


相馬は周囲を見る。


他には誰もいない。


どうして一人なのか。


誰と行動していたのか。


そんなことは。


今の相馬にはどうでもよかった。


端末へ目を落とす。


美月の死亡は、まだ確認されていない。


つまり。


自分の条件に残っている一人。


相馬の指が。


ゆっくり引き金へかかった。


*


美月は。


どこへ向かっているのか、自分でも分からなくなっていた。


「佳子……」


何度目か分からない名前を呼ぶ。


返事はない。


莉奈に襲われたあの時。


佳子を逃がした。


あれでよかった。


そう思っている。


自分が残れば。


少しでも莉奈を引きつけられる。


その間に佳子が逃げられる。


そう思ったから。


だから残った。


だが。


莉奈は違った。


自分など。


ほとんど見ていなかった。


美月が立ちはだかっても。


莉奈の視線は、その先にいた佳子ばかりを追っていた。


必死になって止めようとしても。


簡単にかわされた。


そして。


莉奈は佳子を追って消えた。


「……なんなのよ」


美月は唇を噛んだ。


自分は何もできなかった。


佳子を守ると決めたのに。


結局。


守れたのかどうかすら分からない。


あれから美月は、佳子の後を追おうとした。


しかし雨が強くなり。


森の地面は荒れ。


足跡も分からなくなった。


さらに。


遠くから爆発音まで聞こえた。


一度ではない。


何が起きているのか。


もう分からない。


「佳子……無事だよね」


答える人はいない。


美月は自分の首元へ触れた。


そこにはもう。


首輪はない。


ゲーム開始当初。


あれほど恐ろしかったもの。


条件を達成し。


端末を読み込ませ。


外れた瞬間。


助かったと思った。


これで生きて帰れる。


そう思った。


なのに。


ゲームは終わらなかった。


人が死んだ。


残された参加者たちの条件が変わった。


そして。


殺し合いが始まった。


首輪がないから安全。


そんなものではなかった。


むしろ。


首輪が外れていることを理由に狙われる可能性さえある。


「帰りたい……」


美月の口から。


自然と言葉が漏れた。


「もう……帰りたいよ……」


その時。


背後で。


小さな音がした。


美月の身体が止まる。


枝を踏んだような音。


ゆっくり。


振り返る。


「……誰?」


誰もいない。


木々。


雨。


薄暗い森。


「佳子……?」


返事はなかった。


美月はしばらくその場に立っていた。


胸の鼓動が速くなる。


気のせい。


そう思いたかった。


だが。


この島で。


そんな楽観はできない。


美月は歩き始めた。


先ほどより速く。


一歩。


また一歩。


やがて。


歩く速度がさらに上がる。


後ろは見ない。


見たくない。


その時。


また聞こえた。


今度は。


明らかに足音だった。


美月が振り返った。


「誰!?」


木の陰から。


人影が現れた。


「……っ!」


美月の顔が強張る。


男。


血と泥に汚れている。


歩き方もおかしい。


明らかに負傷していた。


「相馬……さん?」


相馬は答えなかった。


その手に。


銃がある。


美月の視線がそこへ落ちた。


そして。


銃口が自分へ向けられていることに気づく。


「……それ」


相馬は黙っている。


美月の呼吸が止まりそうになる。


「何で……私に向けてるの?」


相馬の顔が歪んだ。


「……悪い」


低い声。


それだけで。


美月には十分だった。


身体が勝手に動いた。


振り返り。


走る。


「待て!」


待つわけがない。


美月は全力で走った。


濡れた地面に何度も足を取られそうになる。


木の枝が顔へ当たる。


それでも止まらない。


「嫌……!」


どうして。


どうして。


頭の中に浮かぶのは、そればかりだった。


自分はもう首輪を外した。


条件も達成した。


誰かを殺したわけでもない。


それなのに。


どうして。


「待って!」


美月は走りながら叫んだ。


「私、何もしてない!」


後方から相馬の足音が聞こえる。


だが。


速くない。


相馬は明らかに負傷している。


走るたびに、追ってくる足音が乱れている。


逃げ切れるかもしれない。


そう思った。


「お願い!」


美月は振り返らないまま叫んだ。


「話そうよ!」


返事はない。


「相馬さん!」


美月の目から涙が溢れた。


「私、首輪も外れてるから!」


だから。


殺す必要なんてない。


そう言いたかった。


だが。


相馬にとっては。


それは何の意味も持たなかった。


むしろ。


首輪があるかどうかすら。


もう関係がない。


相馬の条件は。


2nd STAGE開始時点で生存していた、自分以外の十三人。


その全員の死亡を確認すること。


ただそれだけだった。


「……俺だって」


相馬の声が聞こえた。


美月は走りながら耳を澄ませる。


「こんなこと……したくてやってるんじゃねえよ!」


美月の表情が歪む。


「だったらやめてよ!」


叫び返す。


「やめればいいじゃん!」


その言葉に。


相馬の足が一瞬止まった。


やめればいい。


簡単な言葉だった。


相馬だって。


何度もそう思った。


誰も殺さず。


どこかに隠れて。


時間が過ぎるのを待つ。


だが。


それでどうなる。


首輪は外れない。


条件は達成されない。


ゲームが終わった時。


自分がどうなるのか。


考えるまでもない。


一度。


助かるはずだった。


自分は条件を達成した。


それなのに。


理由も分からないSYSTEM ERRORによって奪われた。


二度目まで。


奪わせるつもりはなかった。


「……無理なんだよ」


相馬が呟く。


美月には聞こえなかった。


相馬は短機関銃を構えた。


負傷した腕に痛みが走る。


照準が揺れる。


太腿の傷も。


胸に残った銃撃の衝撃も。


身体の動きを鈍らせている。


それでも。


相馬は引き金を引いた。


森に銃声が響いた。


「きゃっ!」


美月の身体が大きく揺れた。


だが倒れない。


走る。


相馬は歯を食いしばった。


「止まれ!」


「嫌!」


美月は泣きながら走った。


「死にたくない!」


その言葉に。


相馬の指が。


一瞬だけ止まる。


死にたくない。


同じだった。


相馬も。


同じだった。


「私……何もしてないのに!」


美月が叫ぶ。


「私だって帰りたい!」


相馬の顔が歪む。


「……俺もだよ」


そして。


再び銃声が響いた。


美月の身体が前へ崩れた。


濡れた地面へ倒れる。


「……っ」


それでも。


美月は動いた。


地面へ手をつき。


立とうとする。


「佳子……」


震える声で。


その名前を呼んだ。


「佳子……」


相馬が近づいてくる。


負傷した脚を引きずりながら。


ゆっくり。


美月は顔だけを動かした。


「……来ないで」


相馬は止まらない。


「お願い……」


美月の目に涙が溜まる。


「私……死にたくない……」


相馬の顔が歪んだ。


自分が。


何をしているのか。


分かっている。


この女は。


自分に何もしていない。


敵ですらない。


それでも。


相馬の首には。


まだ首輪がある。


「……悪い」


美月が首を横へ振る。


「嫌……」


「悪い」


「やだ……」


相馬は銃を向けた。


美月は泣いていた。


「佳子……」


最後まで。


呼んだのは。


その名前だった。


森に。


銃声が響いた。


そして。


美月は動かなくなった。


*


相馬は。


しばらくその場から動けなかった。


雨粒が。


美月の頬へ落ちる。


目は閉じている。


もう。


声は聞こえない。


相馬は銃口を下ろした。


「……くそ」


何に対しての言葉なのか。


自分でも分からない。


美月に対してなのか。


このゲームに対してなのか。


自分から一度は手に入れたはずの生存を奪った何者かに対してなのか。


それとも。


引き金を引いた自分自身に対してなのか。


端末が振動した。


相馬はゆっくり取り出す。


画面を見る。


《DEATH CONFIRMATION》


《対象参加者1名の死亡を確認しました》


続いて。


表示が切り替わる。


《INDIVIDUAL CLEAR CONDITION》


《進行状況を更新しました》


《残存対象:6》


相馬は。


その数字を見つめた。


六。


あと六人。


六人の死亡を確認すれば。


自分は条件を達成する。


そういう意味だった。


「……あと六人」


口に出す。


妙に。


現実味のない数字だった。


相馬は美月を見る。


一人。


さっきまで。


泣いて。


逃げて。


死にたくないと言っていた人間。


佳子の名前を呼んでいた人間。


それが。


端末の中では。


数字を一つ減らしただけだった。


相馬は目を閉じた。


その瞬間。


聡子の顔が浮かんだ。


自分へ銃を向けた女。


ゲームマスター。


そして。


爆発の直前まで蓮を生かそうとしていた女。


あの時。


防弾チョッキがなければ。


自分は死んでいた。


美月ではなく。


自分が死亡者の一人になっていた。


相馬は胸元へ手を当てた。


服の下。


銃弾を止めた防弾チョッキ。


「……まだ死ぬなってことだろ」


誰に向けた言葉なのか。


分からない。


運なのか。


神なのか。


それとも。


ただ自分に都合のいい解釈なのか。


それでも。


相馬はそう思うことにした。


自分は。


まだ生きている。


だったら。


「……生きるんだ」


誰かへ許しを求めるように。


相馬は呟いた。


「俺は……生きて帰る」


美月の亡骸へ背を向ける。


腕と太腿の傷を抱え。


胸の痛みに耐えながら。


足を引きずって。


森の奥へ消えていく。


その場には。


橘美月だけが残された。


少しずつ弱くなっていく雨の中。


彼女が最後に呼んだ名前へ。


その声が届くことはなかった。

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