第64話 裏の姿
「私も実は――ゲームマスターなんだ」
雨音に紛れることなく、その言葉は蓮の耳にはっきりと届いた。
しばらく、意味を理解できなかった。
蓮は莉奈の顔を見たまま動かなかった。
冗談を言っているようには見えない。
笑って誤魔化そうとしているわけでもない。
ただ、蓮がどう反応するのかを待っている。
「……お前も?」
ようやく出た声は、自分でも分かるほど低かった。
莉奈は小さく頷いた。
「うん」
「ゲームマスター……なんだよな?」
「そうだよ」
もう一度確認しても答えは変わらない。
蓮の頭に、聡子の姿が浮かんだ。
参加者の中へ紛れ込み、ゲームを内側から動かす存在。
ゲームマスター。
その一人が聡子だった。
そして今。
目の前にいる莉奈まで、自分は同じ立場だと言っている。
「……何人いるんだよ」
「分からない」
予想していなかった答えだった。
「分からない?」
「うん」
莉奈は壁へ背中を預けた。
「ゲームマスターだからって、全部教えてもらえるわけじゃないから」
蓮は黙って莉奈を見る。
「他のゲームマスターが誰なのかも?」
「最初から名前を教えてもらったりはしないよ」
「じゃあ、古瀬さんのことも知らなかったのか?」
莉奈は少し考えてから答えた。
「最初から確実に知ってたわけじゃない。でも、見てたら大体分かる」
「見てたら?」
「動き方が違うから」
莉奈は自分の膝へ腕を置いた。
「普通の参加者は、まず自分が助かる方法を探すでしょ。条件を確認して、食べ物や武器を探して、誰を信用するか考える」
蓮は何も言わない。
確かに、自分もそうだった。
目を覚ました時。
まず端末を確認した。
ルールを調べた。
詩織と出会い、他の参加者と接触し、どうすれば首輪を外せるのかを考え続けた。
「でもゲームマスターは、それだけじゃない」
莉奈が続ける。
「ゲームが止まりそうになった時に動く。誰も何もしなくなったり、全員が同じ場所でずっと様子を見始めたり、進まなくなった時に……少しだけ流れを変える」
「……進ませるために?」
「うん」
「殺し合わせるためか」
莉奈はすぐには頷かなかった。
「必ずそうするわけじゃないよ」
「でも必要ならやる?」
「……そういう役目だから」
蓮の表情が険しくなる。
莉奈はそれを見ても目を逸らさなかった。
「私たちがルールを決めてるわけじゃない。誰を参加させるか決めるわけでもないし、条件を作ってるわけでもない」
「でも運営側なんだろ」
「うん」
「だったら同じじゃないのか」
その言葉に、莉奈は少しだけ黙った。
蓮の脳裏には聡子の最期が残っている。
自分は普通に生きたかった。
死にたくない。
そう言っていた。
運営側でありながら、首輪をつけられ、地雷の上に立ち、最後には死んだ。
蓮は床へ置かれた莉奈の首輪を見る。
「……お前にも、本物の首輪がついてた」
「そうだよ」
「条件を失敗したら?」
「死ぬ」
即答だった。
「ゲームマスターでも?」
「関係ないよ」
莉奈は何でもないことのように言った。
「参加したら、私たちもプレイヤーだから」
蓮の眉が寄る。
「運営側なのに、自分たちの人間まで殺すのかよ」
「そういうゲームだから」
その言い方に、蓮は嫌悪感を覚えた。
「やっぱり狂ってるよ」
莉奈は否定しなかった。
蓮は続けた。
「ゲームを進めるために人間を中へ入れて、そいつにも爆弾付きの首輪をつける。失敗したらそいつまで殺す」
拳を握る。
「何がしたいんだよ、そいつら」
「……ゲームを続けたいんだと思う」
「何のために?」
莉奈は蓮を見た。
その問いには、答えを持っているようだった。
だが、その前に蓮には聞いておきたいことがあった。
「古瀬さんは、二回目の参加者もいるって言ってた」
「いるよ」
「やっぱり本当なのか」
「うん」
莉奈は頷いた。
「前のゲームを生き残った人が、もう一度参加させられることがある」
「自分から戻ってくるのか?」
「それは人によると思う」
「思う?」
「全員の事情なんて知らないから」
莉奈はあっさりと言った。
「二回目の人が誰なのかも、私は最初から教えてもらってないよ」
「ゲームマスターなのに?」
「うん」
蓮は眉を寄せた。
「じゃあ、二回目の参加者がいても、お前には分からない?」
「本人が言わなかったら、確実には分からない」
「動きで分かったりしないのか?」
「怪しいとは思うかも」
莉奈は少し考える。
「初めての人より落ち着いてたり、端末の扱いに慣れてたり、危険な場所を避けるのが早かったり。そういう人を見たら、前にも参加したことがあるのかなって思うことはあるよ」
「でも確定はできない」
「うん」
「ゲームマスターは分かるのに?」
「そっちは分かりやすいことが多いから」
「何でだ」
「私と同じことをしようとするから」
莉奈の答えに、蓮は黙った。
ゲームの進行を見る。
停滞すれば動かそうとする。
参加者として生き残るだけでは説明できない行動。
同じ役割を持つ者だからこそ、それに気づく。
「……じゃあ、三回目は?」
蓮が尋ねた。
莉奈は少し首を傾げた。
「三回目?」
「二回目がいるなら、三回目の奴もいるんじゃないのか」
莉奈はすぐには答えなかった。
「私は見たことないよ」
「いないってことか?」
「分からない」
「またそれか」
「本当に知らないんだもん」
莉奈は少し困ったように笑った。
「二回目の参加者は見たことがある。でも、三回目は一度もない」
「じゃあ二回までって決まりなんじゃないのか?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない」
「……」
「たぶん、何かルールがあるんだと思う」
「再参加させるための?」
「うん」
莉奈は頷いた。
「誰をもう一度入れるのか。どういう人を選ぶのか。何回までなのか。そういうのを決める基準があるんだと思う。でも私は知らない」
「お前にも教えないのか」
「教えてもらう必要がないからじゃない?」
その一言に、ゲームマスターという立場の異様さが見えた気がした。
運営側ではある。
だが、運営そのものではない。
必要な情報だけを与えられ、島へ送り込まれる。
条件を与えられ。
首輪までつけられる。
「ゲームマスターって……」
蓮は呟いた。
「運営側っていうより、運営に使われてるだけなんじゃないのか」
莉奈は一瞬黙った。
それから。
「そうかもね」
軽く答えた。
だが、その声は少しだけ寂しそうだった。
蓮は壁へ頭を預けた。
まだ分からないことばかりだ。
「さっき言ったよな」
「何を?」
「何のためにこんなゲームをやってるのかって聞いた時」
蓮は莉奈を見る。
「お前、何か知ってる顔してた」
莉奈は少し笑った。
「蓮って、そういうところよく見てるよね」
「誤魔化すな」
「誤魔化してないよ」
莉奈は膝を抱えるように座り直した。
「でも……聞いたら、もっと嫌になると思う」
「今さらだろ」
蓮の答えに迷いはなかった。
「知ってることは全部話せ」
莉奈は蓮を見つめた。
聡子は言えなかった。
何度尋ねても、話せないことがあると言った。
だが莉奈は違った。
「分かった」
それだけだった。
「じゃあ話すね」
莉奈はあまりにも簡単に言った。
「このゲーム、見てる人がいるんだよ」
蓮の表情が止まった。
「……見てる?」
「うん」
「誰が」
「お金持ちとか、偉い人とか。そういう人たち」
意味が分からなかった。
「何を見てるんだ」
莉奈は蓮を見る。
「私たち」
雨音が急に遠くなったように感じた。
「……どういう意味だ」
「そのままの意味だよ」
「どこから」
「島にはカメラがいっぱいあるから」
莉奈は天井を見上げた。
「音も拾ってる」
蓮は反射的に周囲を見る。
古びた施設。
ひび割れた壁。
暗い天井。
今まで気にしたこともなかった。
「……ここにもあるのか」
「あるかもしれない」
「お前には分からないのか」
「全部の場所までは知らないよ。でも島のあちこちにある」
莉奈は特に声を潜めようともしなかった。
「じゃあ……」
蓮はゆっくりと莉奈へ視線を戻した。
「今の話も聞かれてる可能性があるのか?」
「うん」
「お前が俺に話してることも?」
「たぶんね」
「だったら何で――」
言いかけて止まる。
莉奈は笑っていた。
「別にいいよ」
「よくないだろ」
「私は蓮に教えたいから話してるの」
「運営側なんだろ、お前」
「そうだよ」
「こんなこと話していいのか?」
「駄目かもしれないね」
「お前……」
蓮には理解できなかった。
「それでも話すのか」
「うん」
迷いはなかった。
「蓮だから」
また、その答えだった。
蓮は何も言えなくなる。
莉奈はそのまま続けた。
「見てる人たちは、ただ見てるだけじゃないよ」
「……何だよ」
「賭けてるの」
「賭ける?」
「誰が生き残るか」
莉奈の声は淡々としていた。
「誰がクリアするか。誰が死ぬか。そういうの」
蓮は莉奈の言葉を理解するまで数秒かかった。
そして。
「……は?」
低い声が漏れた。
「俺たちに……賭けてる?」
「うん」
「人が死ぬかどうかに?」
「そう」
蓮の顔から血の気が引いた。
中央広場。
積み重なった死体。
美咲。
真由。
藤堂。
高橋。
三浦。
白石。
聡子。
この島で見てきた死が、一つずつ頭に浮かんだ。
その向こう側に。
それを見ていた人間がいる。
安全な場所で。
金を出して。
誰が生きるか。
誰が死ぬか。
それを予想していた。
「……ふざけんな」
蓮の声が震えた。
怒りだった。
「俺たちが殺されるところを見て……金を賭けてるのか?」
「うん」
「そんな奴らのために、このゲームをやってるのか?」
「少なくとも、観客はいる」
莉奈は自分が知っている範囲を越えて断定しなかった。
「ゲームそのものを誰が最初に作ったのかとか、全部の目的までは私も知らない。でも、観客がいるのは本当」
「……狂ってる」
また同じ言葉が出た。
だが今度は、さっきより遥かに重かった。
「本当に……狂ってる」
莉奈は何も言わない。
「俺たちは見世物かよ」
蓮は拳を床へ叩きつけそうになり、身体の痛みで止まった。
「俺にも賭けてる奴がいるのか」
「いると思うよ」
「お前にも?」
「いるよ」
即答だった。
蓮が顔を上げる。
「ゲームマスターにも賭けるのか?」
「もちろん」
「運営側なのに?」
「観客から見たら関係ないんじゃない?」
莉奈は少し考えた。
「むしろゲームマスターは、賭ける人には分かりやすいかも」
「どういう意味だ」
「ゲームに慣れてるから」
莉奈は説明を続ける。
「観客に最初から『この人はゲームマスターです』って表示されるわけじゃないよ」
「じゃあ何が見える」
「名前とか、年齢とか、仕事とか。あと顔写真」
「それだけ?」
「最初はね」
「端末は?」
「表示されない」
「条件も?」
「されないよ」
「二回目かどうかも?」
「それも」
蓮は考える。
「じゃあ観客にも、誰がゲームマスターか分からないんじゃないのか」
「初めて見る人ならね」
莉奈は答えた。
「でも、ずっとこのゲームを見てる人なら気づく」
「……顔か」
「うん」
ゲームマスターは、一度だけ島へ入るとは限らない。
何度も観戦している人間なら、以前のゲームに出ていた顔を覚えている。
「またこいつがいるって分かるのか」
「そういうこと」
「だったら最初から有利だって分かって賭けられる」
「うん」
莉奈は少し笑った。
「ゲームマスターって、賭けで言ったら人気のある本命みたいなものだから」
蓮は眉を寄せる。
「本命?」
「普通の初参加の人よりゲームのことを知ってる。経験もある。だから生き残るって思われやすい」
「……」
「その分、賭けてもあんまり増えないみたい」
蓮は呆れたように莉奈を見る。
「そんなところまで賭け事なのかよ」
「そうみたい」
「じゃあ、何も知らない奴が生き残った方が……」
「当たった時は大きいんじゃない?」
莉奈は何でもないことのように答えた。
その言葉が、蓮にはひどく気持ち悪かった。
自分たちの経験。
恐怖。
傷。
そして死。
その全てが、向こう側では数字になっている。
「……父さん」
無意識に言葉が漏れた。
莉奈の表情が変わった。
蓮は気づかない。
父はこのゲームに関わるなと言った。
あの言葉の意味が、少しずつ別の形を持ち始めている。
「古瀬さんは……」
蓮は顔を上げた。
「ここまで教えてくれなかった」
「うん」
「お前は何で話せるんだ」
莉奈はしばらく蓮を見つめた。
「聡子さんには聡子さんの考えがあったんじゃない?」
「お前にはないのか」
「あるよ」
「だったら――」
「私の考えは、蓮に隠したくないってこと」
言葉を遮られた。
莉奈はまっすぐ蓮を見る。
「私が知ってることなら、蓮には全部話していい」
「……何で」
「蓮だから」
三度目だった。
だが今回は、その言葉を聞き流せなかった。
「それだよ」
蓮が言う。
「ずっと、それだ」
莉奈の笑みが少し消える。
「俺だからって、何なんだよ」
「……」
「初めて会った時からお前はおかしかった」
蓮は続ける。
「俺のことを知ってるみたいに話す。さっきも『変わらない』って言った」
莉奈は黙っている。
「何で俺を助ける」
答えはない。
「何で自分の端末まで渡した」
莉奈の指がわずかに動く。
「何で運営に聞かれてるかもしれないのに、俺にこんなことまで話す」
蓮は莉奈から目を逸らさなかった。
「お前は……俺の何なんだよ」
長い沈黙が落ちた。
雨だけが降り続いている。
やがて。
莉奈が小さく口を開いた。
「……本当に覚えてないんだね」
蓮の眉が寄る。
「何を?」
莉奈の表情から、笑みが消えた。
怒っているわけではない。
それよりも。
ずっと期待していたものを、ようやく諦めたような顔だった。
「蓮と私が、最初に会った時のこと」
「……最初?」
「うん」
蓮は記憶を探る。
だが、何も出てこない。
「この島じゃなくて?」
「違うよ」
「じゃあ、どこで……」
莉奈は少しだけ寂しそうに笑った。
「やっぱり、覚えてないんだ」
その声には、今までの莉奈にはなかった痛みが混じっていた。
蓮は何も言えない。
莉奈は膝を抱え、そこへ顎を乗せた。
「私はずっと覚えてたのに」
「……莉奈」
「蓮は忘れちゃったんだね」
「待て。本当に俺たちは――」
「会ってるよ」
莉奈ははっきり答えた。
「ずっと前に」
蓮の胸の奥で、何かが引っかかった。
だが形にはならない。
顔も。
場所も。
声も。
何一つ思い出せなかった。
莉奈はそんな蓮を見つめていた。
そして、しばらくして。
「じゃあ、思い出させてあげる」
「……何を」
莉奈はゆっくり顔を上げた。
その瞳には、今いる雨の島ではない。
もっと遠い何かが映っているようだった。
「蓮と私が、最初に会った時のこと」
雨音が遠ざかっていく。
莉奈の中にだけ残り続けていた記憶。
まだ二人が、このゲームの存在さえ知らなかった頃。
神谷蓮が忘れてしまった――。
二人の最初の記憶へ。




