第61話 怒りの発砲
雨粒が、頬を伝っていた。
蓮は動けなかった。
目の前に落ちたものから、視線を外すことができない。
泥の上に横たわる腕。
ついさっきまで、それは聡子の身体につながっていた。
あの手で端末を触り、詩織の壊れた端末を修理した。
あの手で拳銃を握り、相馬を撃った。
そして数秒前まで、聡子は生きていた。
――生きてください。
最後の声が、耳鳴りの奥で何度も繰り返される。
「……古瀬さん」
返事はなかった。
爆発で抉られた地面。
折れた枝。
飛び散った土。
そして、その中に残されたもの。
どれだけ見ても、古瀬聡子という人間がもういないという事実を、頭が受け入れようとしなかった。
雨が少しずつ強くなる。
土煙が薄れていく。
その向こうで――何かが動いた。
蓮の目が止まった。
木の根元。
人影が、身体を起こそうとしている。
「……っ」
相馬だった。
聡子に撃たれた腕を庇い、片脚を引きずるようにしながら、それでも立ち上がろうとしている。
太腿。
腕。
そして胸。
どこから流れているのか分からない血が服を濡らしていた。
それでも生きている。
「ぐ……っ」
相馬は木へ手をつき、どうにか身体を起こした。
顔が苦痛に歪む。
呼吸も荒い。
それでも逃げようとしていた。
蓮の中で、何かが切れた。
「……お前」
相馬が顔を上げる。
蓮と目が合った。
その瞬間。
蓮の手が動いた。
大きなリボルバーが持ち上がる。
「お前えええええっ!」
蓮は引き金を引いた。
凄まじい銃声が響いた。
反動が腕から肩へ突き抜ける。
身体が後ろへ持っていかれそうになる。
弾丸は相馬を外れた。
相馬のすぐ横。
地面へ着弾する。
次の瞬間、土が爆ぜた。
「うわっ!」
相馬が身体を投げ出す。
湿った土と小石が大量に跳ね上がり、周囲へ降り注いだ。
地面には大きく抉れた跡が残っている。
相馬は目を見開いた。
先ほども見た。
あの銃の威力。
当たれば終わる。
「くそっ……!」
相馬は傷ついた身体を引きずるようにして木の陰へ逃げ込んだ。
「待て!」
蓮が追おうとする。
だが腕が痺れていた。
一発撃っただけで、手の感覚がおかしい。
先ほど聡子と医療品を取りに行った時に撃った一発。
そして今の一発。
分かっていたつもりだった。
この銃は普通ではない。
それでも怒りに任せて撃った。
狙いもまともにつけられていなかった。
「逃がすか……!」
蓮は両手で大きなリボルバーを握り直す。
木の陰。
相馬の姿が見えない。
「出てこい!」
返事はない。
「相馬!」
蓮は前へ進む。
聡子の言葉など、その瞬間だけは頭から消えていた。
生きてほしい。
そう言われたばかりなのに。
怒りが、それを押し流していた。
聡子を撃った。
何度も。
逃げられない聡子へ、あれだけの弾丸を浴びせた。
許せなかった。
「相馬!」
木の向こうで、荒い呼吸が聞こえる。
蓮は銃口を向けた。
「出てこい!」
その時。
木の陰から何かが飛んできた。
小さな物体。
弧を描きながら、蓮の前方へ落ちてくる。
蓮の目がそれを追う。
一瞬。
何なのか分からなかった。
だが――。
相馬が姿を見せた。
「……死ね!」
その言葉と同時に、蓮は理解した。
「っ!」
手榴弾。
蓮は反射的に後ろへ跳んだ。
だが相馬が投げたそれは、蓮のすぐそばには落ちなかった。
地面を一度跳ねる。
転がる。
爆発で荒れた地面を、不規則に転がっていく。
聡子がいた場所へ。
「……!」
蓮の顔色が変わった。
そこにはまだ、聡子の痕跡が残っている。
そして。
爆発で飛び散った土の中に、もう一つ。
黒い物が落ちていた。
端末。
相馬が持っていたものだった。
先ほど聡子に撃たれ、倒れた際に荷物の一部が散らばっていた。
相馬自身の端末とは別の端末。
真由が持っていた、アップグレード済みのPLAYER TERMINAL――M。
相馬は気づいていなかった。
自分が逃げることだけで精一杯だった。
手榴弾が、その近くへ転がる。
「まずい!」
蓮が身体を伏せた。
直後。
爆発。
轟音が森を揺らした。
炎と土が一気に広がる。
聡子が踏んでいた地雷の爆発とは違う衝撃が、もう一度周囲を襲った。
真由の端末が地面から跳ね上がる。
外装が割れる。
画面が砕け、内部から火花が散った。
地面へ落ちた端末へ、さらに破片が叩きつけられる。
一度。
二度。
黒い筐体が大きく割れた。
画面は完全に消える。
Mの文字が刻まれていた部分も砕け、原形を失っていく。
アップグレード済みPLAYER TERMINAL――M。
破壊。
だが。
その事実を確認している者は、この場にはいなかった。
蓮にも。
逃げる相馬にも。
それが何を意味するのか分からない。
そして爆発の衝撃は、端末だけでは終わらなかった。
「ぐっ……!」
伏せていた蓮の身体が爆風に押された。
腕で頭を守る。
それでも身体が浮いた。
地面から離れる。
視界が激しく回転する。
「――っ!」
背中から木へ叩きつけられた。
息が消えた。
肺の中の空気が一気に押し出される。
声すら出ない。
そのまま地面へ落ちる。
大きなリボルバーが手から離れ、少し離れた泥の上へ転がった。
「……っ……」
蓮は息を吸おうとした。
入らない。
胸が苦しい。
背中が痛い。
耳鳴りがさらに強くなる。
視界が滲んでいた。
木々が二重に見える。
雨粒が顔へ落ちる感覚だけが、妙にはっきりしている。
「……古瀬……さん……」
無意識に名前が漏れた。
返事はない。
当然だった。
それでも呼んでしまった。
蓮は腕に力を入れ、起き上がろうとする。
身体が動かない。
遠くで誰かの足音がした。
相馬。
そう思った。
「待……て……」
追わなければ。
逃がしてはいけない。
だが指先に力が入らない。
視界の端。
木々の間を、相馬が離れていく。
片脚を引きずっていた。
身体を何度も木へぶつけながら、それでも進んでいる。
相馬も無傷ではない。
聡子に撃たれた傷は深い。
それでも、この場所から逃げようとしていた。
「相……馬……」
蓮の声は届かない。
相馬の姿が雨の向こうへ消える。
追わなければ。
そう思うのに。
身体が動かない。
視界が暗くなっていく。
聡子の顔が浮かんだ。
――生きてください。
「……分かって……るよ……」
誰に答えたのか、自分でも分からなかった。
瞼が重い。
雨音だけが遠ざかっていく。
そして蓮の意識は、そこで途切れた。
*
同じ頃。
拠点として使っている建物の中で、葵は壁に背を預けていた。
治療を終えた右脚は、先ほどまでよりはましになっている。
だが痛みが消えたわけではない。
動かさなくても鈍く疼き、少し体勢を変えるだけで傷が主張してくる。
詩織は近くに座っていた。
蓮から預かった拳銃をそばへ置き、何度も入口を見ている。
「……遅いね」
詩織が呟いた。
葵も答えない。
蓮と聡子が出ていってから、それなりの時間が経っている。
相馬が近くにいることも分かっている。
嫌な予感がしない方がおかしかった。
その時。
遠くから、何かが聞こえた。
――ドン。
低い音。
詩織が顔を上げる。
「今の……」
葵も入口を見る。
「爆発?」
しばらくして。
もう一度。
先ほどとは違う、さらに大きな音が山の向こうから響いた。
建物の窓が微かに震える。
詩織が立ち上がった。
「蓮……?」
「待って」
葵が止める。
「でも!」
「今すぐ外に出るのは危ない」
「でも蓮たちが!」
「分かってる!」
葵も声を強めた。
その瞬間。
――ピッ。
電子音。
2人の動きが止まった。
「……え?」
葵が自分の端末を見る。
画面が点灯している。
触っていない。
操作もしていない。
それなのに、自動的に表示が切り替わっていた。
「葵?」
詩織が近づく。
葵は端末を持ち上げた。
画面へ文字が浮かぶ。
《SYSTEM MESSAGE》
葵の表情が変わる。
「……何」
続いて、新しい表示。
《対象のアップグレード済みPLAYER TERMINALの破壊を確認しました》
「……え?」
葵は瞬きをした。
意味が分からない。
もう一度読む。
だが文字は変わらない。
詩織も横から画面を覗き込む。
「端末の……破壊?」
「私、何もしてない」
葵の声が震える。
「私は……壊してない」
だがシステムは止まらない。
《個別クリア条件達成》
葵の呼吸が止まった。
「……嘘」
さらに。
《首輪解除が可能です》
沈黙。
葵と詩織は、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。
葵の2nd STAGEの個別クリア条件。
アップグレード済みPLAYER TERMINALを1台破壊する。
自分のものとは別に、もう一台存在していたアップグレード済み端末。
真由の端末。
それが――どこかで壊れた。
葵自身は何もしていない。
それでもシステムは、条件達成と判断した。
「……どういうこと?」
詩織が呟く。
「分からない」
葵は画面から目を離せない。
「誰かが……壊した?」
「でも、それで葵の条件が?」
「そうみたい」
偶然なのか。
誰かが意図的に破壊したのか。
今は分からない。
だが画面には、確かに表示されている。
首輪解除が可能。
待ち続けていた言葉。
1st STAGEでは条件を達成した。
それでもSYSTEM ERRORによって首輪は外れなかった。
あの時、葵は確かに助かるはずだった。
それが叶わなかった。
そして今。
ようやく。
もう一度、その権利が目の前に現れた。
「葵……」
詩織が声をかける。
だが葵はすぐには答えなかった。
嬉しい。
本来なら、そう感じるはずだった。
これで首輪を外せる。
生き残れる可能性が大きくなる。
なのに。
葵は遠くを見る。
ついさっき聞こえた、2度の爆発。
蓮。
聡子。
2人とも、まだ戻っていない。
胸の奥に広がっているのは、喜びよりも強い不安だった。
「……蓮たち」
葵が呟く。
詩織も同じ方向を見る。
雨音が、少しずつ強くなっていた。
「何が……あったの」
その問いに答える者は、どこにもいなかった。




