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エクストラバレット  作者: ほむら
1章 エクストラバレット

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第60話 生きていて

蓮は一歩、また一歩と後ろへ下がった。


聡子との距離が開いていく。


離れろと言われた。


近づけば、自分まで地雷の爆発に巻き込まれるかもしれない。それは分かっている。それでも、このまま彼女を残して立ち去ることなどできるはずがなかった。


「……もういいです」


聡子が言った。


先ほどまでより、ずっと小さな声だった。


「そこまで離れてくれれば……たぶん」


「たぶんって何だよ」


蓮は立ち止まった。


「絶対じゃないんだろ」


「地雷なんて詳しくないですから」


「ゲームマスターなのに?」


「ゲームマスターだからって……何でも知ってるわけじゃありません」


聡子が困ったように笑う。


その笑顔が、蓮には妙にいつも通りに見えた。


拠点で見せていた、少し気弱で、人の顔色を窺うような古瀬聡子。


それがすべて演技だったのか。


それとも、あれもまた彼女自身だったのか。


今の蓮には分からない。


「古瀬さん」


「はい」


「まだ聞きたいことがある」


聡子の表情がわずかに曇った。


「……ですよね」


「ゲームマスターって何なんだ。誰がこのゲームをやってる。何のために俺たちを――」


「蓮さん」


聡子が静かに遮った。


「ごめんなさい」


また、その言葉だった。


蓮は眉を寄せる。


「そればっかりだな」


「……そうですね」


「謝ってほしいんじゃない」


「分かってます」


聡子は蓮を見つめた。


「でも、今の私が言えることは……そんなに多くありません」


「どうしてだよ」


聡子は答えなかった。


言いたくないのか。


それとも、本当に言うことを許されていないのか。


その違いすら、蓮には分からない。


ただ一つ確かなのは、聡子がまだ何かを隠しているということだけだった。


「だったら、せめて――」


蓮が口を開いた、その時だった。


「……ゲームマスター?」


別の声がした。


蓮の身体が硬直する。


聡子の表情も変わった。


声は森の奥から聞こえた。


蓮はすぐに大きなリボルバーを構え、声のした方向を見る。


「誰だ!」


返事はない。


風に揺れる枝葉。


その向こうから、ゆっくりと人影が現れる。


蓮は息を呑んだ。


「……相馬」


相馬直人だった。


その手には、先ほど蓮たちを襲った小型のマシンガンが握られている。


服は泥と血で汚れ、顔には疲労が刻み込まれていた。以前、聡子に撃たれた右上腕を庇うような動きも残っている。


だが何より異様だったのは、その顔だった。


相馬は蓮を見ていない。


聡子だけを見ていた。


「今……何て言った?」


聡子は答えない。


「ゲームマスターって言ったよな?」


相馬の声が震えている。


恐怖ではない。


怒りだった。


「相馬」


蓮が銃口を向ける。


「銃を下ろせ」


「お前は黙ってろ!」


相馬が怒鳴った。


その目は聡子から離れない。


「古瀬……お前、ゲームマスターなのか?」


沈黙。


相馬の顔がさらに歪む。


「答えろよ!」


聡子は逃げられない。


片足で地雷を踏み続けたまま、相馬から目を逸らさなかった。


「……そうです」


短い答えだった。


相馬の口元が引きつる。


「そうか」


乾いた笑いが漏れた。


「そうだったのか」


「相馬、落ち着け」


「これが落ち着いてられるかよ!」


相馬が蓮へ怒鳴る。


「こいつは知ってたんだぞ!」


「何を――」


「俺が条件を達成したことだよ!」


相馬は再び聡子を見る。


「なあ!」


相馬の声が森へ響く。


「俺はクリアしたんだぞ!」


蓮の表情が変わる。


相馬が何の話をしているのかは分かった。


1st STAGE。


最初の死亡者が出る前。


相馬にも、まだ誰かを殺す必要のない個別条件が与えられていた。


「俺は条件を達成した!」


相馬が自分の首輪を指さす。


「全部やった! 端末にも達成したって出た! それなのに、首輪が外れなかった!」


聡子の唇がわずかに動く。


「SYSTEM ERRORだ!」


相馬の声が裏返る。


「エラーで外れなかっただけなんだよ!」


蓮は何も言えない。


相馬の目にあるのは、怒りだけではなかった。


悔しさ。


恐怖。


理不尽な状況へぶつける場所のない憎しみ。


そして、もう後戻りできないところまで追い詰められた人間の必死さ。


「俺が失敗したんじゃない」


相馬が呟く。


「俺は……助かってたはずなんだ」


その言葉は聡子へ訴えているというより、自分自身へ何度も言い聞かせているようだった。


「それなのに、何でだよ」


相馬が首輪を掴む。


指先に力が入り、首輪へ爪が食い込む。


「何で条件が変わった」


声が震える。


「何で全員の死を確認しなきゃならないんだよ」


聡子の表情が苦しそうに歪む。


「相馬さん……」


「呼ぶな!」


相馬が小型のマシンガンを持ち上げた。


蓮も即座に大きなリボルバーを構える。


「やめろ!」


「お前はそいつに騙されてたんだぞ!」


「それでも撃っていい理由にはならない!」


「じゃあ俺はどうすればよかったんだよ!」


相馬の叫びが返ってくる。


「待ってればよかったのか!? この首輪つけたまま!」


蓮は答えられない。


相馬がこれまで何をしてきたのか。


どこで誰と出会い、誰を傷つけたのか。


蓮はそのすべてを知っているわけではない。


ただ、目の前にいる相馬が、もう正常な判断を保てる状態ではないことだけは分かった。


「俺はちゃんとやったんだ」


相馬の声が急に低くなる。


「言われた通りにした」


小型のマシンガンを握る手が震える。


「なのに、エラーだった」


聡子は何も言わない。


「それで今度は突然条件が変わった」


相馬が笑う。


「全員だぞ」


その笑いは、ひどく乾いていた。


「俺以外の全員が死んだことを確認しろって……そう書いてあったんだ」


蓮の顔から表情が消える。


初めて知った。


相馬に与えられた2nd STAGEの条件。


「そんな……」


「笑えるだろ?」


相馬は蓮を見る。


「俺は一回クリアしてるんだぞ」


再び聡子へ視線を戻す。


「それなのに、何で俺がこんなことやらなきゃならないんだ」


聡子の目が伏せられる。


「答えろよ」


相馬の声が震えた。


「何で俺の首輪が外れなかった」


蓮も聡子を見る。


聡子の顔には、明らかな迷いがあった。


何かを知っている。


少なくとも、何も知らない人間の反応ではない。


だが――。


「……私からは、答えられません」


その一言で。


相馬の中に辛うじて残っていたものが、切れた。


「ふざけるなああああっ!」


相馬が小型のマシンガンを聡子へ向けた。


「相馬、やめろ!」


蓮が叫ぶ。


直後。


けたたましい連続音が森を引き裂いた。


一発ではない。


二発でもない。


短い間隔で吐き出された弾丸が、次々と聡子へ襲いかかった。


最初の衝撃で聡子の肩が大きく跳ねる。


続けて胸元。


脇腹。


腕。


服のあちこちが弾け、血が飛び散った。


「――っ!」


聡子の身体が後方へ持っていかれそうになる。


だが、倒れない。


倒れることができない。


踏んでいる。


その足の下には地雷がある。


「古瀬さん!」


蓮が叫ぶ。


相馬は止めなかった。


「お前らが!」


再び小型のマシンガンが火を噴く。


連続した銃声。


聡子の身体が何度も揺さぶられる。


腕が跳ねる。


肩がのけ反る。


身体の横を抜けた弾丸が背後の木の幹へ次々と食い込み、樹皮を散らした。


別の弾丸は聡子の服を裂き、その下から新しい血が滲み出す。


聡子は声を上げることすらできなかった。


歯を食いしばり、ただ耐える。


足だけは――。


地面から離さない。


「やめろ、相馬!」


蓮が銃口を向ける。


だが撃てない。


相馬と聡子。


その周囲には地雷がある。


しかも手にしているのは、一発で木の幹すら大きく破壊した特殊なリボルバーだ。


外せばどうなるか分からない。


相馬も蓮の迷いを見抜いているかのように、木々の間から聡子を狙っていた。


「何で黙ってる!」


相馬が叫ぶ。


銃声。


また聡子の身体が揺れた。


「知ってたんだろ!」


さらに連続した発砲音。


「俺がクリアしてたことも!」


弾丸を受けるたび、聡子の身体が崩れそうになる。


それでも右脚に力を込める。


地雷を踏んだ足を動かさない。


膝が震えている。


身体から流れ落ちた血が、足元の土へ落ちていく。


「俺が助かるはずだったことも!」


相馬の声はもう悲鳴に近かった。


「全部知ってたんだろ!」


最後の連射。


聡子の身体が大きく仰け反った。


「……っ……」


その口から、ようやく苦しそうな息が漏れた。


上半身には複数の傷。


服は血に染まり始めている。


腕は力なく垂れ、立っていること自体が奇跡のようだった。


それでも。


足は地雷を踏み続けていた。


「古瀬さん!」


蓮が一歩踏み出す。


「来ないで!」


聡子が叫んだ。


弱々しい声だった。


それでも蓮の足を止めるには十分だった。


「でも!」


「まだ……」


聡子が荒い息を吐く。


「まだ……踏んでます……」


蓮が足元を見る。


聡子の片足は、確かにそこから動いていない。


撃たれた瞬間も。


身体が何度揺れても。


聡子は最後まで地雷から足を離さなかった。


自分が倒れれば爆発する。


蓮がまだ近くにいる。


だから倒れない。


ただ、それだけのために。


「古瀬さん……」


「もっと……離れて……」


「そんな身体で――」


「お願い……」


相馬が荒い呼吸を繰り返している。


その顔から怒りは消えていなかった。


だが、目の前の聡子を見て、ほんの一瞬だけ戸惑いが浮かんだ。


これだけ撃った。


それなのに、まだ立っている。


「……何なんだよ、お前」


相馬が呟く。


聡子はゆっくり顔を上げた。


相馬を見る。


「……ごめんなさい」


「謝るな!」


相馬が再び小型のマシンガンを持ち上げようとした。


その時だった。


聡子の右手が動いた。


腰の後ろ。


服の下。


蓮が一度も見たことのない場所から、聡子は何かを引き抜いた。


拳銃だった。


「……古瀬さん?」


蓮の目が見開かれる。


いつから持っていた。


そんなものを持っているとは、一度も聞いていない。


聡子は震える腕を持ち上げた。


相馬へ向ける。


銃声。


相馬の腕に命中し、構えかけていた小型のマシンガンが大きく逸れた。


「ぐあっ!」


相馬が呻く。


聡子は銃を下ろさない。


身体は限界に近い。


狙いを定めるだけでも腕が震えている。


それでも、もう一度引き金を引いた。


銃声。


相馬の太腿へ弾丸が当たり、脚が崩れる。


「がっ……!」


相馬が片膝をつく。


小型のマシンガンを取り落としそうになりながら、近くの木へ身体を預ける。


聡子は最後の力を振り絞るように拳銃を向けた。


相馬も顔を上げる。


一瞬だけ、2人の視線が重なった。


発砲。


弾丸が相馬の胸元を捉えた。


「――っ!」


相馬の身体が後方へ倒れる。


地面へ転がり、そのまま木の根元まで身体を引きずるように下がった。


だが、まだ動いている。


死んではいない。


聡子はそれを見た。


それでも追撃はしなかった。


いや。


もう、できなかった。


腕が下がる。


指から拳銃が滑り落ち、湿った地面へ転がった。


「……古瀬さん」


蓮の声に、聡子がゆっくり顔を向ける。


その顔は血の気を失っていた。


「そんなもの……持ってたのかよ」


「……はい」


「何で……」


聡子は少しだけ笑った。


「ゲームマスター……ですから」


その一言で、蓮は何も言えなくなった。


やはり、自分たちとは違った。


最初から武器を隠し持っていた。


普通の参加者にはない知識もあった。


役割もあった。


それなのに。


どうして今、こんな顔をしている。


聡子の身体が大きく揺れた。


「古瀬さん!」


「……もう」


聡子が呟く。


「無理……みたいです」


「待て!」


蓮が踏み出そうとする。


聡子が首を横に振った。


「来ないで」


「でも――」


「最後まで……言うこと聞いてください」


冗談めかした言い方だった。


けれど声には、ほとんど力が残っていない。


蓮はその場から動けなかった。


聡子の目から涙がこぼれる。


「蓮さん」


「……何だよ」


「私……」


聡子は何かを言おうとした。


だが咳き込み、口元から血がこぼれた。


「喋るな!」


「言わせて……ください」


蓮は唇を噛んだ。


聡子は笑った。


あまりにも穏やかな笑顔だった。


「会えて……よかったです」


「何言ってんだよ」


「生きてください」


蓮の目が見開かれる。


「……お願いだから」


聡子が笑う。


「生きて」


力が抜けた。


膝が折れる。


「古瀬さん!」


蓮が叫んだ。


聡子の足が――地面から離れた。


次の瞬間。


爆音。


世界が白く染まった。


衝撃が森を突き抜ける。


土と木片が吹き上がり、爆風が蓮の身体を押し返した。


「――っ!」


蓮は腕で顔を庇いながら、数歩後ろへよろめいた。


耳鳴り。


何も聞こえない。


視界の中で、土煙だけが広がっている。


「……古瀬……さん……?」


自分の声さえ、まともに聞こえなかった。


煙の向こう。


さっきまで聡子が立っていた場所。


そこに――もう彼女の姿はなかった。


蓮は動けなかった。


大きなリボルバーを握ったまま、ただその場所を見つめている。


理解が追いつかない。


数秒前まで話していた。


笑っていた。


生きてくれと。


そう言っていた。


その時、吹き飛んだ腕が目の前に落ちてくる。


「……古瀬さん」


返事はない。


空から落ち始めた雨粒が、蓮の頬を濡らした。


それが涙なのか雨なのか、蓮自身にも分からなかった。


そして。


参加者の誰にも見えない場所で。


ゲームのシステムだけが、古瀬聡子という参加者の死を処理していた。


《PLAYER 15》


《古瀬 聡子》


《STATUS:DEAD》


表示が切り替わる。


《INDIVIDUAL CLEAR CONDITION》


《1st STAGEをクリアした参加者1名を殺害、または死亡を確認してください》


《1st STAGEをクリアできなかった参加者1名をクリアさせてください》


それを読む参加者は、誰もいない。


古瀬聡子が何を求められていたのか。


何をしようとしていたのか。


まだ、だれも知らなかった。

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