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エクストラバレット  作者: ほむら
1章 エクストラバレット

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第56話 規格外



 拠点へ戻ってから、しばらく誰も次の行動を口にしなかった。


 窓から差し込む光はすでに高く、建物の中に長く伸びていた影も少しずつ短くなっている。島へ連れてこられてから、時間の感覚はひどく曖昧になった。それでも端末に刻まれている72時間という制限だけは、確実に残り時間を削り続けている。


 蓮は壁際に座り、少し離れたところにいる葵へ目を向けた。


 右脚には応急処置が施されている。


 高橋との戦いで受けた銃創だった。


 出血そのものは一度抑えられたものの、時間が経つにつれて状態は悪くなっている。包帯代わりに巻いた布には再び血が滲み、葵の額にはじっとしているだけでも汗が浮かんでいた。


 それでも本人は、端末を手にして画面を見続けている。


「……真由を探そう」


 沈黙を破ったのは葵だった。


 詩織がすぐに顔を上げる。


「今から?」


「うん」


 葵は端末を握り直した。


「古瀬さんが言ってた真由って人。アップグレード済みの端末を持ってる可能性があるんでしょ?」


 聡子は少し戸惑いながら頷いた。


「はい。私が知っている限りでは……」


「だったら探す価値はある」


 葵は自分の端末へ視線を落とした。


 2nd STAGE開始後に表示された彼女の条件。


《アップグレード済みPLAYER TERMINALを1台破壊してください》


 それを達成するには、別のアップグレード済み端末を見つけなければならない。


 真由。


 蓮にも詩織にも、ほとんど情報のない参加者だった。


 顔すら知らない。


 聡子から名前が出なければ、15人の中に真由という女がいたことさえ把握できていなかった。


「でも、どこにいるか分からないんだろ?」


 蓮が尋ねた。


「分からない」


「だったら島を探し回ることになる」


「それでも探さないと、私の条件は進まないよ」


 葵の言っていることも分かる。


 時間制限がある以上、いつまでも待ってはいられない。


 真由が移動しているなら、時間が経つほど見つけるのが難しくなる可能性もある。


 だが、蓮が気にしているのは別のことだった。


「その脚で?」


 葵の表情が僅かに固まった。


「……歩けるよ」


「本当に?」


「ここまで戻ってきたんだから」


「戻ってきた時より悪くなってるだろ」


 葵は答えなかった。


 詩織も心配そうに右脚を見る。


「私も、今日は真由を探さない方がいいと思う」


「詩織まで?」


「だって、その傷で歩き回るのは無理だよ」


「私の条件なんだけど」


「条件より葵の脚の方が大事でしょ」


「条件を達成できなかったら、脚どころじゃなくなるかもしれない」


 その言葉には、誰もすぐには反論できなかった。


 このゲームでは、何が正解なのか分からない。


 条件を後回しにしている間に、取り返しのつかないことになる可能性だってある。


 だからこそ葵は焦っている。


 蓮にもそれは分かった。


「じゃあ立ってみて」


 詩織が言った。


「え?」


「真由を探しに行けるなら、立てるよね?」


「立てるって」


 葵は壁へ手をつき、身体を起こした。


 左脚へ体重を掛ける。


 そこまでは問題ない。


 だが右脚を床へつき、次の一歩を踏み出そうとした瞬間――。


「……っ!」


 葵の顔が歪んだ。


 膝から力が抜ける。


「葵!」


 蓮が咄嗟に腕を掴んだ。


 詩織も反対側から身体を支える。


 そのままゆっくり床へ座らせた。


「ほら!」


 詩織が声を強くする。


「全然歩けてないじゃん!」


「……今のはちょっと痛んだだけ」


「その『ちょっと』で倒れかけたんでしょ!」


「大声出さなくても聞こえてるよ」


「葵が聞かないから言ってるの!」


 詩織は本気で怒っていた。


 葵は少し不満そうに顔を背けたものの、もう一度立とうとはしなかった。


 蓮は巻かれた布を見る。


 新しい血が滲んでいる。


 無理をすれば、さらに悪化するのは目に見えていた。


「真由は後だ」


 蓮が言った。


「まず医療品を探そう」


「でも――」


「真由を見つけても、その脚じゃ追えないだろ」


 葵が黙る。


「逃げられたら終わりだ。それどころか途中で動けなくなったら、俺たちまでその場から動けなくなる」


「……」


「条件を諦めろって言ってるんじゃない。先に動ける状態にしようって言ってるんだ」


 葵は端末を握ったまま俯いた。


 聡子が遠慮がちに口を開く。


「葵さんの端末なら……医療品を探せるんじゃないでしょうか」


 葵が顔を上げる。


「物資情報?」


「はい。せっかくアップグレードされているんですから、それを使った方が……」


 蓮も頷いた。


「近くにあるなら、それを取ってくる。真由を探すのは治療してからでもできる」


 葵はしばらく考えた。


 条件。


 真由。


 自分の右脚。


 迷っているのが表情から分かる。


 やがて諦めたように息を吐いた。


「……分かった」


 詩織の肩から力が抜ける。


「最初からそう言ってよ」


「詩織に言われたからじゃないからね」


「はいはい」


「本当に違うから」


 少しだけ、張り詰めていた空気が緩んだ。


 葵は端末を操作する。


《物資情報》


 地図が表示された。


 周辺の反応を確認していく。


「……ある」


 葵が画面を拡大した。


「医療品?」


「うん。ここからそんなに遠くない」


 蓮も横から覗き込む。


 森を進んだ先にある細い沢。その付近に物資反応が表示されている。


「普通に歩けば20分くらいかな」


「じゃあ俺が行く」


「私も行く」


 詩織がすぐに言った。


 蓮は首を振る。


「葵といてくれ」


「またそれ?」


「今の葵を1人にはできないだろ」


「だったら古瀬さんに――」


「私、蓮さんと行きます」


 聡子が口を挟んだ。


「2人で行った方が安全だと思います。それに……医療品が多かったら、1人で持って帰るのも大変かもしれません」


 詩織は納得しきれない様子だった。


 それでも葵を見て、最後には頷いた。


「……分かった」


 蓮は立ち上がった。


 そのまま自分のカバンを持ち上げようとして、ふと手を止める。


「詩織」


「何?」


「これ、持ってて」


 カバンの中から布に包んでいたものを取り出した。


 布を開く。


 拳銃が現れた。


 島へ来て間もない頃に拾ったものだった。


 蓮はそれを捨てず、ずっとカバンの中に入れていた。


 危険な場面に遭遇するたび、その存在を意識してきた。


 それでも、実際に人へ向けて撃ったことは一度もない。


「まだ持ってたんだ」


 詩織が拳銃を見る。


「ああ」


「使ったことは?」


「ない。一度も撃ってない」


 蓮は拳銃を差し出した。


「俺と古瀬さんがいない間の護身用。詩織が持ってて」


「私、銃なんて使えないよ」


「俺だって使ったことはない」


 蓮は苦笑した。


「だから本当に必要になるまで出さなくていい。できれば最後まで撃たないで済んでほしい」


 詩織は拳銃を見つめる。


 やがて慎重に受け取った。


 ずしりとした重量に、表情が僅かに強張る。


「不用意に銃口を人へ向けないで。引き金にも触らない方がいい」


「……分かった」


 蓮は葵を見る。


「葵も。拳銃は詩織に預けたから」


「了解」


「何かあったら2人で判断してくれ」


「分かったって。それより早く行ってきて。脚、本当に痛くなってきたから」


「最初からそれ言えよ」


「言ったら真由探し却下されるでしょ」


「もうされてる」


 葵は少しだけ笑った。


 その表情を確認してから、蓮は聡子とともに拠点を出た。


*


 相馬直人は、端末の振動に気づいて足を止めた。


 森の中を1人で歩いていた。


 右上腕には、以前聡子に撃たれた傷が残っている。手には、三浦を死なせた時にも使った小型の短機関銃。


 そして持ち物の中には、三浦が倒れた場所で拾ったアップグレード済み端末がある。


 誰のものかは知らない。


 だが、その機能が普通の端末とは違うことだけは分かっていた。


 相馬は自分の端末を取り出した。


 通知が表示されている。


《DEATH CONFIRMED》


《TARGET UPDATE》


《9 → 8》


《TARGET:8》


「……また?」


 相馬は立ち尽くした。


 誰が死んだ。


 どこで。


 どうやって。


 何も分からない。


 それでも端末は確かに、誰か1人の死を認識している。


「誰だよ……」


 相馬は画面を見つめた。


《TARGET:8》


 胸の奥に最初に生まれた感情は、悲しみでも恐怖でもなかった。


 ――減った。


 あと8人。


「……っ」


 相馬は自分の口元を押さえた。


「違う」


 誰かが死んだ。


 人が死んだのだ。


 喜ぶことではない。


 それなのに。


「違うだろ……」


 言い聞かせる。


 だが視線は数字から離れない。


 三浦が死んだ時も同じだった。


 自分の弾が当たった。


 血を流しながら倒れていた。


 謝った。


 死ぬなと言った。


 それでも死んだ。


 その直後に表示された数字。


《10 → 9》


 恐ろしかった。


 自分が人を殺したという事実に吐きそうになった。


 なのに同時に、条件が進んだことへ安堵してしまった。


 そして今。


 自分が何もしていない場所で、また誰かが死んだ。


 数字が減った。


「……あと8人」


 口にしてから、相馬は息を呑んだ。


 人の名前ではない。


 数字だった。


 相馬は端末を閉じた。


「俺は……こんなんじゃなかっただろ」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 返事はない。


 森の中に、自分の荒い呼吸だけが残った。


*


 蓮と聡子は、葵の端末で確認した地形を思い出しながら森を進んでいた。


 しばらくすると水の流れる音が聞こえてくる。


「沢だ」


「この近くですよね?」


「ああ」


 蓮は歩調を落とした。


 物資があるということは、他の参加者が来る可能性もある。


 周囲を確認しながら探していく。


 数分後。


「蓮さん」


 聡子が呼んだ。


「ありました」


 落ち葉に半分隠れるように、白い箱が置かれていた。


 蓮が近づき、慎重に蓋を開ける。


 中には包帯、ガーゼ、消毒用品などが収められている。


「医療品だ」


 蓮は安堵した。


「これなら葵の傷も、もう少しちゃんと処置できる」


「よかった……」


 聡子も胸を撫で下ろす。


 蓮は医療箱を持ち上げようとした。


 そこで、下の地面に違和感を覚えた。


「……ん?」


「どうしました?」


「この下、何か変だ」


 箱を横へ移動させる。


 医療箱が置かれていた部分だけ、土が僅かに盛り上がっている。


 蓮はしゃがみ込み、手で土を払った。


 指先が硬いものへ当たる。


「何か埋まってる」


 さらに土を掘る。


 黒いケースが姿を現した。


「端末には、こんなの出てなかったよな」


「医療品の反応だけでしたよね」


「ああ」


 蓮はケースを掘り出した。


 かなり重い。


 地面へ置き、留め具を外す。


 蓋を開いた。


「……何だ、これ」


 中に収められていたのは、巨大なリボルバーだった。


 拳銃であることは分かる。


 だが、蓮が詩織へ預けた拳銃とは大きさがまるで違う。


 太い銃身。


 大型のフレーム。


 ケースの横には、それ専用と思われる大きな弾薬まで収められている。


 蓮は手を伸ばした。


 持ち上げた瞬間、思わず顔をしかめる。


「重っ……」


 片手では安定しない。


 自然と反対の手を添えた。


「これ、本当に拳銃なのか?」


 蓮が呟く。


 聡子は答えなかった。


 巨大なリボルバーを見つめている。


 ほんの一瞬だけ、その視線が銃本体から弾薬へ、そして蓮の手元へと動いた。


「古瀬さん?」


「え?」


「何か分かる?」


「あ……いえ。かなり大きなリボルバーだなって」


「それは俺でも分かる」


 蓮が苦笑した。


 医療品を探しに来ただけだった。


 まさかその下から、こんなものが出てくるとは思わない。


「持って帰るか」


「そうですね」


 蓮がケースの中を確認しようとした、その時だった。


 森の奥から枝が折れる音がした。


 蓮と聡子の表情が同時に変わる。


「誰かいる」


 足音。


 1人。


 こちらへ近づいてくる。


 蓮は巨大なリボルバーを握ったまま立ち上がった。


 木々の向こうから男が現れる。


「……相馬」


 相馬も蓮たちに気づき、足を止めた。


 その手には小型の短機関銃。


 蓮が見覚えのない武器だった。


 相馬の視線が蓮へ向く。


 聡子へ移る。


 そして、蓮の手にある巨大なリボルバーで止まった。


「……何だよ、それ」


「こっちが聞きたい。その銃、どうした」


「拾った」


 相馬の返事は短かった。


 蓮は相馬の顔を見た。


 酷く疲れている。


 目の下には濃い影があり、表情にも以前とは違う危うさがあった。


「相馬」


「何だよ」


「銃を下ろせ」


「……嫌だね」


「撃ち合うために来たわけじゃない」


「俺だって、こんなことしたくてやってるんじゃない」


 相馬が短機関銃を少し持ち上げる。


 蓮はその動きを見逃さなかった。


「条件のことなら知ってる」


 相馬の目が僅かに動く。


「知ってるから言ってる。やめろ」


「何を?」


「自分から殺し始めるのをだよ」


 相馬はしばらく蓮を見つめた。


 やがて口元が僅かに歪む。


「……もう遅いよ」


「相馬?」


「俺の弾で死んだ奴がいる」


 蓮の表情が変わった。


 聡子も黙って相馬を見る。


「狙ったわけじゃなかった」


 相馬の声が震える。


「別の奴を撃ってた。そしたら当たった。それで……死んだ」


 三浦の姿が脳裏を過ぎる。


 相馬は一度目を閉じた。


「俺、謝ったんだよ。死ぬなって言った。狙ったんじゃないって……」


「……」


「でも死んだ」


 相馬が目を開ける。


「そしたら数字が減った」


 蓮には、その数字の詳細までは分からない。


 だが意味は分かった。


「相馬、それ以上考えるな」


「何で?」


「人の死を数字で見るようになったら――」


「さっきも減った」


 相馬が遮った。


「また誰か死んだ」


「……」


「誰かは知らない」


 相馬の口元が笑うように動いた。


 だが目は笑っていない。


「でも減った」


「相馬」


「あと8人」


 その言葉を口にした瞬間、相馬自身が一瞬だけ動きを止めた。


 だが、もう否定しなかった。


「あと8人なんだよ」


「やめろ」


「8人死ねば、俺は助かる」


「相馬!」


 蓮の声が強くなる。


「条件は知ってる。酷い条件なのも分かってる。でも、それでお前が自分から殺し始めたら、本当に戻れなくなるぞ」


 相馬の表情が消えた。


「戻る?」


 小さく呟く。


「戻るって……どこにだよ」


 蓮は言葉を失った。


「俺はもう殺したんだぞ」


「事故みたいなものだったんだろ」


「死んだ奴には関係ないだろ!」


 相馬が叫ぶ。


「俺だって死にたくないんだよ!」


 短機関銃が持ち上がった。


「相馬!」


「俺が死ぬくらいなら――!」


 銃声が森を揺らした。


「伏せろ!」


 蓮は聡子を押すようにして横へ飛んだ。


 連続する銃弾が木の幹を削り、地面から土を跳ね上げる。


 蓮は倒木の陰へ転がり込んだ。


「古瀬さん!」


「大丈夫です!」


 別の木の陰から返事がある。


 蓮は手元の巨大なリボルバーを見る。


 自分が持っていた拳銃は詩織へ預けた。


 今使える銃は、これしかない。


 だが蓮は、実戦で一度も銃を撃ったことがなかった。


 相馬の短機関銃が再び火を噴く。


 弾丸が倒木へ当たり、木片が散った。


「くそっ……!」


 蓮はリボルバーを片手で持ち上げようとした。


「待って!」


 聡子の声が飛ぶ。


「何!?」


「そのまま撃たないでください!」


 普段の気弱な聡子とは違う。


 迷いのない強い声だった。


「片手じゃ駄目です!」


「でも相馬が――」


「それ、普通の拳銃じゃありません!」


 聡子は巨大なリボルバーを見ていた。


「銃も弾も大きすぎます。反動も普通じゃないはずです。そのまま撃ったら、手首か腕を痛めます!」


「そんなに?」


「両手でしっかり持って!」


 相馬が移動する気配がする。


 迷っている時間はなかった。


 蓮は聡子の言葉に従い、リボルバーを両手で握る。


 重量を身体全体で支える。


 それでも重い。


「相馬!」


 蓮が声を上げる。


 相馬が反応した。


「もうやめろ!」


「お前が銃を捨てろ!」


「撃ってきたのはお前だろ!」


「うるさい!」


 相馬が短機関銃を構える。


 蓮も巨大なリボルバーを持ち上げた。


 人へ銃口を向ける。


 初めてだった。


 引き金へ掛けた指が固くなる。


「相馬、撃つな!」


「俺は死にたくない!」


 相馬の指が動いた。


 蓮は引き金を引いた。


 轟音が森を引き裂いた。


「ぐっ……!」


 両腕へ凄まじい衝撃が走る。


 聡子の警告通り両手で構えていたにもかかわらず、銃口が大きく跳ね上がった。


 手首から肘、肩まで痺れる。


 蓮の身体が半歩後ろへ押された。


 耳鳴りの中、蓮は相馬を見る。


 立っている。


 外した。


 安堵するより早く、別の破砕音が響いた。


 弾丸は相馬のすぐ横に立っていた大木へ命中していた。


 幹の一部が大きく抉れ、木片が激しく飛び散る。


「……は?」


 相馬が呆然とする。


 蓮も同じだった。


「何だよ……これ」


 大木が低く軋んだ。


 着弾した部分が深く破壊され、自重を支えられなくなっている。


 木全体が傾き始める。


「嘘だろ……」


 相馬が見上げた。


 次の瞬間、大木が一気に倒れ始めた。


「っ!」


 相馬は横へ飛ぶ。


 枝が周囲を巻き込みながら、大木が地面へ激突した。


 轟音。


 土埃。


 舞い上がる枯れ葉。


 相馬は地面へ手をついたまま、倒れた木を見ていた。


 それから蓮の手にあるリボルバーを見る。


 顔から血の気が引いていく。


「何なんだよ……それ……」


 蓮にも分からない。


 両手が痺れている。


 聡子に止められず片手で撃っていたら、本当に腕を痛めていたかもしれない。


 それでも蓮は、もう一度リボルバーを両手で持ち上げた。


 相馬の表情が変わった。


 恐怖。


 次も外れる保証はない。


 木の幹があれほど破壊された。


 身体に当たればどうなるのか、想像するまでもない。


「相馬」


 蓮は荒い息を整えながら言った。


「もうやめろ」


「……」


「俺はお前を殺したいわけじゃない」


 相馬は返事をしなかった。


 蓮ではなく、その手にある武器を見ている。


 やがて恐怖の奥に、別の感情が浮かんだ。


 屈辱。


「……ふざけんな」


「相馬?」


「何でお前だけ……」


「何?」


「何でもない!」


 相馬は立ち上がった。


 短機関銃を握っている。


 だが、もう撃とうとはしなかった。


 一歩。


 さらに一歩。


 後退する。


「相馬、待て!」


「来るな!」


 蓮が動くと、相馬は反射的に叫んだ。


 その声には怒り以上に恐怖が滲んでいた。


 相馬はそのまま身体を翻した。


 森の奥へ走り出す。


「相馬!」


 蓮は追わなかった。


 相馬を殺すためにここへ来たわけではない。


 何より、葵が医療品を待っている。


 木々の向こうへ相馬の姿が消える。


 しばらくしても、銃声は聞こえなかった。


「……逃げたか」


 蓮はようやくリボルバーを下ろした。


 緊張が解けた途端、腕に痛みが走る。


「痛っ……」


「大丈夫ですか?」


 聡子が近づいてきた。


「何とか」


 蓮は手を開いたり閉じたりした。


「すごいな、これ。両手でも腕持っていかれそうだった」


「だから言ったんです」


「……そうだな」


 蓮はリボルバーを見る。


 それから聡子へ視線を移した。


「古瀬さん」


「はい?」


「ありがとう」


「え?」


「止めてくれて。片手で撃ってたら、本当に腕やってたと思う」


「蓮さんが怪我しなくてよかったです」


 聡子は小さく笑った。


 蓮はその顔をしばらく見ていた。


「……古瀬さん、何で分かったの?」


 聡子の表情が僅かに止まる。


「え?」


「これが危ないってこと」


 蓮はリボルバーを示した。


「撃つ前からかなり具体的だったよな。片手で撃つなとか、腕を痛めるとか」


「あ……」


 返事が一瞬遅れた。


「詳しいの?」


「えっと……」


 聡子は困ったように視線を逸らした。


「好きなんです」


「好き?」


「銃とか、軍用装備とか……そういうのが」


 蓮は瞬きをした。


「古瀬さんが?」


「そんなに意外ですか?」


「かなり」


 聡子は少し恥ずかしそうに笑った。


「昔から本とか動画とかを見るのが好きで。いわゆる……ミリオタっていうんでしょうか」


「ミリオタ……」


「もちろん本物を撃ったことがあるわけじゃないですよ。ただ、あれだけ大きな銃と弾なら、反動も相当強いだろうなって思っただけです」


「……なるほど」


 説明としては通る。


 趣味で詳しいなら、蓮より知識があってもおかしくない。


 それでも少しだけ引っかかった。


 先ほどの聡子には迷いがなかった。


 危ないかもしれない、ではなく、撃つなと即座に止めた。


 だが今は、その違和感を追及する理由もなかった。


 何より、聡子の警告に助けられたのは事実だ。


「まあ……助かったよ」


「……はい」


 蓮は白い医療箱を持ち上げた。


「帰ろう」


「そうですね。葵さんが待ってます」


 もう片方には、規格外のリボルバー。


 医療品を探しに来ただけだったはずが、帰る時には異常な威力を持つ武器まで増えていた。


 蓮は一度だけ、相馬が逃げていった森の奥を見る。


*


 相馬は走っていた。


 何度も背後を振り返りながら、木々の間を必死に進む。


 追ってこない。


 それでも足を止められない。


 頭から、あの光景が離れなかった。


 轟音。


 飛び散った木片。


 倒れた大木。


 そして、その向こうで巨大な銃を構えていた蓮。


「ふざけんな……」


 息を切らしながら呟く。


「何なんだよ、あれ……」


 怖かった。


 あと少し弾道がずれていれば、自分に当たっていた。


 木の幹があれほど破壊されたのだ。


 人間が耐えられるとは思えない。


 だから逃げた。


 死にたくないから。


 それは間違っていない。


 間違っていないはずなのに、相馬の胸の奥には恐怖だけではない感情が残っていた。


 ――何でお前だけ。


 自分はこんな条件を押しつけられた。


 他人が死ぬたびに数字を見せられる。


 自分で人を殺してしまった。


 それでも蓮は、自分から殺すなと言う。


 そのうえ、自分より遥かに強力な武器まで手に入れた。


「何で……お前だけなんだよ」


 相馬は足を止めた。


 木へ手をつき、荒い呼吸を繰り返す。


 端末の表示が頭に浮かぶ。


《TARGET:8》


「……あと8人」


 今度は、その言葉を否定しなかった。


 人の名前ではなく、数字。


 少し前までなら、そんな自分を恐れていた。


 今も罪悪感が消えたわけではない。


 それでも、生き残りたいという恐怖の方が少しずつ大きくなっている。


 正面から蓮と撃ち合えば、自分が死ぬ。


 それだけは、嫌というほど分かった。


 相馬は短機関銃を見た。


 何発撃てても、あの一発を受ければ終わる。


「だったら……」


 相馬はゆっくり顔を上げた。


「正面からやらなきゃいい」


 その考えが浮かんでも、もう自分を止める声は聞こえなかった。


 相馬は再び歩き始めた。


 恐怖を抱えたまま。


 屈辱を抱えたまま。


 そして、蓮への新しい感情を胸の奥で育てながら。

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