第54話 逃げた先
どれだけ走ったのか、美月には分からなかった。
枝が頬を掠めても、足元の石に躓きそうになっても、止まることができない。肺は痛み、喉の奥は焼けるように熱くなっている。それでも足だけは前へ動き続けた。
背後から聞こえていた銃声は、いつの間にか遠くなっていた。
けれど、耳の奥にはまだ残っている。
相馬が構えた、見たことのない銃。
最初の発砲。
森の静けさを引き裂いた、途切れることのない激しい銃声。
そして――。
『美月!』
三浦の声。
呼ばれたことには気づいていた。
それでも、美月は振り返らなかった。
怖かった。
ただ、それだけだった。
何が起きているのか考える余裕もなく、身体が勝手にその場から逃げ出していた。
「はっ……はっ……!」
木の根に足を取られ、美月は前のめりに倒れた。
両手を地面につく。
掌に鋭い痛みが走り、膝も強く打った。
「……っ」
すぐに立ち上がろうとしたが、脚に力が入らない。
美月は荒い呼吸を繰り返しながら、恐る恐る後ろを振り返った。
誰もいない。
相馬も。
黒田も。
三浦も。
「……三浦さん……」
名前を口にした途端、胸の奥が締めつけられた。
自分が逃げ出した時、三浦は確かに名前を呼んでいた。
その後のことは何も知らない。
振り返らなかったからだ。
逃げている途中、後ろから何度も銃声が聞こえた。
それだけ。
「……戻らないと」
小さく呟いた。
けれど、身体は動かなかった。
戻れば何があるのか。
考えただけで震えが止まらなくなる。
「……嫌」
また銃声が聞こえるかもしれない。
また誰かが血を流しているかもしれない。
また――人が死ぬところを見るかもしれない。
「嫌だ……」
美月は頭を振った。
そして立ち上がる。
戻るのではなく、さらに森の奥へ歩き出した。
そんな自分が嫌だった。
それでも足は戻ろうとしなかった。
*
しばらく歩いたところで、木々の向こうに人工物が見えた。
美月は足を止めた。
「……小屋?」
森の中に、古びた木造の小屋が建っていた。
壁は黒ずみ、屋根には大量の落ち葉が積もっている。長い間使われていないように見えた。
美月は周囲を見回した。
人の気配はない。
恐る恐る小屋へ近づき、扉に手を掛ける。
鍵は掛かっていなかった。
軋んだ音とともに扉が開いた。
薄暗い室内には、古い机と棚、壊れかけた椅子、いくつかの木箱が置かれているだけだった。
美月は中へ入った。
すぐに扉を閉める。
ようやく外から姿が見えなくなった。
その瞬間、張りつめていたものが切れた。
美月は扉を背にして、その場へ座り込んだ。
「……怖い……」
膝を抱える。
静かだった。
銃声も聞こえない。
人の声もない。
だからこそ、頭の中に別の光景が蘇った。
真由。
自分の手に握られていた刃物。
そこへ飛び込んできた身体。
血。
倒れていく姿。
「……違う」
美月は首を振った。
事故だった。
黒田も三浦もそう言ってくれた。
自分から刺したわけではない。
真由が向かってきて、その勢いのまま刃へ飛び込んだ。
分かっている。
それでも。
「私が持ってなかったら……」
あの時、自分が刃物を持っていなければ。
真由は死ななかった。
そう考えてしまう。
そして今度は――自分だけ逃げた。
黒田も三浦も残っていたのに。
「また……」
美月は膝へ顔を埋めた。
「また私……」
三浦は自分を呼んでいた。
それなのに振り返らなかった。
「私だけ逃げた……」
涙が落ちる。
何度も聞こえた銃声を思い出す。
2人とも無事かもしれない。
そう思いたい。
まだ何も分からない。
なのに、頭の中では悪い想像ばかりが膨らんでいった。
「真由も……」
声が震える。
「黒田さんも……三浦さんも……」
自分と一緒にいる人間ばかりが傷ついていくような気がした。
「私がいるから……?」
口にした瞬間、それが事実のように思えてしまった。
「全部……私のせいなの……?」
声を出してはいけない。
誰かに見つかるかもしれない。
そう思って口元を押さえた。
それでも嗚咽は止まらなかった。
「ごめんなさい……」
誰に向けた言葉なのか分からない。
「ごめんなさい……」
美月は小さく泣き続けた。
*
白石悠真は、森の中を1人で歩いていた。
喉が渇いている。
腹も減っていた。
身体も重い。
だが一番疲れているのは、頭だった。
藤堂を置いてきた時の光景が何度も蘇る。
腹を撃たれ、まともに動けなくなった藤堂。
自分1人ではどうにもできなかった。
だから助けを探しに行った。
人を呼ぶためだった。
見捨てたわけではない。
「……くそ」
白石は足元の枝を蹴った。
森の中を歩き回っているうちに、自分がどこにいるのかさえ曖昧になっていた。
藤堂のところへ戻ろうとしても、正確な場所が分からない。
「何やってんだよ……俺」
何か必要だった。
水でも食料でもいい。
薬があればもっといい。
武器ならなおさらだった。
今の自分には、何もない。
そんな時だった。
木々の向こうに小さな建物が見えた。
白石は足を止める。
「……小屋?」
島に置かれた物資保管場所かもしれない。
少なくとも調べる価値はある。
白石は周囲を警戒しながら近づいていった。
その途中で、不意に足が止まる。
何か聞こえた。
「……?」
耳を澄ませる。
風ではない。
小屋の中からだった。
「……っ……ぅ……」
押し殺したような、小さな泣き声。
誰かいる。
白石は慎重に扉へ近づいた。
取っ手を握り、僅かに開く。
薄暗い室内を覗き込んだ。
隅に人がいる。
「……美月?」
美月が顔を上げた。
泣いていたのだろう。
目が赤く腫れている。
「……白石?」
白石は扉を開け、小屋へ入った。
「お前、こんなところで何してるんだよ」
美月はすぐには答えなかった。
白石は室内を見回す。
他には誰もいない。
「1人か?」
美月は小さく頷いた。
「……うん」
「何があった?」
その言葉を聞いた途端、美月の表情が強張った。
「相馬が……」
「相馬?」
「銃を持ってて……急に撃ってきて……」
白石の眉が寄る。
「相馬が撃ってきたのか?」
「うん……」
「誰といたんだ?」
美月は少し迷ってから答えた。
「黒田さんと……三浦さん」
白石の表情が変わった。
「黒田と三浦?」
「……うん」
白石にとって、それは初めて知ることだった。
「3人で一緒にいたのか」
美月は頷く。
「それで相馬に襲われた?」
「急に銃を撃ってきて……私、怖くなって……」
声が掠れる。
「逃げた」
「黒田と三浦は?」
「分からない」
美月は俯いた。
「三浦さんが私を呼んでた。でも……振り返れなかった」
「……」
「そのあとも銃声がずっと聞こえてたから……」
美月の肩が震え始める。
白石はしばらく何も言わなかった。
やがて扉を閉める。
軋んだ音に、美月が顔を上げた。
「白石……?」
「大変だったな」
白石が近づく。
美月は小さく頷いた。
「……怖かった」
「そりゃ怖いよな」
白石は美月の前へしゃがんだ。
「俺もだよ」
「……え?」
「ずっと怖い」
乾いた笑いが漏れる。
「いつ撃たれるか分からない。誰が敵になるかも分からない。首輪が外れたって、何も終わってない」
白石は自分の首元へ触れた。
そこに首輪はない。
「何なんだろうな、これ」
美月は黙っていた。
「藤堂だって撃たれた」
美月が顔を上げる。
「藤堂さんが?」
「ああ」
「いつ……?」
白石は視線を逸らした。
「俺と一緒にいた時」
「……白石と?」
「ああ」
白石は自分自身に言い聞かせるように続けた。
「俺じゃどうにもできなかった。だから助けを探しに行ったんだ」
「藤堂さんは……?」
「分からない」
白石の声が僅かに荒くなる。
「俺は逃げたわけじゃない。助けを呼びに行っただけだ」
美月には何と返せばいいのか分からなかった。
白石は床へ視線を落とした。
「みんな、おかしくなってる」
「……」
「相馬だってそうなんだろ?」
美月は小さく頷く。
「いつ死ぬか分からない」
白石が顔を上げる。
その視線が美月へ向いた。
「だったら……」
言葉が途切れる。
美月は、その目に先ほどまでとは違うものを感じた。
無意識に身体を後ろへ引く。
「……白石?」
白石が距離を詰める。
「何だよ」
「……近い」
「別にいいだろ」
美月が立ち上がろうとした。
その手首を白石が掴んだ。
「痛っ……!」
「少しくらい、いいだろ」
美月の表情が凍る。
「何……言ってるの?」
「美月」
「離して」
「……」
「離して!」
手を振りほどこうとする。
白石の指に力が入った。
「どうせいつ死ぬか分からないんだぞ」
「だから何……?」
「だったら――」
「やめて!」
美月が空いている手で白石の胸を押した。
白石の表情が歪む。
押し返され、美月の背中が壁へぶつかった。
「っ……!」
逃げようとする。
だが白石が出口との間へ入った。
「白石……やめて」
「うるさい」
「お願い……」
「うるさいって」
白石が再び手首を掴む。
美月は必死に身体を捻った。
「離して!」
「暴れるなよ!」
「嫌!」
肩を掴まれる。
美月は白石の腕を振り払い、蹴り、必死に離れようとした。
「やめて! お願いだから!」
白石は退かなかった。
出口へ向かおうとした美月の腕を掴み、強引に引き戻す。
「嫌っ!」
恐怖で頭の中が真っ白になった。
また何もできない。
また――。
「嫌ああああっ!」
美月は叫んだ。
森の中まで届くほど、大きな声で。
*
佳子は足を止めた。
女の悲鳴だった。
それほど遠くない。
「……今の」
もう一度聞こえた。
「やめて!」
聞き覚えのある声。
「美月……?」
佳子はすぐに走り出した。
枝を払い、木々の間を抜ける。
やがて古びた小屋が見えてきた。
中から物音がする。
「美月!」
佳子は扉へ駆け寄り、勢いよく開けた。
その瞬間、表情が変わった。
美月が壁際へ追い詰められている。
その前に白石がいた。
「……何してるの」
低い声だった。
白石が振り返る。
「佳子……」
佳子は室内へ入った。
「美月から離れて」
「違う」
「何が?」
「違うんだよ」
「何が違うの?」
佳子は白石を睨んだ。
美月の怯えた顔を見れば、詳しく聞く必要などなかった。
「嫌がってるでしょ」
「だから違うって言ってるだろ!」
佳子は白石と美月の間へ入った。
「美月、大丈夫?」
「佳子……」
「もう大丈夫だから」
美月を背中へ庇う。
それから白石を見る。
「最低」
白石の眉が動いた。
「……何?」
「最低だって言ったの」
「お前に何が分かるんだよ」
「分かりたくもない」
「俺だってな!」
白石が声を荒らげた。
「ずっとこんな島にいて、いつ死ぬか分からなくて……藤堂だって撃たれた!」
佳子の表情が変わった。
「……藤堂さん?」
「ああ!」
「何で白石が藤堂さんのこと知ってるの?」
白石の口が止まる。
佳子は眉を寄せた。
「白石……藤堂さんと一緒にいたの?」
白石はしばらく黙っていた。
やがて目を逸らす。
「……いたよ」
佳子の目が僅かに見開かれた。
「藤堂が撃たれた時、俺もいた」
「……そうだったの?」
「ああ」
白石の声が強くなる。
「俺じゃどうにもできなかったから、助けを探しに行ったんだよ! あのまま一緒にいたって何もできなかった!」
佳子は黙って聞いていた。
「俺は見捨ててない。逃げたんじゃない。助けを呼ぼうとしただけだ!」
「……藤堂さん、死んだよ」
白石の声が止まった。
「……え?」
佳子は白石を見つめた。
「藤堂さんが死ぬ時、私そこにいたから」
白石の顔から表情が消えた。
「……死んだ?」
「うん」
「嘘だろ……」
「嘘じゃない」
白石は何も言えなかった。
「俺は……助けを……」
「白石」
佳子の声は静かだった。
「藤堂さんのことを、今やってたことの言い訳に使わないで」
白石が顔を上げる。
「……何?」
「藤堂さんが撃たれたことと、美月にこんなことしたのは関係ないでしょ」
「お前……」
「私は藤堂さんの最期を見た」
佳子は白石から目を逸らさなかった。
「だから余計に、そんな言い訳に使ってほしくない」
「黙れ」
「怖かったら、美月に何してもいいの?」
「黙れよ」
「白石だけが怖いんじゃない」
「黙れって」
「みんな怖いよ。美月だって、私だって――」
「黙れ!」
白石が叫んだ。
佳子の身体が僅かに強張る。
白石の顔は歪んでいた。
「その目やめろよ」
「……何?」
「その目で俺を見るな!」
佳子は白石を見つめたまま答えた。
「軽蔑してる」
白石の表情が止まった。
美月が佳子の服を掴む。
「佳子……」
「大丈夫」
佳子は美月を庇ったまま、一歩も退かなかった。
「美月に謝って。それから離れて」
「……ふざけんな」
白石が踏み込んだ。
佳子はすぐに美月を後ろへ押した。
「下がって!」
白石が佳子の腕を掴む。
「離して!」
佳子は身体を捻り、白石の脚を蹴った。
「ぐっ!」
白石がよろめく。
佳子はその隙に距離を取った。
「美月、外に出て!」
だが美月は動けなかった。
脚が震えている。
白石が再び佳子へ向かう。
「お前も同じだよ」
「何が!」
「偉そうに俺を見やがって!」
白石が佳子の肩を掴み、壁へ押しつけた。
「っ……!」
「佳子!」
美月が叫ぶ。
佳子は白石の腕を掴み、押し返そうとする。
美月は周囲を見回した。
壊れかけた椅子が目に入る。
助けなければ。
今度こそ逃げたくない。
美月は震える手で椅子を掴んだ。
だが持ち上げようとしても、腕に力が入らない。
椅子が床へ倒れ、大きな音を立てた。
白石が振り返る。
「邪魔するな!」
その一瞬に、佳子が白石を突き飛ばした。
白石が数歩よろめく。
すぐに佳子へ向き直り、踏み込もうとした。
その時だった。
「……白石」
低い声が、小屋の入口から聞こえた。
白石の動きが止まる。
佳子が振り返った。
美月の目が大きく開く。
扉の向こうに立っていたのは黒田だった。
左上腕から血が流れている。
脇腹の服も裂け、赤く染まっていた。
顔には疲労が滲み、呼吸も荒い。
それでも、手には長い銃が握られている。
銃口は真っ直ぐ白石へ向けられていた。
「黒田……?」
白石の声には驚きが混じった。
美月が先ほど話していた黒田が、今ここに現れたのだ。
黒田は答えない。
室内を素早く確認する。
白石。
佳子。
そして、美月。
美月の姿を見つけた瞬間、黒田の表情が僅かに緩んだ。
「……無事だったか」
「黒田さん……」
美月の目から涙が溢れた。
黒田は再び白石を見る。
「美月から離れろ」
「待てよ。違うんだ」
「何が違う」
「こいつらが勝手に――」
「黙れ」
黒田の声に、白石は口を閉じた。
「佳子からも離れろ」
白石がゆっくり後退する。
正面には負傷しているとはいえ、長い銃を持った黒田がいる。
勝てる状況ではない。
白石の視線が室内を走った。
横手に小さな窓がある。
黒田もその視線に気づいた。
「動くな」
次の瞬間、白石は近くの椅子を蹴り飛ばした。
佳子が咄嗟に身を引く。
黒田の銃口が僅かに揺れた。
その隙に白石が窓へ飛びつく。
古い窓枠へ肩からぶつかった。
木が割れる。
「待て!」
黒田が叫ぶ。
白石は外へ転がり落ち、そのまま立ち上がった。
振り返らず、森へ走っていく。
黒田は窓へ銃口を向けた。
狙おうと思えば狙える。
だが、撃たなかった。
逃げていく背中を撃つより、今は確認しなければならないことがある。
「美月」
黒田は銃を下ろした。
美月へ近づこうとして、脇腹を押さえる。
顔が僅かに歪んだ。
「黒田さん!」
佳子が駆け寄る。
「怪我してるじゃない!」
「死ぬほどじゃない」
「でも血が……」
「大丈夫だ」
短く答え、黒田は美月を見る。
「怪我は?」
美月は少し迷ってから首を振った。
「……大丈夫」
「そうか」
黒田が息を吐いた。
それを見た美月は、すぐにもう1人のことを思い出した。
「黒田さん……」
「何だ」
「三浦さんは?」
黒田の表情が止まった。
佳子はそこで初めて、三浦も一緒だったのだと知った。
「三浦さんもいたの?」
美月が小さく頷く。
「私と……黒田さんと三浦さんで一緒にいたの」
佳子は黒田を見る。
美月の声が震えた。
「相馬が撃ってきて……私、怖くなって逃げた」
黒田は黙って聞いている。
「三浦さんが私を呼んでたのは聞こえた。でも私……そのまま逃げちゃって……」
美月の目から涙が落ちる。
「そのあと、ずっと銃声がしてたから……」
黒田は目を伏せた。
「三浦さんは……?」
すぐには答えられなかった。
黒田が見たものは、美月が知っている光景より先にある。
美月を追おうとして動き出した三浦。
だが、真由から受けたスタンガンの影響がまだ身体に残っていた。
脚に力が入らず、三浦はまともに追うことができなかった。
そこへ相馬の銃撃が続いた。
弾丸を受け、倒れた三浦。
助けに行こうとした。
しかし相馬の激しい銃撃に阻まれ、自分も左上腕と脇腹を負傷した。
三浦のところまで辿り着けなかった。
そして最後には――。
自分は逃げた。
「……分からない」
黒田が答えた。
美月が目を見開く。
「分からない……?」
「あの時は、まだ生きていた」
「じゃあ……」
「だが、撃たれた」
美月の表情が強張る。
「……三浦さんが?」
「ああ」
黒田は誤魔化さなかった。
「俺は助けに行けなかった」
握った拳に力が入る。
「相馬の銃撃を抜けられなかった。俺も撃たれた」
佳子が黒田の左腕と脇腹を見る。
そこでようやく、その傷が相馬によるものだと理解した。
黒田は続けた。
「このまま残れば、俺もやられると思った」
美月は何も言わない。
「だから……三浦を置いて逃げた」
小屋の中が静まり返った。
「三浦に謝って、俺は逃げた」
「違う……」
美月が呟いた。
黒田が顔を上げる。
「黒田さんのせいじゃない」
「……」
「私が先に逃げたから……」
「それも違う」
黒田はすぐに否定した。
「でも……」
「相馬が撃った」
黒田ははっきり言った。
「お前が逃げたから、三浦が撃たれたわけじゃない」
「でも私が――」
「違う」
美月の言葉を遮る。
「お前が引き金を引いたわけじゃない」
その言葉に、美月は俯いた。
真由のことまで思い出している。
黒田にもそれが分かった。
佳子が静かに美月のそばへ行った。
肩へ手を添える。
美月は拒まなかった。
やがて佳子の肩へ額を預け、小さく泣き始める。
黒田は小屋の外へ目を向けた。
白石の姿はもうない。
追うべきかもしれない。
だが今の身体では難しい。
それに、美月を再び1人にするわけにもいかなかった。
黒田は脇腹を押さえながら壁へ背中を預けた。
佳子が静かに尋ねる。
「相馬が……三浦さんを撃ったんですね」
「ああ」
黒田は答えた。
「俺が最後に見た時は、まだ生きていた」
だから、死んだとは言い切れない。
けれど黒田自身は分かっている。
三浦が受けた傷は深かった。
助かる可能性がどれほど残されているのか。
それでも今は、確かめる術がなかった。
美月は佳子のそばで涙を流しながら、小さく呟いた。
「……生きてて」
その願いに、黒田は答えられなかった。
*
白石悠真は森の中を走っていた。
枝が身体に当たっても構わず、小屋から離れる。
佳子に向けられた軽蔑の目。
藤堂が死んだと知らされた瞬間。
そして黒田に銃を突きつけられ、逃げるしかなかった屈辱。
すべてが頭の中で混ざり合っていた。
「……くそ」
走りながら歯を食いしばる。
「くそ……!」
どこへ向かっているのか、自分でも分からない。
ただ、あの場所から離れたかった。
胸の中に溜まった苛立ちを、どこかへぶつけたかった。
白石は森の奥へ走り続けた。
その先に誰がいるのかも知らないまま。




