第49話 助けなければ
相馬の右腕は、時間が経つほど重くなっていた。
佳子が巻き直してくれた布には、まだ薄く血が滲んでいる。
弾丸は右の上腕を貫通していた。傷口を強く圧迫したことで出血はかなり減っているものの、腕を動かすたびに内部を抉られるような痛みが走る。
それでも、2人は歩き続けていた。
「相馬」
少し前を歩いていた佳子が振り返る。
「何?」
「もう一回休もう」
「さっき休んだだろ」
「でも顔色悪いよ」
「大丈夫だ」
「大丈夫な人はそんな歩き方しない」
相馬は答えず、そのまま佳子の横を通り過ぎた。
佳子が小さく息を吐く。
「意地張らなくていいのに」
「張ってない」
「張ってる」
「歩けるんだから問題ない」
「倒れてからじゃ遅いでしょ」
佳子が相馬の左側へ回る。
「肩貸そうか?」
「いらない」
「そう」
短い返事だった。
それ以上は言ってこなかった。
相馬も何も言わない。
気まずい沈黙が続いた。
原因は分かっている。
撃たれたからではない。
撃たれる前。
佳子が地面へ倒れた時。
相馬は一瞬だけ迷った。
助けるべきか。
そのままにしておくべきか。
佳子が死ねば、自分の条件は進む。
《2nd STAGE開始時点で生存していた、自分以外の参加者13名全員の死亡を確認してください》
《TARGET:13》
最初に見た時は、ふざけていると思った。
自分以外の全員が死ぬ。
そんな条件、達成できるわけがない。
だから深く考えないようにしていた。
だが佳子が倒れた瞬間、初めてその条件が現実の出来事と繋がった。
この女が死ねば。
13が12になる。
そう考えた。
それでも身体は動いた。
佳子へ手を伸ばした。
助け起こした。
そして――撃たれた。
相馬は右腕を見る。
布の奥が疼く。
助けた結果がこれだ。
「…………」
「相馬?」
「何でもない」
相馬は歩き続けた。
佳子も隣を歩く。
しばらくして、佳子が口を開いた。
「さっきのことなんだけど」
「何?」
「私を助けてくれた時」
相馬の表情が僅かに変わる。
「ありがとう」
「……今さら?」
「ちゃんと言ってなかったから」
「別にいい」
「でも相馬が押してくれなかったら、私が撃たれてた」
「そうだな」
「だから――」
「もういいって」
佳子が黙った。
相馬自身、なぜこんな言い方をしたのか分からなかった。
礼を言われているだけだ。
それなのに腹が立つ。
助けてよかった。
本来なら、そう思うはずだった。
だが右腕が痛むたびに、別の考えが出てくる。
もし助けなかったら。
撃たれなかった。
佳子は死んでいたかもしれない。
そしてTARGETが減っていた。
助けたから。
自分が傷ついた。
助けたから。
条件も進まなかった。
そこまで考えて、相馬は自分自身に苛立った。
「……最悪だな」
「え?」
「何でもない」
その時だった。
ピッ。
電子音。
相馬が足を止めた。
佳子も振り返る。
「今の何?」
「俺の端末」
相馬は左手でL端末を取り出した。
画面が自動的に点灯している。
《DEATH CONFIRMED》
相馬の目が止まる。
佳子も横から画面を見た。
「……死亡?」
表示が切り替わる。
《TARGET UPDATE》
《13 → 12》
相馬は画面から目を離せなかった。
12。
数字が減っている。
「……誰か死んだんだ」
佳子が呟いた。
相馬は答えない。
誰なのかは表示されていない。
だが、参加者のうち1人が死亡した。
そして自分の条件が進んだ。
「相馬」
「……本当に減るんだな」
「え?」
無意識に出た言葉だった。
佳子の顔が強張る。
「今、何て言った?」
相馬は端末を消した。
「何でもない」
「何でもなくないでしょ」
「俺たちには何もできないだろ」
「そうだけど……」
「どこで何が起きたかも分からない。それなのにどうしろっていうんだ」
佳子は黙った。
相馬はL端末をしまう。
歩き出しても、頭の中には表示された数字が残り続けていた。
《13 → 12》
自分は何もしていない。
殺していない。
その場にすらいなかった。
それでも条件は進んだ。
死亡を確認する。
その意味を、相馬はようやく正確に理解した。
自分が殺す必要はない。
誰かが死ねばいい。
死亡したとゲームに判定されれば、それだけでいい。
*
それからしばらく歩いた。
佳子はほとんど喋らなくなっていた。
相馬の言葉が引っかかっているのだろう。
それでいい。
今は話したくなかった。
右腕の痛みに耐えながら進んでいると、佳子が突然足を止めた。
「待って」
相馬も止まる。
「どうした?」
「静かに」
佳子が周囲を見渡す。
相馬も耳を澄ませた。
風が葉を揺らす音。
遠くで鳥が鳴いている。
それに混じって。
「……う……」
低く、掠れた呻き声が聞こえた。
佳子の表情が変わる。
「聞こえた?」
「ああ」
もう一度。
「……っ……」
弱い。
だが間違いなく人間の声だった。
佳子が声の方向へ進もうとする。
相馬が左手で肩を掴んだ。
「待て」
「でも――」
「いきなり行くな」
「怪我してるかもしれない」
「罠かもしれない」
佳子が相馬を見る。
「また撃たれるぞ」
その言葉に、佳子は相馬の右腕を見た。
「……分かった」
2人は慎重に進んだ。
数十メートル。
途中から、地面に血痕が見え始めた。
量が多い。
佳子の歩調が速くなる。
呻き声も近い。
「……っ……」
木の陰へ回り込む。
そして。
「藤堂さん!」
佳子が駆け出した。
木の根元に、藤堂が座り込むように倒れていた。
腹部は血で濡れている。
顔色は悪く、呼吸も浅い。
「藤堂さん、聞こえますか?」
佳子が膝をつく。
藤堂が僅かに目を開けた。
「……夢篠……?」
「はい。私です」
相馬も近づいた。
藤堂の腹部を見る。
銃創。
しかも出血量が多い。
「撃たれたんですか?」
「……ああ」
「誰に?」
藤堂の唇が動く。
「……高橋」
佳子の目が見開かれた。
「高橋さん?」
相馬も眉を寄せる。
「なんで高橋が」
「白石の……首輪……」
藤堂が苦しそうに息を吐いた。
「欲しがって……」
「白石さんは?」
「助けを……呼びに……」
佳子が傷口を見る。
「相馬、布ある?」
相馬は答えなかった。
「相馬!」
「ああ」
左手でバッグを開き、使えそうな布を取り出す。
佳子へ渡した。
「ありがとう」
佳子が藤堂の腹部へ布を押し当てる。
「ぐっ……!」
「ごめんなさい。でも押さえます」
布がすぐに赤く染まり始める。
佳子の表情が険しくなる。
「相馬、手伝って」
「右腕は使えない」
「左手でいい。ここ押さえて」
相馬は動かなかった。
「相馬?」
藤堂を見る。
浅い呼吸。
血の量。
青ざめた顔。
助かるのか。
そんな疑問より先に。
《TARGET:12》
さっき見た数字が頭に浮かんだ。
藤堂が死ねば。
12が11になる。
「……相馬!」
佳子の声で我に返る。
「これ、助かるのか?」
「分からない」
「分からない?」
「私、医者じゃないから!」
佳子の声が荒くなる。
「でも何もしなかったら駄目でしょ!」
相馬は自分の右腕を見た。
「俺はさ」
「何?」
「さっき、お前を助けた」
佳子が相馬を見る。
「今その話する?」
「助けたから撃たれた」
「だから何?」
「もし助けなかったら、俺は撃たれてなかった」
佳子の表情が変わる。
「……何が言いたいの?」
「そのままの意味だよ」
「相馬」
「俺の条件、覚えてるだろ」
佳子の手が止まりかけた。
「13人全員の死亡確認」
「ああ」
「それが何?」
「さっき通知が来た」
相馬はL端末を取り出した。
《TARGET:12》
「俺は何もしてない。でも減った」
佳子は画面を見た。
そして相馬を見る。
「まさか……」
「俺が殺す必要ないんだよ」
「やめて」
「何を?」
「それ以上言わないで」
「死ねば勝手に減る」
「相馬!」
「だったら俺が危険を冒して助ける意味って何だ?」
「あるに決まってるでしょ!」
「俺にとっては逆なんだよ!」
相馬の声が森に響いた。
「助ければ条件が遠ざかる! 助けなければ近づく!」
佳子が言葉を失った。
相馬自身も、口に出したことで初めて、自分の中にあった考えの形を理解した。
藤堂が弱々しく目を開ける。
「……相馬」
相馬が見る。
「何だ」
「それでも……」
藤堂は一度、苦しそうに息を吸った。
「人間は……数字じゃない」
相馬の眉が動く。
「分かってるよ」
「なら……」
「分かってる!」
相馬が叫んだ。
「分かってるから迷ってるんだろ!」
静寂が落ちた。
相馬の呼吸が荒い。
佳子は相馬を見つめていた。
その目にあるものが、少しずつ変わっていく。
心配ではない。
警戒。
そして失望。
「俺だって最初からこんなこと考えてたわけじゃない」
相馬は右腕を押さえる。
「でもゲームが俺にこれを出したんだ。俺以外の全員が死ねって」
「ゲームがそう決めたからって、人を見捨てていい理由にはならない」
「じゃあ俺はどうやって首輪を外すんだよ」
「…………」
「教えてくれよ」
佳子は答えられない。
「俺だけ諦めろって?」
「そんなこと言ってない」
「同じだよ」
相馬は端末をしまった。
「俺だって生きたい」
佳子はしばらく相馬を見ていた。
そして、ゆっくり首を振った。
「もういい」
「何が」
「相馬は手伝わなくていい」
佳子は藤堂へ向き直った。
「私がやる」
藤堂の傷口を押さえる。
「私は助けるから」
相馬は何も言わなかった。
少し離れた場所へ腰を下ろす。
右腕が痛む。
藤堂を見る。
佳子を見る。
助けるべきだ。
人を見捨てるのは間違っている。
そんなことは分かっている。
それでも。
《TARGET:12》
数字が頭から消えなかった。
時間が経つ。
藤堂の呼吸は少しずつ弱くなっていった。
「藤堂さん?」
佳子が呼ぶ。
返事が遅い。
「藤堂さん、聞こえますか?」
「……ああ」
「喋らなくていいです」
「夢篠……」
「はい」
「白石に……会ったら……」
「はい」
「俺のことは……気にするなって……」
「それ、自分で言ってください」
藤堂が僅かに笑った。
「……厳しいな」
「当たり前です」
「あと……」
藤堂の目が相馬へ向いた。
「相馬」
相馬も見る。
「何だ」
「お前も……生きろ」
相馬の表情が止まった。
「……何だよ、それ」
「ただし……」
藤堂は途切れそうな呼吸を整えた。
「自分で……自分を嫌いになるような……生き方は……するな」
「…………」
「生き残っても……それじゃ……苦しいだけだ……」
「藤堂さん」
佳子が呼ぶ。
藤堂の瞼がゆっくり閉じた。
「藤堂さん?」
返事がない。
「藤堂さん」
佳子が首元へ指を当てる。
数秒。
さらに数秒。
佳子は俯いた。
「……藤堂さん」
森の中に、静かな声だけが残った。
その時。
ピッ。
電子音が鳴った。
相馬の身体が僅かに震える。
L端末。
見なくても何なのか分かっていた。
それでも取り出した。
《DEATH CONFIRMED》
《TARGET UPDATE》
《12 → 11》
相馬は画面を見つめた。
また減った。
何もしていない。
藤堂を撃ったのは高橋だ。
自分は殺していない。
ただ。
助けなかった。
それだけだった。
「……相馬」
佳子の声がした。
相馬が顔を上げる。
佳子は藤堂の瞼をそっと閉じていた。
それから乱れた服を整え、傷口に当てていた血まみれの布を外す。
しばらく藤堂のそばに座っていた。
「……ごめんなさい」
誰に向けたものなのか分からないほど小さな声だった。
やがて佳子は立ち上がった。
相馬を見る。
「行くのか?」
「うん」
「どこに」
「分からない」
「だったら一緒に――」
「嫌」
相馬の言葉が止まった。
佳子は真っ直ぐ相馬を見る。
「もう相馬とは一緒に行かない」
「……なんで」
聞いた瞬間、自分でも馬鹿な質問だと思った。
佳子の表情には怒りよりも疲れがあった。
「分からない?」
「…………」
「私、相馬が撃たれた時、本当に心配した」
相馬は黙っている。
「私を助けたせいで撃たれたから、申し訳ないとも思った。だからできるだけ一緒にいようと思ってた」
佳子の視線がL端末へ落ちる。
「でも今の相馬とは無理」
「俺は藤堂を殺してない」
「そんな話してない」
「でも俺が手伝ったって助かったか分からないだろ」
「そうだね」
佳子は否定しなかった。
「助からなかったかもしれない」
「だったら――」
「それでも助けようとすることはできた」
相馬が黙る。
「相馬は藤堂さんを見てなかった」
「見てたよ」
「違う」
佳子が首を振る。
「見てたのは数字でしょ」
相馬の表情が固まった。
「藤堂さんじゃなくて、12が11になるかどうかを見てた」
「…………」
「それが私は怖い」
相馬は何も言えなかった。
佳子が背を向ける。
「じゃあね」
「佳子」
佳子は止まった。
「1人で行くのか?」
「相馬といるよりいい」
それだけ言って、歩き出した。
相馬は追わなかった。
追えなかった。
佳子の姿が木々の向こうへ消えていく。
足音も聞こえなくなる。
残ったのは相馬と、藤堂の遺体だけだった。
*
相馬はその場から動かなかった。
どれくらい時間が経ったのか分からない。
L端末を見る。
《TARGET:11》
佳子の言葉が何度も頭の中で繰り返される。
――見てたのは数字でしょ。
「……違う」
誰も答えない。
「俺だって助けようと思った」
藤堂も答えない。
「でも、助からなかっただろ」
右腕が痛む。
相馬は傷口を押さえた。
「俺は佳子を助けた」
だから撃たれた。
「助けた結果がこれだ」
右腕。
まだ痛い。
下手をすれば自分が死んでいた。
「藤堂は助けなかった」
L端末を見る。
《TARGET:11》
「……進んだ」
口に出した瞬間、相馬は自分の言葉に嫌悪した。
「何考えてんだよ……」
顔を手で覆う。
藤堂が死んだ。
人間が1人死んだ。
喜ぶようなことではない。
分かっている。
「違うだろ……」
それでも数字は11になった。
自分は傷つかなかった。
藤堂を助けるために動かなかった。
その結果、条件が1つ進んだ。
佳子を助けた。
自分が撃たれた。
条件は進まなかった。
藤堂を助けなかった。
自分は傷つかなかった。
条件が進んだ。
あまりにも分かりやすかった。
「……違う」
相馬はもう一度呟いた。
だが、何が違うのか説明できなかった。
人を助けるのは正しい。
そんなことは知っている。
でも。
正しいことをして、自分が死んだら?
他人を助け続けて、最後まで条件を達成できなかったら?
首輪をつけたまま72時間が終わったら?
「俺だって……死にたくないんだよ」
誰に言い訳しているのか、自分でも分からなかった。
藤堂を見る。
もう動かない。
「お前は簡単に言うよな」
――自分で自分を嫌いになるような生き方はするな。
「じゃあどうしろっていうんだよ」
答えはない。
相馬はL端末を握った。
11。
あと11人。
その数字を見た瞬間、自分の中に浮かんだ考えに気づく。
――あと11人。
「…………」
以前なら。
13という数字を見ても、13人の顔を思い浮かべていた。
蓮。
佳子。
詩織。
黒田。
白石。
高橋。
藤堂。
葵。
真由。
美月。
三浦。
莉奈。
聡子。
人間だった。
だが今。
画面に表示された11を見て。
最初に思ったのは、
――あと11人。
だった。
「……はは」
乾いた声が漏れた。
「俺……最低だな」
笑っているのに、顔は引きつっていた。
相馬は端末を消した。
それでも数字は頭の中から消えない。
助ければ、自分が危険になる。
助けなければ、自分は傷つかない。
そして条件は進む。
なら。
次に目の前で誰かが死にかけていたら。
自分はどうする?
相馬はしばらく考えた。
以前なら迷わず助けた。
今は。
答えが出なかった。
いや。
本当はもう、答えが出始めていた。
相馬はゆっくり立ち上がる。
右腕が痛んだ。
その痛みを確かめるように傷口へ触れる。
「助けたから……こうなった」
そしてL端末の入ったポケットへ左手を置く。
「助けなかったから……減った」
藤堂の遺体へ背を向ける。
一歩。
また一歩。
歩き始める。
まだ相馬は、誰かを殺そうとは考えていなかった。
だが。
誰かを助けなければならない理由は、もう分からなくなっていた。




