第48話 欲しいのは首輪だけ
白石は歩きながら、左腕に巻いた布の位置を直した。
葵の放った矢が掠めた傷は、深くはない。
それでも腕を大きく動かすと、皮膚が引きつるように痛んだ。
「痛むか?」
少し前を歩いていた藤堂が振り返る。
「まあ、ちょっとな。でもこのくらいなら平気」
「見せろ」
「いいって。大したことないから」
「そう言う奴ほど後で悪化させる」
「藤堂って意外と細かいよな」
「お前が雑なんだ」
「はいはい」
白石は笑った。
だが、以前のような明るさはなかった。
葵は何の警告もなく撃ってきた。
矢が数センチずれていれば、腕では済まなかったかもしれない。
2nd STAGEになってから、何かが明らかに変わっている。
真由もそうだ。
高橋も、最近は様子がおかしかった。
「なあ」
「何だ」
「これ、あとどれくらい続くんだろうな」
藤堂はすぐには答えなかった。
「72時間までだろう」
「そういう意味じゃなくてさ」
白石は前を向いた。
「俺、もう首輪外れてるじゃん」
「ああ」
「条件もない。だったら隠れてりゃいいのかな」
「それが一番安全なら、そうするべきだ」
「でもさ……」
白石が言葉を止める。
「みんな、変わってきてない?」
藤堂も否定しなかった。
「最初はもっと普通だったよな。怖がったり、疑ったりはしてたけど……今みたいに、いきなり撃ってくる奴なんていなかった」
「条件が変わった」
「それだけかな」
「それだけでも十分だ」
藤堂は淡々と答える。
「生き残るために他人の死や端末が必要になれば、判断は変わる」
「藤堂も?」
「何がだ」
「自分の条件のためなら、人を殺せる?」
藤堂の足が少しだけ遅くなった。
「……分からん」
「元自衛官でも?」
「関係ない」
藤堂は前を向いたまま答える。
「訓練を受けたことと、人を殺せることは別だ」
「そっか」
白石はバッグの肩紐を握った。
その中には、自分の首から外した首輪が入っている。
何となく捨てられず、ずっと持ち歩いている。
以前、高橋にそのことを聞かれた。
まだ持っているのか、と。
あの時は、それほど気にしていなかった。
だが今になって考えると、妙だった。
「……高橋、何で俺の首輪のこと聞いたんだろうな」
藤堂が白石を見る。
「俺もそれを考えていた」
「やっぱ気になる?」
「ああ」
さらにもう1つ。
藤堂は高橋が葵のアップグレード端末を奪ったことも知っている。
白石が苦笑した。
「次会ったら聞いてみるか」
「そうだな。ただし警戒はしておけ」
「高橋だぞ?」
「だからだ」
白石の笑みが消えた。
その時だった。
藤堂が右手を上げる。
「止まれ」
白石が足を止めた。
「何?」
「前にいる」
木々の向こうから足音が聞こえる。
1人。
こちらへ近づいてくる。
藤堂は身体の向きをわずかに変え、白石より半歩前へ出た。
足音が近づく。
そして木の間から姿を現したのは――。
「あ……」
白石が目を見開く。
「高橋」
高橋も2人を見つけて足を止めた。
「白石……藤堂」
しばらく誰も動かなかった。
最初に口を開いたのは白石だった。
「なんだよ。ちょうどお前の話してたところ」
「俺の?」
「ああ」
白石は笑おうとした。
だが高橋の姿を見て、その笑みが途中で止まった。
「……何だよ、その格好」
以前とは明らかに違う。
高橋は身体に防護用の装備を着けている。
腰には頑丈そうなナイフ。
小型ライト。
さらに手には、見覚えのない端末。
藤堂だけは、その端末が何なのか分かっていた。
「高橋」
「何だよ」
「それ、葵の端末だな」
高橋の表情が僅かに強張る。
白石が藤堂を見る。
「葵の?」
「ああ」
「なんで高橋が持ってるんだ?」
高橋は数秒黙った。
「……拾った」
「拾った?」
「落ちてたんだよ」
藤堂の目が細くなる。
「嘘だな」
「は?」
「葵から聞いた」
高橋の顔から表情が消えた。
「お前に奪われたと言っていた」
「……あいつと会ったのか」
「ああ」
「何て言ってた?」
「端末を返せと」
高橋が舌打ちした。
白石が困惑した顔で2人を見る。
「ちょっと待てよ。どういうことだ?」
「大した話じゃない」
高橋が答える。
「揉めただけだ」
「揉めただけで端末奪うか?」
「必要だったんだよ」
「何に?」
高橋は答えない。
白石は改めて高橋の装備を見る。
「その防具とかも、その端末で見つけたのか?」
「……まあな」
「すげえな」
白石が近づこうとする。
「白石」
藤堂が止めた。
「え?」
「そこにいろ」
高橋の目が藤堂へ向く。
「何だよ。そんな警戒するなよ」
「して当然だ」
「俺は何もする気ない」
「なら問題ない」
高橋は何か言い返そうとしたが、やめた。
少し沈黙が続く。
白石が空気を変えようと口を開いた。
「で、高橋はどこ行くつもりだったんだ?」
「……お前らを探してた」
「俺ら?」
「ああ」
「何で?」
高橋の視線が白石へ移る。
「白石に用がある」
「俺?」
「前に聞いただろ」
「何を?」
「首輪」
白石の表情が止まった。
藤堂も高橋を見る。
「まだ持ってるよな?」
「……持ってるけど」
「見せてくれ」
「なんで?」
「確認したい」
「何をだよ」
「いいから」
白石はバッグへ手を伸ばしかけた。
「白石」
藤堂の声で止まる。
「出すな」
「でも見るだけなら――」
「理由を聞いてからだ」
高橋が息を吐く。
「藤堂、お前は関係ないだろ」
「今は一緒に行動している」
「だから何だよ」
「白石の物を渡すかどうかは、少なくとも理由を聞いてからだ」
「別に奪おうとしてない」
「なら説明できるだろう」
高橋は藤堂を睨んだ。
白石が2人の間を見る。
「高橋」
「何だよ」
「首輪、何に使うんだ?」
高橋はしばらく黙っていた。
ここまで来て、隠し続ける意味はない。
「……条件だよ」
「条件?」
「ああ」
白石の顔から軽さが消えた。
「俺の2nd STAGEの条件」
藤堂が訊く。
「内容は?」
「首輪が必要なんだ」
「何個だ」
高橋が一瞬黙る。
「5個」
白石が目を見開いた。
「5個?」
「参加者の首輪を5個集めて、指定された場所で認証する」
白石は自分のバッグを見る。
「だから俺のを?」
「ああ」
「でも俺の首輪、もう外れてるぞ」
「それでいい」
「外れてても?」
「いいんだよ」
高橋が一歩近づく。
「だからくれ」
白石は答えなかった。
「お前にはもう必要ないだろ」
「……まあ、そうだけど」
「だったらいいじゃん」
「ちょっと待て」
藤堂が割って入る。
「条件を見せろ」
高橋が藤堂を見る。
「は?」
「端末を出せ」
「なんでだよ」
「今言った内容が本当か確認する」
「本当だよ」
「なら見せられる」
高橋の眉間に皺が寄る。
「信用してないのか?」
「今のお前を信用しろという方が難しい」
「……葵の話か?」
「それもある」
「俺が襲ったわけじゃない」
「端末は奪った」
「必要だったんだ!」
「それと今の話は別だ。条件を見せろ」
高橋の呼吸が少しずつ荒くなった。
「嫌だ」
「なら首輪も渡せない」
白石が藤堂を見る。
「いや、決めるの俺だけど」
「渡すのか?」
「……それは」
白石は高橋を見る。
昔なら、渡したかもしれない。
自分にはもう必要のない物だ。
それで高橋が助かるなら、と。
だが今は違う。
「高橋。見せてくれよ」
「お前まで何だよ」
「だって、条件なら見せれば済むじゃん」
「嫌だって言ってるだろ」
「何で?」
「見せたくないからだよ!」
声が大きくなった。
白石が黙る。
高橋自身も気づいたのか、少し声を落とした。
「……別に嘘じゃない」
「だったら――」
「俺の条件なんだから、俺がどうするか決める」
高橋は白石のバッグを見る。
「首輪だけくれればいい」
「悪い」
白石が肩紐を握る。
「今は渡せない」
「なんで?」
「何となく嫌だ」
「何となく?」
「お前、ちょっと変だよ」
高橋の表情が固まる。
「俺が?」
「ああ」
「お前までそんなこと言うのかよ」
「だってそうだろ。葵から端末奪って、こんな武装して、いきなり俺の首輪くれって……」
「条件なんだよ!」
「だから見せろって!」
「うるさい!」
高橋が怒鳴った。
森に声が響く。
3人とも黙った。
高橋は自分を落ち着かせるように息を吐いた。
「……頼むよ、白石」
今度は声が低かった。
「俺、死にたくないんだ」
白石の目が揺れる。
「5個集めればいい。それだけなんだ」
「今、何個ある?」
「……まだない」
「じゃあ俺の渡しても、あと4個いるじゃん」
「分かってる」
「どうやって集めるんだよ」
「探す」
「誰のを?」
高橋は答えられなかった。
白石。
黒田。
三浦。
美月。
そして死んだ美咲。
外れた首輪が存在することは分かっている。
だが全員が素直に渡してくれるとは限らない。
「高橋」
藤堂が言った。
「その条件は危険だ」
「知ってるよ」
「首輪を持っている相手が拒否したらどうする」
「……説得する」
「それでも拒否したら?」
「何が言いたい」
「お前自身が分かっているはずだ」
高橋の右手がゆっくり下がった。
腰のナイフに近づく。
藤堂がその動きを見逃さなかった。
「手を離せ」
高橋が止まる。
「何だよ」
「ナイフから手を離せ」
「触ってない」
「なら、そのまま手を上げろ」
「ふざけんな」
白石が一歩前へ出た。
「おい、2人ともやめろって」
「白石、下がれ」
「藤堂も落ち着けよ」
「俺は落ち着いている」
「そう見えねえよ」
高橋が乾いた笑いを漏らした。
「ほら。白石だってそう言ってる」
「お前が武器へ手を伸ばしたからだ」
「伸ばしてない!」
「じゃあ離れろ」
「命令すんな!」
高橋の声が再び荒くなる。
藤堂は高橋から目を離さない。
「高橋。今ならまだ話で済む」
「俺だってそうしたいよ」
「なら首輪は諦めろ」
「それじゃ意味ないだろ!」
「今日は、だ」
「明日なら渡すのかよ!」
「落ち着いてから話せと言っている」
「俺には時間がないんだよ!」
高橋が一歩踏み出した。
藤堂も前へ出る。
2人の距離が縮まる。
「止まれ」
「邪魔するな」
「止まれ、高橋」
「俺は白石と話してる!」
「白石は渡さないと言った」
「お前が言わせたんだろ!」
「違う!」
白石が声を上げる。
高橋が白石を見る。
「俺が決めた。今のお前には渡せない」
「……白石」
「条件見せて、ちゃんと話そう。それなら――」
「もういい」
高橋の声が変わった。
「え?」
「もういいよ」
右手が動いた。
ナイフの柄を掴む。
「高橋!」
藤堂が踏み込んだ。
ナイフが鞘から抜けるより早く、高橋の右手首を掴む。
「離せ!」
「ナイフを捨てろ!」
「まだ何もしてないだろ!」
「なら離せ!」
高橋が左手で藤堂の胸を押した。
藤堂は動かない。
右手首を外側へ捻る。
「痛っ……!」
高橋の身体が傾いた。
「藤堂!」
白石が近づく。
「来るな!」
藤堂が叫ぶ。
高橋が身体ごと藤堂へぶつかった。
肩が胸へ入る。
藤堂が半歩下がった。
その隙に高橋が手首を引く。
ナイフが抜けた。
刃が藤堂の腹部へ向く。
藤堂は高橋の前腕を左手で押さえ、刃先を外へ逸らした。
「やめろ!」
「離せよ!」
高橋が左拳を振る。
藤堂が顔を引く。
拳が頬を掠めた。
藤堂はそのまま高橋の右腕を下へ押さえ込もうとする。
高橋が膝を上げた。
藤堂の腿へ当たる。
体勢が崩れる。
ナイフが振られた。
藤堂が身体を引く。
刃先が服の腹部を浅く裂いた。
「高橋!」
白石が高橋の背中へ飛びついた。
「やめろって!」
「離せ!」
高橋が左肘を後ろへ振る。
白石の顔面を掠めた。
「っ!」
白石の腕が緩む。
高橋は振り返りざまに白石を突き飛ばした。
白石が地面へ倒れる。
「白石!」
藤堂が一瞬そちらを見た。
高橋がナイフを握り直す。
だが、刺せなかった。
藤堂が再び距離を詰めたからだ。
右手首を掴む。
肘を押さえる。
高橋の腕を背中側へ回そうとする。
「離せ!」
「武器を捨てろ!」
「離せって!」
高橋が暴れる。
藤堂の力は強かった。
ナイフを持つ腕が動かない。
高橋の呼吸が荒くなる。
焦り。
恐怖。
このまま押さえ込まれる。
ナイフを取られる。
拳銃まで見つかる。
その瞬間、高橋の左手が腰の後ろへ回った。
藤堂が気づく。
「高橋――!」
拳銃が抜かれた。
白石の顔色が変わる。
「お前、銃まで……!」
「来るな!」
高橋が叫んだ。
藤堂が銃を持つ左手首を掴む。
銃口が上を向く。
高橋の指が引き金にかかった。
乾いた破裂音。
銃声が森を裂いた。
弾丸が頭上の枝を砕く。
「銃を離せ!」
「お前が離せよ!」
藤堂は高橋の左手首を押し上げる。
高橋は腕を引き戻そうとする。
互いの身体が密着した。
銃口が激しく揺れる。
「白石、離れろ!」
「でも――」
「離れろ!」
白石が足を止める。
高橋が藤堂の脛を蹴った。
藤堂の身体が僅かに沈む。
高橋は銃を持つ腕を引き下ろした。
藤堂が押し返す。
銃口が右へ。
左へ。
そして一瞬だけ――藤堂の身体へ向いた。
「高橋!」
藤堂が銃身を外へ押そうとした。
高橋も引き戻そうとした。
引き金にかかった指へ力が入る。
パンッ――!
2発目の銃声。
藤堂の身体が止まった。
「…………」
高橋も動かない。
白石が目を見開いた。
「……藤堂?」
藤堂がゆっくり高橋から手を離す。
腹部へ視線を落とした。
服に小さな穴が開いている。
その周囲へ、赤い色が広がり始めた。
「……え」
高橋の声が漏れた。
藤堂が一歩下がる。
足がもつれた。
膝をつく。
「藤堂!」
白石が駆け寄った。
倒れかけた身体を抱える。
「おい! しっかりしろ!」
「……白石」
藤堂の声が掠れている。
白石が腹部へ手を当てた。
血が掌に広がる。
「やばい……これ、やばいって……」
高橋は拳銃を持ったまま立ち尽くしていた。
「違う」
白石が振り返る。
「……何が?」
「違う……俺は……」
「何が違うんだよ!」
「撃つつもりじゃなかった!」
「撃っただろ!」
「藤堂が掴んだから!」
言った直後、高橋自身が黙った。
違う。
そんなことを言いたいわけではない。
「俺は……」
藤堂が苦しそうに息を吐く。
白石が傷口を押さえた。
「喋るな。今止めるから」
「白石……」
「大丈夫だから」
血が止まらない。
白石の手の隙間から流れてくる。
「大丈夫だから……」
自分に言い聞かせているようだった。
高橋が一歩近づく。
白石が睨みつける。
「来るな」
「……白石」
「来るなよ」
「俺だってこんな――」
「銃捨てろよ!」
高橋は拳銃を見る。
手が震えていた。
「捨てろ!」
それでも手放せなかった。
白石がそれを見た。
「……まだ持つのかよ」
「違う」
「何が違うんだ」
「俺は……死にたくないだけだ」
「藤堂だってそうだろ!」
高橋が何も言えなくなる。
白石のバッグが視界に入った。
首輪。
目的だったもの。
今なら奪えるかもしれない。
その考えが頭をよぎった瞬間、高橋は自分自身に吐き気を覚えた。
藤堂が血を流している。
それなのに、自分はまだ首輪のことを考えた。
「……くそ」
高橋が後退する。
「どこ行くんだよ」
白石が言った。
「高橋!」
さらに一歩。
「待てよ!」
高橋は背を向けた。
「待てって言ってんだろ!」
白石は追えなかった。
腕の中に藤堂がいる。
高橋が走り出す。
木々の間へ入る。
「高橋!」
白石の声だけが追った。
高橋は振り返らなかった。
走る。
拳銃を握ったまま。
奪ったアップグレード端末も、防護具も、ナイフも、そのままだった。
首輪だけは手に入らなかった。
*
「藤堂」
白石は傷口を押さえ続けていた。
「なあ、藤堂。聞こえるか?」
「……ああ」
「どうすればいい?」
藤堂が薄く目を開ける。
「何が」
「傷だよ! どうすればいいんだよ!」
「……圧迫……しろ」
「してる!」
「なら……そのまま」
「血、止まんねえよ……」
白石の手は真っ赤だった。
バッグを開き、使えそうな布を引っ張り出す。
傷口へ押し当てる。
「病院なんてないし……」
声が震える。
「三浦さん探すか? 三浦さんなら医者だろ。あの人なら何とか――」
「遠い」
「でも!」
「場所も……分からない」
「じゃあどうすんだよ!」
藤堂は答えなかった。
白石が周囲を見る。
「誰か……」
誰もいない。
「誰かいねえのかよ!」
森へ向かって叫ぶ。
「誰か!」
返事はない。
「くそ……!」
白石は藤堂の身体を起こそうとした。
「俺につかまれ」
「白石……」
「歩けるか?」
「無理だ」
「じゃあ背負う」
「お前の腕も……怪我してる」
「こんなの怪我じゃねえよ!」
白石は藤堂の腕を肩へ回そうとした。
左腕に鋭い痛みが走る。
「っ……!」
それでも持ち上げる。
藤堂の身体が少し浮いた。
次の瞬間、藤堂が呻いた。
「ぐっ……!」
腹部から再び血が溢れる。
「駄目だ……」
白石が慌てて下ろした。
「くそ……くそ!」
どうすればいい。
自分には分からない。
藤堂をここに置いて誰かを探す。
だが、その間に高橋が戻ってきたら。
高橋は自分の首輪を欲しがっている。
銃を持っている。
白石はバッグを見た。
自分の首輪が入っている。
さっきまでただの記念品のように持ち歩いていた物が、突然命を狙われる理由に変わった。
小さな物音がした。
白石が顔を上げる。
「……高橋?」
返事はない。
森の奥。
枝が揺れたように見えた。
白石の呼吸が止まる。
高橋が戻ってきた。
そう思った。
「白石」
藤堂が掠れた声で呼ぶ。
「何だ」
「行け」
「は?」
「ここから……離れろ」
「何言ってんだよ」
「高橋が……戻るかもしれない」
「だから置いていけって?」
「首輪を持って……逃げろ」
「できるわけないだろ!」
藤堂が白石を見る。
「お前まで……撃たれたら……意味がない」
「意味とか知らねえよ」
「白石」
「俺はお前置いていかないから」
また物音。
今度は少し離れた場所。
白石がそちらを見る。
誰なのか分からない。
高橋かもしれない。
別の参加者かもしれない。
そして今の島では、どちらであっても安全とは限らない。
白石の身体が強張った。
藤堂はそれに気づいた。
「行け」
「……でも」
「誰かを……呼んでこい」
白石の目が揺れる。
「すぐ戻る」
藤堂は答えなかった。
「絶対戻るから」
白石はバッグを強く握った。
「ここにいろよ」
「……分かった」
「死ぬなよ」
「努力する」
藤堂らしい答えだった。
白石の顔が歪む。
「そういう冗談いらねえんだよ……」
立ち上がる。
数歩進む。
振り返る。
藤堂は木の根元に身体を預けていた。
「すぐ戻るからな!」
白石は走り出した。
高橋が向かった方向とは逆。
誰かを探す。
三浦でもいい。
黒田でもいい。
誰でもいい。
藤堂を助けられる人間を。
だが森の中を走りながら、白石の頭には別の言葉が何度も蘇っていた。
――首輪だけくれ。
――お前にはもう必要ないだろ。
――俺は死にたくないんだ。
高橋の顔。
拳銃。
銃声。
藤堂の腹から流れ出した血。
白石は走った。
どこへ向かっているのかも分からないまま。
その背後で。
藤堂は1人、木にもたれていた。
腹部を押さえる手から、少しずつ力が抜けていく。
意識が遠のく。
それでも白石が走っていった方向を見ていた。
「……馬鹿が」
小さく呟く。
「ちゃんと……逃げろよ……」
返事はなかった。
森は静かだった。
藤堂はまだ生きている。
だが、その時間が長く残されていないことだけは、本人にも分かっていた。




