第47話 生き残るために
G施設に充満していた白い煙は、ようやく薄くなり始めていた。
開いた入口から流れ込む風に押され、床を這っていた煙が少しずつ外へ逃げていく。視界が戻るにつれ、壁際に転がった荷物や、床に落ちた刃物の輪郭もはっきりしてきた。
黒田は真由の右腕を背中側へ捻り上げ、壁へ押さえつけていた。
少し離れた場所には、先ほどまで真由が握っていたナイフが落ちている。
三浦がそれを拾おうとしたが、黒田が止めた。
「そのままでいい。まず真由から離れろ」
「分かった」
三浦が美月のそばまで下がる。
美月は壁際に立ち、自分の脇腹を押さえていた。
服は横に裂けている。
刃先は皮膚までは届いていない。それでも、ほんの少し身体を捻るのが遅れていたら腹を切り裂かれていた。
その事実が、遅れて恐怖になって押し寄せていた。
「……真由」
美月が呼んだ。
真由は答えない。
黒田に押さえつけられたまま、荒い呼吸を繰り返している。
「なんで……私だったの?」
真由の肩がわずかに動いた。
「美月」
三浦が止めようとする。
しかし、美月は首を振った。
「聞きたい」
真由を見る。
「黒田さんも三浦さんもいたのに、ずっと私ばっかり狙ってたよね」
「…………」
「煙の中でもそうだった。私が逃げても追ってきた」
真由は唇を噛んだ。
黒田も、その横顔を見ていた。
「俺も聞きたい」
低い声だった。
「お前の条件に、俺たちが関係してるな?」
真由が一瞬だけ黒田を見る。
それだけで十分だった。
「やっぱりそうか」
「…………」
「俺、美月、三浦。それから白石」
真由の身体が硬くなった。
三浦の表情も変わる。
「首輪が外れてる4人か」
真由は答えない。
「2nd STAGEが始まった時点で首輪が外れていた生存者は、俺たち4人だった」
黒田が続ける。
「その4人が、お前の条件に関係している」
「……やめて」
「何をすれば達成になる?」
「やめてよ」
「真由」
「言いたくない!」
真由が暴れた。
黒田は腕を締め、身体を壁へ押し戻す。
「暴れるな」
「離して!」
「だったら答えろ」
「嫌!」
「お前はさっき美月を殺そうとした」
真由の動きが止まった。
黒田の声に怒鳴るような激しさはなかった。
だからこそ、重かった。
「理由を聞く権利くらいある」
長い沈黙が落ちた。
真由の呼吸だけが聞こえる。
やがて、俯いたまま口を開いた。
「……死亡確認」
三浦が眉を寄せる。
「何?」
「4人全員の……死亡を確認する」
美月の顔から血の気が引いた。
真由はもう止まらなかった。
「それが私の条件」
誰も言葉を発しなかった。
予想していた。
だが、本人の口から聞くのは違った。
黒田が確認する。
「俺、美月、三浦、白石。その4人全員が死ねば、お前の条件達成ということか」
「……そうだよ」
美月は裂けた服を握りしめた。
「じゃあ……本当に私を殺そうとしてたんだ」
真由が目を逸らす。
「答えてよ」
「……そうだよ」
小さな声だった。
「だったら、なんで私なの?」
真由は黙った。
「4人いるんでしょ?」
「美月」
三浦がもう一度呼ぶ。
だが美月は止まらない。
「なんで私からなの?」
真由がゆっくり顔を上げた。
その目には恐怖と疲労、それから追い詰められた人間特有の苛立ちが混ざっていた。
「……弱そうだったから」
「え?」
「一番、弱そうだったから」
美月は何も言えなかった。
真由の声が少しずつ大きくなる。
「黒田さんは無理だった。何回やっても止められる。三浦さんは私より身体が大きい。力だってある。白石は今どこにいるのかも分からない」
そして、美月を見る。
「だったら美月しかいないじゃん」
「そんな……」
「4人全員なんて最初から考えたら無理だよ!」
真由が叫んだ。
「でも1人ならって思ったの! まず1人。1人死ねば残り3人になる。そうやって減らしていけば、いつか終わるかもしれないって!」
「だから私を……?」
「私だって死にたくないの!」
声が施設内に響いた。
「どうすればいいの!? 条件をやらなかったら首輪は外れない! ゲームは終わらない! 私だって生きたいんだよ!」
「それは私たちだって同じだよ!」
美月も声を上げた。
真由が黙る。
「私だって死にたくない」
「…………」
「三浦さんも、黒田さんも、白石だってそうでしょ。真由だけじゃないよ」
「分かってるよ……」
「分かってるなら――」
「分かってるから苦しいんじゃん!」
真由の目から涙がこぼれた。
「最初はできないと思ったよ。人なんて殺せるわけないって。でも、ずっと考えてたら……だんだん、それしかないって思うようになった」
黒田は何も言わなかった。
「このまま何もしなかったら私が死ぬ。だったら先にやるしかないって……そう思っただけだよ」
真由の身体から少し力が抜ける。
「私だって……こんなことしたくなかった」
静寂が戻った。
誰もすぐには言葉を出せなかった。
三浦が最初に口を開いた。
「黒田」
「ああ」
「どうする」
真由が顔を上げた。
黒田は答えなかった。
少し考えてから、三浦と美月を見る。
「2人とも、少しこっちへ」
「何?」
「真由は俺が押さえてる」
三浦と美月が数歩近づく。
黒田は真由を壁へ押さえたまま、声を落とした。
「このまま放すわけにはいかない」
三浦が真由を見る。
「そうだな」
「ちょっと待って」
真由の声が震えた。
黒田は続ける。
「俺たち4人が死ぬことが、こいつの条件だ」
「待ってよ」
「解放すれば、また来る」
「もうしない!」
真由が叫ぶ。
「もうしないから!」
「信用できない」
黒田は即答した。
真由が言葉を失う。
「お前はもう何度も俺たちを狙ってる。さっきも美月の胸へ刃物を突き出した」
「でも……!」
「次は成功するかもしれない」
三浦が険しい顔で言った。
「かといって、縛ったまま置いていくわけにもいかないな」
「連れて歩くのも危険だ」
黒田が答える。
「寝る時も、移動する時も、ずっと見張ることになる」
美月が2人を見る。
「じゃあ……どうするの?」
誰も答えなかった。
だが、その沈黙で十分だった。
美月の表情が変わる。
「……殺すってこと?」
真由の呼吸が止まった。
「黒田さん……?」
黒田はすぐには答えない。
「まだ決めてない」
「でも考えてるんでしょ?」
「他の方法があるなら、それを選びたい」
「だったら――」
「ただし俺たちが殺される可能性が残る方法は選べない」
真由の顔が青ざめていく。
三浦も苦い表情をしていた。
「俺だって人を殺したくはない」
「じゃあやめてよ!」
「だが、こっちにも命がある」
三浦が言った。
「お前を放したあと、今度は美月が本当に殺されるかもしれない。次は俺かもしれない。黒田かもしれない」
「そんなの……」
「お前が言ったんだ。4人全員の死亡確認が条件だって」
真由は黙った。
黒田が周囲を見る。
「やるとしても、危険な方法は駄目だ」
美月が黒田を見る。
「……本当にやるの?」
「まだ方法を考えてるだけだ」
「でも……」
「俺たち3人が怪我をしない方法を考える」
その言葉を聞いた瞬間。
真由の目が変わった。
――殺される。
自分をどう殺せば安全か。
3人はその相談をしている。
「嫌……」
真由が呟いた。
「真由?」
「嫌だ……」
黒田が視線を戻した。
その一瞬だった。
真由が顔を横へ振り、黒田の手へ噛みついた。
「っ!」
黒田の指に歯が食い込む。
反射的に力が緩んだ。
真由は身体を沈め、一気に腕を引き抜く。
「真由!」
三浦が動く。
真由は床へ飛び込んだ。
手を伸ばす。
そこにあったのは、先ほど落としたナイフ。
指が柄を掴んだ。
「来ないで!」
真由が振り返りざまにナイフを振った。
三浦が止まる。
「真由、落ち着け!」
「来ないでって言ってるでしょ!」
真由は後退しながらバッグへ左手を突っ込んだ。
黒田が警戒する。
「何を出す」
「近づかないで!」
取り出されたのは、小型の黒い装置だった。
握り込めるほどの大きさ。
先端に2本の電極。
三浦が気づく。
「スタンガン……?」
真由はナイフを右手に、スタンガンを左手に持った。
以前、アップグレードしたM端末で得た特殊物資情報。
その情報を頼りに確保していたものだった。
「真由」
黒田がゆっくり両手を見せる。
「それを置け」
「嫌!」
「今ならまだ――」
「殺すんでしょ!」
真由が叫んだ。
「私を殺す相談してたじゃん!」
「落ち着け」
「そっちが先に殺そうとしたんでしょ!」
スタンガンのスイッチが入る。
バチッ、と乾いた音。
青白い火花が電極の間で弾けた。
美月が一歩下がる。
真由はその動きを見逃さなかった。
「美月!」
黒田が叫ぶ。
真由が駆けた。
やはり狙いは美月だった。
三浦が横から割って入る。
「やめろ!」
「どいて!」
真由が左手を突き出した。
スタンガンの先端が三浦の脇腹へ押し当てられる。
「ぐっ――!」
三浦の身体が大きく震えた。
脚から力が抜ける。
「三浦さん!」
美月が叫ぶ。
三浦が床へ膝をついた。
真由はスタンガンを押し当てたまま、美月へ手を伸ばそうとする。
黒田が動いた。
「真由!」
呼びかけに真由が振り向く。
スタンガンを黒田へ向ける。
黒田の身体が反射的に動いた。
半歩だけ身体を外へずらす。
電極が脇を抜ける。
同時に、真由の手首へ足を蹴り上げた。
「あっ!」
衝撃で指が開いた。
スタンガンが宙へ飛ぶ。
床へ落ち、音を立てながら滑っていく。
「美月! それを!」
「う、うん!」
美月が走った。
先にスタンガンを拾おうとする。
だが、その近くにはもう1つ。
真由が黒田へ向き直った際に落としたナイフがあった。
美月はまずナイフを拾った。
刃を自分から遠ざけるように持ち、そのままスタンガンへ手を伸ばす。
真由がそれを見た。
美月がナイフを持っている。
黒田たちは自分を殺す相談をしていた。
その2つが、真由の中で繋がった。
「やめて……」
美月が振り向く。
「真由?」
「それで……殺すんでしょ」
「違うよ。これは――」
「嘘つき!」
真由が飛びかかった。
「美月!」
黒田の声。
美月は反射的に立ち上がった。
ナイフを捨てる余裕もなかった。
「来ないで!」
真由の両手が美月の肩へ伸びる。
美月は避けようと身体を捻った。
だが間に合わない。
真由の身体が正面からぶつかった。
「きゃっ!」
2人がもつれる。
美月の右手にはナイフ。
真由の勢い。
美月が後ろへ倒れかける。
そして。
何かが止まった。
「…………え?」
美月が目を開ける。
真由の顔が目の前にあった。
真由も動かない。
数秒。
真由がゆっくり下を見る。
美月も視線を落とした。
ナイフの刃が見えなかった。
柄だけがある。
美月が握っているナイフは、真由の左胸寄りへ深く入っていた。
「……え?」
真由の口から、小さな声が漏れた。
美月の手が震える。
「違う……」
真由の身体から力が抜ける。
「違う……私……」
美月が手を離した。
真由がそのまま崩れ落ちる。
「真由!」
黒田が駆け寄った。
床へ膝をつき、真由の状態を見る。
胸部。
深い。
位置も悪い。
「三浦!」
「……動ける」
三浦は壁へ手をつきながら立ち上がろうとした。
身体の痺れが残っている。
「真由……?」
美月はその場から動けなかった。
自分の右手を見る。
血がついている。
「私……刺した……?」
「美月」
「私が……?」
「今は下がれ」
「でも……」
「下がれ!」
黒田の強い声に、美月が一歩後ろへ下がった。
真由はまだ息をしていた。
浅い。
速い。
黒田が傷口へ手を当てようとすると、真由の手が弱々しく動いた。
「……触ら……ないで……」
「喋るな」
「黒田……さん……」
「いいから黙れ」
「私……」
真由が息を吸う。
苦しそうに顔を歪める。
「死ぬ……?」
黒田は答えなかった。
真由の目に涙が溜まる。
「嫌だ……」
さっきまでの勢いはもうなかった。
「死にたく……ない……」
美月の顔が歪んだ。
「ごめん……」
真由の目が美月へ向く。
「ごめん、真由……私、刺すつもりじゃ……」
「…………」
「武器を取ろうとしただけで……」
美月の声が震える。
「ごめん……」
真由はしばらく美月を見ていた。
怒っているのか。
恨んでいるのか。
美月には分からなかった。
やがて真由の唇が少しだけ動いた。
「……私も……」
「え?」
「……ごめん……」
美月が息を呑む。
「怖かった……だけ……」
「真由……」
「死にたく……なかった……」
「うん……」
美月がその場へ膝をつく。
「分かってる……分かってるから……」
真由の目から涙が流れた。
「私……何してたんだろ……」
それが最後だった。
真由の視線が美月から外れる。
呼吸が止まった。
「真由?」
美月が呼ぶ。
返事はない。
「真由……」
黒田が首元へ指を当てる。
しばらく確認したあと、目を閉じた。
「……死んだ」
美月の肩が震えた。
「私が……」
「事故だ」
黒田が言った。
「でも私が持ってたナイフが――」
「真由が飛びかかった」
「でも!」
「美月」
黒田が正面から見る。
「お前が殺そうとして刺したわけじゃない」
「同じだよ……」
「違う」
「真由、死んだじゃん……」
美月の声が掠れた。
「私が持ってたナイフで死んだじゃん……!」
黒田は何も言えなくなった。
三浦がようやく立ち上がる。
まだ足元がおぼつかない。
「美月」
三浦が呼ぶ。
美月は顔を上げなかった。
施設内に、再び静寂が戻った。
少し前まで4人いた。
今は3人。
床には真由の身体。
その近くにはスタンガン。
少し離れた場所には、真由の荷物が残されている。
黒田はしばらく動かなかった。
やがて真由のバッグへ視線を向ける。
口が開いたままになっている。
その中に端末が見えた。
黒田は手を伸ばし、取り出した。
画面には、
《PLAYER 04》
そして、
《TERMINAL:M》
の表示。
三浦が見る。
「それ……真由のか」
「ああ」
黒田が画面を確認する。
通常の端末とは違う項目がある。
アップグレードされている。
「持っていくのか?」
三浦が訊いた。
黒田は少し考えた。
「ここに置いていく理由もない」
端末を真由のバッグへ戻す。
スタンガンも回収した。
美月はまだ真由の前から動けずにいた。
「……黒田さん」
「何だ」
「私たち……さっきまで真由を殺す方法、考えてたよね」
「ああ」
「もし真由が逃げなかったら……どうしてた?」
黒田は答えなかった。
美月が顔を上げる。
「本当に殺してた?」
黒田は真由の遺体を見た。
それから自分の噛まれた手を見る。
血が滲んでいる。
「……分からない」
それが答えだった。
殺すしかないと思った。
だが、本当にできたかどうかは分からない。
結果として真由は死んだ。
自分たちは生き残った。
それだけが事実だった。
三浦が壁にもたれながら、息を吐く。
「ここを離れよう」
黒田が頷く。
美月は動かなかった。
「美月」
「……うん」
ようやく立ち上がる。
だが真由から目を離せない。
美月の手には、もうナイフはない。
それでも右手にはまだ、真由を刺した時の感触が残っていた。
自分が殺されるのが怖かった。
真由も同じだった。
ただ生きたかった。
その結果。
1人が死んだ。
黒田は真由の荷物を持ち上げた。
中にはアップグレードされたM端末が入っている。
この時の3人はまだ知らない。
真由が死んでも、その端末を必要としている参加者が、島のどこかにいることを。




