第46話 狙う者、狙われる者
葵の姿が木々の向こうへ消えてからも、蓮はしばらくその方向を見ていた。
乱れた髪には枯れ葉が絡み、服には乾きかけた泥がこびりついていた。片方の頬は赤く腫れ、切れた唇には血の跡が残っている。
高橋に襲われ、端末を奪われた。
それだけでも十分に異常だった。
だが、蓮が気になっていたのは傷ではない。
人の気配を感じた瞬間、葵は警告もなくボウガンを撃った。
相手が白石だと分かったあとも、ほとんど動揺していなかった。
「……葵さん、前と全然違ったね」
隣で詩織が呟いた。
「ああ」
「怖くなった?」
莉奈が訊く。
詩織は少し考え、首を振った。
「怖いっていうより……迷わなくなった感じ」
蓮も同じことを感じていた。
以前の葵も警戒心は強かった。
だが、相手が何をするかも分からないうちから攻撃するような人間ではなかった。
今は違う。
危険かもしれない。
それだけで先に動く。
「追わない方がいい」
蓮は言った。
莉奈は葵の消えた方向を見ながら、小さく首を傾けた。
「でも、強そうだった」
「だからだよ」
「ふうん」
莉奈はそれ以上何も言わなかった。
その時だった。
ピッ。
短い電子音が聞こえた。
3人が同時に顔を上げる。
数秒後。
ピッ。
また鳴った。
「まだ鳴ってる」
詩織が言った。
葵と遭遇する前から追っていた音だった。
蓮は耳を澄ませる。
さっきより近い。
「こっちだ」
木々が密集している方向へ目を向けた。
「行くの?」
莉奈が訊く。
「ああ。ただ、慎重に行く」
蓮は詩織を見る。
「俺から離れないで」
「うん」
「莉奈も勝手に先へ行くな」
「分かった」
3人は再び電子音を追い始めた。
ピッ。
歩くたび、音が近くなる。
やがて詩織が蓮の服を掴んだ。
「蓮」
「どうした?」
「あそこ」
詩織が木の根元を指差した。
黒い物体が落ちている。
蓮は足を止めた。
見覚えのある形に似ている。
だが、参加者に支給された端末より小さい。
「端末……?」
詩織が呟く。
「似てるけど、違う」
蓮はすぐには近づかなかった。
周囲を見る。
人影はない。
ピッ。
黒い機器から音が鳴った。
画面が点灯している。
数歩手前まで近づくと、文字が読めた。
《SEARCHING……》
その下で小さな円が回り続けている。
「何を探してるの?」
「分からない」
「誰かが落としたのかな」
「その可能性はある」
莉奈は機器ではなく、周囲の森を見ていた。
「だったら、取りに戻ってくるかもしれないね」
蓮が莉奈を見る。
「俺もそれが気になってる」
ピッ。
画面が一瞬変わった。
《SIGNAL LOST》
数秒後。
再び、
《SEARCHING……》
へ戻る。
蓮は機器に触れず、その場で周囲を確認した。
「もう少し様子を見る」
詩織が頷く。
莉奈の右手だけが、腰の刃物の近くに置かれていた。
*
白石は左上腕を押さえながら歩いていた。
傷口には裂いた布を巻いている。
ボウガンの矢は掠めただけだったが、腕を動かすたびに傷口が擦れ、鈍い痛みが走った。
「藤堂」
「何だ」
「ちょっと休もうぜ」
「腕か?」
「腕も。あと腹減った」
藤堂は周囲を確認してから足を止めた。
「ここならいい」
「助かる」
白石は太い木の根元へ腰を下ろした。
藤堂は立ったまま周囲を警戒している。
「しかし……マジで撃つとは思わなかった」
白石は巻いた布を見る。
「声かけるとかないのかよ」
「今の葵には期待しない方がいい」
「今の?」
「さっき俺も会った」
白石が顔を上げる。
「葵に?」
「ああ」
「撃たれた?」
「撃たれかけた」
「仲間じゃん」
「嬉しくない」
白石が少し笑った。
だが藤堂の表情は硬い。
「高橋に端末を奪われたらしい」
「……高橋に?」
「ああ」
白石の笑みが消えた。
そして数秒後、何かに気づいたように眉を寄せる。
「待てよ」
「何だ」
「葵の端末って、アップグレードしたやつだろ?」
「ああ」
藤堂もそこを気にしていた。
通常の端末には存在しない機能。
物資情報。
特殊物資情報。
そして――《PLAYER INFORMATION》。
「それ、高橋が持ってるって相当まずくないか?」
「まずいな」
「特殊物資の位置が分かるんだろ。武器が残ってたら、高橋が先に取れる」
「可能性はある」
「それにPLAYER INFORMATIONもある」
「ああ」
白石の顔から、いつもの軽さが消えていく。
「葵、まだ使ってなかったよな?」
「俺が知る限りではな」
「じゃあ高橋が使えるってことか」
「おそらくな」
「誰か1人選んだら、そいつのクリア条件が分かる……」
白石は自分の端末へ視線を落とした。
「高橋、自分の条件も俺たちに話してないよな」
「ああ」
「なのに葵からアップグレード端末を奪った」
白石は藤堂を見る。
「何かするつもりだろ、それ」
「だから会っても不用意に近づくな」
「高橋にもかよ」
「今は全員にだ。まず様子を見る」
「……そうなるよな」
白石は左腕を軽く押さえた。
「葵は人影見ただけで撃ってくる。高橋はアップグレード端末を奪って消える。どっかじゃ銃撃ってる奴もいる」
乾いた笑いを漏らす。
「まともなの、もう俺たちくらいじゃね?」
「そういうことを自分で言う奴は信用できないな」
「ひどくない?」
藤堂がわずかに息を吐いた。
白石はバッグを肩から下ろし、中へ手を入れた。
「とりあえず食うわ」
「食える時に食っておけ」
「藤堂も食う?」
「あとでいい」
食料を探していた白石の指先が、硬い金属へ触れた。
外した首輪だった。
「あ……」
「どうした」
「いや」
白石は首輪を少しだけ持ち上げた。
「これ、まだ持ってる意味あんのかなって」
「首輪か」
「もう外れてるし」
「捨てる理由もないだろ」
「まあな」
白石は再びバッグへ戻した。
代わりに食料を取り出す。
自分にとってもう役目を終えたその首輪を、高橋が探していることなど知るはずもなかった。
*
高橋は森の中を歩いていた。
身体には先ほど手に入れた防具。
腰には頑丈なナイフ。
バッグには小型ライト。
手には、葵から奪ったアップグレード端末がある。
高橋は歩きながら画面を開いた。
《PLAYER INFORMATION》
指が止まる。
1人だけ。
参加者を1人選択すれば、その人間の個別クリア条件を見ることができる。
使えば大きな情報になる。
だからこそ、今は使わない。
誰を見るべきなのか決めてからでいい。
高橋は画面を閉じた。
今必要なのは、別のものだった。
《参加者の首輪を5個回収してください》
《回収した5個の首輪を指定地点D-02で認証してください》
5個。
すでに外された首輪が存在している。
黒田。
三浦。
美月。
白石。
そして、死んだ美咲。
その中で、高橋が所在を確実に知っているものが1つある。
白石の首輪。
本人が言っていた。
外したあともバッグへ入れて持っている、と。
「……まず1個」
高橋は小さく呟いた。
白石を傷つける必要はない。
必要なのは首輪だけだ。
白石にとっては、もう使い道のないもの。
頼めば渡してくれるかもしれない。
それなら何も問題はない。
だが――。
断られたら。
高橋の右手が腰へ下がった。
指先がナイフの柄へ触れる。
「…………」
数秒後、手を離した。
「話せばいい」
自分に言い聞かせるように呟く。
「首輪だけなんだから」
葵にも最初は頼んだ。
端末を貸してほしいと。
断られた。
だから奪った。
必要なものを手に入れただけだ。
生き残るために必要だった。
高橋は再び歩き始めた。
白石と藤堂が向かった方向へ。
*
佳子は木の根元へ相馬を座らせていた。
「動かさないで」
「動かしてない」
「今動かした」
「ちょっとだろ」
「ちょっとでも」
佳子は相馬の右上腕へ巻いた布を押さえ直した。
銃弾は腕を貫通している。
入口と出口、2か所の傷から流れた血が服を広く濡らしていた。
先ほどより出血は弱くなっている。
それでも完全には止まっていない。
「きつくするよ」
「もう十分きついって」
「我慢して」
佳子が布を強く締める。
「っ……!」
相馬の肩が跳ねた。
傷の奥から熱い痛みが走り、指先まで痺れる。
「痛っ……」
「ごめん。でも緩いよりいいと思う」
「思うって……」
「私だって分からないよ、こんなの」
佳子の声も少し震えていた。
相馬はそれ以上何も言わなかった。
右腕を見下ろす。
撃たれた瞬間が頭に浮かぶ。
佳子が転んだ。
自分は一瞬だけ迷った。
そのまま置いていけば。
撃たれれば。
《TARGET:13》
数字が1つ減る。
それでも身体は動いた。
佳子の腕を掴んで立たせた。
銃口が見えた。
佳子の肩を掴み、横へ突き飛ばした。
その直後、右腕を弾丸が貫いた。
「…………」
助けた。
だから撃たれた。
もし、あの時。
手を伸ばさなければ。
自分は撃たれなかったかもしれない。
佳子が死んでいれば。
TARGETは1人減っていた。
「相馬?」
佳子が顔を覗き込む。
「何?」
「顔色悪いよ」
「撃たれてるから当たり前だろ」
「そういう意味じゃなくて」
相馬は視線を逸らした。
「少し休んだら移動しよう」
「その腕で?」
「ここにずっといる方が危ない」
佳子はしばらく相馬を見たあと、小さく頷いた。
「……分かった」
*
少し離れた森の中。
古瀬聡子は木の陰で拳銃の弾倉を外した。
残弾を確認する。
弾倉を戻す。
小さな金属音が鳴った。
先ほど撃った相手は、佳子と相馬。
2人を追い続けるつもりはなかった。
逃げる方向を限定するように撃ち、どう動くのかを見ていた。
だが佳子が転倒した瞬間だけは、銃口をその身体へ向けた。
相馬がどうするのか。
見てみたかった。
置いていけば、相馬の条件は前へ進む可能性がある。
助ければ、自分まで危険になる。
相馬は佳子を助けた。
それどころか、撃たれる直前に佳子を突き飛ばして庇った。
その結果、自分が右腕を撃たれた。
「助けるんだ」
聡子は小さく呟いた。
その声に嘲るような響きはなかった。
確認するような声だった。
「今は、まだ」
相馬は今回、佳子を助けた。
だが、その選択によって自分が負傷した。
条件は何も進んでいない。
その事実が、次の選択にどう影響するのか。
聡子は拳銃をしまった。
そして森の奥へ歩き始めた。
*
少し前。
G施設から離れた木の陰で、真由はじっと入口を見つめていた。
中にいるのは黒田、三浦、美月。
3人。
全員が、自分の条件に含まれている。
《2nd STAGE開始時点で首輪が外れていた生存参加者4名全員の死亡を確認してください》
4人のうち、3人が同じ場所にいる。
真由の右手には刃物が握られていた。
入る。
そう考えても、足が動かない。
黒田にはすでに止められている。
正面から行けば、また同じことになるかもしれない。
「……行くの?」
突然背後から声がして、真由は勢いよく振り返った。
「っ……!」
そこに立っていたのは聡子だった。
「古瀬さん……」
「ごめん。驚かせた?」
「なんでここに」
「歩いてたら見つけたの」
聡子は施設を見る。
それから、真由が握っている刃物へ視線を落とした。
「中にいるんだね」
「…………」
真由は答えなかった。
聡子も追及しない。
バッグへ手を入れ、小さな筒を取り出した。
「これ、使えるかもしれないよ」
「何?」
「煙が出る」
真由が筒を見る。
「なんでそんなもの持ってるの」
「拾った」
聡子は平然と答えた。
「正面から入ったら、黒田さんに見つかると思う」
真由の指が刃物の柄を強く握る。
「でも、煙があれば近づけるかもしれない」
「…………」
「使うかどうかは桐谷さんが決めて」
聡子が筒を差し出した。
真由はすぐには受け取らなかった。
施設を見る。
3人いる。
この機会を逃せば、また別々になるかもしれない。
次に3人が同じ場所へ集まる保証などない。
真由の手が伸びた。
筒を受け取る。
聡子は何も言わなかった。
真由はもう一度、施設へ目を向けた。
そして歩き出した。
*
筒が床を転がった。
次の瞬間、白い煙が噴き出した。
「下がれ!」
黒田の声が施設内に響く。
美月と三浦が奥へ移動する。
黒田は手に入れたばかりの長銃を持ち上げた。
だが、すぐに銃口を下げる。
撃てない。
視界が悪すぎる。
美月と三浦の位置も完全には見えない。
黒田は長銃を壁際の床へ置いた。
「美月!」
「ここ!」
右奥。
「三浦!」
「いる!」
左側。
位置を確認する。
黒田は腰を落とし、煙の中へ目を凝らした。
上は真っ白だったが、床付近はわずかに見える。
靴が現れた。
1人。
ゆっくり近づいてくる。
黒田は壁へ身体を寄せた。
白い煙の向こうから右腕が伸びた。
刃物。
その刃先の向こうには美月がいる。
黒田が床を蹴った。
横から手首を掴む。
「っ!」
煙の中から真由が現れた。
「桐谷!」
黒田は真由の右手首を外側へ捻った。
刃先が美月から逸れる。
左手を真由の上腕へ押し当て、そのまま身体ごと壁へ押し込んだ。
真由の右肩が壁へぶつかった。
「ぐっ……!」
「またお前か!」
黒田がさらに手首を捻る。
真由は刃物を離さない。
右足を半歩後ろへ引く。
腰を落とした。
押さえつけられた状態から左肩を黒田の脇腹へぶつける。
「っ……!」
黒田の身体がわずかに浮いた。
手首を押さえる力が緩む。
真由は右腕を黒田の親指側へ強く引いた。
手が抜ける。
「美月、離れろ!」
黒田が叫んだ。
真由は黒田を見なかった。
美月へ向かって踏み込む。
右手の刃物を、美月の脇腹へ向けて突き出した。
美月は咄嗟に上半身を左へ捻った。
刃先が身体の横を通る。
完全には避けきれなかった。
刃が服の脇を引っ掛け、そのまま布を裂いた。
「っ……!」
美月は反射的に脇腹へ手を当てた。
血は出ていない。
肌には届いていない。
だが、真由は止まらなかった。
突き出した右腕をすぐに引き戻しながら手首を返す。
刃先を横へ向け、そのまま美月の腹部へ薙ぎ払った。
美月は腹を引き、上半身を後ろへ反らす。
刃が服の正面すれすれを走った。
美月はさらに後ろへ下がる。
背中が壁へ当たった。
「真由、やめて!」
美月が叫ぶ。
真由は答えない。
一歩踏み込む。
右肘を引いた。
今度は胸元へ刃先を向ける。
「やめろ!」
黒田が横から飛び込んだ。
真由の右前腕を掴み、外側へ押し広げる。
刃先が美月の肩の横を抜けた。
真由は右肘を曲げ、黒田の手を振りほどこうとする。
黒田は離さない。
肩を真由の胸元へぶつける。
真由の足が床を滑った。
そのまま美月から引き離される。
背中が壁へぶつかった。
「離して!」
真由が左手で黒田の顔を押した。
指が頬へ食い込む。
黒田が顔を背ける。
その瞬間、真由は右膝を持ち上げた。
黒田の脇腹へ叩き込む。
「ぐっ!」
黒田の身体が緩む。
真由は右手を引き抜いた。
また美月へ向く。
美月は壁際から逃れ、横へ走ろうとしていた。
真由はその後を追った。
「なんで私ばっかり……!」
美月が叫ぶ。
真由の足が一瞬だけ止まりかけた。
だが、何も答えなかった。
再び距離を詰める。
美月が右へ逃げる。
真由はその進路へ回り込み、刃物を横から振った。
美月が頭を下げる。
刃が髪の上を通過した。
美月は姿勢を崩しながら床へ手をつく。
真由はそこへ近づき、刃物を逆手に持ち替えた。
腕を振り上げる。
「桐谷!」
黒田が後ろから真由の右腕へ飛びついた。
振り下ろされる寸前で手首を掴む。
刃先が美月の背中から数十センチのところで止まった。
「離して!」
真由が腕を振る。
黒田は両足を開いて踏ん張り、そのまま真由の右腕を背中側へ捻った。
「っ……!」
真由の上半身が前へ倒れる。
黒田は右肩を押し込み、壁へ身体を向けさせた。
真由が左肘を後ろへ振る。
黒田の脇腹へ当たる。
それでも黒田は離さなかった。
刃物を握った右手首を壁へ押しつける。
「離して!」
「刃物を捨てろ!」
「嫌!」
黒田は手首を壁へ打ちつけた。
真由の指がわずかに緩む。
まだ落ちない。
もう一度。
手首が硬い壁へ当たった。
「っ……!」
真由の指が開いた。
刃物が床へ落ちる。
黒田は右足を伸ばし、刃物を遠くへ蹴った。
煙の薄くなった床を滑り、壁際で止まる。
黒田は真由の腕を背中側へ固定したまま、壁へ押さえつけた。
「何度目だ」
「離して!」
「次は本当に手加減しないって言ったはずだ!」
「無理なの!」
真由が叫んだ。
「何が無理なんだ!」
「やめたら……!」
真由の声が震えた。
「やめたら……私が……」
そこで言葉が止まる。
黒田の目が細くなる。
「条件か」
真由は答えない。
「俺たちが関係してるんだな」
「…………」
美月は壁際に立ったまま、裂けた服の脇を押さえていた。
呼吸が速い。
三浦が美月の近くへ移動する。
黒田は真由から目を離さない。
ふと、美月が口を開いた。
「……なんで」
真由の肩がわずかに動いた。
「なんで私ばっかり狙ったの?」
返事はなかった。
真由は俯いたまま、荒い呼吸を繰り返している。
「黒田さんも三浦さんもいたのに……なんで私なの?」
真由の唇がわずかに動いた。
だが、声にはならなかった。
黒田はそれ以上問い詰めなかった。
「今はいい」
真由の腕を押さえ直す。
「煙が消えたら、全部聞く」
真由は抵抗をやめなかった。
それでも先ほどまでの勢いはない。
白い煙が、少しずつ施設の外へ流れていく。
*
施設から離れた木の陰で、聡子はその様子を遠くから見ていた。
真由が1人で入った。
そして、まだ出てこない。
成功したのか。
失敗したのか。
聡子にはまだ分からない。
だが、どちらでもよかった。
真由自身が選んだ。
条件を満たすために、煙を使って中へ入ることを。
聡子はバッグから小型端末を取り出した。
参加者に支給されたものとは違う端末。
画面を確認する。
しばらく眺めたあと、静かに閉じた。
「まだ足りないか」
呟き、G施設へ背を向ける。
真由が失敗したとしても、条件は消えない。
黒田たちも、もう真由を以前と同じようには扱えない。
一度生まれた疑いは残る。
それで十分だった。
*
葵は森の中を歩いていた。
先ほど撃った人影は、すでに見失っていた。
追跡できるほど明確な足跡も残っていない。
それ以上追う理由もなかった。
相手が離れていったのなら、今は放っておけばいい。
優先するべき相手は別にいる。
高橋。
奪われた端末。
そのことを考えた瞬間、地面へ押しつけられた時の感触が蘇った。
髪を掴まれた。
頬が土へ擦れた。
起き上がろうとしたところを頭の横から踏みつけられた。
泥と土が口の中へ入った。
葵の足が止まる。
切れた唇を舌先で触った。
まだ鉄の味がする。
袖で口元を拭う。
高橋から端末を取り返す。
そう考えていた。
だが――。
葵は自分の条件を思い出した。
《アップグレード済みPLAYER TERMINALを1台破壊してください》
高橋が持っている端末は、自分がアップグレードしたものだ。
だったら。
取り返す必要はない。
壊せばいい。
「……そっか」
小さな声が漏れた。
奪われたこと自体は問題ではない。
高橋が持っている。
なら見つければいい。
端末を壊す。
それだけで自分の条件は達成できる。
高橋が渡さないなら。
邪魔をするなら。
葵はボウガンへ装填された矢を確認した。
安全装置へ指をかける。
そして、高橋が向かったと思われる方向へ歩き出した。
*
白石は食料を口へ運びながら、木にもたれていた。
藤堂は少し離れた場所で周囲を警戒している。
「藤堂も食う?」
「あとでいい」
「腹減って動けなくなっても知らねえぞ」
「その時はお前の分をもらう」
「絶対やらん」
白石は笑った。
だが、以前のように完全に気を抜いてはいない。
高橋が葵のアップグレード端末を持っている。
その事実を知ったことで、警戒する相手がまた1人増えた。
「なあ、藤堂」
「何だ」
「高橋が来たらどうする?」
「まず話す」
「襲ってきたら?」
「その時は止める」
「……まあ、そうだよな」
白石は残りの食料を口へ入れた。
その頃。
まだ2人から離れた森の中を、高橋が歩いていた。
白石の首輪を求めて。
そして高橋からさらに離れた場所では、葵が同じ方向へ進んでいる。
白石のバッグには、高橋が欲しい首輪。
高橋の手には、葵が壊したいアップグレード端末。
まだ誰も互いの姿を捉えていない。
それでも距離だけは、確実に縮まっていた。
*
ピッ。
電子音が鳴った。
蓮は小さな黒い機器の前でしゃがみ込んでいた。
《SEARCHING……》
表示は変わらない。
詩織が蓮の肩越しに画面を見る。
「ずっとこれだね」
「ああ」
「何を探してるんだろう」
「分からない」
莉奈は少し離れた場所で、周囲の森を見ていた。
その顔から、ふっと表情が消える。
「蓮」
声が変わった。
蓮が振り向く。
「どうした?」
「誰かいる」
蓮が立ち上がった。
詩織もすぐに蓮の横へ寄る。
「どこ?」
莉奈が木々の向こうへ視線を向ける。
まだ姿は見えない。
だが確かに、枯れ葉を踏む音が聞こえた。
一歩。
止まる。
また一歩。
こちらへ近づいている。
蓮は小さな機器から離れた。
莉奈の右手が腰の刃物へ伸びる。
詩織が息を潜めた。
その時。
背後の機器から電子音が鳴った。
ピッ。
蓮が振り返る。
《SEARCHING……》
文字が消えていく。
数秒の空白。
そして、新しい表示が現れた。
《SIGNAL DETECTED》
蓮の目が細くなる。
同時に。
森の奥から聞こえていた足音が、止まった。




