第45話 迷った方が死ぬ
銃声は3発だった。
最初の1発から少し間があり、その後に2発。
蓮は足を止め、音が響いた方向へ顔を向けた。
「今の……近くない?」
詩織が声を落とす。
「近くはない。でも遠くもない」
木々に反響したせいで、正確な距離までは分からない。
蓮たちは森の奥から聞こえていた電子音を追っていたが、銃声はその方向から少し外れている。
「行かない方がいいよ」
莉奈が言った。
「銃を持ってる人がいるんでしょ?」
「分かってる」
蓮はすぐに銃声を追うつもりはなかった。
拳銃が誰かの手に渡っていることは分かっている。さらに島には、まだ他の武器も存在する。
今の3発が誰によるものなのかも分からない。
「電子音の方は?」
詩織が尋ねる。
「確認する。ただし、少しでも人の気配がしたら止まる」
「うん」
3人は再び歩き始めた。
だが、数十メートルも進まないうちに莉奈が突然立ち止まった。
「待って」
蓮も止まる。
「どうした?」
「いる」
「どこ?」
莉奈は答えず、右側の森を見つめた。
詩織が蓮へ近づく。
風が吹き、頭上で葉が擦れ合う。
それ以外の音はない。
蓮は目を凝らした。
何も見えない。
「莉奈」
「さっき動いた」
「人?」
「たぶん」
蓮は詩織を自分の後ろへ下がらせた。
莉奈は腰の刃物へ手をかける。
その時だった。
「――動かないで」
木の幹の横から女が姿を現した。
その手にはボウガンがある。
すでに蓮たちへ向けられていた。
「……葵?」
詩織が息を呑んだ。
水野葵だった。
だが、一瞬分からなかった。
髪はひどく乱れ、何度も地面を転がったのか、普段の面影がなくなるほどボサボサになっている。髪の間には細かな落ち葉や枯れ草が絡みつき、毛先には乾きかけた泥までこびりついていた。
服も同じだった。
肩から背中、膝にかけて泥で汚れ、ところどころに湿った土や潰れた葉が張りついている。肩口の布は擦れ、一部がほつれていた。腕にも細かな擦り傷がいくつも走り、そこへ土が付着している。
顔にも傷があった。
片側の頬が赤く腫れ、口元には血が滲んでいる。唇の端から流れた血を一度拭ったのか、頬には薄く血の跡が残り、その上から泥までついていた。
誰かと激しく争ったのだろうか。
少なくとも、ただ森の中を歩いていただけでこうなったとは思えない。
それでも葵は、痛そうに顔を歪めてはいなかった。
乱れた髪を直そうともせず、口元の血を気にする様子もない。
何より違ったのは、その立ち方だった。
葵は木の幹を半分盾にしながら、身体の大部分を隠した状態でこちらへボウガンを向けている。
姿を見せてから武器を構えたのではない。
最初から狙いをつけた状態で現れた。
「葵……その格好」
詩織が声を漏らす。
「動かないで」
葵はもう一度言った。
声に震えはない。
「何があった?」
蓮が尋ねる。
「端末を取られた」
「誰に?」
「高橋」
蓮の表情が変わった。
「高橋が?」
「端末を見せろって言われた。断ったら襲われた」
「それで、その傷?」
「そう」
詩織が心配そうに葵を見る。
「大丈夫なの?」
「動ける」
短い返事だった。
蓮はボウガンを見る。
「それ、下ろしてくれないか」
「嫌」
「俺たちは何もしない」
「それ、高橋も言った」
蓮は返す言葉を失った。
葵の視線が莉奈へ動く。
正確には、莉奈の手元。
「そっち」
莉奈が眉を寄せた。
「私?」
「刃物から手を離して」
「嫌」
「莉奈」
蓮が呼ぶ。
「でも」
「離せ」
莉奈は不満そうに葵を睨みながら、ゆっくり刃物から手を離した。
それでも葵はボウガンを下ろさない。
「葵」
蓮は刺激しないように話す。
「俺たちは端末を取らない」
「…………」
「高橋がどっちへ行ったか教えてくれ。見つけたら端末のことも――」
「追わなくていい」
「でも」
「私が取り返す」
即答だった。
「1人で?」
「その方が動きやすい」
「危険だ」
「集団なら安全?」
蓮は答えられなかった。
葵の目が詩織へ向く。
首輪。
次に蓮。
そして莉奈。
3人の位置を順番に確認している。
会話をしているというより、誰が動いた時にどう対処するかを測っているように見えた。
「……葵」
詩織が小さく呼ぶ。
「何?」
「なんか、変わったね」
葵の視線が止まる。
「髪とか服じゃなくて……なんていうか」
詩織はうまく言葉にできなかった。
以前の葵にも警戒心はあった。
だが今は違う。
目の前の人間が味方なのか敵なのかを見極めようとしているのではない。
敵になった瞬間に撃てるよう、最初から準備している。
「変わらないと死ぬから」
葵はそれだけ答えた。
直後。
蓮たちの後方で、枝が折れた。
蓮が振り向こうとする。
その時には、もう葵が動いていた。
ボウガンの向きが蓮たちの横を通り過ぎる。
「待――」
発射音。
矢が飛んだ。
「えっ!?」
詩織が身を竦める。
矢は蓮たちのさらに後方の茂みへ飛び込んだ。
「ぐっ……!」
男の呻き声。
「誰かいる!」
蓮が振り返る。
茂みから男が飛び出した。
左腕を押さえている。
服の上腕部分が裂け、指の隙間から血が滲んでいた。
その顔を見て、蓮が叫ぶ。
「白石!?」
白石は答えなかった。
そのまま木々の奥へ走っていく。
「葵!」
蓮が振り返る。
葵はすでに次の矢を取り出していた。
ボウガンを下げ、慣れた手つきで弦を操作する。
「白石だぞ!」
「今分かった」
「分からないまま撃ったのか?」
「こっちを見ながら隠れてた」
「だからって――」
「高橋も最初は話をしたいって言った」
葵は矢を装填した。
顔を上げる。
「相手が何をするか確認してからじゃ遅い」
「…………」
「迷った方が死ぬから」
その言葉に迷いはなかった。
蓮は葵を見つめる。
なぜそこまで言い切れるのか。
なぜ人間へ向けて、あれほど躊躇なく引き金を引けるのか。
聞こうとした時には、葵が後退を始めていた。
「じゃあ」
「待て、葵」
「来ないで」
再びボウガンが上がった。
蓮の胸へ向く。
速い。
蓮は足を止めた。
「次に会った時、私に近づかないで」
「葵……」
「今は誰も信用しない」
葵は3人から目を離さないまま距離を取った。
十分に離れたところで木の陰へ身体を滑り込ませ、そのまま姿を消した。
しばらく誰も動かなかった。
「……怖かった」
詩織が呟く。
「ああ」
「あんな人だったっけ」
蓮は答えなかった。
莉奈だけが、葵の消えた方向を見ていた。
「強いね」
その声には、恐怖とは違う感情が混じっていた。
*
白石は左腕を押さえながら走った。
傷口が脈打つたび、焼けるような痛みが走る。
「っ……くそ……!」
蓮たちの姿が完全に見えなくなったところで、太い木の裏へ身体を滑り込ませた。
背中を幹へ預ける。
左腕を見る。
ボウガンの矢は貫通していない。
上腕の外側を掠め、服と皮膚をまとめて裂いていた。
白石は右手で傷口を押さえた。
「いきなり撃つかよ……普通」
荒い呼吸を整えながら、来た方向を見る。
少し前、藤堂と移動していた時に人の声が聞こえた。
白石だけが様子を見に来た。
蓮たちだと気づいた時には、すでに葵がいた。
状況が分からなかった。
だから木の陰から様子を見て、危険がなければ藤堂を呼ぼうと思っていただけだ。
枝を踏んだ。
それだけだった。
警告はなかった。
誰なのか確認する声もなかった。
気づいた時には矢が飛んできていた。
「……マジかよ」
頭から離れない。
乱れた髪。
泥と落ち葉にまみれた服。
腫れた顔。
血の滲んだ口元。
そして、ボウガンを構えた姿。
以前に会った葵と同じ人間とは思えなかった。
何より、撃った後の顔。
人を傷つけてしまったことに驚いている顔ではなかった。
「白石!」
遠くから声がした。
藤堂だ。
「こっちだ!」
白石が返す。
しばらくして藤堂が木々を掻き分けて現れた。
白石の左腕を見た瞬間、表情が変わる。
「何があった?」
「撃たれた」
「銃か?」
「違う。ボウガン」
「誰に」
白石は一度、蓮たちがいた方向を見る。
「……水野葵」
「葵が?」
「ああ。俺だって分かって撃ったわけじゃないと思う」
白石は傷口を押さえ直した。
「たぶん誰かいるって気づいた瞬間に撃った」
「蓮たちは?」
「一緒にいた。七瀬と、神崎も」
藤堂は黙り込んだ。
「俺が何かしたわけじゃねえぞ」
「分かってる」
「ちょっと様子見てただけだ」
「今は、それも危険ってことだ」
白石は乾いた笑いを漏らした。
「もう隠れて様子見るのも命懸けかよ」
「ここを離れるぞ」
「ああ」
藤堂が先に歩き出す。
白石も後を追おうとして、一度だけ振り返った。
高橋は自分たちから離れた。
葵は人影を察知しただけで撃ってきた。
島のどこかでは銃声が続いている。
誰が安全なのか分からない。
白石は無意識に自分のバッグへ手を触れた。
中には、1st STAGEで自分の首から外した首輪が入っている。
高橋がそれを欲しがっていることなど、白石はまだ知らなかった。
*
黒田は傷ついた左腕を押さえながら、施設の中へ入った。
真由は逃げた。
銃声が響いた直後、黒田が一瞬そちらへ意識を向けた隙に立ち上がり、そのまま森へ消えている。
追わなかった。
今は三浦と美月を守る方が優先だった。
「腕、大丈夫?」
美月が尋ねる。
「浅い」
黒田は短く答え、奥を見る。
問題は目の前にある。
金属製のケース。
三浦がその前に立っていた。
「これだ」
ケースにはロックがかかっていない。
代わりに、小さな表示がある。
《G AUTHORIZATION》
黒田が近づく。
「俺に開けろってことか」
「たぶん」
美月が入口を振り返った。
「早くした方がいい。桐谷が戻ってくるかもしれない」
黒田はケースへ手をかけた。
ゆっくり開く。
内部を見た3人が黙った。
黒い銃身。
長い。
拳銃ではない。
銃本体の横には弾倉らしきものが複数収められている。
「……本物?」
美月が呟く。
「たぶんな」
黒田はすぐには触れなかった。
なぜ《G》の部品で、この場所が開いたのか。
なぜ中に銃があるのか。
誰が用意したのか。
疑問はいくらでもある。
それでも、森の外には自分たちを狙っている真由がいる。
他にも銃を持つ人間がいる。
黒田は銃へ手を伸ばした。
両手で持ち上げる。
ずしりとした重さが腕へかかる。
「使えるの?」
三浦が尋ねる。
「撃てる状態には見える」
「扱えるのか?」
黒田は銃本体を慎重に確認した。
「拳銃とは違う。いきなり自在に扱えるような物じゃない」
弾倉にも目を向ける。
「構造を確認してからだ」
その時。
入口付近で、何かが転がった。
カラン、と硬い音が響く。
美月が振り返る。
「何?」
黒田の表情が変わった。
小さな筒状の物体が床を転がっている。
「奥へ!」
黒田が叫んだ。
三浦と美月が動く。
黒田は美月の肩を掴み、壁の陰へ強く押し込んだ。
三浦も反対側へ飛び込む。
直後。
入口付近で破裂音が響いた。
白い煙が一気に噴き出す。
「煙……!」
「吸うな!」
黒田は服で口元を覆った。
視界が急速に白く染まっていく。
誰かがいる。
真由か。
それとも別の人間か。
黒田は手に入れたばかりの銃を構えかけて、止めた。
何も見えない。
この状態で撃てば、三浦や美月に当たる可能性がある。
足音。
入口側。
黒田は息を殺す。
1人。
いや。
重なるように、別の足音。
「……2人?」
白い煙の向こうで、人影が動いた。
*
高橋は奪ったアップグレード端末を見ながら、森を進んでいた。
特殊物資の表示は近い。
あと200メートルほど。
以前なら、1人で武器を探しに行くなど考えなかった。
今は違う。
先に取らなければ誰かに取られる。
葵の端末もそうだった。
必要なものは、待っていても手に入らない。
高橋は地図を確認しながら斜面を下る。
表示地点へ近づくにつれて歩調を落とした。
周囲を見る。
人影はない。
岩場の隙間に、黒いケースが置かれていた。
「……あれか」
高橋はすぐには触らない。
周囲を一周するように確認してから、ケースへ近づいた。
蓋を開ける。
中に入っていたのは銃ではなかった。
黒い防具。
身体に装着するタイプのプロテクター。
さらに小型のライトと、丈夫そうなナイフが入っている。
「十分だ」
高橋はナイフを手に取った。
刃を確認する。
これまでなら、武器を持つこと自体に抵抗があった。
今は自然に腰へ差した。
防具も身につける。
ベルトを締め、身体へ固定した。
アップグレード端末を見る。
先ほどまで存在した特殊物資の表示が消えていた。
「本当に消えるんだな」
これなら、他の参加者にはここに何があったのか分からない。
高橋は次の表示を確認する。
少し遠い。
その途中、《PLAYER INFORMATION》が目に入った。
誰か1人。
個別クリア条件を知ることができる。
「…………」
高橋は画面を見つめた。
自分の条件達成に邪魔になる人間。
危険な条件を持つ人間。
あるいは、首輪を集めるために利用できる人間。
相馬の顔が浮かんだ。
だが相馬の条件はすでに公開されている。
見る意味はない。
「じゃあ……」
蓮。
藤堂。
佳子。
真由。
他にもいる。
高橋の指が画面の上を動く。
そして止まった。
「まだだ」
端末を閉じる。
1回しか使えない。
焦って使う必要はない。
高橋は再び歩き始めた。
腰には、さっきまで持っていなかったナイフがあった。
*
佳子と相馬は沢沿いを進んでいた。
少し前に見つけた血のついた黒い布。
逃げていった人影。
気にはなったが、追わないと決めた。
今は蓮たちとの合流が優先だった。
「また銃声だ」
相馬が呟く。
「うん」
佳子も聞いていた。
3発。
この島のどこかで、確実に誰かが撃っている。
「蓮たちじゃないよね……」
「分からない」
「そういう言い方やめて」
「嘘ついても仕方ないだろ」
「それはそうだけど」
佳子は歩きながら周囲を見る。
以前なら、銃声がすれば全員で様子を確認したかもしれない。
今は違う。
近づけば撃たれる可能性がある。
助けを求める声すら罠かもしれない。
「相馬」
「何?」
「さっきの話」
「どれ?」
「私が怪我したら助けるって話」
「ああ」
「まだ有効?」
相馬は苦笑した。
「まだって何だよ」
「確認」
「今は助けるよ」
「今は、ね」
「そこ強調するなよ」
佳子は少しだけ笑った。
その瞬間。
相馬の表情が変わった。
右側の森。
何かが光った。
「伏せろ!」
「え?」
相馬は佳子の肩を掴み、身体ごと地面へ引き倒した。
佳子の膝が土へぶつかる。
直後。
乾いた銃声。
頭上で木の皮が弾け飛んだ。
「っ!」
佳子が息を呑む。
「撃たれた!?」
「動くな!」
相馬は佳子の背中へ手を置き、地面へ押さえるように身体を低くさせた。
2発目。
今度は2人の少し前の土が跳ねる。
「どこから!?」
「分からない!」
相馬は伏せたまま周囲を見る。
正面は沢。
右側は斜面。
左側には木々が密集している。
弾は右斜め後方から飛んできたように見えた。
「走れるか?」
「走れる!」
「左へ行く!」
相馬が先に立ち上がった。
佳子も続く。
3発目。
相馬のすぐ横の木へ弾丸が当たり、樹皮が頬へ飛んできた。
「走れ!」
2人は森へ飛び込んだ。
枝が顔や腕に当たる。
足元の根を飛び越える。
後ろから再び銃声。
1発。
さらに続く。
さっきより発射の間隔が短い。
「相馬!」
「止まるな!」
相馬が佳子の腕を掴み、斜面の下へ引っ張った。
2人の足元で土が崩れる。
半ば滑り落ちるように斜面を下った。
佳子の右足が木の根へ引っ掛かった。
「きゃっ!」
身体が前へ倒れる。
両手をついた。
膝を強く打つ。
「佳子!」
相馬が振り返る。
佳子は立とうとした。
だが足元の土が崩れ、再び膝をつく。
「待って……!」
相馬は手を伸ばした。
佳子も手を伸ばす。
その瞬間だった。
頭の中に、自分の条件が浮かんだ。
《2nd STAGE開始時点で生存していた、自分以外の参加者13名全員の死亡を確認してください》
《TARGET:13》
ここで手を伸ばさなければ。
このまま逃げれば。
後ろから撃っている人間が佳子を――。
TARGETが1人減る。
「…………」
伸ばした手が止まった。
「相馬!」
佳子が叫ぶ。
その声で我に返った。
「くそっ!」
相馬は佳子の手首を掴んだ。
強く引く。
佳子の身体を無理やり起こす。
「立て!」
「う、うん!」
その時。
相馬の視界の端で、木々の隙間が光った。
「佳子!」
考えるより先に身体が動いた。
相馬は佳子の肩を掴み、自分の左側へ突き飛ばした。
佳子が地面へ倒れる。
直後。
銃声。
相馬の右上腕に強い衝撃が走った。
「――っ!」
腕が後ろへ弾かれる。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
次の瞬間、焼けた鉄を押し込まれたような激痛が肩の下から腕全体へ広がった。
「ぐああっ!」
相馬が膝をつく。
「相馬!?」
佳子が振り返る。
相馬は左手で右腕を押さえた。
指の間から血が溢れる。
服の前側に穴が開き、その反対側からも血が流れていた。
「撃たれた……!」
「見れば分かる!」
相馬は歯を食いしばりながら立ち上がろうとする。
右腕に力が入らない。
佳子が駆け寄った。
「腕見せて!」
「今は無理だ! 走れ!」
「でも血が――」
「次が来る!」
銃声。
相馬は咄嗟に佳子の背中を左手で押した。
「行け!」
2人は再び走った。
相馬の右腕はほとんど動かない。
走るたびに傷口から血が流れ、指先を伝って地面へ落ちる。
「相馬、こっち!」
今度は佳子が相馬の左腕を掴んだ。
太い木の裏へ引っ張る。
弾丸が別の木へ当たった。
「まだ来る……!」
「止まるな!」
2人は木から木へ移動する。
相馬は歯を食いしばった。
痛い。
呼吸するたびに身体が揺れ、そのたびに右腕へ激痛が走る。
それでも走る。
佳子も離れない。
やがて銃声が止まった。
それでも2人はすぐには止まらなかった。
沢から十分に離れ、地面が大きく窪んだ場所まで来て、ようやく佳子が相馬を座らせた。
「見せて」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃない!」
佳子は相馬の右腕を見る。
血で服が濡れている。
「貫通してる……」
相馬は木へ背中を預けた。
「最悪だな……」
「なんで庇ったの」
「は?」
「私を突き飛ばさなかったら、相馬は撃たれてなかった」
相馬は答えなかった。
自分でも分からない。
ほんの少し前。
本当に一瞬だけ。
佳子を置いていこうとした。
死ねば条件が進むと思った。
それなのに、銃口らしき光を見た瞬間には身体が動いていた。
「……今は助けるって言っただろ」
佳子が相馬を見る。
「馬鹿」
「なんでだよ」
「それで自分が撃たれてたら意味ないでしょ」
「うるさいな……」
相馬は顔を背けた。
佳子は自分の服の一部を使い、傷口を圧迫するように腕へ巻いた。
相馬はその様子を黙って見ていた。
そして考えてしまった。
助けた。
その結果、自分が撃たれた。
もし、あの時。
手を伸ばさなかったら。
もし佳子をその場へ置いて逃げていたら。
自分は撃たれなかったかもしれない。
そして――。
TARGETは1人減っていたかもしれない。
「…………」
「痛い?」
佳子が尋ねる。
「……痛いよ」
「そりゃそうか」
相馬は右腕から目を逸らした。
傷の痛みよりも、自分の中に浮かんだ考えの方が気持ち悪かった。
だが、その考えを否定する言葉が、以前より出てこなくなっていた。
*
少し離れた場所。
銃を持った人物が、木々の向こうを見ていた。
佳子と相馬の姿はもう見えない。
追わない。
銃口を下げる。
足元には空になった弾倉。
新しい弾倉へ手を伸ばす。
顔は木の陰に隠れている。
誰なのかは分からない。
ただ、撃つことに迷っている様子はなかった。
その人物は弾倉を交換すると、静かに森の奥へ消えていった。
*
葵は銃声が聞こえた方向へ進んでいた。
髪にはまだ落ち葉や枯れ草が絡み、乾きかけた泥がこびりついている。
頬は腫れたまま。
唇の端には、乾き始めた血が残っていた。
それでも、乱れた髪を直そうとはしない。
服についた泥も払わない。
左手にはボウガン。
森の中を進みながら、何度も足を止める。
地面を見る。
折れた枝。
踏み荒らされた落ち葉。
新しい靴跡。
その1つを見つけ、しゃがみ込んだ。
「2人」
足跡が重なっている。
どちらも走っていた。
少し先へ進む。
木の幹が削れている。
さらに地面にも小さな穴。
葵は触れなかった。
見るだけで状況を確認する。
ここで撃たれた。
逃げた2人を、誰かが追うように撃った。
さらに進む。
地面に赤いものが落ちていた。
血。
数滴。
その先にも続いている。
「当たったんだ」
葵は顔を上げた。
撃った人間がまだ近くにいる可能性がある。
普通なら離れる。
葵はボウガンへ矢を装填した。
迷いはない。
高橋との一件で思い出した。
相手が善人かどうか。
話が通じるかどうか。
そんなことを確認している時間そのものが危険になる。
先に見つける。
先に構える。
危険なら、先に潰す。
それだけだ。
木の向こうで音がした。
葵の身体が即座に反応する。
幹の裏へ移動。
ボウガンを肩へ引き寄せる。
身体の半分だけを出す。
人影が見えた。
葵は声をかけなかった。
相手が誰なのか確認しようともしなかった。
照準を合わせる。
引き金を引いた。
矢が木々の間を走る。
人影が咄嗟に横へ飛んだ。
矢が木へ突き刺さる。
「誰だ!」
男の声。
葵は答えない。
すぐに次の矢へ手を伸ばす。
茂みの向こうで相手が動いた。
葵は姿を追う。
以前なら、ここで止まったかもしれない。
まず話そうとしたかもしれない。
今の葵は違った。
逃げる相手の進行方向を読み、先回りするように森へ踏み込んだ。
乱れた髪が頬へ張りつく。
絡みついた落ち葉が走るたびに揺れ、汚れた服が枝に引っ掛かる。
腫れた頬も、切れた唇も気にしない。
それでも速度を落とさない。
ボウガンを握ったまま、葵は人影を追って木々の奥へ消えていった。
迷った方が死ぬ。
そのことを葵は、誰よりもよく知っていた。




