第42話 分断
木々の向こうを歩く2人の姿を、蓮はじっと見つめていた。
距離はそれほど離れていない。
女の方は間違いなく佳子だった。
そして、その隣にいる男も分かる。
「……相馬」
蓮が小さく名前を口にすると、詩織の表情が強張った。
相馬直人。
2nd STAGEが始まったあと、自分の条件を全員の前で公開した男。
《2nd STAGE開始時点で生存していた、自分以外の参加者13名全員の死亡を確認してください》
《TARGET:13》
佳子も。
蓮も。
詩織も。
全員が相馬の条件に含まれている。
「どうするの?」
詩織が小声で尋ねる。
「佳子の様子を見る」
「普通に歩いてるようには見えるけど……」
「ああ」
拘束されている様子はない。
相馬が武器を持っているようにも見えなかった。
少なくとも、今すぐ佳子が危険な状態にあるようには見えない。
「だったら放っておけば?」
莉奈が言った。
蓮は振り返る。
「何でそうなる」
「佳子も相馬と一緒にいたいから一緒にいるんじゃない?」
「それは本人に聞かないと分からないだろ」
「聞かなくてもいいよ」
「俺は聞きたい」
「……そう」
莉奈の声が少しだけ低くなる。
「また機嫌悪くなってる」
詩織が呟いた。
「なってないよ」
「なってる」
「今はそれどうでもいい」
蓮が会話を切り、もう一度前を見る。
その時だった。
佳子が足を止めた。
何かに気づいたように顔を上げ、こちらを見る。
目が合った。
ほんの一瞬、佳子の動きが止まる。
「……蓮?」
離れていても、その声は聞こえた。
蓮は木の陰から出た。
「佳子!」
佳子の表情が変わった。
それまで張り詰めていたものが、一気にほどけたように見えた。
「蓮!」
佳子が走り出す。
相馬が何か言ったが、佳子は止まらなかった。
蓮も考えるより先に足を踏み出していた。
無事だった。
腕の服が少し裂けている。
血も見える。
だが、自分の足で走っている。
「佳子!」
「蓮!」
距離が縮まる。
あと十数メートル。
佳子の顔がはっきり見える。
その時だった。
風を切るような鋭い音がした。
「――っ!」
蓮の視界を、黒い影が横切った。
直後。
目の前の木に何かが突き刺さる。
太い矢だった。
「止まれ!」
蓮が叫ぶ。
佳子も反射的に足を止めた。
「なに……?」
蓮は木に刺さったものを見る。
矢。
弓矢にしては短く、太い。
尾には小さな羽根が付いている。
「ボウガン……?」
詩織の声が後ろから聞こえた。
莉奈はすでに刃物を抜き、森を見回している。
「誰かいる」
相馬も佳子のところまで追いつき、周囲を見た。
「伏せろ!」
蓮が叫んだ直後、2本目が飛んできた。
矢は佳子の横を通り過ぎ、地面へ突き刺さった。
「佳子、下がれ!」
「蓮!」
「いいから!」
蓮は周囲を探した。
どこから撃っている。
銃と違い、発射音がほとんど聞こえない。
森の中では位置を特定するのが難しい。
「どこ!?」
詩織が蓮の背後へ身を寄せる。
「分からない!」
莉奈が木々の奥を睨んでいる。
「右……いや、違う」
「見えたのか?」
「音だけ」
蓮は太い木の陰へ移動した。
佳子たちとの間には、まだ距離がある。
「佳子! そっちから回れ!」
「分かった!」
佳子が相馬とともに移動しようとする。
その瞬間だった。
また何かが飛んできた。
今度は矢ではない。
空中で光が揺れている。
蓮は一瞬、それが何なのか理解できなかった。
瓶。
先端から炎が上がっている。
「逃げろ!」
瓶が地面へ落ちた。
割れる。
液体が飛び散り、次の瞬間には炎が地面を走った。
「きゃっ!」
佳子が後ろへ飛び退く。
蓮も腕で顔を庇った。
一気に燃え広がった炎が、2人の間を塞いでいく。
「佳子!」
「蓮!」
数秒前までなら走って渡れた距離だった。
今は炎が壁のように広がっている。
乾いた落ち葉にも火が移り、勢いが増していく。
「くそっ……!」
蓮が別方向へ走ろうとする。
だが、その先へ3本目の矢が突き刺さった。
進路を塞ぐように。
蓮は足を止める。
偶然じゃない。
明らかにこちらの動きを見ている。
「蓮、行っちゃ駄目!」
詩織が腕を掴んだ。
「でも佳子が!」
「狙われてる!」
さらに瓶が飛んできた。
今度は蓮たちの少し前へ落ちる。
炎が広がり、横へ回り込む道まで塞いでいく。
「……分けようとしてる」
蓮が呟いた。
「え?」
「俺たちを殺すだけなら、直接狙えばいい」
最初の矢は、蓮と佳子の間を通った。
次も佳子のすぐ横。
火炎瓶も、身体ではなく進路を狙っている。
「合流させたくないのか……?」
詩織が息を呑む。
「誰がそんなこと……」
「分からない」
蓮は炎の向こうを見る。
佳子と相馬も木の陰へ移動していた。
「佳子!」
「大丈夫!」
炎越しに声が返ってくる。
それだけで、蓮は少しだけ息を吐いた。
「腕は!?」
「これくらい平気!」
「どこか隠れろ!」
「蓮たちは!?」
「こっちは3人いる!」
佳子が一瞬黙った。
炎の向こう。
蓮の隣には詩織がいる。
さらに莉奈もいる。
それを確認した佳子の表情が、ほんの少しだけ複雑になった。
だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「後で探す!」
佳子が叫ぶ。
「絶対だからね!」
「ああ!」
蓮も答えた。
「絶対見つける!」
その言葉に、佳子は小さく頷いた。
次の矢が飛んできた。
今度は相馬の近くの木へ突き刺さる。
「佳子、行くぞ!」
相馬が叫ぶ。
「でも――」
「ここにいたら囲まれる!」
佳子は蓮を見る。
まだ距離は近い。
顔も見える。
なのに、近づけない。
「……蓮!」
「行け!」
佳子は唇を噛んだ。
それから相馬とともに走り出した。
蓮とは反対方向へ。
その背中が木々の中へ消えていく。
「佳子……」
蓮が追おうとする。
だが炎はまだ燃えている。
詩織が蓮の服を掴んだ。
「今は駄目」
「分かってる」
分かっている。
それでも腹が立った。
やっと見つけた。
あと少しだった。
それを誰かが、狙ったように引き離した。
「蓮」
莉奈が森を見ながら言った。
「ここから離れた方がいい」
「……ああ」
「まだ見られてるかもしれない」
その言葉に、蓮は周囲を見る。
誰もいない。
少なくとも姿は見えない。
それが余計に不気味だった。
*
佳子は相馬とともに森を走っていた。
右腕の傷が痛む。
呼吸も苦しい。
それでも止まれなかった。
しばらく走ったところで、相馬が大きな木の陰へ入った。
「ここで一回止まろう」
佳子も木の裏へ身を隠す。
耳を澄ます。
矢が飛んでくる音はない。
追ってくる足音も聞こえない。
「……何なの、あれ」
佳子は息を整えながら呟いた。
「ボウガンに火炎瓶って……」
「殺す気だったのかな」
相馬が言った。
「分からない」
佳子は首を振る。
「でも、変だった」
「何が?」
「本当に殺したいなら、もっと直接狙えた気がする」
相馬も黙った。
同じことを考えていたらしい。
「俺たちを離したかった?」
「かもしれない」
「誰が?」
「それが分かったら苦労しない」
佳子は木の向こうを見る。
蓮の姿はもう見えない。
ほんの少し前まで、あと数メートルだった。
やっと会えたと思った。
なのに。
「……最悪」
「佳子?」
「何でもない」
佳子は右腕を押さえる。
痛い。
だが、それ以上に胸の奥が落ち着かなかった。
蓮は無事だった。
それだけは確認できた。
それなのに、会えなかったことがこんなにも悔しい。
「戻る?」
相馬が尋ねる。
佳子はすぐに答えようとして、止まった。
また狙われるかもしれない。
しかも今度は、相手がボウガンを持っている。
発射音が小さい分、銃より位置を特定しづらい。
「……今はやめる」
「そうした方がいいと思う」
「でも諦めたわけじゃないから」
「分かってる」
相馬はそう答えた。
佳子は少しだけ相馬を見る。
「相馬はどうするの?」
「今は佳子と動くよ」
「私、相馬のTARGETなんだけど」
「知ってる」
「普通に言わないでよ」
「じゃあ忘れた方がいい?」
「それはもっと怖い」
相馬が少しだけ笑った。
佳子もつられて笑いそうになったが、すぐに表情を戻す。
相馬の条件は変わっていない。
今は協力している。
だからといって、この先もそうだとは限らない。
警戒は必要だった。
「行こう」
佳子が言う。
「どこへ?」
「まず安全な場所を探す。それから蓮たちを探す」
「分かった」
2人は再び歩き始めた。
相馬は佳子の少し後ろを歩く。
その視線が、一瞬だけ佳子の背中へ向いた。
さっき。
ボウガンの矢が佳子の近くへ飛んできた時。
相馬は反射的に佳子へ声をかけていた。
危ない。
逃げろ。
そう思った。
まだ自分は、人が危険になれば助けようとする。
そのことに少しだけ安心した。
けれど。
もし、あの矢が佳子に当たっていたら。
もし、あの炎の中で誰かが死んでいたら。
自分の条件は進んでいた。
その考えもまた、確かに頭をよぎっていた。
相馬は何も言わず、佳子の後ろを歩いた。
*
炎から離れた蓮たちは、森の中を移動していた。
詩織は何度も後ろを振り返る。
「追ってきてないよね?」
「今のところは」
蓮が答える。
「でも油断するな」
「うん」
莉奈は少し前を歩きながら、周囲を見ている。
蓮はその背中を見た。
「莉奈」
「なに?」
「ボウガンに心当たりあるか?」
「ないよ」
「火炎瓶は?」
「ない」
「この島にあんな物まであるのか」
「銃があるくらいだから、あっても不思議じゃないんじゃない?」
確かにそうだった。
特殊物資。
島には通常の物資とは別に、武器や防具が隠されている。
拳銃。
防具。
他にも何があるのか分からない。
「葵の端末なら……」
詩織が呟く。
蓮が見る。
「特殊物資の場所、分かるんだよね?」
「ああ」
アップグレードされたF端末。
少なくとも以前は、島に配置された特殊物資の位置を確認できていた。
「でも葵が取ったとは限らない」
蓮が言う。
「場所を見て、誰かに先に取られた可能性もある」
「うん……」
詩織は頷いた。
それ以上、誰かの名前を挙げることはなかった。
今の段階では何も分からない。
ただ1つ。
「第40話の時と同じ奴かな」
詩織が呟く。
蓮は少し考えた。
「分からない」
あの時は銃。
そして爆発物。
今回はボウガンと火炎瓶。
目的だけを見れば似ている。
自分たちを追い立て、分断する。
だが。
「同じ奴だって決めつけない方がいい」
蓮が言った。
「え?」
「武器が違いすぎる」
「でも持ち替えたとか」
「その可能性もある」
蓮は周囲を見る。
「ただ、もう誰が何を持ってるのか分からない。1人だけを警戒してたら危ない」
詩織の表情が曇る。
「全員疑えってこと?」
「……そうなってくる」
言いたくはなかった。
だが、それが今の状況だった。
莉奈が振り返る。
「私は蓮を襲わないよ」
「俺だけだろ」
「うん」
「即答するな」
「本当のことだから」
詩織が少し引いた顔をする。
蓮はため息をつき、それ以上は何も言わなかった。
佳子を探したい。
だが、同じ場所へ戻れば再び襲われる可能性が高い。
今は一度、安全な場所を探すしかない。
蓮は歩きながら、もう一度佳子の顔を思い出した。
自分を見つけた瞬間。
佳子は迷わず走ってきた。
そして自分も、考える前に佳子へ向かっていた。
なぜそうしたのか。
今は考えている余裕がなかった。
*
森の奥。
人の気配が完全に消えた場所で、1人の人物がゆっくりと立ち上がった。
手にはボウガン。
足元には、空になった瓶が入っていた袋。
炎の煙が木々の隙間からわずかに見える。
追うことはしなかった。
必要がなかった。
目的は果たした。
集まりかけた人間は、再び離れた。
それだけ確認すると、その人物はボウガンを下ろした。
顔は見えない。
声もない。
やがて人影は木々の奥へ消えていった。
残されたのは、踏み潰された草と、わずかな油の匂いだけだった。




