第40話 離れていく距離
莉奈の案内で森を進み始めてから、10分ほどが経っていた。
先頭を歩く莉奈はほとんど迷わない。
何度か立ち止まって端末を確認することはあったが、それ以外では周囲を見回すことすらなく、最初から道を知っているように木々の間を抜けていく。
その少し後ろを蓮が歩き、詩織と佳子が続いていた。
「ねえ、蓮」
詩織が小声で呼ぶ。
「なんだ?」
「あの子、本当に信用していいの?」
「信用してない」
「だよね……」
蓮の即答に、詩織は少し安心したようだった。
莉奈が案内すると言った建物が本当に存在する保証はない。存在したとしても、そこが安全とも限らない。
それでも今は、森の中を当てもなく歩き続けるよりはましだった。
銃を持っている参加者がいる。
拠点を吹き飛ばした何者かもいる。
そして、自分たちの近くには莉奈がいる。
どれも安心できる材料ではなかった。
「詩織」
「なに?」
「バッグ、ちゃんと持ってろよ」
「うん」
詩織は肩から提げたバッグを確かめる。
中には壊れた端末が入っている。
《A》。
蓮の条件に指定されている端末。
すでに壊れているように見えるが、それをシステムが「破壊済み」と判断するのかは分からない。
もし認められていないのなら、自分で完全に壊す必要があるのかもしれない。
だが、それを詩織に話すつもりはなかった。
「蓮」
今度は佳子だった。
「さっきから詩織のバッグばっかり見てない?」
「見てない」
「見てた」
「気のせいだ」
「ふーん」
佳子は少しだけ蓮を見つめたが、それ以上は追及しなかった。
代わりに前方の莉奈を見る。
莉奈は振り返らない。
それでも会話を聞いていることは間違いなかった。
「あとどれくらい?」
佳子が尋ねる。
「もう少し」
「さっきも聞いた気がする」
「じゃあ、もう少しのもう少し」
「絶対分かって言ってないでしょ」
「分かってるよ」
「本当に?」
「佳子には教えたくないだけ」
「……ほんと可愛くない」
「佳子に可愛いと思ってもらわなくていいから」
また始まった。
蓮が口を挟もうとした時だった。
莉奈が突然立ち止まった。
「止まって」
声の調子が変わっている。
蓮も足を止めた。
「どうした?」
莉奈は答えず、右側の森を見ていた。
詩織と佳子も黙る。
風が葉を揺らす。
それに混じって、何かが聞こえた。
人の足音。
1人ではない。
「誰か来る」
莉奈が小さく言った。
「隠れるぞ」
蓮が周囲を確認する。
近くには太い木が何本かある。その先には斜面があり、少し下った場所に古いコンクリートの構造物らしきものも見えた。
4人が移動しようとした、その瞬間。
森の奥から銃声が響いた。
詩織が肩を震わせる。
弾が近くの枝を砕いた。
「走れ!」
蓮の声と同時に、4人が動いた。
誰が撃ったのか確認する余裕はない。
莉奈が左へ走る。
蓮も続こうとしたが、
「蓮!」
詩織の声がした。
振り返ると、詩織が木の根に足を取られて転んでいた。
蓮はすぐに戻る。
「立てるか?」
「う、うん……!」
詩織の腕を掴んで起こした直後、再び銃声。
今度はさらに近い。
「こっち!」
佳子が叫んだ。
だが、その声の直後だった。
森の奥から別の音が響いた。
何かが地面へ落ちる。
蓮は反射的にそちらを見る。
小さな筒状の物体。
見覚えがあった。
拠点を襲ったものと似ている。
「離れろ!」
爆発。
土と枯れ葉が舞い上がった。
爆風に押され、蓮は詩織を庇うように地面へ倒れ込む。
耳鳴り。
視界が揺れる。
「詩織!」
「だ、大丈夫……」
咳き込みながら詩織が答える。
蓮はすぐに佳子を探した。
「佳子!」
返事がない。
「佳子!」
「蓮!」
声は聞こえた。
だが姿が見えない。
爆発によって木の枝が折れ、土煙が視界を遮っている。
「ここ!」
佳子の声は、爆発地点の向こう側から聞こえた。
蓮が立ち上がろうとする。
その腕を莉奈が掴んだ。
「行っちゃ駄目」
「離せ!」
「また来る」
莉奈が森を見る。
その直後、何かが木に当たった。
銃弾だった。
乾いた音とともに樹皮が弾ける。
「蓮、こっち!」
佳子の声。
だが今度は遠ざかっている。
「佳子!」
「私は大丈夫! 詩織連れて逃げて!」
「待て!」
返事はなかった。
再び銃声。
蓮は歯を食いしばった。
今ここを横切れば、詩織まで危険に晒す。
「蓮……」
詩織が腕を掴んでいる。
震えていた。
蓮は一瞬だけ目を閉じる。
「……行くぞ」
詩織の腕を支え、木々の奥へ走った。
莉奈もついてくる。
佳子とは反対方向へ。
*
佳子は斜面を駆け下りていた。
背後で蓮の声が聞こえた気がした。
振り返りたい。
だが、また銃声がした。
「っ……!」
木の陰へ飛び込む。
息が苦しい。
右腕に痛みがある。
爆発で飛んだ木片が当たったらしく、服が少し裂けていた。
血は出ているが、動かせる。
佳子は息を整えながら周囲を見る。
「蓮……?」
返事はない。
「詩織……?」
やはり返事はなかった。
1人。
その事実に気づいた瞬間、急に森が広く感じられた。
これまでだって危険だった。
知らない島。
首輪。
死体。
銃。
そして2nd STAGE。
それでも、いつの間にか隣には誰かがいた。
特に蓮は、何かが起きれば必ず前へ出ていた。
怖くないわけではない。
むしろ本人は何度も怖いと言っていた。
それでも逃げなかった。
詩織の端末が壊れていても見捨てなかった。
危険なものを見つければ、自分で確かめようとした。
誰かが困れば、結局放っておけない。
「……なんで今、蓮のこと考えてるんだろ」
佳子は小さく呟いた。
自分でも分からなかった。
ただ、今まで隣にいた人間がいなくなっただけ。
そう思おうとした。
けれど、胸の奥にある不安は、それだけでは説明できない。
無事なのか。
怪我をしていないか。
詩織を連れて逃げられたのか。
そして――莉奈と一緒にいるのか。
「…………」
最後の1つを考えた瞬間、佳子は自分で少し嫌になった。
「今それ気にする?」
こんな状況なのに。
自分が生き残れるかも分からないのに。
それでも気になる。
佳子は木へ背中を預け、息を吐いた。
「……ほんと、何なの」
その時。
少し離れた場所で枝が折れた。
佳子の表情が変わる。
誰かいる。
すぐに身を低くし、足音の方向を見る。
蓮かもしれない。
そう思った自分に気づいた。
そして、その期待が外れた時に感じた落胆にも。
木々の向こうから男が姿を現した。
「……佳子?」
聞き覚えのある声だった。
佳子は目を細める。
「相馬……?」
相馬直人だった。
知っている顔を見つけたことに、一瞬だけ緊張が緩みかける。
しかし、すぐに別のものが頭をよぎった。
《2nd STAGE開始時点で生存していた、自分以外の参加者13名全員の死亡を確認してください》
《TARGET:13》
相馬自身が、全員の前で公開した条件。
当然、佳子もその13人に含まれている。
「1人か?」
相馬が尋ねる。
「……今はね」
「怪我してる」
相馬の視線が佳子の右腕へ向いた。
「大したことない。爆発で木が当たっただけ」
「爆発?」
「その前に撃たれた。誰が撃ったのかは分からない」
「……銃声は聞こえた」
佳子は何気なく相馬を見る。
「相馬はずっと1人?」
「拠点から逃げてからは」
「誰にも会ってない?」
「今、佳子に会った」
「そうじゃなくて」
「分かってる。会ってないよ」
「……そっか」
相馬の表情からは、それ以上何も読み取れなかった。
佳子は少しだけ距離を保ったまま立っている。
それに気づいたのか、相馬が自分の首輪へ触れた。
「俺の条件、気にしてる?」
佳子は少し迷ってから頷いた。
「……気にしない方が無理でしょ」
「だよな」
「私が死んでも、相馬の条件は進むんだから」
「そうなる」
否定しない。
だが、相馬は佳子へ近づこうともしなかった。
「警戒してていいよ。俺でも同じ立場ならそうする」
その言い方は、佳子が知っている相馬とそれほど変わらなかった。
少なくとも今すぐ襲ってくるようには見えない。
それでも、以前のように無条件で安心することはできなかった。
「……私、戻るから」
「どこに?」
「蓮たちを探す」
相馬が佳子の来た方向を見る。
「さっき銃声がした方だろ?」
「うん」
「危ないよ」
「分かってる」
「また撃たれるかもしれない」
「それも分かってる」
佳子は森の向こうへ目を向けた。
蓮がどこにいるのかは分からない。
それでも、このまま反対方向へ逃げる気にはなれなかった。
「……そこまでして戻る必要ある?」
相馬の言葉に、佳子が振り返る。
「え?」
「いや……」
相馬は自分でも少し意外そうに黙った。
「危険なのに、わざわざ戻らなくてもいいんじゃないかと思っただけ」
「蓮と詩織がいるから」
「2人とも生きてるんだろ?」
「さっきまではね」
「だったら――」
相馬はそこで言葉を止めた。
だったら、放っておけばいい。
そんな言葉が出かかった。
以前なら考えなかった。
危険な場所に誰かが残っているなら、一緒に探そうとしたはずだった。
けれど今は、別の考えが先に浮かぶ。
銃を持った人間がいる。
爆発まで起きている。
そんな場所に残っていれば、誰かが死ぬかもしれない。
もし死んだら。
自分は何もしなくても、条件に近づく。
「相馬?」
佳子の声で我に返る。
「……何でもない」
「何でもないって顔じゃなかったけど」
「今は戻らない方がいいと思っただけだよ」
佳子はしばらく相馬を見ていた。
何かが少し違う。
だが、それが何なのかまでは分からなかった。
「私は戻る」
佳子は立ち上がる。
右腕の傷が痛む。
それでも歩ける。
「佳子」
「何?」
「……俺も行く」
佳子は少し驚いた。
「いいの?」
「1人で動くよりはましだろ」
「でも……」
佳子の視線が一瞬だけ相馬の首輪へ向く。
相馬は苦笑した。
「警戒したままでいいよ」
「自分で言う?」
「俺だって、この条件が普通じゃないのは分かってる」
佳子は迷った末に頷いた。
「……分かった」
2人は並んで歩き始めた。
佳子は何度も、蓮がいるはずの方向へ視線を向ける。
「そんなに蓮が心配?」
相馬が尋ねた。
「え?」
「さっきからずっと探してるから」
「別に蓮だけじゃない。詩織もいるし」
「そう」
「何、その反応」
「何も言ってない」
「顔が言ってる」
佳子は少しだけ不満そうに相馬を見る。
けれど、すぐに前へ向き直った。
無事でいてほしい。
早く見つけたい。
また会いたい。
これまで蓮の近くにいることを、特別なことだとは思っていなかった。
気づけば話していた。
気づけば一緒に行動していた。
危険な時には蓮が前にいて、その背中を見ることにも慣れていた。
だから、いなくなって初めて分かる。
自分は思っていた以上に、あの背中を頼りにしていた。
「……蓮を置いていけないから」
佳子が小さく呟く。
「何か言った?」
「何でもない」
佳子は少しだけ歩く速度を上げた。
相馬はその後ろを歩きながら、何も言わなかった。
佳子も。
これから探しに行く蓮も、詩織も。
全員、自分の《TARGET:13》に含まれている。
以前なら、その事実を考えるだけでも気分が悪くなった。
今も、決して平気ではない。
それでも。
もし誰かが目の前で危険になった時、自分は本当に助けるのか。
その問いに、以前のように迷わず答えられなくなっていた。
*
「待って、蓮……」
詩織の呼吸が乱れていた。
蓮は速度を落とした。
どれくらい走ったのか分からない。
銃声は遠くなっている。
「大丈夫か?」
「うん……ちょっと、息が……」
詩織が木に手をつく。
莉奈は少し離れたところで周囲を見ていた。
蓮は来た方向へ目を向ける。
佳子がいない。
「戻る」
蓮が言った。
詩織が顔を上げる。
「蓮」
「佳子を探す」
「私も行く」
「お前はここに――」
「嫌」
思ったより強い声だった。
蓮が詩織を見る。
「1人にしないで」
「莉奈がいる」
「それもっと嫌」
「ひどいなあ」
莉奈が言った。
詩織は莉奈を見た後、もう一度蓮へ向き直る。
「足手まといにならないようにするから。だから一緒に行く」
「でも――」
「お願い」
詩織の手が、蓮の服の袖を掴んだ。
「最初に目が覚めた時から、ずっと蓮がいたから……今さら1人になる方が怖い」
蓮は何も言えなかった。
詩織が自分を頼っていることは分かっていた。
だが、思っていた以上なのかもしれない。
「……分かった」
蓮が答える。
「離れるなよ」
「うん」
詩織が頷く。
莉奈はその様子を黙って見ていた。
表情は笑っている。
だが、目だけが少し違っていた。
「莉奈」
「なに?」
「佳子を探す」
「嫌」
「即答するな」
「だって、せっかくいなくなったのに」
詩織が引いた顔をする。
「それ本人の前でも言えるの?」
「言えるよ」
「言えるんだ……」
蓮は頭を押さえたくなった。
「とにかく戻る。ただし、さっきの場所へ真っ直ぐ戻るのは危険だ。回り込む」
「蓮が行くなら私も行く」
莉奈が答える。
「さっき嫌って言っただろ」
「佳子を探すのは嫌。でも蓮と離れるのはもっと嫌」
「……そうかよ」
蓮はそれ以上言わなかった。
3人は来た道とは違う方向から、佳子が消えた場所へ戻ることにした。
その途中。
詩織は何度も蓮の後ろを確認した。
蓮がいる。
それだけで、少しだけ呼吸が落ち着く。
気づけばまた、蓮の服の裾を掴んでいた。
*
黒田が三浦と美月のもとへ戻った時、2人は先ほどと同じ場所にいた。
「何かあったか?」
三浦が尋ねる。
「建物を見つけた」
「使えそう?」
「分からん。入口が認証式だ」
「端末?」
「いや」
黒田は一瞬だけポケットへ手をやった。
《G》のパーツについて話すべきか迷う。
だが、今はやめた。
自分でも何なのか分かっていない。
「少し休んだら移動する」
黒田が言った。
「ここに長くいるのは危険だ」
三浦が頷く。
美月も立ち上がろうとした。
「大丈夫か?」
「歩けるよ」
「無理するな」
「分かってる」
その時、遠くで銃声が聞こえた。
3人が同時に顔を上げる。
「また……」
美月の表情が曇った。
黒田は音の方向を見た。
さっき自分が調べた施設とは別方向。
島のあちこちで何かが起きている。
「行くぞ」
黒田が言った。
「どこへ?」
「さっきの建物だ。少なくとも壁はある」
3人は移動を始めた。
そのさらに後方。
木の陰から、真由がその姿を見ていた。
黒田。
三浦。
美月。
自分の条件に表示されている4人のうち、3人が目の前にいる。
《2nd STAGE開始時点で首輪が外れていた生存参加者4名全員の死亡を確認してください》
最初にこの文字を見た時は、吐き気がした。
自分にできるわけがないと思った。
誰かが死ぬのを待つしかない。
そう考えていた。
でも。
待っているだけでは、何も変わらない。
真由は手にしていた刃物を見る。
さっき投げた時は外した。
いや。
本当に外れたのか。
自分でも分からない。
「…………」
もし当たっていたら。
美月が死んでいたら。
自分はどう感じていたのだろう。
怖い。
そう思うはずだった。
なのに今は、その先に別の感情があった。
1人減る。
条件が進む。
その考えが、以前ほど気持ち悪くない。
真由は自分の変化に気づきながらも、3人を追い始めた。
*
森を進んでいた白石は、不意に足を止めた。
「どうした?」
藤堂が尋ねる。
「いや……」
白石は後ろを振り返った。
高橋もいる。
3人とも無事だ。
それなのに、白石の頭には別の人物が浮かんでいた。
「美月ちゃん、大丈夫かなって」
「美月か?」
「うん」
藤堂は少しだけ白石を見る。
「黒田と三浦が一緒だった。今は自分たちの心配をしろ」
「……そうだな」
白石は笑った。
いつものような笑顔。
だが、歩き出してからも美月の顔が頭から消えなかった。
最初に会った時から、可愛いとは思っていた。
こんな島でなければ。
こんなゲームでなければ。
普通に声をかけていたかもしれない。
だが今は、そんなことを考えている場合ではない。
分かっている。
分かっているのに。
いつ死ぬか分からない。
さっきだって、銃弾が木に当たった。
次は自分かもしれない。
明日がある保証など、どこにもない。
白石は小さく息を吐いた。
まだ、その考えを言葉にはしなかった。
自分の中に浮かんだものを、冗談で誤魔化すこともできなかった。
ただ、美月が今どこにいるのか。
それだけが妙に気になっていた。




