第37話 十三人
翌朝。
三浦の傷は、昨日よりかなり落ち着いていた。
「本当に大丈夫?」
佳子が心配そうに尋ねると、三浦は右腕に巻かれた包帯を確認してから頷いた。
「ああ。出血も止まってる」
「今日は動かないでくださいね」
「分かってる」
「昨日もそう言って立とうとしましたよね」
「……」
「三浦さん?」
「分かった。今日は大人しくしてる」
そのやり取りを聞いていた白石が、横から口を挟んだ。
「医者が怒られてる」
「お前は黙ってろ」
三浦に睨まれ、白石は素直に口を閉じた。
その横の壁には、例の鍋の蓋が立てかけられている。
最初こそ全員から馬鹿にされていたが、島のどこかに拳銃や新たな武器を持った人間がいる今となっては、もう誰も本気で「捨てろ」とは言わなくなっていた。
*
葵は1人、F端末を確認していた。
【特殊物資情報】を開く。
地図上に表示されていたマーカーは、明らかに減っている。
E-04――消失。
B-03――消失。
そしてF-01も、すでに消えていた。
少しずつ、島から特殊物資がなくなっている。
誰が何を手に入れたのかは分からない。
分かっているのは、最初に消えた拳銃を含め、複数の特殊物資がすでに参加者の手へ渡っているということだけだった。
「……」
葵は【特殊物資情報】を閉じ、自分の個別クリア条件を表示する。
《アップグレード済みPLAYER TERMINALを1台破壊してください》
頭に浮かぶのは、桐谷真由。
そして、岩壁の奥から持ち去られた2つ目のアップグレードデータ。
真由があれを使ったのか確かめたい。
だが肝心の真由が、今どこにいるのか分からない。
葵はしばらく条件文を見つめた後、静かに端末を閉じた。
*
昼前。
入口付近で周囲を警戒していた藤堂が、突然片手を上げた。
「誰か来る」
その一言で、部屋の空気が変わった。
蓮が立ち上がる。
黒田、高橋、白石も続いた。
「1人か?」
「ああ。今のところは」
藤堂が入口の横へ移動する。
白石も壁際へ移動し、例の鍋の蓋を手に取った。
それを見た高橋が眉をひそめる。
「……まだやるのか」
「昨日、武器が1個消えたんだろ」
白石は珍しく真顔だった。
「もう笑ってる場合じゃない」
高橋は何も返さなかった。
森の中から、1人の男がゆっくりと姿を現したからだ。
蓮が目を細める。
「……相馬」
相馬直人だった。
1人。
両手は見える位置にあり、少なくとも外から確認できる範囲では武器を持っていない。
「待て」
藤堂の声で、相馬が足を止めた。
拠点までは十数メートル。
「何だよ」
「そこで止まれ」
「……随分な歓迎だな」
高橋が相馬を睨む。
「2nd STAGEになった」
「知ってる」
「条件も変わった」
その瞬間、相馬の表情がわずかに硬くなった。
「……それも知ってる」
黒田が静かに尋ねる。
「何の条件だ?」
「いきなりそれかよ」
「今は重要だ」
「だったら、そっちが先に言え」
誰も答えなかった。
相馬は小さく笑った。
だが、目は笑っていない。
「ほらな。俺だけ言えってのはおかしいだろ」
「じゃあ1つだけ」
蓮が言った。
相馬の視線が向く。
「何だ?」
「他の参加者が関係する条件か?」
相馬の動きが止まった。
ほんの一瞬だったが、その反応を黒田は見逃さなかった。
「……何で聞く」
「そういう条件が存在してるからだ」
「お前の条件がそうなのか?」
蓮は答えなかった。
相馬が鼻で笑う。
「結局、誰も言わねえじゃねえか」
その時、建物の中から佳子が出てきた。
「相馬さん」
相馬が彼女を見る。
「条件を全部言えとは言わない。でも、ここにいる人たちが危険になる可能性があるなら、それだけは教えて」
しばらく沈黙が続いた。
やがて相馬は諦めたように息を吐く。
「……関係ある」
全員の表情が変わった。
*
「どういう意味だ」
藤堂が尋ねる。
相馬は自分の首に残された首輪へ触れた。
「俺の条件には、人間が関係してる」
「誰?」
美月が思わず聞いた。
相馬は答えない。
「相馬」
蓮がもう1度尋ねる。
「何人だ?」
相馬の目が蓮へ向いた。
「……13」
沈黙。
「13?」
白石が聞き返す。
相馬は端末を取り出した。
しかし、まだ画面は見せない。
「俺以外だ」
低い声だった。
「2nd STAGEが始まった時に生きてた……俺以外の13人」
詩織が息を呑む。
「それって……」
佳子も表情を強張らせた。
相馬は、自分の口で続きを告げた。
「全員の死亡を確認しろ」
空気が凍った。
誰も動かない。
相馬は乾いた笑いを漏らした。
「分かったか?」
自分の首輪を指で叩く。
「これが俺の条件だ」
白石が無意識に1歩後ろへ下がった。
相馬はそれを見逃さなかった。
「……その反応になるよな」
「悪い」
「謝んなよ」
高橋が鋭い目を相馬へ向ける。
「お前自身が殺す必要は?」
「書いてない」
「本当か?」
「だったら見ろよ」
相馬は端末を差し出した。
高橋が受け取り、画面を確認する。
《2nd STAGE 個別クリア条件》
《2nd STAGE開始時点で生存していた、自分以外の参加者13名全員の死亡を確認してください》
《TARGET:13》
高橋の表情から感情が消えた。
蓮、藤堂、黒田も順番に確認する。
相馬の言葉は嘘ではなかった。
少なくとも、端末に表示されている条件はそのままだ。
「返せ」
高橋が端末を返す。
相馬は受け取ると、低い声で続けた。
「俺が全員殺せとは書いてない」
誰も答えない。
「それでも、俺がここにいたら嫌なんだろ?」
美月が目を逸らした。
詩織も何も言えなかった。
佳子だけは相馬を見続けている。
「相馬さんは、どうするつもり?」
相馬の顔から笑みが消えた。
「知らねえよ」
「……」
「13人死ぬまで待てって?」
首輪を強く掴む。
「そんなの、クリアできるわけねえだろ」
*
その時、奥で休んでいた三浦が出てきた。
「騒がしいな」
相馬の視線が、三浦の右腕へ向く。
「……怪我したのか」
「昨日な」
その一言で、黒田の目が変わった。
「相馬」
「何だよ」
「昨日、どこにいた?」
相馬が眉をひそめる。
「何で?」
「答えろ」
「北側」
三浦の表情がわずかに変わった。
蓮もそれに気づく。
「どの辺だ?」
相馬は端末の地図を開き、おおよその場所を示した。
三浦は黙り込む。
昨日、自分が誰かの気配を感じた場所と完全に一致しているわけではない。
だが、遠くもなかった。
「俺を疑ってんのか?」
相馬が黒田を見る。
「まだ何も言ってない」
「顔に出てる」
「確認してるだけだ」
「何様だよ」
黒田は答えなかった。
相馬が1歩近づく。
「昨日から思ってたけど、お前……妙に人を調べるよな」
白石が2人を見比べる。
「ちょっと……」
「足跡だの、状況だの、質問だの。何なんだよ」
黒田はしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……元警察だ」
一瞬、誰も反応できなかった。
「え?」
白石が間の抜けた声を出す。
「警察官だった」
「元?」
「ああ」
藤堂は驚きながらも、どこか納得したようだった。
蓮も同じだった。
周囲を見る目。
相手の言葉を聞く時の癖。
小さな違和感を拾い、すぐに結論を出さない姿勢。
今までの黒田の行動を考えれば腑に落ちる。
白石は藤堂を見る。
次に三浦。
そして黒田。
「元自衛官」
藤堂を指す。
「医者」
三浦を指す。
「元警察」
黒田を指す。
最後に自分の胸を指した。
「……俺、鍋の蓋」
佳子が吹き出した。
詩織も思わず口元を押さえる。
「比較がおかしい」
藤堂が呆れる。
「俺だけ戦力差ひどくない?」
「鍋の蓋を捨てればいい」
三浦が淡々と言った。
「それは嫌です」
ほんの数秒だけ、張り詰めていた空気が緩んだ。
相馬だけは笑わなかった。
*
黒田が再び相馬を見る。
「話を戻す」
「……ああ」
「三浦を追っていたのはお前か?」
「違う」
即答だった。
「証明は?」
「できるわけねえだろ」
「そうだな」
黒田はそれ以上追及しなかった。
今度は相馬が三浦を見る。
「誰かにつけられてたのか?」
「ああ」
「顔は?」
「見てない」
相馬が眉を寄せる。
「だったら俺じゃない」
「だから、それも証明できない」
高橋が言う。
「お前らな……」
相馬の拳が強く握られる。
だが、怒鳴りはしなかった。
「俺の条件がこれだからって、何でも俺にするな」
誰も返せなかった。
その通りだった。
*
「相馬さん」
佳子が声をかける。
「ここに残る?」
全員が彼女を見る。
相馬自身も驚いたようだった。
「……いいのか?」
「私は、条件だけで追い出したくない」
「危険だぞ」
高橋が言う。
「追い出した方が危険かもしれない」
「どういう意味だ?」
「1人にしたら、何を考えてるのか、何をしてるのか、誰にも分からなくなる」
高橋は黙った。
蓮も頷く。
「俺も残っていいと思う」
「……俺も」
白石は少し迷いながら続いた。
美月は答えない。
詩織もまだ不安そうに相馬を見ている。
黒田が静かに言った。
「条件は確認した。少なくとも『13人を自分で殺せ』とは書かれていない」
藤堂も頷く。
「ただし、しばらくは行動を見させてもらう」
相馬が苦笑した。
「結局、監視されんのかよ」
「当然だ」
「まあ……」
相馬は首輪に触れた。
「追い出されるよりマシか」
*
午後。
相馬は拠点の隅に1人で座っていた。
誰も積極的には近づこうとしない。
完全には信用されていない。
当然だと、相馬自身も分かっている。
端末には、自分以外の13人全員の死亡確認という条件が表示されている。
それを公開した以上、自分が誰かを襲えば真っ先に疑われるだろう。
むしろ今まで以上に、迂闊には動けなくなった。
「……クソゲー」
誰にも聞こえない声で呟いた。
*
少し離れた場所で、高橋はそんな相馬を見ていた。
13人の死亡確認。
あまりにも異常な条件だ。
だが――自分の条件は、他人から見ればどう映るだろう。
《参加者の首輪を5個回収してください》
《回収した5個の首輪を指定地点D-02で認証してください》
必要なのは首輪だけ。
それでも今ここで公開すれば、白石、黒田、美月、三浦が自分を見る目は確実に変わる。
高橋はポケットの中の端末に触れかけて、やめた。
言わない。
まだ、言えない。
*
夕方。
葵は相馬とは別のことを考えていた。
桐谷真由。
2つ目のアップグレードデータ。
そして、自分のクリア条件。
「蓮」
「何?」
「明日、真由を探したい」
蓮が葵を見る。
「理由は?」
葵は一瞬迷った。
全部話すべきなのか。
だが、ここまで来て隠し続けても仕方がない。
「……2つ目のUSB」
葵はF端末を持ち上げた。
「真由が持っていったでしょ」
「ああ」
「確認したいことがある」
「アップグレードしたか?」
葵は少し驚いた。
「気づいてた?」
「お前、昨日からそればっかり気にしてる」
葵は小さく息を吐く。
そして、自分の条件画面を蓮へ見せた。
《アップグレード済みPLAYER TERMINALを1台破壊してください》
「これが私の条件」
蓮の表情が変わった。
「自分のFを壊せば達成できるかもしれない。でも、壊したくない」
「特殊物資情報があるからか」
「それもある」
【PLAYER INFORMATION】も残っている。
1人だけとはいえ、他の参加者の個別クリア条件を確認できる機能。
通常端末には存在しない、強力な情報だ。
「それに、この書き方」
葵は条件文を指差した。
「『自分のPLAYER TERMINALを破壊してください』とは書いてない」
蓮も文章を見つめる。
「だから、他にもあると思ってるのか」
「うん」
葵は森の向こうへ視線を向けた。
「アップグレードされた端末が」
*
夜。
桐谷真由は1人、自分の端末を見つめていた。
《橘 美月》
《三浦 和也》
《黒田 修司》
《白石 悠真》
4人。
2nd STAGE開始時点で首輪が外れていた、生存参加者。
真由はその名前をしばらく見つめた後、画面を切り替えた。
通常のPLAYER TERMINALには存在しない項目が表示される。
岩壁の奥から持ち出した、2つ目のアップグレードデータ。
真由はすでに、それを自分の端末へ使用していた。
M。
葵の推測は正しかった。
この島にはF以外にも、アップグレード済みのPLAYER TERMINALが存在している。
真由は何も言わず、M端末の画面を閉じた。
*
同じ頃。
拠点の隅では、古瀬聡子が毛布に包まれて横になっていた。
周囲から聞こえる小さな寝息。
見張り役が時折動く気配。
聡子は自分の首輪に触れた。
「あの時……外しておけばよかった……」
小さな声だった。
近くにいる誰かが聞いても不自然ではない。
だからこそ、その言葉を選んだ。
解除権限を使うのが怖かった。
そのせいで1st STAGE終了と同時に権限を失った。
後悔している。
怯えている。
何も分からない。
古瀬聡子は、周囲からそう見えていなければならなかった。
やがて聡子は毛布を頭までかぶる。
その中で、ゆっくりと目を開いた。
先ほどまで浮かんでいた怯えが、表情から消える。
服の内側へ手を入れ、小型の端末を取り出した。
参加者全員に配布されているPLAYER TERMINALとは違う。
画面には黒い背景と白い文字が浮かび上がった。
《EXTRA BULLET》
表示が切り替わる。
《2nd STAGE》
《ACTIVE PLAYER:14》
《GAME PROGRESS》
聡子の指が静かに画面を滑っていく。
参加者たちは、まだまとまりすぎている。
相馬の条件が明らかになった。
自分以外の13人全員の死亡確認。
それほど危険な条件を持つ人間が現れたにもかかわらず、彼らは相馬を追放しなかった。
疑いながらも話し合い、同じ場所で共存しようとしている。
聡子はしばらく画面を見つめていた。
やがて、音を立てないように小さく息を吐く。
「……まだ足りない」
昼間までの震えた声とは違う。
静かで、落ち着いた声だった。
端末の表示が切り替わる。
《GAME MASTER》
《古瀬 聡子》
彼女は15人の参加者の1人だった。
同時に――参加者ではなかった。
ゲームの進行を監視するため、最初から15人の中へ紛れ込んでいた運営側の人間。
参加者と同じように首輪をつけ、端末を持ち、怯えたふりをしながら彼らのすぐそばでゲームを見ていた。
進行を監視する。
必要なら介入する。
そして、ゲームが停滞すれば――動かす。
聡子は端末を閉じた。
毛布の向こうでは、何も知らない参加者たちが眠っている。
もう1度、自分の首輪へ触れる。
それから聡子は、いつもの怯えた表情へ戻った。
「……明日は、少し動かさないと」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
翌日。
参加者たちが唯一安全だと思い始めていた場所は――その意味を失うことになる。




