第32話 近づく影
翌朝、誰よりも早く目を覚ましたのは美咲だった。
ほとんど眠れていない。
目を閉じるたびに、昨日の管理小屋で聞いた銃声と、森の中に立っていた人影が何度も頭の中に蘇った。
「……」
美咲は周囲を起こさないよう、ゆっくりと身体を起こした。
すぐ隣では美月が眠っている。
少し離れた場所には白石、高橋、佳子、詩織、藤堂、葵、黒田。そしてFIRST AID CASEを抱えるようにして眠っている聡子の姿もあった。
これだけの人間が同じ場所にいる。
それなのに、美咲の中から不安が消えることはなかった。
無意識に自分の首元へ触れる。
そこにはもう何もない。
あれほど外したかった首輪は、すでに自分の身体からなくなっている。
本来なら安心できるはずだった。
けれど今は、首輪が外れてからの方が怖くなったような気さえしていた。
*
「今日どうする?」
朝食を終えた頃、白石が全員に尋ねた。
すぐに答える者はいない。
蓮は地図を広げ、自分の端末と見比べていた。
まだ条件を達成していない参加者はいる。
蓮自身も、その1人だった。
《PLAYER 01 個別クリア条件》
《指定地点 A-01、C-03、F-04で端末認証を完了してください》
《3地点すべての認証完了後、最終認証地点が開示されます》
まだ1つも進めていない。
「そろそろ俺も条件を進める」
蓮が言うと、佳子がすぐに反応した。
「やっと条件を教えてくれる気になった?」
「それとこれとは別だ」
「ケチ」
「何とでも言え」
そのやり取りを聞いていた白石が笑う。
「蓮って意外と秘密主義だよな」
「お前が喋りすぎなんだ」
「ひどくない?」
少しだけ空気が軽くなった。
だが、その中で遠慮がちな声が聞こえた。
「私も……行っていい?」
聡子だった。
全員の視線が自分へ向いた瞬間、聡子は少し身体を縮める。
「あ……その……」
そばに置いてあるFIRST AID CASEの持ち手を両手で握った。
「1人になるの、怖くて……」
「もちろんいい」
蓮が答えると、聡子はほっとしたように息を吐いた。
「……ありがとう」
葵はそんな聡子の首元を一瞬だけ見た。
解除権限を持っているのに、まだ首輪を外していない。
どうしても理解できない部分はある。
それでも今日は何も言わなかった。
*
高橋も、自分の条件を進めることになった。
《RULE MARKER 1/3》
残り2つ。
葵のアップグレード端末なら物資の位置は分かるが、RULE MARKERの位置までは表示されない。
「結局、歩いて探すしかないか」
高橋が地図を見ながら言う。
「何か場所の特徴とかないの?」
佳子が尋ねた。
「ない。見つけたら読む。それだけだ」
「大変だね」
「お前は条件終わったんだろ」
高橋が何気なく返した直後、佳子の表情が少しだけ曇った。
「終わったけどね」
指先が首輪へ触れる。
条件は達成した。
しかし首輪は残ったままだ。
高橋も自分の失言に気づいた。
「……悪い」
「いいよ。外れないものは仕方ないし」
佳子は軽く笑ってみせた。
蓮はその横顔を黙って見ていた。
葵。
藤堂。
佳子。
3人とも条件を達成したにもかかわらず、首輪を外せなかった。
そして自分たちの知らない場所でも、同じことが起きているかもしれない。
何が違うのか。
なぜ同じゲームの中で結果が分かれるのか。
答えはまだ見つかっていなかった。
*
「2組に分かれよう」
蓮の提案で、その日の行動が決まった。
蓮、佳子、聡子、藤堂の4人は、蓮の最初の指定地点へ向かう。
高橋、白石、葵、詩織、黒田はRULE MARKERを探しながら周辺の物資を確認する。
そして美咲と美月は、拠点で休むことになった。
「2人で大丈夫?」
詩織が心配そうに聞く。
「昨日ほとんど寝てないから、今日は少し休むよ」
美月が答える。
「私も大丈夫」
美咲も笑った。
だが、蓮には気になることがあった。
昨日の銃撃。
その後も、美咲は誰かに見られていると言っている。
「やっぱり誰か残った方がいいんじゃないか?」
「大丈夫」
美咲は少し無理をしているような笑顔を見せた。
「2人いるから」
美月も頷く。
「何かあったら外には出ない。すぐ隠れるから」
蓮は数秒迷った。
それでも本人たちが休みたいと言っている以上、無理に連れ回す方が危険かもしれない。
「……絶対に1人にならないでくれ」
「分かった」
美咲はそう答えた。
*
森へ入った蓮たち4人は、藤堂を先頭にして進んでいた。
その後ろに蓮と佳子。
最後を聡子が歩いている。
――ガサッ。
「っ!」
突然、聡子が蓮の服を掴んだ。
蓮が振り返る。
「どうした?」
「今……何かいた」
聡子は怯えたように森の奥を見ていた。
藤堂も足を止め、周囲を確認する。
木々の間にも茂みの奥にも、人影らしいものは見えない。
「動物じゃない?」
佳子が言う。
「……そう、かな」
そこで聡子は、自分が蓮の服を掴んだままだと気づいた。
「あっ、ご、ごめん」
慌てて手を離す。
「いいよ」
「本当にごめん……」
「謝りすぎ」
佳子が少し呆れたように言った。
「え?」
「蓮の服を掴んだくらいで怒らないから」
「……うん」
聡子は少しだけ笑った。
それでも再び歩き始めてから、何度も後ろを確認していた。
*
しばらく進んだところで、蓮は端末を確認した。
《A-01》
「近い。この先だ」
木々を抜けると、小さな認証装置が見えてきた。
《A-01》
「これか」
藤堂が先に周囲を確認する。
人の気配はない。
蓮は端末を取り出した。
《PLAYER 01》
そして、その画面の隅には自分に割り当てられたアルファベットが表示されている。
《H》
他の3人から見えないよう端末を少し傾け、すぐに認証画面へ切り替えた。
端末を装置へかざす。
――ピッ。
《A-01 認証完了》
《1/3》
これで最初の1つ。
「見せてよ」
隣から佳子が覗き込もうとする。
蓮はすぐに画面を伏せた。
「嫌だ」
「ほんとケチ」
「それ、さっきも聞いた」
藤堂が2人のやり取りを見て小さく笑う。
聡子もつられるように笑った。
ほんの一瞬だけ、昨日までと変わらない空気が戻った。
その直後だった。
――パンッ。
遠くから乾いた音が響いた。
全員の表情が変わる。
「……また?」
佳子が森の向こうを見る。
銃声。
昨日と同じ音だった。
だが、聞こえてきた方向が違う。
蓮はすぐに方角を確認した。
そして気づく。
「……拠点の方だ」
嫌な予感が全身を駆け抜けた。
蓮は端末をしまうと、来た道を走り出した。
*
その少し前。
拠点で休んでいた美月が目を覚ました。
「……美咲?」
返事がない。
身体を起こして周囲を見回す。
さっきまで、すぐ近くにいたはずだった。
「美咲?」
立ち上がった美月は、入口が開いていることに気づいた。
「……嘘」
蓮に言われたばかりだった。
絶対に1人にならない。
美咲も分かったと答えていた。
「美咲!」
美月は慌てて外へ出た。
水場を見る。
いない。
建物の裏にも姿はない。
その時、森へ続く場所に何かが落ちていることに気づいた。
水を入れるために使っていた容器だった。
美月の顔色が変わる。
「美咲……?」
森へ向かって数歩進む。
その瞬間だった。
――パンッ。
すぐ近くで銃声が響いた。
「……!」
美月は反射的にその場へしゃがみ込んだ。
昨日よりもはるかに近い。
身体が震える。
怖い。
それでも、その感情より先に美咲の顔が浮かんだ。
「美咲!」
美月は立ち上がると、そのまま森へ飛び込んだ。
「美咲!」
枝をかき分け、木の根につまずきそうになりながら走る。
そして、見つけた。
「……え」
木の根元に誰かが倒れている。
美月の足が止まった。
「美……咲?」
返事はない。
1歩。
さらに1歩。
「ねえ……」
倒れている人物が着ている服を、美月が間違えるはずはなかった。
「美咲!」
駆け寄り、地面に膝をつく。
「起きて! 美咲!」
肩へ手を伸ばす。
反応はない。
「ねえ、起きてよ!」
その時、美月の動きが止まった。
手に何かがついている。
赤い。
血だった。
「……いや」
喉が締まり、声がうまく出ない。
「いや……」
美月は震えながら少し後ろへ下がった。
美咲は動かない。
その首には、当然ながら首輪はない。
「美咲……?」
静かな森の中で、答える者はいなかった。
*
――ピッ。
突然、美月の端末から電子音が鳴った。
「……?」
美月は震える手で端末を取り出した。
《SYSTEM MESSAGE》
何を意味しているのか理解できないまま、画面を見つめる。
1秒。
2秒。
そして次の瞬間。
島中に存在するすべての参加者の端末が、ほぼ同時に電子音を響かせた。
――ピッ。
*
拠点へ向かって走っていた蓮が足を止めた。
「何だ……?」
佳子も藤堂も、自分の端末を取り出している。
聡子も同じだった。
画面を確認した瞬間、聡子が小さく息を呑み、自分の首輪を押さえた。
画面は黒。
中央に、白い文字が浮かび上がる。
《参加者の死亡を確認しました》
蓮の目が見開かれた。
「……死んだ?」
佳子が口元を押さえる。
藤堂の表情も険しくなる。
「誰だ……?」
聡子は青ざめた顔で蓮のすぐ近くまで寄ってきた。
「だ、誰が……?」
しかし、その問いに答えるより先に表示が切り替わった。
《1st STAGE 終了》
「……は?」
蓮は端末を凝視した。
意味を理解する暇さえ与えられない。
《ゲームルールを更新します》
《個別クリア条件を再設定します》
画面が一度暗転する。
そして、
《2nd STAGEを開始します》
という文字が表示された。
「待って……」
佳子は自分の首輪を押さえた。
葵。
藤堂。
佳子。
1st STAGEの条件を達成したにもかかわらず、首輪を外せなかった者たち。
蓮の胸に嫌な予感が広がる。
端末がもう1度震えた。
《NEW CONDITION》
蓮は画面へ指を伸ばしかけた。
だが、すぐには開けなかった。
見るのが怖い。
その感情が、はっきりとあった。
なぜなら、ようやく理解したからだ。
今まで自分たちが進めてきたゲームは、ここで終わった。
協力すれば条件を達成できた1st STAGEは、参加者が1人死んだ瞬間に強制的に終了した。
そして今――別のゲームが始まろうとしている。
*
森の中。
美月の端末にも同じ表示が出ていた。
《2nd STAGE》
だが、美月は見ていなかった。
目の前にいる美咲の肩を何度も揺らしている。
「……起きてよ」
返事はない。
「ねえ、美咲」
声が少しずつ崩れていく。
「一緒に帰るって……」
昨日、2人で首輪を外した。
生きて帰れるかもしれないと思った。
少なくとも、あの時はそう信じられた。
美月は美咲のそばから動けなかった。
その少し離れた場所では、木々の奥を1つの人影が静かに移動していた。
やがて、その気配は森の奥へ消えていく。
美月は気づかない。
美咲を撃ったのが誰なのか。
なぜ撃ったのか。
昨日の銃撃と同じ人物なのか。
何1つ分からないまま――佐伯美咲の死によって、エクストラバレットの2nd STAGEが始まった。




