第30話 銃声の先
――パンッ。
森の向こうから響いた乾いた音は、たった1発だった。
その後は何も聞こえない。
「……銃だよな」
白石が呟いたが、誰も答えなかった。
蓮は銃声が聞こえた方向を見つめていた。
頭に浮かんだのは、葵のアップグレード端末に表示されていた拳銃だった。特殊物資として存在していたそれは、ある時突然、地図上から姿を消した。
誰かが回収した。
分かっているのは、それだけだ。
「行くの?」
佳子に聞かれ、蓮はすぐには答えなかった。
拳銃を持っている人間がいるかもしれない場所へ、自分たちから近づくことになる。当然、危険なのは分かっている。
「……確認するべきだ」
高橋が言った。
「待て」
蓮はすぐに止めた。
「全員で行く必要はない」
「でも、誰か撃たれたかもしれない」
佳子の言葉に、蓮は彼女の首元を見た。
佳子は条件を達成した。それでも首輪は外れていない。
「だからこそだ。銃を持ってる奴がまだ近くにいる可能性がある」
白石は無意識に自分の首へ触れた。
そこにはもう、首輪がない。
「だったら俺が行く」
「1人では行かせない」
「でも俺なら、首輪は――」
「首輪だけが危険じゃないだろ」
蓮に遮られ、白石は黙った。
「俺も行く」
高橋も続く。
佳子は蓮を見た。
「蓮も行くんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ私も」
「佳子は――」
「嫌」
迷いのない即答だった。
「また私だけ置いていくつもり?」
「そういう話じゃない」
「だったら行く」
しばらく視線をぶつけ合った末、蓮の方が折れた。
「……分かった」
「最初からそう言えばいいの」
そこへ葵も端末を手にして立ち上がった。
「私も行く」
「葵は戻った方がいい」
「拳銃について何か分かるかもしれない」
蓮は彼女の端末を見る。
「回収された拳銃を追跡できるのか?」
「それはできない」
「だったら――」
「でも、他の物資情報は見られる。近くに何かあるかもしれないし、持っていった方がいいでしょ」
確かに、アップグレードされた葵の端末から得られる情報は多い。
結局、蓮、佳子、高橋、白石、葵の5人で銃声が聞こえた方向へ向かうことになった。
*
古びた管理小屋の中では、佐伯美咲が目を閉じたまま動けずにいた。
耳鳴りがひどい。
何も聞こえないと思っていたが、少しずつ周囲の音が戻ってくる。
荒い呼吸。
自分のものだけではない。
「……美月?」
美咲は目を開けた。
少し離れた床に、橘美月が座り込んでいる。
「美月!」
慌てて駆け寄ると、美月は震えながらも顔を上げた。
「大丈夫!?」
「……うん」
撃たれてはいない。
美咲も自分の身体を確かめたが、血はどこにもついていなかった。
では、弾はどこへ行ったのか。
2人が恐る恐る周囲を見ると、すぐ横の壁が大きく抉れていた。
「外れた……?」
美咲は入口を見る。
そこにはもう誰もいなかった。
拳銃を持っていた人影は、銃声の後に姿を消している。
「何だったの……」
美月の声は震えていた。
美咲にも分からない。
あの距離だ。
本当に殺すつもりだったのなら、外したのは偶然なのか。
それとも、最初から当てるつもりがなかったのか。
考えたところで答えは出ない。
「ここから出よう」
美咲が言った。
「でも、まだ外にいるかもしれない」
「ここにいる方が怖いよ」
美月は少し迷った後、壁に手をつきながら立ち上がった。
2人は正面の扉を避け、裏口から出られないか確かめることにした。
*
「こっち」
葵の声に従い、蓮たちは森の中を走っていた。
手掛かりは銃声が聞こえた方角だけだった。木々に囲まれた森では音が反響し、正確な距離までは分からない。
「まだ?」
走りながら白石が聞く。
「分からない」
「分からないって――」
「音しか手掛かりがないんだから仕方ないでしょ!」
葵の声にも焦りが滲む。
その時、高橋が突然足を止めた。
「待て」
全員が止まる。
「何?」
佳子が聞くと、高橋は地面を指した。
複数の足跡が残っている。
蓮もしゃがんで確認した。
「新しいな」
踏み崩された土がまだ湿っている。
「こっちに向かってる?」
白石が足跡を目で追う。
「いや、逆もある」
高橋は首を振った。
足跡はいくつかの方向に交差している。
誰かがここを通った。
そして、別の誰かが逆方向へ移動した可能性もある。
「2人以上ってこと?」
佳子が尋ねる。
「それも分からない。同じ奴が往復した可能性もある」
蓮は立ち上がり、森の奥を見た。
「急ごう」
*
その頃、拠点では藤堂が自分の端末を見つめていた。
《個別クリア条件:達成》
何度確認しても表示は変わらない。
解除権限は与えられていなかった。
藤堂は無意識に首輪へ触れた。
「まだ出ない?」
詩織が心配そうに聞く。
「ああ」
「葵も同じだったんだよね」
「らしいな」
藤堂は端末を伏せた。
「今は待つしかない」
「システムの処理が遅れてるだけかもしれないし」
聡子がそう言うと、藤堂は彼女を見る。
「だったらいいが」
「きっと大丈夫」
聡子は小さく笑った。
少し離れた場所にいた黒田が、そんな彼女を黙って見ている。
やがて聡子もその視線に気づいた。
「何?」
「いや」
「さっきから私のこと見てない?」
「気のせいだ」
聡子は少しだけ笑った。
「葵にも同じこと言ってたね」
黒田の表情が、ほんのわずかに変わった。
そのやり取りを見ていた詩織が、ためらいながら口を開く。
「黒田さん」
「何だ」
「本当に何も知らないんですか?」
「何の話だ」
「このゲームのこと」
黒田は答えなかった。
「葵さんが言いかけたことも気になってて……」
詩織は黒田の顔を見る。
「『あなた、前にも』って。あれって――」
――ピッ。
突然、電子音が響いた。
会話が途切れ、全員が自分の端末を確認する。
藤堂ではない。
黒田でもない。
詩織が持っているのは、壊れた端末だけだ。
「……私?」
聡子が自分の端末を取り出した。
画面には、
《SYSTEM MESSAGE》
と表示されている。
「何だ?」
藤堂が立ち上がった。
聡子は画面を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
「聡子?」
詩織に呼ばれ、ようやく聡子は端末を伏せる。
「……何でもない」
「見せろ」
黒田の声が低くなった。
聡子が彼を見る。
「どうして?」
「今まで個人にそんなシステムメッセージが来たことはない」
「解除権限についての確認だっただけ」
「なら見せられるだろ」
空気が一気に張り詰めた。
藤堂が2人の間へ入る。
「やめろ」
「だが――」
「今の時点で疑う材料はない」
黒田はそれでも聡子を見ていた。
聡子も視線を逸らさない。
やがて黒田の方が引いた。
「……そうだな」
聡子は何も言わず、端末を胸元へ戻した。
その画面に何が表示されていたのかは、誰にも見えなかった。
*
管理小屋にいた美月が、不意に顔を上げた。
「……聞こえた」
美咲も息を止める。
外から足音が近づいてくる。
しかも1人ではない。
「また……?」
美月は壁際へ下がった。
美咲は足元に落ちていた木片を拾い上げる。武器と呼べるようなものではないが、何も持たないよりはましだった。
「誰!」
美咲が叫ぶ。
外の足音が止まった。
短い沈黙の後、男の声が返ってくる。
「参加者だ!」
知らない声だった。
美咲は美月と顔を見合わせる。
「名前!」
「神谷蓮!」
美月が小さく息を吐いた。
「神谷……」
名前だけなら聞いたことがあった。
美咲は警戒を解かず、さらに聞く。
「他は!?」
「夢篠佳子、高橋健吾、白石悠真、水野葵!」
5人。
少なくとも1人ではない。
美咲は少し迷ってから、もう1つ確認した。
「武器持ってる!?」
「持ってない!」
返事を聞いた美咲は、ゆっくりと扉へ近づいた。
慎重に開く。
外に立っていたのは、蓮たち5人だった。
白石が美咲と美月の姿を確認し、ほっとしたように息を吐く。
「無事……?」
「今のところは」
美月が答えた。
蓮はすぐに小屋の中へ視線を向けた。
壁には新しい弾痕が残っている。
「撃たれたのか?」
「外れた」
美咲が答える。
「誰に?」
「分からない」
「顔は?」
「見えなかった。銃を撃ったら、すぐにいなくなった」
葵も小屋の中へ入り、抉れた壁を確認した。
「これ……拳銃だよね」
「たぶん」
美月が答える。
葵は自分の端末を取り出し、【特殊物資情報】を開いた。
以前存在していた拳銃のマーカーは、当然ながら消えたままだった。
「やっぱり追えない」
「撃った奴が持って逃げたなら、ここにいても分からないな」
高橋は入口付近から周囲を警戒していた。
蓮は美咲を見る。
「ここへ来る前に、誰か見なかったか?」
「相馬って人に会った」
その名前に、全員の表情が変わる。
「相馬直人?」
「たぶん。そう名乗ってた」
「そいつに撃たれた?」
「分からない」
美咲は首を振った。
「別れた後から誰かにつけられてる感じがした。でも、それが相馬だったのかは分からない。ここに来る前にも、別の気配があった気がする」
「別の?」
「分からないの。私にも……」
美咲自身、混乱しているようだった。
蓮はそれ以上追及しなかった。
相馬が怪しい。
そう考えることはできる。
だが、それだけで銃を撃った人間だと決めつけることはできない。
「とにかく戻ろう」
蓮が言った。
「ここに残る方が危険だ」
美月もすぐに頷いた。
美咲は最後にもう1度、銃弾で抉れた壁を見た。
あの人影は誰だったのか。
なぜ自分たちを撃ったのか。
そして――なぜ外したのか。
答えは何1つ分からなかった。
*
蓮たちが戻ってくるより少し前。
拠点で1人になった聡子は、先ほど届いたシステムメッセージをもう1度開いていた。
画面を見つめる。
しばらくして、聡子は何も言わずに表示を閉じた。
廊下の向こうから藤堂の声がする。
「聡子?」
「今行く」
返した声は、いつもと変わらない。
聡子は端末をしまい、普段と同じ表情に戻って立ち上がった。
何が表示されていたのか。
なぜそれを他の参加者に見せなかったのか。
その理由を知る者は、まだ誰もいない。
そして同じ頃、島のどこかでは別の端末が短く震えていた。
《SYSTEM ERROR》
一瞬だけ表示された文字は、持ち主が確認する間もなく画面から消えた。




