第26話 それぞれの一歩
翌朝、最初に目を覚ましたのは蓮だった。
まだ薄暗い建物の中では、壁にもたれたまま白石が眠り、その少し離れた場所では高橋が腕を組んで目を閉じている。藤堂、詩織、佳子もまだ起きる気配はない。
そして、その中には昨日までいなかった人間もいた。
古瀬聡子。
出会ってからまだ1日も経っていない女が、今では他の参加者たちと同じ建物で夜を越している。
蓮は少し離れた場所から、眠っている聡子を見た。
彼女のすぐ傍らには、昨日から抱えていたFIRST AID CASEが置かれている。眠っている間でさえ、手を伸ばせばすぐ届く位置から離さなかったらしい。
「……何?」
突然、聡子が目を開けた。
蓮は少しだけ気まずくなって視線を逸らす。
「いや、何でもない」
「見すぎ」
身体を起こした聡子は、最初にFIRST AID CASEへ手を伸ばした。そこにあることを確認してから、ようやく蓮を見る。
「悪い」
「別にいいけど」
聡子はケースへ手を置いたまま、小さく息を吐いた。
「今日、F-02へ行くから」
「藤堂と?」
「そのつもり」
「俺たちもついていく」
聡子がわずかに眉を上げた。
「私の条件なのに?」
「だからだ」
「まだ信用してない?」
蓮は少し考えた。
ここで取り繕っても仕方がない。
「まだ会ったばかりだからな」
「正直だね」
聡子は意外にも気を悪くした様子はなく、小さく笑った。
「嫌いじゃないよ、そういうの」
少し離れた場所では、いつの間にか目を覚ましていた黒田が2人の会話を聞いていた。
その首元には、もう何もない。
昨日まで当たり前のように存在していた金属製の首輪は、条件を達成したことで外れていた。
*
簡単な朝食を終えると、全員が地図を囲んだ。
昨日、黒田の首輪が実際に外れたことで、彼らの意識は明らかに変わっている。
ただ生き延びるだけではない。
個別クリア条件を達成することが、この島から生きて帰るための確かな一歩になる。
「今日の目的を決めよう」
蓮が地図を広げる。
白石は残されたD-04。
藤堂と聡子はF-02。
佳子には、葵の特殊物資情報によって場所が判明したWHITE CASEがある。
そして葵は、
「私は物資を探したい」
そう言った。
高橋が葵を見る。
「またか?」
「食料も水も減ってる。この人数なら補充できる時にした方がいい」
正論だった。
参加者が増えれば、それだけ必要な物資も増える。誰も反対する理由はない。
ただ、葵には別の目的もあった。
アップグレードされた端末の地図には、新たなSUPPLY BOXの位置が表示されている。
《PLAYER 08 個別クリア条件》
《島内のSUPPLY BOXを3つ開封してください》
《現在 2/3》
あと1つ。
それを開ければ条件を達成できる。
黒田は条件を達成し、本当に首輪を外した。昨日出会った三浦も、すでに解除に成功していた。
ならば自分も。
そう考えた瞬間、葵の手が無意識に首輪へ伸びていた。
「葵?」
隣にいた詩織が不思議そうに見る。
「何でもない」
葵はすぐに手を離した。
「今日はどう分ける?」
佳子が尋ねると、蓮は地図へ視線を戻した。
できるだけ多くの条件を同時に進めたい。
「白石。D-04は?」
「ここ」
白石が地図上の地点を指した。
「昨日のB-02より少し遠いくらい。そこまでじゃない」
「俺も行く」
高橋が言った。
昨日と同じ2人なら、動き方も分かっている。
「佳子のWHITE CASEは?」
蓮が聞くと、葵が自分の端末で位置を確認した。
「南東。ここからだとかなりある」
「今日中に往復できる?」
「できなくはないと思う。でも、何も起きなければって条件付き」
その言葉を聞いた佳子は、少し考えてから首を振った。
「なら私は後でいいよ。先に近い条件を終わらせよう」
「じゃあ俺からだな」
白石が嬉しそうに言う。
「調子に乗るな」
高橋が即座に返した。
「乗ってないって」
いつものやり取りに、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
*
最終的に、3組に分かれることになった。
白石と高橋はD-04。
葵、詩織、黒田はSUPPLY BOX。
そして蓮、佳子、藤堂、聡子の4人がF-02へ向かう。
「また蓮と一緒だね」
森へ入ってしばらくしたところで、佳子が隣を歩きながら言った。
「嫌なのか?」
「誰もそんなこと言ってないでしょ」
「ならいいだろ」
「そういう返しが可愛くない」
「俺に可愛さを求めるなよ」
佳子が楽しそうに笑った。
少し前では藤堂と聡子が並んで歩いている。聡子は相変わらずFIRST AID CASEを自分で抱えていた。
「重くないか?」
藤堂が聞く。
「平気」
「持つぞ」
「駄目」
即答だった。
藤堂が少し意外そうに見る。
「条件だから。私が運ばないと駄目かもしれない」
「そうか」
理由を聞くと、藤堂はそれ以上手伝おうとはしなかった。
後ろから2人を見ていた佳子が、蓮にだけ聞こえる程度の声で言う。
「真面目だね」
「ああ」
蓮も聡子の背中を見る。
少なくとも、今の彼女はそう見えた。
*
「おお、あった!」
D-04へ到着した白石が声を上げた。
「声を出すな」
「でもあった!」
「見れば分かる」
木々の間には、B-02とよく似た金属製の認証ポールが立っている。
《D-04》
間違いない。
白石はすぐに端末を取り出した。
昨日、B-02の認証は完了している。
ここでD-04を認証すれば、2つの指定地点を回るという条件を達成できる。
「やっとこれ外せる」
白石は嬉しそうに自分の首輪へ触れた。
「待て」
「また?」
「周囲を確認する」
「誰もいないって」
「お前は昨日も同じことを言った」
高橋は白石を下がらせると、周囲を慎重に確認した。
木々の陰、茂みの奥、足元に残された痕跡。
しばらく調べても、近くに人がいる気配はない。
「……いいぞ」
「よし」
白石は待ってましたとばかりに認証装置へ端末をかざした。
――ピッ。
《PLAYER 07》
《CHECK POINT D-04》
《認証完了》
画面の数字が切り替わる。
《2/2》
さらに、
《個別クリア条件を達成しました》
と表示された。
「きた」
白石の顔が一気に明るくなる。
高橋も横から画面を確認した。
《首輪解除権限を取得しました》
これで黒田と同じだ。
条件を達成し、首輪を外す権限を手に入れた。
ところが、さっきまであれほど喜んでいた白石の勢いが少しだけ弱くなった。
「……これでいいんだよな?」
「黒田はそれで外れた」
「分かってるけどさ」
白石は端末を首輪へ近づけながら、乾いた笑いを浮かべた。
「やっぱ直前になると怖いな。爆発したら笑えないよな」
「その時は笑う奴もいない」
「怖いこと言うなよ」
白石は大きく息を吐いた。
それから覚悟を決め、端末を首輪の認証部へ触れさせる。
――ピッ。
1秒。
2秒。
そして、
――カチャン。
金属音とともに首輪が開き、そのまま地面へ落ちた。
白石はしばらく動かなかった。
恐る恐る自分の首へ触れる。
何もない。
その事実を確認した瞬間、表情が弾けた。
「っしゃあ! 外れた! 本当に外れた!」
「声を出すな!」
「これは無理だろ!」
白石は何度も自分の首元を触りながら笑っていた。
高橋は呆れたようにその姿を見ていたが、ほんの少しだけ表情が緩んでいる。
「帰るぞ」
「高橋も早く外そうぜ」
「お前は俺の条件を知らないだろ」
「じゃあ教えてくれよ」
「断る」
「頑固だなあ」
白石は笑いながら、地面に落ちた首輪を拾った。
手の中で何度か転がしてから首を傾げる。
「これ、どうする?」
「持っていけ」
「何で?」
「何かに使えるかもしれない」
「こんなのが?」
白石には使い道など思いつかなかったが、高橋が言うならと首輪をバッグへ入れた。
*
その頃、葵たちも目的地へ到着していた。
「これだな」
黒田が岩陰を指す。
木の根に隠れるようにして置かれていたのは、葵が探していた黒い箱だった。
《SUPPLY》
その文字を見た瞬間、葵の鼓動が少しだけ速くなる。
3つ目。
これを開ければ条件を達成できる。
「開ける」
葵が前へ出ると、黒田が横目で見た。
「またお前か」
「私の端末で場所が分かったんだから、いいでしょ」
「……そうか」
黒田はそれ以上追及しなかった。
詩織も葵の隣へしゃがみ込む。
「何が入ってるかな」
「開ければ分かる」
葵は封印へ指をかけた。
――カチッ。
蓋が開いた瞬間、手にしていた端末が震えた。
葵はすぐに画面を見る。
《SUPPLY BOX OPENED》
《3/3》
続いて、
《個別クリア条件を達成しました》
という表示が現れた。
「……!」
葵は思わず息を呑んだ。
終わった。
これで自分も、黒田や白石と同じように首輪を外せる。
そう思った。
画面が切り替わる。
《認証中……》
葵は無意識に端末を強く握った。
1秒。
2秒。
3秒。
《条件達成を確認しました》
そこで表示が止まった。
「……え?」
葵は画面を見つめた。
待ってみる。
しかし、何も起きない。
もう1度【クリア条件】を開く。
《個別クリア条件:達成》
間違いなく条件は達成している。
だが、黒田や白石の端末に表示されたはずの、
《首輪解除権限を取得しました》
という文字がどこにもない。
「……なんで」
小さな声が漏れた。
「葵?」
詩織が顔を覗き込む。
「どうしたの?」
葵は答えなかった。
何度確認しても表示は変わらない。
その様子を見た黒田が近づいてくる。
「見せろ」
葵は黙って端末を差し出した。
黒田が画面を確認する。
その瞬間だった。
ほんのわずかに、黒田の表情が変わった。
他の人間なら気づかなかったかもしれない。
だが、葵は見逃さなかった。
「黒田」
「何だ」
「今の顔、何?」
「別に」
「何か知ってる?」
「知らない」
「嘘」
即答だった。
詩織が不安そうに2人を見比べる。
「どういうこと?」
黒田は答えない。
葵もそれ以上問い詰めず、自分の首輪へ手を伸ばした。
冷たい金属は、変わらずそこにある。
条件は達成した。
端末もそれを認めている。
それなのに、自分には首輪を外す権限が与えられなかった。
*
F-02は、森の中に作られた小さな設備だった。
周囲の一部がコンクリートで固められ、中央には認証装置が設置されている。
《F-02》
「ここだ」
藤堂が確認すると、聡子はようやくFIRST AID CASEを地面へ下ろした。
「どっちからやる?」
佳子が聞く。
「俺からやる」
藤堂が端末を取り出し、認証装置へかざした。
――ピッ。
《PLAYER 06》
《F-02 認証》
《待機計測を開始します》
《00:00:01》
「始まった」
藤堂が画面を確認する。
次は聡子だった。
FIRST AID CASEを装置の横に設けられた台へ置き、端末を認証部分へかざす。
――ピッ。
《PLAYER 15》
《指定物資を確認》
《FIRST AID CASE》
わずかな間を置いて表示が変わる。
《認証完了》
《個別クリア条件を達成しました》
「やったじゃん」
佳子が笑う。
「……うん」
聡子は自分の端末を見つめていた。
さらに画面が切り替わる。
《首輪解除権限を取得しました》
「外せるな」
蓮が言う。
聡子は無意識に自分の首輪へ触れた。
これで端末をかざせば外れる。
黒田がそうだったように。
三浦がそうだったように。
聡子は端末を持ち上げ、首輪へ近づけていく。
しかし、その手は途中で止まった。
「どうしたの?」
佳子が尋ねる。
「怖い?」
「……少し」
聡子は困ったように笑った。
「黒田さんが外れるところ、ちゃんと見たのにね」
もう1度、端末を首輪へ近づける。
残りは数センチ。
その時、別の電子音が響いた。
――ピッ。
藤堂の端末だった。
《待機時間 00:01:00》
聡子の手が止まる。
蓮はその動きを何となく見ていた。
聡子はしばらく首輪と端末を見つめた後、ゆっくりと手を下ろした。
「やっぱり……藤堂さんが終わってからにする」
「何で?」
佳子が聞く。
「一緒に外した方が安心するから」
藤堂が少し笑った。
「20分待たせるぞ」
「待つ」
聡子はFIRST AID CASEの横へ腰を下ろした。
端末には今も、
《首輪解除権限を取得しました》
と表示されている。
解除する権限を持っているのに、首輪を外さない。
蓮はその様子を見ながら、ほんの少しだけ違和感を覚えた。
怖いと言われれば、それまでだ。
自分だって実際に解除する瞬間になれば躊躇するかもしれない。
それでも、ここまで重いケースを運んできたのは首輪を外すためではなかったのか。
「蓮?」
佳子に呼ばれ、蓮は思考を切った。
「何でもない」
今は藤堂の条件が終わるのを待つ方が先だった。
*
D-04からの帰り道、白石は何度も自分の首元へ手をやっていた。
「軽い」
「何が」
「首」
「気のせいだ」
「いや、絶対軽いって。あれ結構重かったぞ」
「黙って歩け」
「高橋も早く外せばいいのに」
高橋は答えず、周囲を警戒しながら歩き続ける。
自分の条件はまだ終わっていない。
《RULE MARKER 1/3》
残り2つ。
「俺が手伝うよ」
白石が言った。
「何を」
「高橋の条件」
「知らないだろ」
「じゃあ教えて」
「断る」
「ほんと頑固だな」
白石は楽しそうに笑っていた。
首輪が外れたことで、明らかに気持ちが軽くなっている。
その時だった。
――ガサッ。
背後の茂みで音がした。
高橋が素早く振り返る。
「……」
「どうした?」
「いや……」
木々が風に揺れている。
目を凝らしても人影は見えない。
「行くぞ」
「はいはい」
2人は再び歩き始めた。
やがて、その姿が森の奥へ消えていく。
静寂が戻った。
誰もいなくなったはずの場所で、1本の木の陰からゆっくりと人影が姿を現す。
その人物は、白石たちが消えていった方向を見つめていた。
視線が追っていたのは、白石の背中。
正確には、そのバッグだった。
中には今、外された首輪が入っている。
人影はしばらくその方向を見つめた後、音も立てず森の奥へ消えていった。
*
同じ頃、F-02では藤堂の待機時間が終わりに近づいていた。
《00:18:47》
あと少し。
佳子は周囲を警戒し、蓮も森の中へ目を配っている。
聡子はFIRST AID CASEの横に座ったまま、自分の端末を握っていた。
その画面には今も、
《首輪解除権限を取得しました》
という文字が残されている。
聡子は一度だけ自分の首輪へ触れた。
だが、端末を近づけることはなかった。
何事もなかったように手を離す。
――ピッ。
藤堂の端末が鳴った。
《00:19:00》
「もうすぐだね」
佳子が言う。
「ああ」
藤堂は残り時間を確認しながら頷いた。
蓮も時計へ目を向けた。
島のあちこちで、それぞれの参加者が自分の条件を進めている。
白石悠真は条件を達成し、首輪を外した。
水野葵は条件を達成したにもかかわらず、解除権限を得られなかった。
古瀬聡子は解除権限を手に入れたのに、自ら首輪を外すことを止めた。
同じように個別クリア条件を与えられているはずなのに、結果は少しずつ食い違い始めていた。
その理由を、まだ誰も知らない。
ただ、これまで単純に見えていたゲームの仕組みが、少しずつ噛み合わなくなり始めていることだけは確かだった。




