第22話 最初の解除者
C-04の小さな広場で、橘美月と佐伯美咲は互いの様子をうかがっていた。
中央には金属製の認証装置が立っている。木々に囲まれたその場所で、装置の表面だけが朝の光を鈍く返していた。
「……あなたの条件、ここなの?」
美咲が尋ねた。
美月は端末を胸元へ引き寄せた。ここへ到着し、三十分離れずにいればいい。それだけの条件だったが、目の前の相手へ教えていいのかは分からなかった。
美咲が何をしようとしているのか、まだ知らない。自分がここに留まらなければならないと分かれば、邪魔をするかもしれない。
「先に聞いたのは私」
返事を待っていた美咲の口調が、少し強くなった。
「そっちが先に言ってよ」
「それなら、私も嫌」
会話が途切れた。
美咲も、自分の条件を伏せていた。装置を起動し、端末を認証すればいいと書かれている。だが、そこへ美月がどう関わるのかは分からなかった。
風が広場を抜け、二人の間で草が揺れた。
美月は小さく息を吐いた。
「……お互いに邪魔しない。それでいい?」
「何をするのかも分からないのに?」
「少なくとも、私はあなたに何もしない」
美咲はしばらく美月を見つめていたが、やがて頷いた。
「分かった。私も何もしない」
それ以上、相手を問い詰めることはしなかった。信用できたわけではない。それでも、睨み合っているだけでは何も進まなかった。
*
美月は広場の端へ移動し、端末を確かめた。
《指定地点 C-04に到達しました》
《滞在時間の計測を開始します》
《00:00:01》
数字が動き始めた。
美月は近くの地面へ腰を下ろし、肩の力を抜いた。あとは三十分、この場所から離れなければいい。
一方、美咲は中央の認証装置へ向かった。
その姿を見て、美月は顔を上げた。
「何をするの?」
「私の条件」
「その機械を使うの?」
「そう」
美月は立ち上がった。
「待って。動かしたら、どうなるの?」
「知らない」
「知らないのに触るの?」
美咲も足を止め、振り返った。
「使わないと、私の条件が終わらないから」
美月は黙った。
初めて、美咲が何をしなければならないのかを聞いた。装置を使うことが条件なら、ただ止めるのも違う気がした。
「私は……」
端末へ目を落とした。時間は進んでいる。
「ここに、三十分いないといけない」
「え?」
「C-04から離れなければ、それで条件達成」
美咲が驚いたように美月を見た。
「それだけ?」
「うん。そっちは?」
「この装置を起動して、端末を認証する。それだけ」
二人は顔を見合わせた。
美月は装置と、自分の立っている場所を見比べた。
「じゃあ、私がここにいても……」
「私は困らない」
「私も、美咲がそれを使っても、関係ないと思う」
美咲の口元から力が抜けた。
「……馬鹿みたい。あんなに警戒してたのに」
美月も小さく笑った。
相手が何をするか分からないだけで、邪魔をされるような気になっていた。話してしまえば、二人とも同じ場所で条件を満たせそうだった。
「認証、やって」
「いいの?」
「うん。私はここで待ってる」
美咲は頷き、装置へ向き直った。
*
端末をかざすと、短い電子音が鳴った。
《PLAYER AUTHENTICATION》
《PLAYER 14》
《認証中……》
二人が表示を見守っていると、装置の奥で重い音がした。
「何!?」
美月が身構え、美咲も反射的に下がった。
中央部分がゆっくり開き、小型のスキャナーがせり出してきた。
《端末を接触させてください》
美咲はその文字を読み、スキャナーへ目を向けた。端末を持つ手に力を込め、慎重に近づける。
電子音が鳴り、表示が緑色に変わった。
《認証完了》
ほぼ同時に、手元の端末にも文字が浮かんだ。
《個別クリア条件を達成しました》
「……できた」
美咲は画面を見つめたまま呟いた。
「本当に?」
美月が近づきかけたところで、さらに表示が続いた。
《首輪解除権限を取得しました》
《解除条件達成済み》
《端末を首輪認証部へ接触させてください》
美咲は片手で首元に触れた。
外せる。そう書かれているのに、すぐには端末を近づけられなかった。
条件を満たさずに認証すれば爆発するという説明が、頭から離れなかった。何かを見落としていないだろうか。今、本当に試していいのだろうか。
何度読み直しても、画面には《解除条件達成済み》と表示されていた。
「……やる」
美咲が言うと、美月が顔を上げた。
「本当に?」
「これを外すために、ここまで来たんだから」
手は震えていた。
美咲は端末を握り直し、首輪の認証部分へ近づけた。美月も口を閉じ、その動きを見つめた。
端末が触れ、電子音が鳴った。
何も起きなかった。
美咲は動けずに待った。ほんの数秒が長く感じられ、端末を離していいのかも分からなくなった。
接合部分で、小さな音がした。
「……え?」
首輪が開いた。
美咲が手を伸ばす前に、金属の輪は首元から滑り落ちた。地面へ当たる音に、美月の肩が揺れた。
二人とも、落ちた首輪を見ていた。
「……外れた」
美咲は恐る恐る首へ触れた。冷たい金属はなく、指先が直接肌に触れた。
「本当に……」
もう一度確かめる。首の後ろまで手を回し、何もないことを確かめたところで、ようやく息が漏れた。
美月は自分の首輪を握った。
条件を満たせば外れる。画面で読んだだけだった説明が、目の前で現実になった。
「私も、時間が来れば……」
端末を開くと、計測は続いていた。
《00:11:42》
残りは十八分余りだった。
「外せるよ」
美咲が言った。
まだ自分の首元に触れたまま、美月へ頷いた。
「ちゃんと、できる」
美月も頷き返した。三十分が過ぎるのを、初めて待ち遠しいと思えた。
*
島の別の場所で、三浦和也も認証装置の前に立っていた。
森の奥に設置されたそれを見つけ、端末で条件を確かめた。
《島内の3つの異なるエリアに設置された認証装置で端末を認証してください》
《現在 2/3》
「……これが最後か」
周囲へ目を向け、人影がないことを確かめた。それから装置へ端末をかざす。
電子音に続き、数字が切り替わった。
《認証完了》
《3/3》
《個別クリア条件を達成しました》
三浦は表示を読み直した。
続いて、首輪解除権限を取得したと告げられた。三か所を回り、認証した。それで条件は終わったらしい。
誰かに何かをさせる必要も、奪う必要もなかった。
三浦は首輪へ触れた。認証部分の位置を確かめ、端末を近づけたところで手が止まった。
表示は間違っていない。達成したと、はっきり書かれている。それでも、首にある物が爆発するかもしれないと思うと、指先が冷えた。
「……やるしかないか」
端末を接触させた。
数秒後、金属音がした。
首輪が開き、足元へ落ちた。
三浦はしばらく動かなかった。呼吸するたびに首元が軽く感じられ、何度か唾を呑み込んだ。
やがてしゃがみ、地面の輪を見た。触れずに眺めてから、小さく息を吐いた。
「……本当に、外れるんだな」
自分の首に手を当てた。そこに何もないことを確かめ、ようやく立ち上がった。
*
C-04では、美月が何度も端末を開いていた。
《00:28:51》
広場の中央近くへ移り、できるだけ境目から離れて座っていた。少し先には美咲がいる。外れた首輪は、二人から離れた地面に置かれていた。
「あと、一分くらいだね」
美咲が言った。
「うん」
「長かった?」
「めちゃくちゃ」
美月は画面を見たまま答えた。
「私なら、落ち着かなくて歩き回ってるかも」
「外へ出たら最初からかもしれないのに?」
「それは嫌だね」
美咲が笑い、美月も口元を緩めた。
さっきまで相手の動きが気になっていたのに、今は、こうして話していてくれるのがありがたかった。
《00:29:41》
美咲が覗き込んだ。
「あと十九秒」
「数えないで」
「十八」
「美咲」
「……分かった」
美咲は笑って口を閉じた。美月もつられて笑いかけたが、数字が最後の数秒へ入ると、画面から目を離せなくなった。
《00:29:57》
《00:29:58》
《00:29:59》
短い電子音が鳴った。
《指定滞在時間を達成しました》
《個別クリア条件を達成しました》
「……できた」
美月が呟くと、美咲が立ち上がった。
「おめでとう」
首輪解除権限の表示が続いた。美月は文字を確かめ、首元へ手を伸ばした。
美咲が外れるところを見た。それでも、今度は自分が試すのだと思うと、身体が強張った。
「……怖い」
「うん」
美咲はそばに立った。
「私も怖かった。でも、ちゃんと達成したって出てる」
美月はもう一度、表示を読んだ。
深呼吸をして、端末を持ち上げる。手が震え、認証部分へ近づけるだけなのに、なかなか位置が定まらなかった。
ようやく接触させると、電子音がした。
美月は思わず目を閉じた。
耳元で金属が外れる音がした。
目を開けたときには、首輪が滑り落ちていた。地面へ転がるのを見てから、両手で首を確かめた。
「……外れた」
肌へ触れ、喉元を撫でる。何もなかった。
美咲が笑った。それを見て、美月の顔にもようやく笑みが浮かんだ。
「帰れる……」
「まだ、七十二時間は終わってないよ」
「分かってる」
美月は頷いた。それでも、口元の笑みは消えなかった。
地面には二つの首輪があった。
あれを首に巻いたまま、時間が過ぎるのを待たなくていい。それだけで、この先を考える余裕が少し戻ってきた。
*
この時点で、佐伯美咲、橘美月、三浦和也の三人が首輪を外していた。
三人とも、与えられた条件を果たしただけだった。美月と美咲は互いの目的を話したことで、同じ場所で待てると分かった。三浦も、誰かと争うことなく最後の認証を終えていた。
だが、その事実を、ほかの参加者たちはまだ知らなかった。
真由はアップグレードデータを持ち、指定された認証地点へ向かっていた。相馬は残りのチェックポイントを探し、聡子は重いケースを運んでいた。
それぞれが、自分の条件を頼りに歩いている。先に首輪を外した者がいると知れば、希望を持てるかもしれない。反対に、自分との違いが気になる者もいるだろう。
島の中で得られる情報は、まだ誰にも同じようには届いていなかった。
*
莉奈も、最後の観測ポイントへ向かっていた。
端末で方角を確かめ、首元へ手を伸ばす。輪の表面を指先でなぞりながら、少し先のことを考えていた。
自分の条件が終われば、蓮のところへ戻れる。
まだ首輪をつけていた彼の姿を思い出し、口元を緩めた。
「蓮も……早く外してあげないと」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
その声を残して、莉奈は木々の間を歩いていった。




