第20話 二つ目のUSB
硬い床で目を覚ました蓮は、しばらく天井を見ていた。
窓から朝の光が差し込んでいる。夜の間、物音がするたびに目を開けていたせいか、身体が重かった。寝返りを打つと肩が痛み、首元では金属の輪が肌に触れた。
島へ来てから、一晩が過ぎた。
それでも、何かが解決したわけではなかった。中央広場には死体が残され、どこかには拳銃を持った人間がいる。名前も分からない女に襲われたことも、暗い森を逃げたことも、眠って忘れられるような出来事ではなかった。
「……寝た気がしない」
壁にもたれていた白石が、天井へ顔を向けた。
「結構寝てただろ」
高橋が言うと、白石は首を振った。
「身体は寝た。心が寝てない」
「意味が分からん」
「繊細なんだよ、俺」
「寝言も言ってたけどね」
佳子の言葉に、白石が顔を向けた。
「嘘だろ。何て?」
「知らない方がいいよ」
「そう言われると気になるんだけど」
蓮は起き上がり、二人のやり取りを聞いていた。床に座って朝の眠気を訴える姿だけなら、どこかへ泊まりに来た人間同士にも見えた。
首輪へ指を添えたところで、その感覚は途切れた。
「蓮」
葵が端末を持って近づいてきた。
「まだ残ってる」
画面には【特殊物資情報】が開かれていた。昨夜と同じ場所に印があり、触れると文字が表示された。
《端末アップグレードデータ》
少なくとも、一晩の間に回収されたわけではないらしかった。
「行くの?」
詩織が尋ねた。
蓮は画面を見たまま考えた。もう一台、更新できる端末が増えれば、葵と別れて動くときにも物資の場所を確かめられる。彼女の端末に何かあった場合にも、情報を失わずに済むかもしれない。
「確認には行こう。ただ、見つけてもすぐには触らない」
高橋が頷いた。
「それがいい」
「今度は誰が使うんだ?」
白石の問いに、蓮は顔を上げた。
「まだ決めない。まず、そこにあるか確かめてからだ」
葵が使ったときも、誰の端末を選ぶかで揉めた。手に入るかどうかも分からない段階で、同じ話を始めたくはなかった。
*
今回は八人で向かうことになった。
拠点を空けることには不安があったが、昨夜のような襲撃があれば、少人数ずつ離れている方が危険かもしれない。遠くない場所なら、一緒に確認して戻ろうという話に落ち着いた。
蓮と葵が先頭を歩いた。朝の森には薄い靄が残っていたが、昨夜と違って足元が見える。それだけでも、周囲を確かめながら進む余裕があった。
「あと五分くらいだと思う」
葵が地図を見て言った。
「昨日の女は、近くにいるかな」
後ろから佳子が尋ねた。
「分からない。いるつもりで気をつけた方がいい」
「……次に会ったら、名前くらい聞き出してよ」
「聞いたけど、答えなかった」
「もっと強く聞けば?」
「どうやって」
佳子は少し黙った。
「……知らない」
その後ろで、白石が高橋へ声を落とした。
「佳子、すごく気にしてない?」
「黙って歩け」
佳子が振り返ると、白石は慌てて前を向いた。
*
「止まって」
葵の声で、蓮は足を止めた。
前方で地面が途切れていた。近づきすぎないようにして覗くと、木々や岩の入り組んだ斜面が下へ続いている。絶壁というほどではなかったが、足を滑らせれば、そのまま下まで転がりそうだった。
「地図では?」
「この下」
葵が画面を傾けた。印は、確かに崖下の辺りを示していた。
「下りる道は出てるか?」
黒田が尋ねると、葵は縮尺を変えた。
「そこまでは分からない。直線なら、すぐなんだけど」
蓮は斜面を見た。下りるだけならできるかもしれない。だが、同じ場所を上がって戻れるかどうかは別だった。
「回り込めるところを探そう」
誰も反対しなかった。
*
崖下へたどり着くまでに、三十分ほどかかった。
地図の上では近く見えた場所も、実際に歩くと木々や岩に行く手を遮られた。足を置ける場所を探しながら進むうちに、会話も少なくなっていった。
「もう、この辺」
葵が立ち止まった。
目の前には岩壁があった。苔と草に覆われ、ところどころに細い亀裂が走っている。
「ここにあるの?」
詩織が周囲を見た。
「印は、ここを指してる」
葵は地図と岩壁を見比べた。だが、部品も箱も見当たらなかった。
「隠してあるのかな」
白石が岩の隙間へ目を向けた。
「離れすぎないように、周りを調べよう」
蓮が言うと、皆が手分けして探し始めた。草の陰や岩のくぼみ、不自然に重なった石のそばを確かめる。蓮も壁沿いに歩いたが、すぐには何も見つからなかった。
「これ」
佳子の声がした。
近づくと、岩壁の苔を退けた場所に、小さな金属板が埋め込まれていた。表面には見覚えのある文字があった。
《PLAYER TERMINAL》
「施設の入口と似てるな」
藤堂が言った。
文字の下には読み取り部分らしいものがあり、その近くに小さく表示されていた。
《AUTHENTICATION REQUIRED》
「認証が必要ってこと?」
詩織が尋ねた。
「そうみたいだな」
蓮は装置の周囲を見た。金属板だけがそこにあり、開け方を示す説明はなかった。
「触るのは、まだ待て」
高橋が言った。
蓮も頷いた。施設の扉は端末で開いたが、ここでも同じことが起きるとは限らない。
「俺がやろう」
藤堂が端末を取り出した。
「前にも、似た認証はした」
「でも、違う装置かもしれないよ」
詩織に言われ、藤堂は頷いた。
「分かってる」
「先に、ほかに何かないか確かめよう」
蓮が止めると、藤堂は端末を下ろした。
黒田と高橋が周囲へ目を向け、佳子たちも岩壁の続きを調べた。葵は位置を確かめ直した。
「印は、壁の向こう側みたい」
蓮は苔の生えた岩へ目を向けた。どこかが開く仕組みなのだろうか。自然の亀裂に混じって境目があるかもしれなかったが、見ただけでは分からなかった。
「蓮」
黒田に呼ばれ、振り返った。
彼は少し離れた地面にしゃがんでいた。土の上に、靴跡が残っている。
「ここまで来た人間がいる」
跡は森から岩壁へ向かい、認証装置の近くまで続いていた。そのそばには、再び森へ戻る向きの跡もあった。
「先に来たのに、取らなかったってこと?」
佳子が葵を見た。
「印は、まだある」
葵は画面を示した。
「認証できなかったのかも」
白石が言った。
蓮は装置へ視線を戻した。ここへ来た理由も、足跡がいつついたのかも分からない。だが、誰でも簡単に開けられるものではない可能性はあった。
「藤堂、頼めるか」
「ああ」
藤堂は装置の前へ進み、端末を読み取り部分へ近づけた。
短い電子音が鳴った。
《PLAYER AUTHENTICATION》
表示が切り替わった。
《PLAYER 06》
《認証中……》
藤堂は端末を近づけたまま待った。蓮もその首元と装置を交互に見た。
数秒後、低い警告音がして、表示が赤くなった。
《ACCESS DENIED》
「……駄目だった?」
詩織の声に、藤堂は端末を離した。
「らしいな」
首輪にも端末にも、見える変化はなかった。
続いて、装置に別の説明が現れた。
《ACCESS REQUIREMENT》
《指定条件を満たすPLAYERのみアクセス可能》
高橋が顔を近づけた。
「指定条件……何を満たせばいいんだ?」
続きを待ったが、それ以上は表示されなかった。
「みんな試してみる?」
白石が提案した。
「誰かは開けられるかもしれないだろ」
「少し待ってくれ」
蓮が言うと、白石は手を止めた。
「開けられたら、その人だけが何かの条件を満たしていることになる」
「それが分かると、まずいのか?」
「基準が分からないから、何とも言えない」
蓮は装置を見た。
番号なのか、端末に割り振られた文字なのか。あるいは、それ以外の事情が関わっているのか。認証できる者とできない者に分けられれば、互いにその理由を考えることになるだろう。
すでに藤堂が拒否されたことは、全員が知っていた。だからこそ、何も考えずに順番で試す気にはなれなかった。
「……どうするの?」
詩織に聞かれ、蓮はしばらく黙った。
ここまで来れば、手に入れたかった。だが、誰が使うのかも決まっていない。そのうえ、入手するために何を確かめられるのかも分からなくなった。
「一度、戻ろう」
「ええ? ここまで来たのに?」
白石が声を上げた。
「場所と、認証が必要なことは分かった。誰の端末を使うかも含めて、もう一度考えたい」
「その間に取られるかもしれないぞ」
「その可能性はある」
蓮は認めた。
「でも、今すぐ全員で試すのがいいかは、まだ分からない」
白石は装置を見たあと、ほかの者の顔を見回した。誰も端末を差し出そうとはしなかった。
*
岩壁を離れる前に、葵はもう一度地図を確かめた。
《端末アップグレードデータ》
印は残っていた。
「場所が分かっても、手に入るとは限らないんだね」
歩き始めてから、詩織が言った。
「そうみたい」
葵は画面を閉じた。
蓮は前を歩きながら、二人の会話を聞いていた。
葵が最初の部品を見つけたのは、運がよかったのかもしれない。少なくとも、今回のものは地図を頼りに来ても取れなかった。
今まで彼女の端末を見せてもらい、その情報を皆で使っていた。だが、更新できる機会そのものが限られているなら、その一台を失うことは、思っていた以上に大きな損失になる。
蓮は背後へ目を向け、葵が近くにいることを確かめた。
最後尾では、黒田が足を止めていた。
岩壁の方を振り返り、森の一点を見ている。
「黒田?」
高橋が呼んだ。
黒田はすぐには答えなかった。木の陰で何かが動いたように見えたが、目を凝らしても、それ以上の変化はなかった。
「……何でもない」
そう言って、再び歩き出した。
*
八人が立ち去って、数分が過ぎた。
静かになった岩壁の前へ、一人の人間が姿を現した。
蓮を追っていた女とは、別の参加者だった。
周囲へ目を配りながらも、足は迷わず認証装置へ向かった。苔を退けられた金属板の前で立ち止まり、自分の端末を取り出す。
読み取り部分へ近づけると、電子音が鳴った。
《PLAYER AUTHENTICATION》
《認証中……》
その人物は動かずに待った。
やがて、画面に緑色の文字が浮かんだ。
《ACCESS GRANTED》
岩壁の奥で、重いものが外れる音がした。
足元にかすかな振動が伝わり、苔に覆われた壁の一部が動き始めた。細い隙間が広がり、その向こうに暗い空間が現れる。
その人物は端末を下ろし、開いていく壁を見つめた。
先ほど八人が探していた場所が、今は目の前で開いていた。




