↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エクストラバレット  作者: ほむら
1章 エクストラバレット

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/176

第16話 森の女



誰かに見られているような感覚は、入口へ戻ってからも消えなかった。


 森で聞こえた物音も、順に揺れていた草も、それだけなら動物の仕業かもしれない。窓の近くに残された足跡も、藤堂が建物を見つけたときのものという可能性があった。


 それでも、蓮は何度も同じ場所へ目を向けていた。木々の陰に、何かを見落としている気がした。


「蓮」


 佳子に呼ばれ、振り返った。彼女は入口の内側に立っていた。


「そろそろ交代だって」


「ああ」


 答えながらも、視線はすぐ森へ戻った。佳子も隣へ来て、薄暗くなった木々の間を見た。


「……まだ気になる?」


「少しな」


「足跡のこと?」


「それもある。銃を持ってる奴が近くにいるかもしれないし」


 佳子はしばらく黙って森を見つめ、それから蓮へ顔を向けた。


「一人で調べに行かないでね」


「さっきから、そればっかりだな」


「行きそうだから言ってるの」


「行かない」


 佳子は疑うように蓮を見た。蓮が見返すと、ようやく小さく息を吐いた。


「……ならいい。何かあったら呼んで」


「ああ」


 佳子が中へ戻ったあと、蓮はもう一度、森へ目を向けた。葉の擦れる音が聞こえるだけで、人の姿はなかった。


     *


 交代を済ませてから、日が落ちきる前に建物の周囲を確認することになった。森へ入るのではなく、壁沿いを回り、近くに不審なものがないか確かめるだけだった。


 裏手へ回った蓮は、端末で現在地を見た。建物と、それを囲む森が表示されている。地図を眺めても、そこに誰かが潜んでいるかどうかは分からなかった。


 画面を消したとき、森の中で枝の折れる音がした。


 蓮は顔を上げた。


「誰だ」


 返事はなかった。木の幹と、重なった枝葉の向こうへ目を凝らす。


「黒田か?」


 やはり応答はない。


 その代わり、木々の間を影が横切った。ほんの一瞬だったが、草の揺れとは違う動きに見えた。


 蓮は追わなかった。暗くなり始めた森へ一人で入るのは危険だった。まず戻って知らせようと、身体の向きを変えた。


「待って」


 女の声がした。


 蓮は足を止め、ゆっくり振り返った。


 太い木の陰から、若い女が姿を現した。薄暗くて表情は見えにくかったが、首元には金属の輪が光っていた。


 蓮は距離を取り、手元へ目を向けた。


「そこで止まれ」


 女は素直に足を止めた。蓮の顔を見つめ、少し目を細めた。


「……怖い顔」


「端末は?」


「いきなり?」


「参加者なら持ってるだろ」


 女は小さく首を傾げた。


「持ってない」


「ない?」


「うん。失くしちゃった」


 口元に薄い笑みが浮かんでいた。


 蓮は背負ったバッグを意識した。中央広場で見つけた端末が入っている。だが、それを口にする前に、女の顔をもう一度見た。


「どこで失くした」


「さあ。忘れた」


「忘れた?」


 女は頷いた。


 蓮には、その軽さが理解できなかった。地図も、自分の条件も確認できなくなったはずなのに、困っている様子がない。詩織が壊れた画面を見つめていたときの不安とは、あまりに違っていた。


「名前は?」


 女は答えず、蓮を見ていた。


 顔から首輪へ、端末を持つ手へと視線が動き、また顔へ戻った。何かを確かめるような目つきだった。


「……何だ」


「やっぱり」


 女の笑みがわずかに深まった。


「神谷蓮」


 蓮は言葉を失った。


 まだ名乗っていなかった。目の前の女と話した覚えもない。


「何で、俺の名前を知ってる」


「聞こえたから」


「どこで」


「みんなが呼んでた」


 蓮は女の背後へ視線を走らせた。ほかに人影は見えなかった。


「いつから見てた?」


 女は答えなかった。


「建物の周りにいたのか?」


「警戒しすぎ」


「質問に答えろ」


「嫌」


 あっさりと拒まれた。拗ねたような口調だったが、蓮は笑えなかった。


 建物までは走れば戻れる。声を張れば、見張りにも届くはずだった。そう確かめてから、蓮は尋ねた。


「ほかにも一緒にいる奴は?」


「一緒にいる奴?」


 女の表情が、わずかに変わった。


「いないよ」


「一人か」


「うん。蓮は?」


「何が」


「あの人たち、仲間?」


 女が建物へ目を向けた。


「今は一緒にいる」


「ふうん」


 女は建物を見たまま、続けた。


「女の子もいたね。髪の長い子」


 蓮は眉を寄せた。


「もう一人いた。あと、ずっと端末を見てる子も」


 佳子と詩織、それに葵だろうか。たまたま建物を見かけただけで、そこまで気に留めるものだろうか。


「何が目的だ」


「別に」


「だったら、何で見てる」


 女は少し考えるように目を上げ、それから蓮へ視線を戻した。


「あなたがいたから」


「……俺?」


「うん」


 意味が分からなかった。


 初めて会った相手なのに、女は親しい人間に話しかけるように名前を呼ぶ。その距離の近さが、蓮を落ち着かなくさせた。


 女が一歩近づいた。


「止まれ」


 強く言うと、また足を止めた。


「何もしないよ」


「信用できると思うか?」


「思わない」


 即答し、女は楽しそうに笑った。


「でも、蓮は優しいんだね」


「何が」


「端末をなくした人を見つけても、いきなり襲ったりしない」


 蓮は女の顔を見つめた。


 失くしたと言われただけで、襲う理由などない。そう返そうとして、言葉が止まった。今の言い方には、それ以上の何かがあるように感じられた。


 自分が端末を持っていることを、知っているのだろうか。


「お前――」


「蓮!」


 建物の方から声がした。


 佳子だった。


「どこまで行ってるの!」


 女の笑みが消えた。


 声のした方へ向いた目が、急に冷たく見えた。


「……また、あの子」


「何?」


 蓮が聞き返すと、女はすぐに口元を緩めた。


「何でもない」


 そのまま一歩、木の陰へ下がった。


「待て。名前くらい言え」


「まだいい」


「まだ?」


「また会えるから」


 女は蓮を見たまま、後退した。


 蓮が足を踏み出しかけると、女は立ち止まった。


「蓮」


 薄暗い木々の間で、その声だけがはっきり聞こえた。


「その子と、あんまり仲良くしない方がいいよ」


「……どういう意味だ」


「じゃあね」


「待て!」


 女は身を翻した。


 蓮も反射的に数歩追ったが、木々の間を迷いなく抜けていく姿は、すぐに見えなくなった。追いつこうとすれば、こちらも森へ入らなければならない。


 蓮は足を止めた。


「くそ……」


 暗い茂みを見つめていると、背後から足音が近づいた。


「蓮、何してるの?」


 佳子だった。


「人がいた」


 彼女の表情が変わった。


「参加者?」


「首輪をつけた女だ」


「どこ?」


「逃げた」


 佳子は蓮の視線を追い、森を見た。


「……追わなくていいの?」


「ここから一人で追うのは危険だ」


 佳子は頷いた。それでも、蓮が黙ったままでいるのを不審に思ったらしく、顔を覗き込んできた。


「何を言われたの?」


 蓮は少し迷った。


 佳子と仲良くするなという言葉が、頭に残っていた。忠告なのか、ただこちらを惑わせたいだけなのかも分からない。


「俺の名前を知ってた」


「え?」


「名乗る前から。みんなが呼ぶのを聞いたと言ってた」


 佳子の顔が強張った。


「じゃあ、私たちを見てたってこと?」


「たぶんな。お前たちのことも話してた」


 佳子は森へ目を戻した。


「……気持ち悪いね」


 声を落とし、少し間を置いて尋ねた。


「ほかには?」


「端末を失くしたと言ってた」


 佳子が蓮を見た。


 二人の間に、短い沈黙が落ちた。


「まさか、蓮が持ってるやつ……」


「まだ分からない。本人のものだと確かめたわけじゃない」


 蓮はバッグへ手を添えた。


 女は端末を失くしたと言った。だが、探しているとも、見つけたら返してほしいとも言わなかった。こちらが持っていることを知らないのかもしれない。それなら、なぜ今まで姿を見せず、建物の周囲にいたのだろう。


 考えても、女の笑った顔ばかりが浮かんだ。


「戻ろう。みんなに話す」


 佳子が頷いた。


 二人は建物へ向かった。蓮は途中で一度振り返ったが、森に人影はなかった。


     *


 女は、離れた木の陰から二人を見ていた。


 佳子が蓮の隣を歩き、何かを話しかけている。蓮が顔を向け、短く答えた。その様子を追ううちに、女の口元から笑みが薄れていった。


 視線が佳子に止まった。


「……邪魔」


 低く落ちた声には、蓮と話していたときの柔らかさがなかった。


 だが、二人が建物へ近づく頃には、女はまた笑っていた。


「まあ、いいか」


 佳子から視線を外し、蓮の背中を見つめる。


「次は、二人で話そうね」


 誰にも届かない声で、女は囁いた。


「蓮」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。