第15話 視線
「拳銃が消えた?」
建物へ戻った蓮たちを迎え、高橋が聞き返した。
「ああ。葵の端末から、位置情報がなくなった」
蓮は持ち帰った保存食を床へ下ろした。葵が【特殊物資情報】を開くと、残っていた四人も集まってきた。
「誰かが取ったってこと?」
詩織の問いに、葵は頷いた。
「表示の説明どおりならね」
地図には、少し前まであった拳銃の印が見当たらなかった。白石も横から覗き込んでいたが、今回は何も言わず、画面を見つめていた。
「誰が回収したかは分からないのか?」
藤堂が尋ねた。
「そこまでは出ない。場所が消えただけ」
「いつ気づいた?」
「物資を見つけたあと。どのくらい前に消えていたのかまでは、分からない」
高橋は画面から顔を上げ、何か考えるように口を閉じた。
「帰り道に、足跡もあった」
黒田が付け加えると、白石が振り向いた。
「俺たち以外の?」
「ああ。比較的新しいものだった」
詩織が首元へ手を添えた。
拳銃の印が消えたことと、森の足跡。二つが同じ人物に関わるという証拠はない。それでも、別々の話として聞き流すことはできなかった。
「まだ会ってない七人の、誰かかな……」
詩織が呟いた。
今ここにいるのは八人だった。残る七人については、名前も、どこにいるのかも知らない。そのうちの誰かが銃を持っているのだとしたら、次に人と出会ったとき、何を見て安全だと判断すればいいのだろう。
「ここに来る可能性もあるよな」
白石が言った。
「ある。俺たちがここにいることを、もう知っているかもしれない」
高橋の返事に、白石が眉を寄せた。
「何で?」
「足跡を見つけたのは、帰り道なんだろ」
蓮が頷くと、高橋は続けた。
「近くにいて、お前らの動きを見ていた可能性もある」
蓮は黙った。
物資を運ぶことに気を取られ、周囲への注意が薄れた瞬間はあったかもしれない。足跡に気づくまで、誰かが近くを通ったことさえ分からなかった。
中央広場の壁にあった言葉を思い出した。
『見られている』
あれが運営による監視を指していたのか、それとも、もっと近くにいる誰かを恐れた言葉だったのか。今も分からなかった。
「蓮?」
詩織の声に顔を上げた。
「どうしたの?」
「……いや。何でもない」
蓮は荷物へ視線を戻した。父親の警告まで思い出しかけていたが、今それを話したところで、この状況を説明できるわけではなかった。
*
「入口は、誰かが見ていた方がいい」
藤堂が言った。
端末で認証する扉があっても、それだけで建物を守れるわけではなかった。正面の入口も窓もある。入ろうと思えば、別の方法を使えるかもしれない。
「交代で見張る?」
佳子が尋ねると、高橋が頷いた。
「夜も、全員では寝ない方がいい」
白石が窓へ目を向けた。
「もう夜の話?」
「暗くなってから決めるのか?」
「いや、そうじゃないけど」
白石は頭を掻いた。いつもならもう一言返しそうなところだったが、そのまま窓の外を見ていた。
蓮も森へ目を向けた。昼間でも木々の奥は見えにくい。夜になれば、建物のすぐ近くに誰かがいても、気づけないかもしれなかった。
*
持ち帰った物資を整理することになった。
詩織と佳子が水や保存食、救急用品を分け、藤堂と白石が箱を運ぶ。黒田と高橋は建物の出入口をもう一度確かめに行った。
蓮は少し離れた机にバッグを置いた。中から自分の端末を出し、続いて、中央広場で拾ったもう一台を取り出した。
画面を起動させると、短い電子音が鳴った。
《EXTRA BULLET》
動作に異常は見られなかった。だが、持ち主を確かめる手掛かりは、まだ見つけられていなかった。
「それ、広場にあったやつ?」
振り返ると、佳子が立っていた。
「ああ」
「持ってきてたんだ」
「誰かが取りに戻ったら、返せるようにしておこうと思って」
佳子は机の横まで来て、端末へ目を落とした。
「持ち主を探す?」
「見つかれば返す」
「相手が銃を持ってても?」
蓮は佳子を見た。
彼女は声を落としたが、冗談を言っている顔ではなかった。
「この端末の持ち主かもしれないんでしょ」
「可能性だけならな。でも、そうだと決まったわけじゃない」
「……そうね」
佳子はそれ以上言わず、画面を見つめた。
「これがないと、その人も地図や条件を確認できないんだよね」
「そうなるな」
詩織と同じように、ほかの誰かに見せてもらわなければ、ルールすら読み直せない。だが、その人間が誰かと一緒にいるのかも分からなかった。
「探してるかもしれないね。自分の端末を」
佳子の言葉に、蓮は手元へ視線を戻した。
その可能性は十分にあった。落としたことに気づいて、中央広場へ戻ったのかもしれない。自分たちが持ってきたために、見つけられずにいることも考えられた。
「一人で返しに行ったりしないでよ」
「しない」
即答すると、佳子が少し笑った。
「ならいい」
彼女は机から離れ、物資の整理へ戻った。
蓮は端末を置いた。持ち主が現れたとして、本人だとどう確かめればいいのか。そのことも、考えておく必要がありそうだった。
*
しばらくして、黒田が部屋へ顔を出した。
「蓮、来てくれ」
「どうした?」
黒田は廊下へ目を向けた。蓮は机の二台をそのままにして立ち上がり、あとを追った。
外には高橋もいた。二人が見ていたのは、建物の壁に近い地面だった。
「これだ」
黒田が指した先に、靴底の跡があった。
「俺たちのじゃないのか?」
「それぞれの靴は確かめた。少なくとも、俺たちの模様とは違う」
高橋が答え、少し先を示した。
壁際の雑草が踏まれ、その向こうにも薄い靴跡が残っていた。ただ、途中から地面が硬くなり、跡は見えなくなっている。
「いつついたものなんだ?」
「そこまでは分からない。藤堂が来たときのものかもしれない」
黒田はそう言い、窓へ目を向けた。
「ただ、入口へ向かうには、妙な位置だ」
蓮は跡と建物を見比べた。壁沿いに進んだようにも見える。すぐ近くには窓があった。
高橋が、そのガラス越しに中を見た。
「部屋を確かめるなら、ここから見える」
「……誰かが覗いていたってことか?」
「決まったわけじゃない」
黒田が答えた。
「だが、見張りは早めに始めた方がいい」
「みんなには?」
「まだ話してない。藤堂にも確かめてからでいいだろう」
蓮は周囲を見回した。
森にも、建物の角にも、人影はなかった。風に草が揺れているだけだった。それでも、窓のそばに立っている自分たちの姿が、どこから見えるのかを考えずにはいられなかった。
*
三人が建物へ戻ったあと、森の木陰で人影が動いた。
そこからは、窓の向こうを行き来する姿が見えた。箱を運ぶ白石と藤堂、物資を分ける詩織と佳子。葵も近くにいた。
やがて黒田と高橋が戻り、そのあとから蓮が部屋へ入った。
人影の視線が、蓮を追った。
蓮が腰を下ろした机には、端末が二台置かれていた。一台は蓮自身のもの。もう一台は、中央広場から持ち帰られたものだった。
木の陰で、指がわずかに曲がった。
それでも、建物へ向かうことはなかった。蓮の手元をしばらく見つめたあと、人影は再び幹の向こうへ身を隠した。
*
夕方、蓮は入口で見張りに立っていた。
交代までは、あと少しだった。建物の周囲にはまだ明るさが残っていたが、森の中は暗くなり始めている。昼間なら見えた幹の隙間も、今は影が重なり、奥行きが分かりにくかった。
蓮は何度目かの見回しをした。
誰かに見られているような気がしていた。だが、目を向けても何もない。足跡の話を聞いたせいで、気にしすぎているのかもしれなかった。
「……気のせいか」
呟いた直後、茂みが擦れる音がした。
蓮は顔を上げた。
「誰だ!」
声を飛ばしても、返事はなかった。入口から数歩だけ前へ出て、音のした辺りを見つめた。
「蓮?」
中から佳子が来た。
「どうしたの?」
「何か聞こえた」
佳子も隣に立ち、森へ目を向けた。
「動物じゃない?」
「かもしれない」
蓮は答えながら、茂みの下へ視線を移した。
草が揺れていた。手前の揺れが収まると、その奥で葉が動き、少し離れた場所でも細い枝が震えた。何かが離れていったようにも見えたが、風の通り道だったのかもしれない。
二人は黙って待った。
やがて草も動かなくなり、森は静かになった。蓮が目を凝らしても、そこには暗い葉の重なりしか見えなかった。
「……戻ろう。ここに立ってても、見えないよ」
佳子が言った。
蓮は頷いたが、すぐには背を向けられなかった。
中央広場の壁にあった『見られている』という文字が、また浮かんでいた。誰が、何のために見ているのかは分からない。そもそも、今の音が人の立てたものだったのかさえ確かめられていなかった。
それでも入口へ戻るとき、蓮は一度、肩越しに振り返った。
暗くなった森の中で、何かがこちらを見ているような気がした。




