第149話 疑惑の合流
廃屋の並ぶ路地を、御堂隼人と一ノ瀬美羽は走り続けていた。
背後から銃声が聞こえなくなっても、隼人は足を緩めようとしなかった。建物の角を曲がるたびに後ろを振り返り、追っ手がいないことを確かめる。だが、どれだけ距離を取っても、あの女の声と、結衣が倒れていた光景が頭から離れなかった。
撃たれた腕は、走るたびに激しく痛んだ。服の袖には血が滲み、指先にも痺れが広がっている。傷口を押さえようにも、美羽の手を引いているため、思うように動かせなかった。
「……隼人、もう……走れない……」
背後から聞こえた声に、隼人はようやく足を止めた。
美羽は肩で息をしながら、近くの壁に手をついた。顔は涙で濡れ、呼吸を整えようとしても、何度も嗚咽が混じってしまう。
「……結衣……」
美羽は俯いたまま、小さく名前を呼んだ。
「結衣、まだ生きてたのに……どうして……」
隼人は何も答えられなかった。
あの場に戻れば、自分たちまで殺される。それは分かっていたし、今でも判断を間違えたとは思いたくなかった。
しかし、結衣を置いて逃げたことも事実だった。
助けを求めていた少女を、二人で見捨てたのだ。
「……すまない」
隼人が呟くと、美羽は首を横に振った。
「隼人が悪いんじゃない……分かってる……でも……」
言葉の途中で声が詰まり、美羽は両手で顔を覆った。
隼人はその背中に手を伸ばしかけたが、結局、触れることができなかった。何を言っても慰めにはならない気がしたし、自分自身、結衣を置いてきたことをどう受け止めればいいのか分からなかった。
それでも、今は安全な場所を探さなければならない。あの女だけでなく、途中から現れた男も拳銃を持っていた。二人が追ってきていない保証はどこにもない。
「……少し休んだら移動するぞ。ここにいるのは危険だ」
美羽は涙を拭いながら頷いた。
そのときだった。
少し離れた建物の向こうから、人の話し声が聞こえた。
隼人は反射的に顔を上げ、腰のナイフへ手を伸ばした。声は複数あり、しかも、こちらへ近づいてきているようだった。
「……美羽、静かに」
隼人は小声で告げ、建物の角から慎重に様子を窺った。
道の向こうを、五人の男女が歩いていた。
男が二人、女が三人。そのうち一人の男は腕を負傷しているらしく、もう一人の男も疲れた表情をしていた。女たちにも傷があり、全員が無事というわけではなさそうだった。
隼人は息を潜めた。
五人組。
これまで遭遇した参加者の中でも、かなり大きな集団だった。
そして、先ほどの奈緒の言葉が頭をよぎる。
男一人に、女二人。
男に右手を撃たれた。
奈緒はそう話していた。
目の前にいる五人のうち、男は二人いる。どちらかが奈緒を撃った人物なのかもしれない。
もしそうなら、少なくともあの女と敵対していることになる。
だが、それだけで信用するわけにはいかなかった。奈緒を撃ったのが、単に参加者同士の殺し合いの結果だった可能性もある。あの女と敵対しているからといって、自分たちの味方とは限らないのだ。
「……隼人?」
美羽が不安そうに呼びかけた。
その声に反応したのか、五人組の先頭を歩いていた男が足を止めた。
「……誰かいるのか?」
男の声が聞こえた。
隼人は舌打ちしそうになったが、ここで逃げればかえって怪しまれる。少し迷った末、建物の陰から姿を現した。
「……俺たちは参加者だ。そっちに敵意はない」
隼人が声をかけると、五人の動きが一斉に止まった。
先頭にいた神谷蓮は、突然現れた男を警戒するように見つめた。
その隣には九条澪が立ち、少し後ろでは小宮千尋と片桐蒼真が足を止めている。最後尾にいた雨宮紗良も、蓮たちの様子を窺いながら前方へ視線を向けた。
「……二人か」
蓮は隼人の後ろにいる美羽を確認した。
少女は泣いているらしく、顔を俯けたまま、隼人の服を掴んでいた。男の方も腕を負傷している。血の滲んだ袖を見る限り、つい最近撃たれたようだった。
「……何かあったのか?」
蓮が尋ねた。
「その前に、そっちが何者なのか教えてくれ」
隼人は警戒を解かずに答えた。
蓮は少し眉を寄せたものの、無理に距離を詰めようとはしなかった。
「俺は神谷蓮。こっちは一緒に行動している参加者だ」
「……五人もいるのか」
「ああ。そっちは?」
「御堂隼人。こっちは一ノ瀬美羽だ」
隼人が名乗ると、美羽は小さく頭を下げた。しかし、その目からはまだ涙がこぼれていた。
蓮は二人の様子を見ながら、慎重に言葉を選んだ。
「……俺たちは今、参加者同士で協力してる。少なくとも、いきなり襲うつもりはない」
「そう言われても、簡単には信じられないな」
「それはお互い様だろ」
蓮の返答に、隼人は黙った。
確かに、その通りだった。
自分たちが相手を警戒しているように、向こうも突然現れた二人を信用できるはずがない。
隼人は五人の様子を改めて観察した。
そこで、あることに気づいた。
首輪がない者がいる。
小宮千尋と片桐蒼真だった。
ほかの参加者とは違い、二人の首元には金属製の首輪が見当たらない。
「……お前ら、首輪を外してるのか?」
隼人の視線に気づいた蒼真が、わずかに表情を強張らせた。千尋も無意識に首元へ手を伸ばしかける。
「……ああ」
蓮が代わりに答えた。
「二人はクリア条件を達成してる」
隼人は驚きを隠せなかった。
首輪を解除した参加者が、同じ集団に二人もいる。
結衣も首輪を外していたが、それは条件を満たした結果だった。つまり、目の前の二人も同じように、何らかの条件を達成したということになる。
ただし、条件の内容までは分からない。
参加者を殺さなければ達成できない条件も存在する以上、首輪がないことが安全の証明になるわけではなかった。
むしろ、隼人は別の不安を覚えた。
この五人は、どんな条件を達成してきたのだろうか。
その疑問が顔に出たのか、蓮が静かに口を開いた。
「……何か気になることでもあるのか?」
「いや……首輪を外してる奴が二人もいるとは思わなかっただけだ」
隼人はそう答えたが、蓮の表情は変わらなかった。
互いに相手の出方を窺うような沈黙が続く。
やがて、隼人は一度だけ美羽へ視線を向けた。少女はまだ俯いたまま、涙を拭っている。
これ以上、ここで警戒し合っていても仕方がなかった。
「……俺たちは、殺されそうになって逃げてきたんだ」
隼人が口を開くと、蓮の表情がわずかに変わった。
「……誰に?」
「女だ。右手に包帯を巻いてて、拳銃を持ってた。頬にも傷があった」
その説明を聞いた瞬間、蓮の目が細くなった。
千尋と澪も、互いに顔を見合わせる。
右手に包帯を巻いた女。
拳銃を持ち、参加者を殺そうとしている。
思い当たる人物は一人しかいなかった。
「……そいつ、どこにいた?」
蓮の声が低くなった。
隼人はその反応を見逃さなかった。
「……知ってるのか?」
「先に答えてくれ。どこで会った?」
「この先の廃屋が集まってる場所だ。そこで襲われた」
蓮は黙り込んだ。
奈緒がまだ近くにいる。
そう考えた瞬間、負傷した腕の痛みを思い出した。あの女は逃げたはずだったが、再び参加者を襲い始めているらしい。
「……やっぱり、あの女か」
蓮が小さく呟いた。
その言葉に、隼人は確信に近いものを覚えた。
「……お前ら、あいつと戦ったのか?」
蓮は少し迷ったあと、頷いた。
「ああ。こっちも襲われた。何とか追い払ったけどな」
隼人は蓮の負傷した腕へ目を向けた。
奈緒は、男一人に右手を撃たれたと言っていた。
目の前の男も負傷している。
この男が奈緒を撃ったのかもしれない。
もっとも、蓮がはっきりとそう言ったわけではない。隼人はまだ警戒を解かず、もう一人の男である蒼真にも視線を向けた。
「……そっちの男も一緒だったのか?」
蒼真は突然話を振られ、少し戸惑ったように顔を上げた。
「……いや、俺はその場にはいなかった」
「そうか……」
隼人は短く答えた。
奈緒の話に出てきた三人組と、今の五人組が同じ集団なのかもしれない。しかし、確かめるには情報が足りなかった。
それよりも、今は伝えなければならないことがあった。
「……気をつけた方がいい。あの女、まだ参加者を殺そうとしてる」
隼人は負傷した腕を押さえながら続けた。
「俺たちも襲われた。それに、途中から別の男まで現れたんだ。そいつも拳銃を持ってて、いきなり撃ってきた」
「……別の男?」
蓮が聞き返した。
「ああ。名前は知らない。俺たちは逃げるので精一杯だったからな」
隼人はそこで言葉を詰まらせた。
結衣のことを思い出したのだ。
あの場に置いてきた少女。
まだ息があった。
それでも、自分たちは助けることができなかった。
「……一緒にいた奴が、あの女に撃たれた」
隼人の声が沈んだ。
「俺たちが逃げるとき、まだ生きてたんだ。でも……助けられなかった」
蓮たちは黙って話を聞いていた。
隼人は俯き、拳を握りしめた。
「あの女は、トドメを刺すって言ってた。俺たちが逃げたあと、どうなったかは分からない。でも……」
そこから先の言葉は続かなかった。
美羽が小さく嗚咽を漏らしたからだった。
「……結衣……」
その名前を口にした途端、美羽の涙が再び溢れた。
「結衣、ごめんね……私、何もできなくて……」
美羽は両手で顔を覆い、声を押し殺そうとした。しかし、結衣が倒れていた姿を思い出すたびに、嗚咽が止まらなくなった。
「助けたかったのに……結衣、まだ生きてたのに……」
千尋はその姿を見て、胸が痛んだ。
自分たちも、これまで何人もの参加者が死んでいくのを見てきた。助けられなかった人間もいる。
だからこそ、美羽が何を悔やんでいるのか、少しは分かる気がした。
千尋が声をかけようとした、そのときだった。
「……結衣?」
それまで黙っていた紗良が、思わず声を漏らした。
美羽は涙に濡れた顔を上げた。
「……え?」
「今、結衣って言ったよね。もしかして、白川結衣さんのこと……?」
その名前を聞いた瞬間、隼人の表情が変わった。
「……知ってるのか?」
「うん……前に会ったことがあるの」
紗良は答えながら、美羽の顔を見つめた。
結衣とは長い時間を一緒に過ごしたわけではない。それでも、話したことのある相手だった。少なくとも、名前も顔も知らない参加者とは違う。
「……結衣さん、撃たれたの?」
美羽は唇を噛み、何度も頷いた。
「お腹を……撃たれて……私たち、助けようとしたんだけど……」
そこまで話すと、美羽は再び泣き崩れた。
紗良は何も言えなくなった。
この島では、すでに何人もの参加者が命を落としている。死んだ人間がいること自体は、今さら驚くような話ではなかった。
それでも、知っている人の名前を聞くと、胸の奥が重くなる。
「……そう、なんだ……」
紗良は俯いた。
結衣が本当に死んだのかは、まだ分からない。けれど、目の前で泣いている美羽を見れば、どれほど危険な状態だったのかは想像できた。
「……ごめんね。つらいこと、聞いちゃって」
美羽は何も答えず、小さく首を横に振った。
紗良はそれ以上、尋ねることができなかった。
少し離れた場所で、蓮は二人の様子を見守っていた。
結衣という少女のことを、蓮は詳しく知らない。それでも、隼人と美羽がどれほど追い詰められているのかは分かった。
しかも、二人を襲ったのは、あの女だった。
自分たちを襲い、千尋や澪を傷つけた女が、今度は別の参加者を撃ったというのだ。
蓮は無意識に拳を握りしめた。
あのとき、仕留めておくべきだったのかもしれない。
しかし、今さら悔やんでも、撃たれた少女が助かるわけではなかった。
「……お前ら、本当に協力してるだけなのか?」
隼人が尋ねた。
蓮はその問いに、すぐには答えなかった。
この島では、誰もが自分だけのクリア条件を持っている。協力している五人でさえ、すべてを無条件に信用できるわけではない。
それでも、ここまで一緒に行動してきた。互いに傷を負いながら、何とか生き延びてきたのだ。
「……ああ。少なくとも、今はな」
蓮は隼人をまっすぐ見て答えた。
「俺たちは、あの女に襲われた。お前らも同じなら、ここで争う理由はないだろ」
隼人は黙り込んだ。
確かに、目の前の五人が奈緒と敵対しているのなら、協力する価値はある。
しかし、二人も首輪を解除していることが気になった。
その二人がどんな条件を達成したのかも分からない。
簡単に信用することはできなかった。
「……少し考えさせてくれ」
隼人が言うと、蓮は頷いた。
「分かった。無理に一緒に来いとは言わない」
蓮はそう答えながら、周囲へ視線を向けた。
廃屋の並ぶ道は静まり返っている。しかし、奈緒が近くにいることは分かった。しかも、今度は別の武装した男まで現れたという。
これ以上、この場所に長居するのは危険だった。
「……ただ、ここで話してるのはまずい。あの女が戻ってくるかもしれない」
その言葉に、隼人も周囲を見回した。
先ほどまで追われていた恐怖が、再び胸の奥に広がってくる。
美羽はまだ泣いていた。
結衣の名前を小さく繰り返しながら、隼人の服を握りしめている。
蓮はそんな二人を見つめたあと、静かに言った。
「……とりあえず、ここから離れよう。話はそれからだ」
隼人はしばらく迷っていたが、やがて小さく頷いた。
五人を信用したわけではない。
だが、少なくとも今は、奈緒たちから逃れることが先だった。
そして紗良は、歩き始めた美羽の背中を見つめながら、結衣のことを考えていた。
白川結衣。
以前、言葉を交わしたことのある少女。
その少女が、今はどこかで倒れている。
まだ生きているのかもしれない。
けれど、助けに戻ろうとすれば、あの女と遭遇する可能性がある。
紗良は胸の奥に残る重苦しさを抱えたまま、蓮たちの後を追った。
自分にも、達成しなければならないクリア条件がある。
死亡した参加者の端末を三台集めること。
すでに二台は手に入れており、残りは一台だった。
島には、これまでの殺し合いで命を落とした参加者が何人もいる。どこに遺体が残されているのか、端末がまだ持ち去られていないのか、分からないことばかりだった。
どこを探せばいいのか。
誰の遺体を探しに行くべきなのか。
考えなければならないことは山ほどある。
しかし、今の紗良には、端末のことよりも結衣の安否が気になっていた。
できることなら、まだ生きていてほしい。
そう願いながら、紗良は夕暮れの道を歩き続けた。




