第145話 合流
森を抜けた先には、古びた家屋が点在する小さな集落が広がっていた。
片桐蒼真は木々の間から慎重に顔を出し、背後に追跡者の姿がないことを確かめてから、ようやく歩調を緩めた。長い間手入れされていないらしい道には雑草が伸び、道路脇の側溝には枯れ葉が溜まっている。人の気配は感じられなかったが、だからといって安心できるわけではない。
少し遅れて森から出てきた雨宮紗良は、道路へ足を踏み出したところで膝に手をつき、肩を大きく上下させた。
「……もう、無理。ちょっと休ませて……」
「ここまで来たんだから、もう少し頑張れよ。あいつが追ってこないとも限らないだろ」
「分かってるけど……蒼真と違って、こっちは撃たれてるんだからね……」
紗良は恨めしそうに顔を上げた。右頬には弾丸が掠めた傷が残り、乾きかけた血が顎の近くまで伸びている。幸い深い傷ではなさそうだったが、走るたびに頬が引きつり、じんじんとした痛みが続いていた。
蒼真もそれ以上は急かさず、集落の奥にある比較的大きな建物へ目を向けた。
色褪せた外壁に広い玄関、敷地の隅には文字の消えかけた案内板が立っている。かつては役場として使われていたらしいその建物なら、少なくとも身を隠す場所くらいはあるだろう。
「あそこまで行こう。中に誰もいなければ、少し休める」
「……うん」
紗良は頬を押さえながら頷き、蒼真のあとについて歩き始めた。
役場へ近づくにつれ、蒼真は周囲を警戒するようになった。玄関の扉は完全には閉まっておらず、建物の前には比較的新しい足跡が残っている。誰かが出入りした形跡がある以上、無人だと決めつけるのは危険だった。
蒼真が紗良へ静かにするよう合図した、そのときだった。
玄関の奥から、複数の足音が聞こえてきた。
蒼真は反射的に拳銃へ手を伸ばした。
ほどなくして扉が開き、一人の青年が姿を現した。その後ろには二人の少女が続いており、三人とも身体のどこかに怪我を負っているらしい。
先頭の青年も蒼真たちの存在に気づいたらしく、すぐに足を止めた。
「……誰だ?」
鋭い声とともに拳銃を向けられ、紗良が小さく悲鳴を上げた。
「待て待て! 撃つなって!」
蒼真は慌てて片手を上げたが、もう片方の手は拳銃から離さなかった。青年も警戒を解かず、背後の少女たちを庇うように立っている。
しばらく互いに睨み合っていたが、その緊張を破ったのは青年の後ろにいた少女だった。
「あれ……片桐さん?」
聞き覚えのない声に蒼真が顔を向けると、少女は少し驚いたような表情でこちらを見つめていた。
「……ん? お前、確か……」
「小宮千尋。覚えてる?」
「ああ、思い出した。最初の頃に会ったよな」
蒼真は少女の顔を見て、ゲームが始まって間もない頃の出来事を思い出した。あのときは互いにまだ状況を理解できておらず、落ち着いて話をする余裕もなかったが、顔には確かに見覚えがあった。
蓮は二人の顔を交互に見た。
「……千尋、こいつは?」
「前に会った人だよ。蓮が莉奈を埋める前に」
「だから、莉奈じゃないって言ってるだろ!」
蓮が即座に言い返すと、千尋は少し呆れたように笑った。
「まだ言ってるの? いい加減、認めたら?」
「何を認めるんだよ!」
「また怒られるよ?」
「だから、何で俺が怒られるんだよ!」
蓮は思わず声を荒らげたが、千尋は慣れた様子で受け流していた。
蒼真はそんな二人のやり取りを眺めながら、ようやく目の前の青年に見覚えがあることに気づいた。
「……ああ! お前、あのとき死体を漁って穴掘ってた奴か!」
「……その言い方、やめろ」
蓮が露骨に顔をしかめると、千尋は小さく吹き出した。
「ほら、やっぱりそう見えてたんだよ」
「千尋まで余計なこと言うな!」
その様子に蒼真は呆気に取られていたが、隣にいた紗良はとうとう我慢できなくなったらしい。
「……ねえ、ちょっと!」
三人の視線が紗良へ集まった。
「イチャイチャしてないで、誰なのか説明してくれない!?」
「イチャイチャなんかしてない!」
蓮と千尋の声が、ほとんど同時に重なった。
紗良は一瞬きょとんとしたあと、ますます呆れた顔になった。
「……息ぴったりじゃん」
「だから違うって!」
蓮が言い返す横で、千尋は少しだけ頬を赤くしていた。
蒼真は二人を見比べ、それから紗良の方へ顔を寄せた。
「……何か、変な奴らだな」
「蒼真も人のこと言えないと思うけど」
「何で俺まで言われるんだよ」
そんなやり取りをしていると、蓮が小さく咳払いをした。
「……神谷蓮だ。こっちは小宮千尋と九条澪」
「片桐蒼真。で、こっちが雨宮紗良」
「……よろしくお願いします」
澪が控えめに頭を下げる。
ようやく互いの名前を知ったところで、蓮は紗良の右頬に残る血に気づいた。
「……その怪我、どうした?」
その一言で、蒼真の表情が変わった。
「あっ……そうだった! こんなところで話してる場合じゃねえ!」
「……どういうことだ?」
「俺たち、さっきから銃を持った奴に追われてるんだよ!」
蓮が眉をひそめた。
「誰に?」
「桐生大和って奴だ。そいつが――」
言い終わるより早く、乾いた銃声が響いた。
役場の外壁が弾け、蒼真は咄嗟に紗良の身体を引き寄せた。
◇
銃弾は玄関脇の壁に当たり、乾いた破裂音とともに白い破片を撒き散らした。
蓮は反射的に千尋の肩を抱いて建物の陰へ押し込み、澪にも身を低くするよう合図した。蒼真は紗良を引きずるようにして壁際へ移動し、銃声のした方向を睨みつける。
「……くそっ! 追いついてきやがった!」
「どこから撃ってる?」
「森の方だ! さっきまであそこで撃ち合ってたんだよ!」
蒼真が指差した先には、集落へ続く道を挟んで木々が生い茂っていた。大和の姿は見えないが、銃声の間隔から考えて、こちらの動きを窺いながら撃っているのだろう。
蓮は壁の陰から一瞬だけ顔を出し、すぐに引っ込めた。
次の弾丸が玄関の窓を撃ち抜き、ガラスが床へ降り注ぐ。
千尋が肩を押さえながら身を縮めた。
「……蓮、どうするの?」
「ここにいたら危ない。裏から逃げるぞ」
蓮は短く答えたが、すぐに動こうとはしなかった。千尋は肩を撃たれており、澪も脇腹に傷を負っている。二人を連れて開けた場所へ飛び出せば、大和に狙われる可能性が高かった。
蒼真も同じことを考えたらしく、壁に背中を押しつけながら蓮へ顔を向けた。
「おい、どうするんだよ! あいつ、俺たちが動くの待ってるぞ!」
「分かってる。少し黙ってろ」
蓮は建物の裏手へ続く通路を確認した。玄関から直接逃げるよりは危険が少ないが、そこへ移動するまでに相手の注意を逸らす必要がある。
そこで、鞄の中にしまっていた手榴弾のことを思い出した。
地下の監視室を出る前、保管されていた装備を確かめた際に見つけたものだった。拳銃や予備の弾薬とともに置かれていたが、あのときは使うことになるとは思っていなかった。
蓮がそれを取り出すと、蒼真は目を見開いた。
「……おい、何だよそれ!」
「見れば分かるだろ」
「いや、分かるけど! 何でそんなもん持ってるんだよ!」
「説明してる時間はない」
蓮は手榴弾を握り、もう一度外の様子を確かめた。
大和が隠れている木々の手前には、崩れかけた石垣がある。その周囲は雑草に覆われており、爆発が起きれば相手もすぐにはこちらの動きを追えなくなるはずだった。
「俺が合図したら裏へ走れ。千尋と澪は無理するな。片桐、そっちの子を頼む」
「……分かった」
蒼真は頷き、紗良の腕を掴んだ。
紗良は手榴弾を見つめたまま、青ざめた顔で口を開いた。
「……ちょっと待って。本当にそれ、使うの?」
「使わなきゃ、こっちが撃たれる」
蓮はそう答え、全員が動けることを確認した。
再び銃声が響き、玄関の壁が砕ける。
蓮はその直後に身を乗り出し、手榴弾を石垣の方へ投げた。
「走れ!」
五人は一斉に動き出した。
建物の裏手へ回り込んだところで、背後から凄まじい爆発音が響いた。地面を震わせるような衝撃とともに、砕けた土や石が空中へ舞い上がり、役場の窓が激しく鳴った。
紗良は悲鳴を上げて頭を抱えたが、蒼真に腕を引かれて走り続けた。
蓮は千尋の背中を支えながら、澪がついてきていることを確かめた。二人とも負傷しているため速度は上がらないが、今は一秒でも早く建物から離れなければならない。
役場の裏手には、細い道が続いていた。
その先には古い民家や畑が点在し、建物の陰を利用すれば森からは見えにくくなる。
蓮は先頭に立ち、五人を集落の奥へ誘導した。
背後から追撃の銃声は聞こえてこなかったが、誰も足を止めようとはしなかった。
◇
大和は地面に伏せ、両腕で頭を庇っていた。
突然こちらへ投げ込まれた小さな物体を見た瞬間、嫌な予感がして身を投げ出した。その直後に爆発が起こり、耳をつんざく轟音とともに土砂が降り注いだ。
しばらくは耳鳴りが続き、周囲の音がうまく聞き取れなかった。
「……ぐっ……!」
大和は顔についた土を払い、ゆっくりと身体を起こした。
爆発した場所には小さな窪みができ、周囲の草木が引き裂かれている。
「……手榴弾だと……?」
大和は信じられないものを見るように、荒れた地面を見つめた。
拳銃だけではない。
この島には、あんなものまで持っている参加者がいる。
役場の方へ視線を向けたが、五人の姿はすでになかった。
「……くそっ!」
大和は近くの木を蹴りつけた。
せっかく見つけた獲物を、また逃がしてしまった。
しかし、すぐに追いかける気にはなれなかった。あの男が手榴弾をもう一個持っている可能性もあるし、銃撃戦でこちらの弾も減っている。
大和は拳銃を握りしめたまま、役場の裏手へ続く道を睨みつけた。
「……次は逃がさねえからな」
吐き捨てるように呟くと、ゆっくりと森の方へ引き返していった。
◇
五人が足を止めたのは、役場からかなり離れた場所にある古い農家の裏手だった。
敷地には背の高い雑草が生い茂り、納屋の屋根は一部が崩れ落ちている。人が暮らしていた頃の面影は残っているものの、長い間誰にも使われていないことは明らかだった。
蓮は周囲を確認し、追跡者の気配がないことを確かめてから、ようやく息を吐いた。
「……ここなら、少しは休めるだろう」
その言葉を聞いた途端、紗良は地面に座り込んだ。
「……もう、本当に死ぬかと思った……」
蒼真も近くの壁に背中を預け、荒い呼吸を整えた。
森で大和に撃たれてから、ほとんど休むことなく逃げ続けていた。腕や足には細かな擦り傷が増え、身体のあちこちが痛んでいる。
千尋は紗良の頬に残る傷へ目を向けた。
「……その怪我、見せてもらってもいい?」
「……うん。お願い」
紗良が頷くと、千尋は蓮から医療用品の入った袋を受け取り、傷の様子を確かめた。
弾丸が皮膚を浅く掠めただけのようだったが、血が乾いて汚れも付着している。千尋は慎重に傷の周囲を拭き、消毒を始めた。
「ちょっと染みるかもしれないけど、我慢してね」
「……っ、痛っ……!」
「ごめんね。もう少しだから」
千尋の手つきは決して慣れたものではなかったが、紗良が痛がるたびに声をかけ、できるだけ刺激しないよう気を配っていた。
その様子を横目に見ながら、蒼真は蓮へ顔を向けた。
「……なあ、神谷」
「何だ?」
「お前、何者なんだよ」
蓮は眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「さっきの手榴弾だよ。あんなもん普通は持ってないだろ。それに、銃の扱いにも慣れてるみたいだったし」
蒼真はそこで言葉を切り、少し考えてから続けた。
「……そういや、最初に会ったときも変だったよな。死体を漁って、穴掘って……」
「だから、その言い方はやめろって」
蓮が顔をしかめると、千尋が紗良の手当てをしながら口を挟んだ。
「蓮、また怒られるよ?」
「お前もその話を引っ張るな!」
千尋は小さく笑ったが、蒼真には二人が何を言い合っているのか分からなかった。
蓮は諦めたように息を吐き、蒼真へ視線を戻した。
「……前にも、似たようなゲームに参加したことがあるんだよ」
その言葉に、蒼真の表情が変わった。
「……は?」
「今回が初めてじゃないってことだ」
「……冗談だろ?」
「冗談でこんなこと言うかよ」
蓮はそれ以上詳しく説明しなかったが、蒼真はすぐには言葉を返せなかった。
自分はこの島に連れてこられたとき、何が起きているのかも分からなかった。突然首輪をつけられ、殺し合いを強いられ、今日まで何とか生き延びてきた。
それを以前にも経験している人間がいる。
そんなことが本当にあるのかと疑いたくなったが、先ほどの蓮の行動を思い返すと、完全に否定することもできなかった。
「……それで、お前らは?」
蓮が話題を変えた。
「桐生に追われてた理由を、もう少し詳しく聞かせてくれ」
蒼真は紗良をちらりと見てから、森で起きたことを説明した。
朝倉悠斗の死体を見つけたこと。紗良が端末を取ろうとした瞬間に撃たれたこと。そして、大和が自分のクリア条件を口にしたこと。
「……第二ステージが始まったとき、首輪をつけてた奴を全員殺すんだとさ」
その言葉を聞いた蓮は、しばらく黙り込んだ。
「……全員?」
「ああ。今外してても関係ないって言ってた」
千尋が顔を上げた。
「……そんな条件があるの?」
澪も不安そうに自分の首輪へ触れた。
蓮は考え込むように視線を落とした。
大和が言ったことが本当なら、首輪を外した参加者も安全ではない。ただし、第二ステージが始まる前に外していた者は対象にならないはずだった。
蓮は千尋を見た。
彼女は第一ステージで条件を達成し、すでに首輪を外している。
少なくとも、大和の言葉どおりなら千尋は対象外ということになる。
しかし、だからといって安心できるわけではなかった。相手が一人ひとりの状況を正確に把握しているとは限らないし、何より銃を向けられてから説明しても間に合わない。
「……厄介な奴だな」
蓮が呟くと、蒼真は苦々しく笑った。
「厄介どころじゃねえよ。あいつ、殺すことしか考えてないぞ」
蓮は頷き、それから蒼真の首元へ視線を移した。
「……そういえば、片桐」
「何だ?」
「お前、首輪を外してるんだな」
「ああ。条件を達成したからな」
蒼真は何気なく答えたが、蓮の表情がわずかに変わった。
「……外した首輪は、まだ持ってるか?」
蒼真は不思議そうに眉をひそめた。
「首輪?」
「ああ。捨ててないなら、譲ってほしい」
「……何でそんなもん欲しいんだよ」
蓮は少し迷ったあと、答えた。
「俺のクリア条件に必要なんだ」
蒼真はしばらく蓮を見つめていた。
「……お前の条件?」
「参加者の首輪を五つ集めること。それが俺に与えられた条件だ」
「……五つ?」
蒼真は驚いたように声を上げた。
「そんな条件もあるのかよ……」
蓮は頷いた。
「無理にとは言わない。ただ、もう必要ないなら譲ってくれると助かる」
蒼真は少し考え、それから鞄を開いた。
中を探ると、布に包んだ金属製の輪を取り出した。
「……ほらよ」
差し出された首輪を見て、蓮は目を見開いた。
「いいのか?」
「別に、持ってても仕方ないしな。捨てるのも何となく嫌だったから、鞄に入れっぱなしだっただけだ」
蓮は首輪を受け取り、静かに頷いた。
「……助かる。ありがとう」
「礼なんかいいって。それより、さっきは助かったしな」
蒼真はそう言って、地面に腰を下ろした。
蓮は受け取った首輪を確かめ、自分の鞄へしまった。
これで二つ目だった。
千尋から受け取ったものと、今の蒼真のもの。
必要な数は五つ。
まだ三つ足りない。
蓮は鞄の口を閉じ、顔を上げた。
少し離れた場所では、千尋が紗良の頬にガーゼを当てていた。澪もそのそばに座り、時折痛む脇腹を押さえながら、二人の会話を聞いている。
蒼真は地面に座ったまま、疲れたように空を見上げていた。
「……なあ、神谷」
「何だ?」
「このゲーム、本当に終わると思うか?」
蓮はすぐには答えなかった。
自分が以前参加したゲームも、終わるまでは何度も死を覚悟した。あのときも、生きて帰れる保証などどこにもなかった。
けれど、最後には生き残った。
だからこそ、今回も諦めるつもりはなかった。
「……終わらせるしかないだろ」
蓮が答えると、蒼真は小さく息を吐いた。
「……そうだな」
それ以上、二人は何も言わなかった。
農家の庭先には、夕方の風が吹き抜けていた。伸び放題になった雑草が静かに揺れ、どこか遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。
紗良は頬の処置を終えると、千尋に小さく礼を言った。
千尋も微笑んで頷いたが、その表情には疲労が滲んでいた。
誰もが傷を負い、疲れ切っていた。
それでも、今はこうして同じ場所に座り、互いの声を聞くことができている。
蓮は建物の向こうへ目を向けた。
大和が追ってくる気配は、まだなかった。




