第143話 一緒に行動
森を抜けた先には、かつて人が暮らしていたらしい小さな集落が広がっていた。
砂利道の両側に並ぶ木造家屋は、どれも長い年月をかけて朽ち果てていた。屋根瓦が崩れ、割れた窓から雑草が顔を覗かせている。庭先には錆びついた自転車や農具が放置され、風が吹くたびに、どこかの家の雨戸が乾いた音を立てた。
「……なんか、嫌な感じ」
一ノ瀬美羽はそう呟き、隣を歩く御堂隼人に視線を向けた。
「ねえ、ここって本当に誰も住んでないのかな?」
「少なくとも、今は住んでないだろうな」
「それは見れば分かるけどさ。昔は普通に生活してたんだよね?」
「だろうな」
「じゃあ、どうして誰もいなくなったんだろう」
「知らない」
「……もうちょっと会話を広げようとか思わない?」
美羽が不満そうに頬を膨らませると、隼人は面倒くさそうに息を吐いた。
「そんなこと考えてる暇があるなら、周りを見てろ。どこから誰が出てくるか分からないんだぞ」
「分かってるよ。だから話してるんじゃん」
「どういう理屈だよ」
「黙ってると、余計に怖くなるの」
そう言われ、隼人は返す言葉を失った。
美羽は何でもないことのように笑っていたが、その指先は無意識に首輪へ伸びていた。金属の冷たい感触を確かめるたび、自分がまだゲームの中にいるのだと思い知らされる。
何度触れても、首輪が消えることはない。
自分に与えられた条件は、PLAYER04の死亡を確認することだった。
名前も顔も分からない相手が死ぬのを待つ。それだけで助かるのなら簡単だと、最初は思おうとした。けれど、実際に参加者が殺されていく状況を目の当たりにすると、そんな考えを持った自分が恐ろしくなる。
「……隼人はさ」
「今度は何だ?」
「このゲーム、終わったらどうする?」
隼人は少し意外そうに美羽を見た。
「終わったら?」
「うん。無事に帰れたら、何したい?」
「……そんな先のこと、考えてない」
「えー、つまんない」
「お前はあるのか?」
「あるよ。おいしいもの食べて、お風呂にゆっくり入って、それから……」
そこまで言って、美羽は口を閉じた。
帰れるのだろうか。
自分は、本当にこの島から生きて出られるのだろうか。
考え始めると、さっきまで当たり前のように思い描いていた日常が、ひどく遠いものに感じられた。
「……やっぱり、何でもない」
美羽が笑顔を引っ込めると、隼人はしばらく彼女を見ていた。
「帰ってから考えればいいだろ」
「……え?」
「今は生き残ることだけ考えろ。それで十分だ」
ぶっきらぼうな言い方だったが、美羽は少しだけ表情を和らげた。
「……うん。そうだね」
二人は再び歩き始めた。
そのとき、風に混じって、かすかな声が聞こえた。
最初、美羽はどこかの家が軋んでいるのかと思った。しかし、もう一度耳を澄ませると、それが人のすすり泣く声だと分かった。
「……隼人」
「ああ。聞こえた」
隼人は足を止め、周囲を見回した。
声は道から少し外れた、崩れかけた家屋の裏手から聞こえてくる。
「誰かいるのかな……?」
「分からない。罠かもしれないから、迂闊に近づくなよ」
「でも、泣いてるんだよ?」
「だからって信用できるとは限らないだろ」
隼人の言葉に、美羽は口をつぐんだ。
確かに、この島では誰もが自分のクリア条件を抱えている。助けを求めるふりをして相手を誘い込む者がいても、不思議ではなかった。
それでも、聞こえてくる声を無視して通り過ぎることはできなかった。
「……ちょっとだけ、確認しようよ」
隼人は渋い顔をしたが、結局は頷いた。
「俺が先に行く。お前は後ろにいろ」
◇
白川結衣は、崩れかけた家の壁に背中を預け、膝を抱えていた。
どれくらい、こうしていただろう。
泣き疲れて涙が止まったと思っても、少し時間が経てば、また勝手に溢れてくる。目元は腫れ、喉はひりひりと痛んでいた。
先ほど出会った男の顔が、頭から離れなかった。
銃を持った男。
自分を見つけたとき、あの男は確かにこちらへ銃を向けようとしていた。
ところが、結衣の首元を確認すると、何かを考えるように動きを止め、そのまま去っていった。
助かった。
けれど、どうして助かったのか分からない。
首輪がなかったからだろうか。それなら、首輪をつけていたら殺されていたのだろうか。
そう考えるだけで、胃の奥が冷たくなった。
「……もう、嫌……」
結衣は膝に顔を埋めた。
誰にも会いたくなかった。
もう誰の顔も見たくないし、誰の声も聞きたくない。知らない人間が近づいてくるだけで、今度こそ殺されるのではないかと身体が震えてしまう。
それなのに、一人でいることにも耐えられなかった。
人の気配がない場所にいると、今度は誰かに見つけてもらいたくなる。
助けてほしい。
守ってほしい。
自分を一人にしないでほしい。
そんなことを考えるたび、結衣は自分が嫌になった。
琴音が死んだ。
あの子は、もう二度と帰ってこない。
目の前で起きた出来事を思い返すたび、胸が苦しくなる。けれど、結衣を最も苦しめていたのは、そのあとに自分が抱いた感情だった。
琴音が死んだことで、クリア条件が達成された。
端末に表示された文字を見たとき、結衣は確かに安堵した。
自分は助かったのだと。
首輪を外せるのだと。
ほんの一瞬、そう思ってしまった。
「……最低だよ、私……」
琴音が殺されたというのに、自分の命が助かったことを喜んでしまった。
琴音のことを思って泣いているのか、それとも自分が怖い思いをしたから泣いているのか。今では、それさえ分からなかった。
紗良と蒼真が去っていったあと、結衣は二人を追いかけることもできなかった。
蒼真が琴音を殺した。
その事実を知っている以上、あの男と一緒にいることなど考えられなかった。
けれど、紗良は蒼真についていった。
自分には理解できなかった。
どうして人を殺した相手と一緒にいられるのか。
どうして、あんなことがあったあとで平然としていられるのか。
そして、そんな二人を怖いと思う自分も、琴音の死によって助かった一人だった。
結衣は唇を噛んだ。
誰かを責める資格なんて、自分にはないのかもしれない。
そのときだった。
砂利を踏む音が聞こえた。
「……っ!」
結衣は顔を上げた。
誰かが近づいてくる。
心臓が激しく脈打ち、息が詰まりそうになった。
逃げなければ。
そう思ったのに、身体が動かなかった。
「……あの、大丈夫?」
家の角から、一人の少女が顔を覗かせた。
その後ろには、若い男が立っている。
結衣は反射的に後ずさった。
「い、いやっ……!」
立ち上がろうとして足がもつれ、地面に尻もちをつく。
「来ないで……!」
「えっ、ちょっと待って! 私たち、何もしないよ!」
「嘘……! お願い、殺さないで……!」
結衣は両腕で頭を庇った。
まただ。
また誰かに見つかってしまった。
今度こそ殺されるかもしれない。
そんな恐怖で頭がいっぱいになり、相手が何を言っているのかも、まともに理解できなかった。
「……美羽、下がれ」
男の声がした。
結衣はびくりと肩を震わせた。
「……落ち着け。俺たちはお前を襲いに来たわけじゃない」
男はそれ以上近づこうとせず、少し離れた場所で立ち止まった。
少女も同じように距離を取り、結衣の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。
「ごめんね、驚かせちゃって。私、一ノ瀬美羽っていうの。こっちは御堂隼人」
美羽と名乗った少女は、できるだけ穏やかな声で続けた。
「あなたは?」
結衣は答えられなかった。
名前を教えたら、何かされるかもしれない。
そう思った。
けれど、黙っていたら怒らせてしまうかもしれない。
結衣は二人の顔を交互に見ながら、震える声を絞り出した。
「……白川……結衣……」
「結衣ちゃんね。よろしく」
美羽は微笑んだ。
その笑顔が、結衣には怖かった。
どうして笑っていられるのだろう。
この島で、どうして初めて会った相手にそんな顔ができるのだろう。
優しくしておいて、あとから殺すつもりなのかもしれない。
そこまで考えたところで、結衣は自分が嫌になった。
この人は、まだ何もしていない。
それなのに、勝手に疑っている。
「……ごめんなさい……」
思わず口からこぼれた言葉に、美羽は首を傾げた。
「え? 何が?」
「……何でも、ない……」
結衣は俯いた。
◇
しばらくして、結衣はようやく少しずつ話せるようになった。
隼人が尋ねたのは、先ほど出会ったという銃を持った男のことだった。
「……背が高くて、怖い顔をしてて……銃を持ってたの」
「名前は聞いたか?」
結衣は首を横に振った。
「……何も聞いてない。私を見て、それから……」
言葉が途切れた。
銃口を向けられそうになった瞬間を思い出し、結衣は両手を握りしめる。
「……殺されると思った……」
「でも、何もされなかったんだな?」
「……うん。首のところを見られて……そのまま行っちゃった……」
結衣が首元に触れたのを見て、美羽が目を見開いた。
「……あれ? 結衣ちゃん、首輪は?」
結衣の顔が強張った。
無意識に首を隠そうとしたが、もう遅かった。
隼人も気づいたらしく、驚いたように眉を上げた。
「……お前、クリア条件を達成したのか?」
結衣は答えなかった。
言いたくなかった。
首輪を外せた理由を知られたら、琴音のことを聞かれるかもしれない。
そうなれば、自分がどんな人間なのかまで知られてしまう気がした。
「すごい……! もう首輪を外せたんだね!」
美羽は思わず声を上げた。
その言葉に、結衣の胸が痛んだ。
すごい。
何がすごいのだろう。
自分は何もしていない。
ただ、琴音が死んだだけなのに。
「……違う……」
結衣は小さく呟いた。
「え?」
「……すごくなんか、ない……」
美羽の表情が変わった。
結衣はそれ以上、何も言えなかった。
話せば泣いてしまいそうだったし、泣いたところで琴音が戻ってくるわけでもない。
隼人は何かを察したのか、それ以上クリア条件について尋ねようとはしなかった。
「……とにかく、ここに長居するのは危険だ」
隼人は周囲に目を向けた。
「その銃を持った男が、まだ近くにいる可能性もある」
結衣の身体が強張った。
また、あの男に会うかもしれない。
そう思っただけで、立ち上がることさえ怖くなった。
「ねえ、結衣ちゃん」
美羽が声をかけた。
「よかったら、私たちと一緒に行かない?」
結衣は顔を上げた。
「……え?」
「一人でいるの、怖いでしょ? 私たちも二人だけだし、三人の方が安心できると思うんだ」
結衣はすぐには答えられなかった。
嬉しかった。
誰かと一緒にいられるのなら、もう一人で怯えなくても済むかもしれない。
けれど、同時に恐ろしくなった。
この二人のクリア条件は何なのだろう。
もしかしたら、自分を殺すことが条件なのかもしれない。
首輪を外した参加者を殺すこと。
そんな条件があっても、おかしくはない。
そう考えると、差し伸べられた美羽の手さえ、簡単には取れなかった。
「……私、首輪がないけど……」
「うん?」
「……それでも、いいの?」
美羽は不思議そうに瞬きをした。
「どうして? 首輪がないからって、何か変わるの?」
結衣は何も答えられなかった。
美羽は少し考えてから、困ったように笑った。
「私たちだって、いつどうなるか分からないしさ。一人よりは、誰かと一緒の方がいいと思うんだ」
結衣は隼人に目を向けた。
男の人は、やっぱり怖かった。
さっき出会った銃を持った男を思い出してしまう。
その視線に気づいた隼人は、わずかに肩をすくめた。
「……俺は別に構わない。ただ、危険な場所にいることには変わりないぞ」
結衣は俯いた。
信じていいのだろうか。
もし裏切られたら。
もし、この二人も誰かを殺すつもりだったら。
疑いは次から次へと浮かんでくる。
それなのに、一緒に行きたいという気持ちも消えなかった。
自分は何て勝手なのだろう。
誰も信じられないくせに、誰かに守ってもらいたがっている。
自分の命だけは助けてほしいと願っている。
琴音が死んだときも、そうだった。
結衣は膝の上で握っていた手を、ゆっくりとほどいた。
「……私……」
声が震えた。
「……一緒に、行ってもいい……?」
美羽は笑顔になった。
「もちろん!」
差し出された手を、結衣はおそるおそる握った。
温かかった。
その温もりに触れた瞬間、また涙が溢れそうになった。
「……ありがとう……」
結衣は俯いたまま、小さく呟いた。
◇
三人は廃屋の陰を離れ、集落を通る砂利道へ戻った。
隼人が先頭を歩き、その少し後ろを美羽と結衣が並んで進む。
結衣はまだ落ち着かない様子で、何度も周囲を見回していた。
窓の割れた家の前を通るたび、誰かが中から飛び出してくるのではないかと身構えてしまう。後ろで小石が転がる音がすれば、反射的に振り返った。
「……結衣ちゃん、大丈夫?」
美羽が心配そうに尋ねた。
「……うん」
「疲れたら言ってね。どこかで少し休んでもいいし」
「……ありがとう……」
結衣は小さく頷いた。
けれど、美羽が少し近づいてきただけで、思わず身体を引いてしまった。
「あっ……ごめん」
美羽が足を止める。
「近すぎた?」
「……違うの……」
結衣は慌てて首を横に振った。
「……ごめんなさい……私……」
どう説明すればいいのか分からなかった。
助けてもらったばかりなのに、まだ怖い。
美羽が急に手を伸ばしてきたら、きっとまた怯えてしまう。
そんな自分を知られたくなかった。
けれど、美羽はそれ以上尋ねなかった。
「そっか。じゃあ、ゆっくり歩こう」
そう言って、少しだけ距離を空けてくれた。
結衣は唇を噛んだ。
優しくされるほど、胸が苦しくなる。
自分はこの人のことを疑っているのに。
もしかしたら殺されるかもしれないと、今も考えているのに。
「……美羽ちゃん」
「ん?」
「……ごめんね……」
美羽は一瞬きょとんとしたあと、柔らかく笑った。
「謝らなくていいよ。怖かったんでしょ?」
結衣は返事をしなかった。
その言葉が優しすぎて、何も言えなくなってしまった。
前を歩く隼人が振り返る。
「……お前ら、少し急げ。日が落ちる前に、休めそうな場所を探したい」
「はーい」
美羽は返事をしてから、結衣に顔を向けた。
「行こっか」
「……うん」
結衣は小さく頷き、再び歩き始めた。
しばらくすると、美羽が隼人に話しかけた。
「ねえ、隼人。もうちょっとゆっくり歩いてよ」
「十分ゆっくり歩いてるだろ」
「結衣ちゃんがいるんだから、少しは気を遣ってよね」
「……分かったよ」
隼人が歩調を緩めると、美羽は満足そうに笑った。
「最初からそうしてくれればいいのに」
「注文が多いな、お前は」
「隼人が無愛想すぎるんだよ」
二人のやり取りを聞きながら、結衣はほんの少しだけ顔を上げた。
何でもない会話だった。
こんな場所でなければ、どこにでもありそうなやり取り。
その声を聞いている間だけは、少しだけ恐怖が薄れる気がした。
けれど、背後で風が吹き、どこかの家の雨戸が大きな音を立てた瞬間、結衣はびくりと肩を震わせた。
振り返った先には、誰もいなかった。
結衣は胸元を押さえ、浅くなった呼吸を整えようとした。
「……大丈夫?」
美羽が尋ねる。
「……うん」
そう答えてから、結衣はもう一度だけ後ろを見た。
誰もいない砂利道が、家々の間をまっすぐに延びていた。




