第142話 それぞれの思惑
「……澪!」
蓮は床に膝をついた。
澪は横向きに倒れ、右脇腹を押さえていた。
指の間から血が滲んでいる。
「澪! 聞こえるか!」
「……う、うん……」
小さな返事があった。
蓮は息を呑んだ。
「……意識はあるな。どこを撃たれた?」
「……ここ……」
澪は脇腹を押さえたまま、痛みに顔を歪ませた。
蓮は服の端を慎重に持ち上げた。
皮膚が裂け、細長い傷ができている。
血は出ているが、弾丸が身体を貫通した様子はなかった。
「……掠っただけか」
蓮は大きく息を吐いた。
「よかった……」
澪は苦しそうに笑った。
「……痛いけどね……」
「当たり前だろ。動くなよ」
千尋は澪の手を握りしめていた。
「……ごめん、澪……」
「……何で謝るの?」
「だって、私を庇ったから……」
千尋の声が震えた。
「私が狙われたのに、澪が……」
「……千尋が撃たれるの、嫌だったから」
澪は顔を歪ませながら答えた。
「……身体が勝手に動いちゃった」
「……澪」
千尋の目から涙がこぼれた。
蓮は二人を見つめていた。
澪が生きていた。
それだけで、胸の奥に張りついていたものが少し緩んだ。
だが、すぐに奈緒の顔が浮かんだ。
あの女は、千尋を狙って撃った。
そして、澪まで傷つけた。
何のためらいもなく。
「……くそっ」
蓮は小さく呟いた。
最初に手を撃ったとき、確実に動けなくしておくべきだった。
話を聞き出そうとした。
運営について知りたかった。
その判断が、二人を危険にさらした。
蓮は階段の方を見た。
奈緒はもういない。
だが、まだ島のどこかにいる。
そして、千尋を殺そうとするだろう。
「……次はない」
蓮は低く呟いた。
千尋が顔を上げた。
「……蓮?」
「……何でもない」
蓮は拳銃を握り直した。
次に奈緒と遭遇したら、迷わず撃つ。
もう質問もしない。
警告もしない。
あの女を生かしておけば、千尋も澪も殺される。
蓮はそう判断した。
◇
千尋は、蓮の横顔を見ていた。
さっきまでの出来事が、頭から離れない。
奈緒が現れた瞬間、蓮は迷わず銃を構えた。
撃たれたあとも、すぐに撃ち返した。
相手の手を撃ち、拳銃を落とさせた。
そして、奈緒が自分を殺そうとしていると分かると、今度は奈緒を殺そうとした。
その動きに、ほとんど迷いがなかった。
千尋は蓮が以前のゲームを生き残った人間だと知っている。
だが、実際に目の前で人を撃つ姿を見ると、胸がざわついた。
怖い。
蓮が怖いわけではない。
けれど、銃を撃つことに慣れている蓮の姿が、少しだけ遠い存在に見えた。
「……千尋?」
蓮が振り返った。
「どうした?」
「……ううん」
千尋は首を横に振った。
蓮はそれ以上聞かず、澪の傷を確認していた。
千尋は自分の肩に触れた。
奈緒に撃たれた傷が痛む。
服には血がついていた。
もし、あのとき蓮が撃ち返していなかったら。
もし、澪が庇ってくれなかったら。
自分は今、生きていなかったかもしれない。
千尋は拳を握った。
これまで、蓮に守られてばかりだった。
逃げることしかできなかった。
銃を向けられたときも、身体が動かなかった。
それが悔しかった。
「……蓮」
「ん?」
「……私も、戦えるようになりたい」
蓮の手が止まった。
「……何?」
「ずっと守ってもらってばかりじゃ、駄目だと思う」
千尋は澪を見た。
「澪まで、私を庇って怪我しちゃった」
「千尋、それは……」
「分かってる。私が銃を持ったからって、すぐに強くなれるわけじゃない」
千尋は蓮を見つめた。
「でも、何もできないままは嫌なの」
蓮は黙っていた。
「……誰かを殺したいわけじゃないよ」
千尋は続けた。
「自分を守れるようになりたい。それに、蓮や澪が危ないとき、私だって助けたい」
澪が小さく笑った。
「……千尋らしいね」
「……澪」
「でも、無茶はしないでね」
「……うん」
蓮は少し考えたあと、頷いた。
「……分かった」
千尋が顔を上げる。
「ただし、銃を持つなら扱い方を覚えろ。撃つことより、撃たずに済ませる判断の方が難しい」
「……うん」
「それと、勝手に動くな。俺が教える」
千尋は強く頷いた。
「……ありがとう」
◇
澪を椅子に座らせ、千尋は手当てに使えそうなものを探し始めた。
監視室には古い書類棚や収納棚が並んでいる。
だが、包帯や消毒液は見当たらない。
「……どこかにないかな」
千尋は机の引き出しを開けた。
古い筆記具。
紙束。
使われていない端末。
どれも役に立ちそうになかった。
次に、部屋の奥にある棚を調べた。
そのとき、棚の下段に小さな金属製の箱があることに気づいた。
「……これ、何だろう」
取り出してみる。
蓋を開けると、中には包帯、ガーゼ、消毒液が入っていた。
「あっ!」
千尋は声を上げた。
「蓮! 医療品あった!」
「本当か?」
「うん!」
蓮が近づいてきた。
箱の中には、まだ使えそうな救急用品が揃っていた。
「……助かったな」
蓮は中身を確認した。
「これなら、応急処置はできそうだ」
千尋は箱を持ち上げようとした。
そのとき、奥にもう一つ、小さなケースがあるのが見えた。
「……あれ?」
ケースを引き出す。
蓋には何も書かれていない。
千尋が開けると、中には拳銃が一丁入っていた。
「……銃?」
蓮が振り返った。
「触るな、千尋」
千尋は手を止めた。
蓮はケースを覗き込んだ。
拳銃のほかに、予備の弾薬も入っている。
「……こんなものまで」
蓮は室内を見回した。
奈緒はこの場所を知っていた。
地下監視室の入口も迷わず見つけていた。
そして、ここには医療品と拳銃が隠されている。
「……あいつの備品か」
蓮は呟いた。
奈緒が用意したものなのか、運営から与えられたものなのかは分からない。
だが、ゲームマスターが使用するために置かれていた可能性は高かった。
「……蓮」
千尋が拳銃を見つめた。
「これ……」
「分かってる」
蓮はケースを閉じた。
「使えるか確認する。でも、まずは傷の手当てだ」
千尋は頷いた。
三人は医療品を持って、モニターの前へ戻った。
◇
「何をやってるんだ、神谷蓮!」
九条会長の怒声が、運営の監視室に響き渡った。
壁一面に並ぶ巨大なモニター。
その一つには、役場の地下監視室が映っていた。
画面の中では、蓮が倒れた澪に駆け寄っている。
「なぜ殺さない!」
九条会長は机を叩いた。
「ゲームマスターだと分かったんだろうが! なぜあの女を生かしておく!」
周囲の職員たちは、突然の怒声に身体を強張らせた。
「……会長」
一人の職員がおそるおそる声をかけた。
「ゲームマスターが殺されると、ゲームの進行に支障が出ます。神谷蓮が藤崎奈緒を殺さなかったことは、運営にとっては……」
「そんなことはどうでもいい!」
九条会長が怒鳴った。
「ゲームマスターより、わしの娘の命の方が大事だ!」
職員たちは言葉を失った。
会長の視線は、モニターに映る九条澪へ向けられていた。
奈緒が千尋に銃口を向けた瞬間。
澪が千尋を突き飛ばした瞬間。
そして、銃声とともに澪が倒れた瞬間。
そのすべてを、九条会長は見ていた。
「……澪……」
会長は拳を握りしめた。
画面の中で、澪は動かない。
千尋が泣きながら身体を支えている。
蓮が何度も声をかけていた。
だが、ここからでは声が聞こえない。
「……おい」
九条会長が低い声で言った。
「澪は……生きているのか?」
「……現在、確認しております」
「早くしろ!」
「は、はい!」
職員が慌てて端末を操作した。
九条会長は画面を睨みつけた。
ゲームの運営に関わる以上、参加者に死者が出ることは承知している。
だが、自分の娘が撃たれる光景を目の当たりにして、平静でいられるはずがなかった。
しかも、撃ったのは運営側のゲームマスターだった。
「……藤崎奈緒め」
会長は歯を食いしばった。
「余計なことを喋った挙げ句、澪にまで銃を向けおって……!」
奈緒は島の過去や運営の背景まで参加者に話してしまった。
それだけでも問題だった。
だが、今の会長にとって、そんなことは二の次だった。
澪が無事なのか。
それだけが気がかりだった。
「……会長!」
職員が声を上げた。
「九条澪が動きました!」
「何っ!」
会長はモニターへ顔を向けた。
画面の中で、澪がゆっくりと身体を起こしていた。
脇腹を押さえ、痛みに顔を歪ませている。
それでも、蓮に支えられながら立ち上がった。
「……おお……」
九条会長の肩から力が抜けた。
椅子に深く腰を下ろす。
「……よかった……」
思わず漏れた声だった。
職員たちは誰も何も言わなかった。
会長は額の汗を拭った。
娘が生きている。
それだけで、胸を締めつけていた恐怖が少し和らいだ。
しかし、安堵は長く続かなかった。
澪はまだ島にいる。
首には爆発する首輪がつけられている。
そして、周囲には殺し合いを続ける参加者たちがいる。
いつまた命を狙われるか分からない。
「……くそっ」
会長は小さく呟いた。
自分はこのゲームを動かす側の人間だ。
それなのに、今すぐゲームを止めて娘を連れ戻したいと思っている。
だが、それが簡単にできる立場でもなかった。
会長は再びモニターを見つめた。
画面の中で、澪が千尋に向かって小さく笑っていた。
「……澪」
その声は、周囲の誰にも届かなかった。
◇
一方、別の場所では、観客たちが盛り上がっていた。
広い室内には、大型のスクリーンが設置されている。
そこには、役場の地下監視室で起きた銃撃戦の映像が繰り返し流されていた。
「おい、今の見たか!」
「女が庇ったぞ!」
「すごいな、あの子!」
酒の入ったグラスを手に、男たちが声を上げる。
「てっきり死んだと思ったが、生きてたのか」
「惜しかったな」
「いや、まだ死なれちゃ困るだろ。あの子は面白い」
別の男が笑った。
「それより、神谷蓮だよ」
「……ああ、二回目の参加者か」
「ゲームマスターを追い詰めたのに、逃がしちまった」
「次に会ったらどうなるかな?」
「今度こそ殺すんじゃないか?」
観客たちは楽しそうに話していた。
画面の中で誰かが傷つき、苦しんでいる。
それを見て、歓声を上げる。
彼らにとって、このゲームは娯楽だった。
参加者が何を考え、どんな思いで戦っているのか。
そんなことは、どうでもよかった。
「……それにしても」
一人の男がグラスを置いた。
「今回は面白くなってきたな」
「そうだな。ゲームマスターが正体を明かすなんて、なかなか見られない」
「しかも、運営の話までしやがった」
「ははっ! 大丈夫なのかよ!」
笑い声が広がった。
スクリーンには、蓮と千尋、澪の姿が映っている。
千尋は医療品を取り出し、澪の手当てを手伝っていた。
蓮は拳銃を確認している。
観客の一人が、その姿を見て笑った。
「……あいつ、目つきが変わったな」
「誰だ?」
「神谷蓮だよ」
男はスクリーンを指さした。
「次にあのゲームマスターと会ったら、絶対に撃つぞ」
周囲の男たちが笑った。
「それは楽しみだな」
「どっちが生き残るか、賭けるか?」
「いいねえ!」
再び歓声が上がった。
島では、参加者たちが必死に生きようとしている。
その姿を、運営は管理し、観客は楽しんでいた。
そして、誰も知らなかった。
このゲームを管理する九条会長自身が、一人の参加者の生死に心を揺さぶられていることを。
画面の中で、九条澪がゆっくりと顔を上げた。
その姿を見つめながら、会長はもう一度、小さく息を吐いた。




