第140話 ゲームマスター
藤崎奈緒は、役場の入口に手をついた。
「……はぁ……はぁ……」
呼吸が荒い。
左腕と右脇腹から流れた血が、服に染み込んでいた。
立っているだけでも辛かった。
「……やっと着いた」
奈緒は建物の中へ入った。
薄暗い廊下には、割れたガラスや剥がれた壁材が散乱している。
天井の一部には雨漏りの跡があり、床もところどころ腐っていた。
奈緒は壁に手をつきながら、奥へ進んだ。
向かったのは、かつて役場の職員が使っていた事務室だった。
机が何台も並び、古い書類棚が壁際に残されている。
「……確か、ここ」
奈緒は一番奥の机へ向かった。
引き出しに手をかける。
鍵はかかっていなかった。
中には、古い帳簿と封筒が入っている。
奈緒はそれらを乱暴にどかした。
引き出しの奥に、拳銃が一丁隠されていた。
「……あった」
ようやく笑みが戻った。
奈緒は拳銃を取り出し、弾を確認した。
「……よかった。ちゃんと残ってた」
空になった拳銃をしまい、新しい銃を握る。
これで、少なくとも丸腰ではなくなった。
「……はぁ。とりあえず、少し休もうかな」
奈緒は事務室の奥へ向かった。
そこには、地下監視室へ続く隠し扉がある。
だが、近づいたところで足を止めた。
「……ん?」
床板がわずかにずれていた。
隠し扉の縁には、埃を擦った跡が残っている。
奈緒はしゃがみ込み、指で確かめた。
「……誰か開けた?」
この役場は、ゲームの参加者が自由に出入りできる場所だ。
けれど、地下監視室の存在を知っている者は限られている。
「……誰か入った?」
奈緒は眉をひそめた。
運営の人間だろうか。
それとも、参加者が偶然見つけたのか。
「……まさかね」
奈緒は隠し扉を開けた。
地下へ続く階段が現れる。
拳銃を握り直し、ゆっくりと下り始めた。
◇
「……消えた?」
千尋がモニターを覗き込んだ。
役場へ入った女の姿が、画面から見えなくなっていた。
蓮は別のモニターを確認した。
「建物の中に入ったんだろ」
「でも、どこにいるの?」
「分からない。建物の中は映ってない場所も多い」
澪が不安そうに言った。
「……ここ、見つからないよね?」
蓮は答えなかった。
地下監視室への入口は、役場の床下に隠されている。
普通に建物を調べただけでは、簡単には見つからないはずだ。
だが、絶対に安全とは言い切れない。
「……とにかく、警戒しておこう」
蓮は拳銃を確認した。
千尋も立ち上がる。
「私たち、隠れてた方がいい?」
「そうだな。入口から離れてろ」
そのときだった。
階段の方から、かすかな音が聞こえた。
コツ。
コツ。
三人が同時に振り返った。
「……え?」
千尋が小さく声を漏らした。
蓮は拳銃を構えた。
「……誰か来る」
足音はゆっくり近づいてくる。
途中で一度止まり、再び動き始めた。
蓮は千尋と澪に目で合図した。
二人は机の陰へ身を寄せた。
やがて、階段の先に人影が現れた。
◇
「……何よ、これ」
奈緒は地下監視室に足を踏み入れた。
壁一面に並ぶモニター。
そこには島の各地が映し出されていた。
普段は運営が使用する施設だ。
だが、今は様子が違っていた。
机の上には古い書類が広げられ、地図も何枚か取り出されている。
「……やっぱり誰か入ったんだ」
奈緒は小さく呟いた。
そして、部屋の奥へ視線を向けた。
「……え?」
モニターの前に、一人の男が立っている。
さらに、その奥には二人の少女。
見覚えがあった。
以前、湖の近くで遭遇した三人。
神谷蓮、小宮千尋、九条澪だった。
「……あんたたち!?」
奈緒の顔色が変わった。
「何でここにいるの!?」
奈緒は慌てて拳銃を構えた。
「伏せろ!」
蓮が叫んだ。
銃声が響いた。
蓮は横へ飛んだ。
弾丸が蓮のいた場所を通り抜ける。
その先には、千尋がいた。
「……っ!」
千尋の肩に弾丸が命中した。
「きゃあっ!」
千尋は身体をよろめかせ、机にぶつかった。
「千尋!」
澪が叫んだ。
奈緒が再び銃を向ける。
だが、それより早く蓮が撃った。
パンッ!
「いっ……!」
奈緒の銃を握っていた手に弾丸が当たった。
拳銃が床へ落ちる。
奈緒は痛みに顔を歪めた。
「……ああっ!」
傷ついた脇腹を押さえようとしたが、撃たれた手も痛む。
身体のバランスを崩し、そのまま床に尻餅をついた。
「……いったぁ……!」
蓮は銃口を向けたまま近づいた。
「動くな!」
奈緒は顔を上げた。
「……何よ、もう……」
「手を見えるところに出せ」
「……無茶言わないでよ。撃たれたんだけど」
「お前が先に撃ったんだろ」
蓮は床に落ちた拳銃を足で遠ざけた。
奈緒は悔しそうに顔をしかめた。
「……最悪」
蓮は背後を振り返った。
「澪! 千尋を頼む!」
「う、うん!」
澪は千尋のそばに駆け寄った。
千尋は肩を押さえ、苦しそうに息をしている。
「……痛い……」
「千尋、動かないで」
澪は近くにあった布を取り、傷口を押さえた。
蓮は奈緒へ視線を戻した。
「……お前、何者だ?」
奈緒は答えなかった。
「どうしてここに来た?」
「……それ、こっちの台詞なんだけど」
奈緒は苦しげに笑った。
「何であんたたちが、こんな場所にいるのよ……」
蓮は奈緒を見下ろした。
拳銃を隠していたこと。
地下監視室の入口を知っていたこと。
そして、これまで見せてきた異常な行動。
蓮の中で、一つの疑問が浮かんだ。
「……お前、もしかして」
奈緒が顔を上げる。
「……何?」
「ゲームマスターか?」
奈緒の表情が変わった。
「……え?」
数秒、沈黙が流れた。
奈緒は蓮を見つめた。
「……あんた、どうしてそれを?」
蓮は銃を下ろさなかった。
「答えろ」
奈緒は目を細めた。
「……待って」
そして、何かに気づいたように言った。
「あんた……二回目の参加者?」
蓮は黙っていた。
奈緒はその反応を見て、小さく笑った。
「……そっか」
撃たれた手を押さえる。
脇腹の傷も痛むのか、顔が歪んだ。
「……そうよ」
奈緒は息を吐いた。
「私、ゲームマスター」
千尋と澪が顔を上げた。
「……ゲームマスター?」
千尋が呟く。
蓮は奈緒を見つめた。
やはり、そうだった。
◇
「……なら、聞きたいことがある」
蓮は言った。
奈緒は床に座ったまま、顔を上げた。
「……何よ」
「お前が知ってる範囲でいい。答えてくれ」
「……はぁ?」
蓮は机に広げられた地図を指さした。
「まず、この島のことだ」
奈緒は目を細めた。
「……島?」
「元々どういう場所だった? 何で住民がいなくなった?」
蓮は続けた。
「運営の居場所はどこだ?」
奈緒は黙って聞いている。
「それから、ゲームの参加者はどうやって選ばれてる?」
蓮は一歩近づいた。
「……最後に」
奈緒をまっすぐ見据える。
「このゲームを裏で動かしてるのは誰だ?」
監視室に沈黙が落ちた。
千尋は肩を押さえながら、二人のやり取りを聞いていた。
澪も奈緒を見つめている。
奈緒はしばらく黙っていた。
やがて、ため息をついた。
「……あーあ」
蓮が眉をひそめる。
「何だ?」
「そこまで調べちゃったんだ」
奈緒は周囲のモニターを見回した。
机に広げられた資料。
島の地図。
住民の退去記録。
それらを見て、少しだけ表情を変えた。
「……まあ、ここを見つけたんだもんね」
奈緒は苦笑した。
「隠しても仕方ないか」
蓮は銃を構え直した。
「……話してくれるのか?」
「いいよ」
奈緒は傷ついた手を押さえながら答えた。
「知ってることなら、教えてあげる」
そして、痛みに顔をしかめながら、ゆっくり息を吐いた。
「……ただし、聞いたあとで後悔しても知らないからね」
蓮は答えなかった。
目の前にいるのは、ゲームの内側を知る人間。
ようやく捕まえた、運営につながる手がかりだった。
奈緒は壁にもたれ、口を開いた。
「……じゃあ、まずはこの島の話からね」




