第139話 接近
桐生大和は、木々の間を歩いていた。
先ほど聞こえた女の悲鳴。
あれから声は聞こえない。
足元には枯れ枝や落ち葉が積もり、歩くたびに乾いた音がした。
「……どこだ?」
大和は拳銃を手にしたまま、周囲を見回した。
逃げた藤崎奈緒を追うつもりだったが、悲鳴を聞いて方向を変えた。
声の主も参加者なら、見逃す理由はない。
しばらく進むと、木々の向こうに古い建物が見えた。
屋根の一部が崩れた、平屋の木造家屋だった。
周囲には雑草が生い茂り、玄関へ続く道もほとんど見えない。
大和は足を止めた。
何かが動いた。
建物の裏手。
壁と積み上げられた木材の間に、人影が見えた。
「……いた」
大和はゆっくり近づいた。
◇
白川結衣は、廃屋の陰で膝を抱えていた。
身体の震えが止まらなかった。
目を閉じると、琴音が撃たれた瞬間が浮かんでくる。
銃声。
倒れる身体。
砂利道に広がる血。
「……琴音」
結衣は小さく呟いた。
自分は、琴音を指定した。
彼女が死ねば、自分のクリア条件が達成されると分かっていた。
そして、本当に琴音は死んだ。
端末には、条件達成の通知が届いた。
首輪も外した。
これで自分は助かった。
そのはずなのに、何一つ安心できなかった。
「……ごめん」
何度目か分からない謝罪が、口から漏れた。
そのとき。
ジャリッ。
近くで足音がした。
結衣は顔を上げた。
「……誰?」
返事はなかった。
足音が近づいてくる。
結衣は壁に背中を押しつけた。
「……来ないで」
「おい」
男の声がした。
結衣は息を呑んだ。
建物の角から、一人の男が姿を現した。
桐生大和だった。
「……こんなところにいたのか」
大和は結衣を見下ろした。
結衣は男の手にある拳銃を見た。
「ひっ……!」
反射的に身体を縮める。
「……撃たないで!」
大和は眉をひそめた。
「何だよ、いきなり」
「お願い……殺さないで……!」
結衣の声は震えていた。
大和は少しの間、その様子を眺めていた。
そして、ふと結衣の首元に目を向けた。
「……ん?」
首輪がない。
大和は目を細めた。
「お前、もうクリアしたのか?」
結衣は答えなかった。
「首輪、外してるじゃねえか」
「……うん」
「そうか」
大和は拳銃を下ろした。
自分の条件は、第二ステージ開始時に首輪を装着していた生存者を殺すこと。
だが、大和はそれを、今も首輪をつけている参加者を殺せばいいと考えていた。
目の前の女には首輪がない。
すでにクリアしているのだろう。
ならば、今さら殺す必要はない。
「……じゃあ、いいや」
大和は踵を返した。
結衣は呆然とした。
「……え?」
「お前はもう終わってるんだろ」
「……う、うん」
「だったら、俺には関係ねえ」
大和は建物の角へ向かって歩き出した。
結衣は信じられないものを見るように、その背中を見つめた。
「……殺さないの?」
大和は振り返った。
「殺してほしいのか?」
「ち、違う!」
「だったら黙ってろ」
大和はそれだけ言って、歩き去った。
結衣はしばらく動けなかった。
足音が遠ざかっていく。
完全に聞こえなくなってから、ようやく息を吐いた。
「……助かった」
その場に座り込む。
両手で顔を覆った。
だが、大和は知らなかった。
結衣も第二ステージ開始時には首輪を装着していた。
つまり、本来なら殺害対象に含まれている。
首輪が外れているという理由だけで、大和は対象者を一人見逃したのだった。
◇
「……ちっ。無駄足だったな」
大和は森の中を歩きながら呟いた。
せっかく悲鳴を聞いて来たというのに、見つけた女はすでにクリアしていた。
大和は端末を取り出した。
条件達成の通知は、まだ来ていない。
「……あと何人だ?」
首輪をつけている参加者が、島のどこにいるのか。
正確な人数も分からない。
大和は端末をしまった。
「……ま、探すしかねえか」
再び歩き出す。
今度は、まだ首輪をつけている参加者を探すつもりだった。
◇
「……はぁっ……はぁっ……!」
藤崎奈緒は、砂利道をよろめきながら歩いていた。
左腕から血が流れている。
右脇腹も撃たれていた。
服は血で濡れ、歩くたびに傷口が痛んだ。
「……痛いなあ、もう……」
奈緒は顔をしかめた。
いつもの笑顔は消えていた。
あの男。
桐生大和。
まともに撃ち合って勝てる相手ではなかった。
しかも、こちらの弾は尽きている。
「……最悪……」
奈緒は拳銃を見た。
もう撃てない。
それでも捨てる気にはならず、腰に戻した。
立ち止まって傷を確認する。
左腕は動かせるが、痛みが強い。
脇腹はもっと厄介だった。
押さえている手の隙間から、血がにじんでくる。
「……これ、ちょっとまずいかも」
奈緒は苦笑した。
周囲には、朽ちた家々が並んでいた。
どこも人が住める状態ではない。
手当てに使えそうなものも見当たらなかった。
奈緒は顔を上げた。
遠くに、ほかの建物より大きな建物が見えた。
古い役場だった。
その手前には、草の生えた中央広場が広がっている。
「……あそこにいけば…!」
奈緒は傷口を押さえ直した。
外から見つかりにくい場所で休みたかった。
「……よし」
一歩踏み出す。
脇腹に痛みが走った。
「いった……!」
奈緒は壁に手をついた。
呼吸が荒くなる。
「……はぁ……はぁ……」
それでも、足を止めなかった。
中央広場へ向かって歩き始めた。
◇
地下監視室。
神谷蓮は、机に広げた古い地図を見つめていた。
島の名前が記された行政資料。
その周囲には、住民の退去記録や土地の売買に関する書類が積まれている。
蓮は地図と資料を照らし合わせていた。
「……やっぱり、住民がいなくなった時期と土地の買収時期が近いな」
千尋はモニターの前に座っていた。
澪も隣で画面を確認している。
「蓮、これって何か分かりそう?」
「まだだな。もう少し調べたい」
蓮は書類をめくった。
そのとき、澪が声を上げた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
千尋が隣の画面を覗き込む。
澪は一つのモニターを指さした。
「この人……」
画面には、中央広場へ続く砂利道が映っていた。
そこを、一人の女が歩いている。
藤崎奈緒だった。
「あっ!」
千尋が立ち上がった。
「蓮! あの女!」
「……何だ?」
「前に銃を撃ってた人!」
蓮は書類から顔を上げた。
モニターへ近づく。
映像の中で、奈緒はふらつきながら歩いていた。
片手で脇腹を押さえている。
服には血がついていた。
「……怪我してるな」
蓮が呟いた。
「しかも、かなりひどそうだ」
澪は画面を見つめた。
「誰かと戦ったのかな……」
「だろうな」
蓮は別のモニターへ視線を移した。
奈緒が進んでいる道の先。
そこには中央広場がある。
そして、その向こうに役場が建っていた。
「……おい」
蓮の表情が変わった。
「どうしたの?」
千尋が尋ねる。
「この女、どこに向かってる?」
千尋は画面を確認した。
「……中央広場?」
「その先は?」
千尋が顔を上げた。
「……役場」
三人は黙った。
モニターの中で、奈緒は足を止めた。
傷口を押さえながら、役場の建物を見上げている。
そして、再び歩き始めた。
「……まずいな」
蓮は低く呟いた。
千尋が不安そうに尋ねる。
「……こっちに来るの?」
「分からない」
蓮は答えた。
「でも、このまま進めば役場に着く」
澪が自分の左腕を押さえた。
以前、久我拓真のクロスボウで負傷した腕だ。
「……あの人、銃を持ってたよね」
「ああ」
蓮は頷いた。
「それも、ためらわずに人を撃つタイプだ」
千尋はモニターを見た。
「……どうする?」
蓮はすぐには答えなかった。
奈緒は負傷している。
だが、だからといって安全な相手とは限らない。
むしろ追い詰められている分、何をするか分からない。
画面の中で、奈緒が中央広場へ足を踏み入れた。
役場までは、もう遠くない。
「……二人とも」
蓮は拳銃を取り出した。
「今は調べ物をしてる場合じゃない」
千尋と澪が蓮を見た。
「……あの女がどこに入るか、目を離すな」
モニターの中で、奈緒は役場へ向かっていた。
蓮たちのいる地下監視室。
その真上にある建物へ。
危険な参加者が、すぐそこまで迫っていた。




