第13話 アップグレード
《端末を更新するなら、よく考えろ》
《知る必要のないことまで見える》
八人は、壁に残された二行を見つめていた。
「……これを書いたのも、前の参加者かな」
詩織が呟いた。
「その可能性はあるな」
蓮は中央広場の建物を思い出した。助けを求める言葉や、誰も信じるなという忠告。そして、深く刻まれていた『見られている』の一文。目の前の警告も、同じように、この島へ連れてこられた誰かが残したものなのかもしれなかった。
ただ、文字を見ただけでは、いつ、どんな事情で書かれたのかは分からない。更新を試したあとで後悔したのか、それとも、誰かが使うのを思いとどまらせたかったのか。蓮は二行の下にも目を向けたが、続きはなかった。
「でもさ、これで、かなりはっきりしたんじゃない?」
白石が葵の手元を見た。
「それが端末をアップグレードするやつだってこと」
机には、蓋を開けたケースが残っていた。黒い部品は、その中のくぼみにぴったり収まった。壁には端末の更新についての言葉があり、広場で見つけた画面にも、アップグレードデータという表示が出ていた。
「たぶんな」
蓮は答えた。確定はできなくても、無関係なものだとは考えにくくなっていた。
「じゃあ……使う?」
白石の問いに、視線が葵へ集まった。
先ほどは、水と食料を優先して結論を先送りにした。今はその両方があり、ひとまず休めそうな場所も見つかっている。部品の用途についても、少しずつ手掛かりが増えていた。
「私はやるよ」
葵が言った。
高橋が顔を向けた。
「まだ、そのつもりなのか」
「最初から言ってる。私が拾ったものだから、私の端末で試す」
「危ないかもしれないよ」
詩織の言葉に、葵は頷いた。
「分かってる」
「壊れたら……」
詩織が口にした途端、近くにいた者たちの視線が、その手元へ動いた。
「……何でみんな、私を見るの」
「いや、目の前に壊れた端末があるから……」
白石は言いながら、詩織の顔を見て口を閉じた。
「ごめん」
葵は自分の端末を取り出した。黒い画面に触れて起動させ、普段どおりメニューが表示されるのを確かめた。
「それでも、やる」
蓮は葵の顔を見た。
「本当にいいんだな?」
「いい」
迷いのない返事だった。
「ただし、何が変わったのかは話してもらう」
高橋が言った。
「全部?」
葵が眉を寄せた。
「お前のクリア条件を見せろとは言ってない。更新で追加された機能だ」
葵はしばらく高橋を見つめ、それから短く息を吐いた。
「……分かった」
蓮は二人のやり取りを黙って聞いていた。
葵が何かを伏せたとしても、こちらに確かめる方法はない。それでも、誰かが試すのなら、最後には本人の説明を聞くしかなかった。別の者の端末を使ったところで、その問題は変わらない。
葵は机の前へ進み、端末を置いた。
*
ほかの七人が見守る中、葵は黒い部品を持ち直した。端末の側面を確かめ、金属端子を差し込み口へ近づける。
「……挿すよ」
返事をする者はいなかった。
葵は向きを合わせ、ゆっくりと押し込んだ。小さな音がして、部品が収まった。
画面は変わらなかった。
葵が指を離し、少し待った。白石が机へ顔を近づけた。
「何も起きな――」
電子音が鳴り、画面が消えた。
「えっ」
詩織が息を呑んだ。
「壊れた?」
葵が電源ボタンへ手を伸ばした。その指が触れる前に、暗い画面へ白い文字が浮かび上がった。
《EXTRA BULLET》
続いて、表示が切り替わった。
《UPDATE DATA DETECTED》
「……認識したんだ」
佳子が小さく言った。
《端末アップグレードを開始します》
その下に、注意書きが現れた。
《実行後、アップグレードデータは使用できなくなります》
「一回しか使えないってことか?」
白石の問いに、蓮は画面を見たまま答えた。
「そう読めるな」
さらに二つの選択肢が表示された。
【実行】
【キャンセル】
葵の指が止まった。
「今なら、やめられるよ」
詩織が言った。
葵は一度だけ顔を向けた。それから壁の警告へ目をやり、再び端末へ視線を戻した。
「……やる」
指先が【実行】に触れた。
《UPDATING……》
画面に進行状況が表示された。数字が増えるのを、八人は黙って見つめた。
十二パーセントから二十八、四十六へと進む。途中で動きが遅くなるたびに、蓮は画面が止まったのではないかと気になった。
「こういうところは、普通のアップデートなんだな」
白石が呟いた。
「今は黙ってろ」
高橋が返したが、その視線も数字から離れなかった。
六十一、七十九、九十二。やがて百に達し、短い電子音が鳴った。
《UPDATE COMPLETE》
「……終わった?」
詩織の声に、葵が小さく頷いた。
黒い部品を抜くと、端末は再び画面を暗くした。しばらくして見慣れたタイトルが現れ、メニューへ切り替わった。
【プレイヤー】
【クリア条件】
【ゲームルール】
【地図】
【端末アルファベット】
「変わってない?」
佳子が言いかけると、葵が画面の下を指した。
「ここ」
元からあった五つの項目に続いて、新しい文字が並んでいた。
【物資情報】
【特殊物資情報】
【PLAYER INFORMATION】
「……増えてる」
詩織が身を寄せた。白石も覗き込もうとしたが、葵が端末を引いた。
「近い」
「あ、ごめん」
白石が下がると、葵は机の上で端末の向きを整えた。全員が見えるように傾けてから、【物資情報】を選んだ。
島の地図が表示された。普段の地図と同じ地形の上に、水滴や箱、十字の印が追加されている。
葵が水滴の一つに触れると、《飲料水》と表示された。別の印には《保存食》、十字には《医療物資》という説明が出た。
「すげえ……」
白石が声を漏らした。
蓮も地図へ目を凝らした。印は一か所だけではなく、島の各所に散らばっていた。
「これなら、探し回らなくても分かるんだね」
詩織が言った。
「ああ。水がなくなったときも、次に行く場所を決められる」
蓮は現在地の近くにある印を確かめた。先ほどまで、建物の中に何かあることを期待して歩くしかなかった。その不確かさを、大きく減らせる機能だった。
「かなり有利になるな」
黒田が言った。
葵はメニューへ戻り、次の項目を開いた。
【特殊物資情報】
再び島の地図が現れた。ただし、今度は印の数がずっと少なかった。葵はその一つを選んだ。
表示された文字を見て、指が止まった。
「……嘘」
「何?」
佳子が尋ねると、葵は端末をもう少し傾けた。
《特殊物資》
《拳銃》
白石の顔から笑みが消えた。
「……銃?」
詩織が小さく聞き返した。
画面には、その場所が記されていた。地形の中に置かれた一つの印が、先ほどとは違って見えた。蓮はそこから現在地までの距離を、無意識に目でたどっていた。
「本物なのか?」
白石が尋ねた。
「分からない」
蓮は答えた。だが、偽物だろうと続けることはできなかった。首輪と、中央広場の死体を見たあとでは、その表示を冗談として受け取れなかった。
「ほかは?」
高橋に促され、葵が別の印を開いた。
そこにも特殊物資と表示された。具体的な内容が分かるものもあれば、詳しい説明が見当たらないものもある。いずれも、通常の地図にはなかった情報だった。
「更新した端末なら、こういう場所まで分かるんだね」
佳子の声は低かった。
葵が画面を操作すると、説明が現れた。
《特殊物資情報について》
《対象物資が回収された場合、該当する位置情報は削除されます》
「誰かが取ったら、消えるってこと?」
詩織が尋ねた。
「そうだろうな」
蓮が答えると、黒田が続けた。
「回収した人間は分かるのか?」
葵は説明の続きを探したが、それらしい項目はなかった。
「……書いてない」
蓮は拳銃の印へ目を戻した。
今は、そこにあると表示されている。もし消えれば、誰かが手に入れたと考えられる。だが、その相手が誰なのかは分からない。
まだ会っていない参加者が持つかもしれないし、ここにいる誰かが取りに行くかもしれなかった。
蓮は周囲へ目を向けた。高橋も黒田も、黙って地図を見ていた。その沈黙から何を考えているのか読み取ろうとして、蓮は視線を画面へ戻した。
「最後、見るよ」
葵が言った。
メニューには、まだ開いていない項目が一つ残っていた。
【PLAYER INFORMATION】
葵が触れると、地図が消えた。
《参加者を1名指定してください》
《指定した参加者の個別クリア条件を開示します》
蓮は画面を見つめた。
「……ほかの人の条件?」
詩織が息を呑んだ。
さらに、注意書きが続いた。
《指定可能回数:1回》
《指定後の変更はできません》
部屋が静かになった。
これまで、誰も自分から明かそうとしなかった情報だった。協力するために必要なら本人が話せばいい。そう考えていた条件を、持ち主に尋ねることなく、一人だけ確かめられる。
「まだ選ぶな」
高橋が言った。
「分かってる」
葵も言い返さず、指を画面から離した。
蓮は《指定可能回数:1回》という文字を読み直した。誰を選ぶべきかと考えかけて、自分が選ばれる可能性に思い至った。
視線を上げると、葵と目が合った。
「……何?」
「いや」
蓮はそれ以上言わなかった。葵もしばらくこちらを見ていたが、やがて機能を閉じ、メニューへ戻した。
壁に残された二行が、蓮の目に入った。
《端末を更新するなら、よく考えろ》
《知る必要のないことまで見える》
更新によって、水や食料の場所が分かった。それは間違いなく役に立つ情報だった。だが同時に、島のどこかに拳銃があり、誰かがそれを手に入れられることも知った。
そして今は、自分の条件を見られるかもしれないと考えている。
葵が端末を手元へ引き寄せた。誰も止めなかったが、何人かの視線が、その画面を追った。
水を飲んだときには、ようやく落ち着けると思っていた。同じ部屋に同じ八人でいるのに、蓮はさっきよりも、互いの沈黙が気になっていた。




