第12話 扉の向こう
扉の向こうから近づいてきた足音が、すぐそばで止まった。
詩織は蓮の服を掴んだまま動かなかった。蓮も金属製の扉を見つめ、相手が次に何をするのかを待った。一枚隔てた向こう側に誰かがいる。その近さが、森の中で人影を見つけたときとは違う緊張を生んでいた。
「おい……どうする?」
白石が声を潜めた。
「静かにしろ」
高橋が制する間に、黒田は扉の正面を避け、壁際へ移動していた。佳子も少し下がり、葵はポケットへ手を入れた。黒い部品をしまった場所だった。
蓮がその動きを横目で見た直後、鍵を外すような音がした。
服を掴む詩織の指に、力がこもった。
「下がれ」
蓮は詩織を伴って後退した。ほかの者も入口から離れ、開き始めた扉へ目を向けた。
軋む音とともに隙間が広がり、薄暗い室内から男が顔を出した。男も蓮たちを認めたところで動きを止めた。
三十代半ばほどに見えた。短い髪に、がっしりとした体格をしている。服のところどころに汚れがあり、首には蓮たちと同じような輪がはまっていた。片手には黒い端末を持っている。
「……七人?」
低い声で呟き、男は一人ずつ顔を確かめた。
「そっちも参加者か?」
蓮が尋ねても、すぐには返事がなかった。男の視線は黒田や高橋にも向き、警戒するようにその手元を確かめていた。
「名前は?」
高橋の問いに、男の眉がわずかに動いた。
「先にそっちが名乗れ」
「神谷蓮だ」
蓮が答えると、男はしばらくこちらを見た。それから、ようやく口を開いた。
「……藤堂蓮司」
これで、出会った参加者は八人になった。
「一人なの?」
佳子が尋ねた。
「今はな」
「今は?」
蓮が聞き返すと、藤堂は顔を向けた。
「誰かと一緒だったのか?」
「質問が多いな」
答えずに、藤堂は七人を見回した。
「お前らこそ、何をしてる」
「水と食料を探してるんだ」
白石が横から言った。
「ここにある?」
「白石」
高橋が睨んだが、白石は肩をすくめた。
「別に隠すことじゃないだろ」
藤堂は二人のやり取りを見てから、短く答えた。
「ある」
「マジで? 水も食い物も?」
「ああ」
「よかった……!」
白石はそのまま入口へ向かおうとした。すかさず高橋が襟を掴み、引き止めた。
「ぐえっ。何すんだよ」
「勝手に入るな」
「あるって言ってるじゃん!」
「先にいた人間がいるだろ」
白石が動きを止め、藤堂を見た。藤堂は首を振った。
「俺のものじゃない」
「じゃあ、入っていい?」
「お前は少し黙れ」
高橋の言葉に白石が不満そうな顔をすると、佳子が吹き出した。詩織もつられたように小さく笑い、ようやく蓮の服から手を離した。
蓮は藤堂へ向き直った。
「いつからここにいる?」
「二時間くらいだ」
「最初から、この建物に?」
「いや。目を覚ましたのは海岸の近くだ。地図を見て、ここまで来た」
藤堂は手元の端末を少し持ち上げた。
「どうやって入った?」
蓮が尋ねると、藤堂は扉の横にある黒いパネルを見た。
「あれに端末を近づけた」
蓮も装置へ目を向けた。《PLAYER TERMINAL》という表示は、そのままだった。
「それだけで?」
「パネルにPLAYER認証と出て、鍵が開いた。端末側には何も出なかった」
白石がすぐに高橋を見た。
「ほら、使って大丈夫だったじゃん」
「結果が分かったのは今だろ」
「はいはい」
二人の声をよそに、黒田が尋ねた。
「首輪に変化は?」
「ない」
藤堂は指先で首元に触れた。見える範囲では、蓮たちのものと違いはなかった。
「みんなの端末でも開くのかな」
詩織が呟いた直後、口を閉じた。自分の手元へ落ちた視線を追い、藤堂も壊れた画面に気づいた。
「それ、壊れてるのか?」
「……うん」
「どうした?」
「起きた直後に、踏んじゃって。何なのか知らなくて……」
藤堂は亀裂の入った画面を見つめた。
「クリア条件は?」
「分からない」
男の顔に、戸惑いが浮かんだ。
「それは……厄介だな」
「やっぱり、みんなそう言う……」
詩織が肩を落とした。藤堂は少し考えてから、室内へ顔を向けた。
「端末の故障なら、何かできるかもしれない」
葵が顔を上げた。蓮も藤堂を見た。
「直せるのか?」
「俺には分からない。ただ、使えそうなものはある。中を見れば分かる」
*
七人は藤堂に続いて建物へ入った。
中央に廊下が伸び、その左右に部屋が並んでいた。照明はついていなかったが、窓から入る光で足元は見えた。中央広場の建物と違い、床に散乱した家具や、厚く積もった埃も見当たらなかった。
最初の部屋を覗いた白石が、声を上げた。
「うわ……!」
中には段ボール箱がいくつも積まれていた。箱の側面にはミネラルウォーターや保存食の表示があり、開いたものの中には缶詰や栄養補助食品が並んでいる。
「飯だ!」
「白石、待て」
高橋が止めるより早く、白石は箱の前へ行き、ペットボトルを一本取り出していた。
「飲んでいい?」
「封を確かめろ」
蓮が言うと、キャップにかけた手が止まった。
「……何か入ってるかもってこと?」
「やめてよ……」
詩織が顔を強張らせた。
蓮はボトルを受け取り、キャップと容器を確かめた。封は切られておらず、不自然な穴も見当たらない。ほかのボトルもいくつか見たが、外から分かる異常はなかった。
「見たところは普通だな」
「俺は、もう飲んだ」
藤堂が言った。
「来てすぐ一本。二時間近く経つが、今のところ何ともない」
詩織が藤堂の顔を見た。彼は軽く両手を広げてみせた。
白石は蓮からボトルを受け取ると、キャップを開けた。何度も喉を鳴らして飲み、ようやく口を離した。
「……生き返る」
その声を聞き、佳子も箱へ手を伸ばした。詩織と葵が続き、高橋と黒田もそれぞれ一本ずつ取った。
蓮は最後にボトルを開けた。
常温の水だった。それでも口に含むと、乾いていた喉へゆっくり染みていくようだった。一口で済ませるつもりが、続けて何度も飲んでしまった。
「おいしい……」
詩織が呟いた。
蓮は口元を拭い、息をついた。周囲でも、ボトルを下ろした者たちの肩から少しずつ力が抜けていた。飲み水があると分かっただけで、これほど気持ちが変わるのだと、今になって気づいた。
*
「これなら、三日は足りそうだね」
佳子が箱を確かめながら言った。
「八人ならな」
黒田が答えた。
「十五人でもいける?」
白石の問いに、黒田は積まれた箱へ目を走らせた。
「中身が表示どおりに残っていれば、節約すれば足りるだろう」
「じゃあ、ほかの人が来ても分けられるね」
詩織が言った。
高橋が彼女を見たが、何も言わず、手にしたボトルのキャップを閉めた。
蓮は水を持ったまま廊下へ目を向けた。
「藤堂。さっき言ってた、端末に使えそうなものって?」
「ああ。こっちだ」
藤堂は廊下の奥へ歩き出した。
一番奥の小さな部屋には、机と椅子、棚が置かれていた。机の上に古いノートパソコンがあり、その横には何本ものケーブルや工具が並んでいる。小さなドライバーもあった。
「端末を開けるくらいは、できるかもしれない」
藤堂が言うと、詩織の表情が明るくなった。
「直せる?」
「そこまでは分からない」
「……だよね」
詩織は苦笑した。それでも、机のそばへ近づき、工具を一つずつ見ていた。
蓮も並んだ道具へ目を向けた。分解できたとして、そのあと何を調べればいいのか、自分には分からない。だが、ここなら手をつけられる可能性はあった。
水と食料が保管され、入口は参加者の端末で開く。そのうえ、こうした道具まで置かれている。以前からあった建物を使っているのだとしても、少なくとも今は、参加者が利用することを想定した場所のように思えた。
「蓮、これ」
佳子が棚の下から小さなケースを引き出していた。机へ載せて蓋を開くと、中は空だった。ただ、内側には細長いくぼみがいくつも並んでいた。
「何が入ってたんだろ」
詩織が覗き込んだ。
蓮はくぼみの形を見つめ、それから葵へ目を向けた。
「さっきの部品、見せてもらえるか」
葵はわずかに表情を硬くしたが、ポケットから黒い部品を取り出した。
ケースへ近づけると、長さも幅も、くぼみによく似ていた。葵自身も気づいたらしく、掌の上で向きを変えた。
「入りそうだな」
白石が言った。
葵は部品を一つのくぼみへ、慎重に置いた。小さな音がして、ほとんど隙間なく収まった。
誰もすぐには口を開かなかった。
葵は指を離し、ケース全体を見た。同じ形の空所が、ほかにも並んでいる。
「これ、ほかにもあるのかな」
詩織が尋ねた。
「同じ形のものを入れるケースには見えるな」
蓮は答えた。
「でも、何個入ってたのかは分からない」
誰かが持ち去ったのかもしれないし、初めから空だったのかもしれない。似た形の別のものを保管していた可能性もあった。それでも、葵の部品がここへぴったり収まったことは、気になった。
「これがアップグレードに使うものなら、同じようなものがほかにもあるかもしれないね」
佳子が言った。
「ああ。探す場所を考える手掛かりにはなるかもしれない」
葵は部品を取り出し、掌へ戻した。蓮は空になったくぼみを、もう一度見た。
「こっちを見ろ」
黒田の声がした。
机の脇に立ち、壁を指していた。蓮が近づくと、薄い汚れに紛れて小さな文字が見えた。印刷された案内ではなく、誰かがペンで直接書きつけたものだった。
《端末を更新するなら、よく考えろ》
その下に、もう一行あった。
《知る必要のないことまで見える》
蓮は二度、読み返した。
佳子も隣で黙り、白石が顔を近づけた。詩織は文字を読んでから、葵の手元へ目を向けた。
草むらの端末にあった表示と、今見ている言葉が、初めてつながった気がした。更新によって、何かが見えるようになる。少なくとも、この文字を書いた者は、そう考えていたのだろう。
だが、それが何なのかは書かれていなかった。
助言なのか、脅しなのか。書いた者が実際に更新を試したのかさえ分からない。
葵が黒い部品を指先で持ち直した。誰も、今度こそ試してみようとは言わなかった。
蓮は壁の二行を見つめた。何かを知れば、ここから帰る方法へ近づけると思っていた。その気持ちは変わらない。それでも、更新の先にある情報を確かめる前に、立ち止まれと告げる者がいた。
その声の主もまた、この部屋にはもういなかった。




