第137話 確信
篠原琴音は、砂利道の途中で足を止めた。
「……もう無理。ちょっと休もうよ」
雨宮紗良が振り返った。
「さっき休んだばかりじゃない」
「だって、あんなことがあったんだよ?」
琴音は不満そうに言った。
銃を持った女に突然襲われ、三人は必死になって逃げた。
幸い、誰も撃たれなかった。
だが、銃声が耳から離れない。
道の両側には、古い木造家屋がぽつぽつと並んでいた。
屋根の瓦はところどころ崩れ、窓ガラスも割れている。
庭には背丈ほどの雑草が伸び、家の中まで蔦が入り込んでいた。
かつて人が暮らしていたはずの集落に、今は誰の気配もない。
「……少しだけなら、いいんじゃない?」
結衣が言った。
「ほら、結衣もこう言ってるし」
琴音は道端に転がっていた大きな石に腰を下ろした。
紗良はため息をついた。
「五分だけだからね」
「分かってるって」
琴音は足を伸ばした。
砂利道の向こうには、傾いた電柱が一本立っている。
その先は緩やかな坂道になっていて、左右を木々に囲まれていた。
「……ほんと、何もない島だね」
琴音が呟く。
「昔は人が住んでたんでしょ?」
結衣が廃屋を見た。
「たぶんね」
紗良は周囲を見回した。
「でも、どうして誰もいなくなったんだろう」
「知らないよ。そんなの」
琴音は膝を抱えた。
「今はそんなことより、ここから出る方法を考えたい」
誰も答えなかった。
しばらくして、琴音が口を開いた。
「……ねえ」
「何?」
「これ、いつまで続くんだろうね」
紗良は黙っていた。
「やっと最初のゲームを生き残ったと思ったのに、また殺し合いなんて……」
「……そうだね」
結衣が小さく頷いた。
琴音は端末を取り出した。
画面には、自分のクリア条件が表示されている。
『首輪を解除したPLAYERを一人殺害せよ』
そんな相手を、どうやって見つければいいのか。
見つけたとして、自分に殺せるのか。
考えるだけで気分が悪くなった。
「……最悪」
琴音は端末をしまった。
そのときだった。
ジャリッ。
砂利を踏む音がした。
三人が顔を上げる。
道の向こうに、一人の男が立っていた。
片桐蒼真だった。
「……よう」
「あ……」
琴音の表情が曇った。
紗良も男に気づく。
「……蒼真さん?」
「また会ったな」
蒼真は三人を見回した。
「無事だったみたいだな」
結衣が頷いた。
「そっちも」
「ああ。何とかな」
蒼真はゆっくり近づいてきた。
琴音は石から立ち上がった。
以前、三人は蒼真と会っている。
そのとき、蒼真は端末のことを尋ねてきた。
特に琴音には、識別記号について質問していた。
その会話を、琴音は覚えていた。
「……何?」
琴音が尋ねる。
蒼真は足を止めた。
「いや、ちょっと確認したいことがあってな」
「……また?」
「そう。まただ」
蒼真は琴音を見た。
◇
蒼真は、以前の会話を思い返していた。
あのとき、琴音に端末のことを尋ねた。
何気ない質問のつもりだった。
だが、琴音の反応は妙だった。
識別記号について聞くと、急に歯切れが悪くなった。
話題を変えようとしたことも覚えている。
B端末。
自分が探している二つの端末のうち、一つ。
琴音がその所有者ではないかと疑っていた。
ただし、確証はない。
今度こそ確かめる必要があった。
「……この前の話、覚えてるか?」
蒼真が尋ねた。
琴音は顔をしかめた。
「端末のこと?」
「ああ」
「……それが何?」
「実はな」
蒼真はわざと声を落とした。
「B端末の持ち主が分かったんだ」
琴音の肩が、わずかに動いた。
「……へえ」
蒼真はその反応を見逃さなかった。
「気にならないのか?」
「別に」
「そうか」
蒼真は頷いた。
「なら、話は早いな」
琴音が眉をひそめる。
「……何が?」
「お前の端末だよ」
「……は?」
「Bだろ?」
琴音の表情が固まった。
「……違うけど」
「本当か?」
「本当よ」
蒼真は少し笑った。
「おかしいな」
「……何が?」
「運営から確認の通知が来たんだよ」
琴音が目を見開いた。
「……通知?」
「ああ。B端末の所有者を特定したってな」
もちろん、そんな通知は来ていない。
蒼真の作り話だった。
だが、琴音の反応を見るには十分だった。
「……そんなの、嘘でしょ」
「何でそう思う?」
「だって……」
琴音は言葉を詰まらせた。
蒼真は黙って待った。
「……そんな通知、あるわけないじゃない」
「へえ。どうして?」
「……知らないわよ!」
琴音の声が大きくなった。
紗良が二人を見比べる。
「ちょっと、どうしたの?」
結衣も琴音を見た。
「琴音?」
「……何でもない!」
琴音は首を振った。
蒼真はさらに一歩近づいた。
靴の下で砂利が鳴る。
「じゃあ、端末を見せてくれ」
「……嫌」
「識別記号だけでいい」
「嫌だって言ってるでしょ!」
「……そうか」
蒼真は琴音の顔を見つめた。
目が泳いでいる。
ポケットの中の端末を、無意識に押さえている。
以前と同じだった。
いや、今回はもっと分かりやすい。
「……やっぱりな」
蒼真は呟いた。
「お前がBか」
琴音は答えなかった。
その沈黙が、蒼真には答えに思えた。
「……もう一回だけ聞く」
蒼真は言った。
「お前の端末、Bだな?」
琴音は俯いた。
長い沈黙のあと、小さく頷いた。
「……そうよ」
蒼真は息を吐いた。
「……やっと分かった」
疑いは、確信に変わった。
◇
「……それで?」
琴音が顔を上げた。
「Bだったら、何なの?」
蒼真は答えなかった。
代わりに、腰へ手を伸ばした。
拳銃を抜く。
「……え?」
琴音が固まった。
紗良が一歩後ずさる。
「ちょっと……!」
結衣も息を呑んだ。
銃口は、琴音に向けられていた。
「……何のつもり?」
琴音の声が震えた。
蒼真はゆっくり答えた。
「俺のクリア条件だ」
「……クリア条件?」
「BかFの端末を持ってる奴を、一人殺すこと」
琴音の顔から血の気が引いた。
「……嘘」
「さっきの通知の話は嘘だ」
蒼真は言った。
「お前がBかどうか、確かめたかった」
「……そんな」
琴音は一歩後ずさった。
「待ってよ……」
蒼真は拳銃を構えたままだった。
「……お願い」
琴音の目に涙が浮かんだ。
「私、何もしてないよ……?」
「……分かってる」
「だったら、撃たないでよ!」
琴音は声を上げた。
「私だって、まだ死にたくない!」
紗良が蒼真を見た。
「……やめて」
蒼真は答えなかった。
「琴音を殺したって……」
「俺が助かるんだよ」
蒼真は低い声で言った。
「……それが条件なんだ」
紗良は言葉を失った。
琴音は首を振り続けた。
「嫌……お願い……」
蒼真の手がわずかに震えた。
目の前の女は、自分に何もしていない。
ただ、端末の記号がBだった。
それだけだ。
それだけの理由で殺そうとしている。
「……くそ」
蒼真は歯を食いしばった。
◇
結衣は、二人のやり取りを黙って見ていた。
琴音は泣いている。
蒼真は拳銃を下ろさない。
紗良が止めようとしても、聞く様子がない。
結衣は自分の端末を取り出した。
画面には、クリア条件が表示されている。
『指定したPLAYERのクリアを阻止せよ』
結衣は琴音を見た。
今にも撃たれそうになっている。
蒼真は迷っている。
けれど、銃をしまう気配はなかった。
このままでは、琴音は死ぬ。
そう判断した。
結衣は指定対象の一覧を開いた。
PLAYER02。
篠原琴音。
指先が止まった。
もし琴音が助かれば、自分の条件は達成できない。
だが、死ねば。
琴音は二度とクリアできなくなる。
「……ごめん」
結衣は小さく呟いた。
そして、琴音を指定した。
◇
「……お願いだから!」
琴音は泣きながら叫んだ。
「私、まだ死にたくない……!」
蒼真は拳銃を構えたまま、唇を噛んだ。
引き金を引けば、自分は助かる。
だが、琴音は死ぬ。
「……悪い」
蒼真は小さく言った。
「……本当に、悪い」
琴音が首を振る。
「嫌……!」
銃声が響いた。
琴音の身体が後ろへ倒れた。
砂利道に倒れ込み、鈍い音が響く。
「琴音!」
紗良が叫んだ。
駆け寄ろうとしたが、蒼真がまだ拳銃を持っている。
足が止まった。
琴音は動かなかった。
蒼真はゆっくり銃口を下ろした。
「……っ」
自分の手を見つめる。
引き金を引いた感触が、まだ指に残っていた。
ピピッ。
蒼真の端末が鳴った。
『クリア条件達成』
『首輪解除可能』
蒼真は画面を見つめた。
これで、自分の首輪を外せる。
だが、何の喜びも湧かなかった。
その直後。
ピピッ。
もう一つ、電子音が響いた。
結衣の端末だった。
『クリア条件達成』
『首輪解除可能』
結衣は画面を見つめた。
琴音のクリアを阻止した。
自分が選んだ相手は、もう二度とゲームをクリアできない。
蒼真が顔を上げた。
「……お前も達成したのか?」
結衣は答えなかった。
蒼真の視線が、自分の端末に向いている。
「……何が条件だった?」
結衣は後ずさった。
「……来ないで」
「別に何もしねえよ」
だが、蒼真の手には拳銃があった。
結衣はそれを見た。
そして、走り出した。
「おい!」
蒼真が呼び止める。
結衣は振り返らなかった。
砂利を蹴り上げながら、廃屋の間の細い道へ駆け込んでいく。
やがて、その姿は見えなくなった。
「……何なんだよ」
蒼真は舌打ちした。
追いかける気にはならなかった。
◇
「……ねえ」
紗良が声をかけた。
蒼真が振り返る。
紗良は琴音の身体のそばにしゃがんでいた。
「……何だよ」
「琴音の端末、どうするの?」
蒼真は眉をひそめた。
「……端末?」
「うん」
紗良は琴音のポケットを見た。
「私、必要なの」
「……何に?」
「クリア条件」
蒼真は少し考えた。
「どんな?」
「死んだ参加者の端末を三つ集めること」
蒼真は琴音を見た。
「……そういう条件もあるのか」
「うん」
紗良は頷いた。
「だから、その端末を譲ってほしい」
蒼真は答えなかった。
自分が殺した相手の端末。
それを渡すだけで、この女のクリア条件に近づく。
「……今、何個持ってる?」
「一個」
「あと二個か」
「うん」
蒼真は琴音の身体を見た。
紗良が続ける。
「……私、一人じゃ無理だと思う」
「何が?」
「あと一個、探すこと」
蒼真は紗良を見た。
「……それで?」
「一緒に行動してほしい」
蒼真は目を細めた。
「俺と?」
「うん」
「さっき人を殺したばかりの奴だぞ」
「……分かってる」
紗良は琴音の顔を見た。
それから、蒼真へ視線を戻した。
「でも、あなたはもう条件を達成したんでしょ?」
「……ああ」
「だったら、これ以上殺す必要はないよね」
蒼真は黙った。
紗良は続けた。
「私も、誰かを殺したいわけじゃない。ただ、端末が欲しいだけ」
蒼真はしばらく考えていた。
自分の条件は達成した。
今すぐ首輪を外すこともできる。
だが、島から脱出できるとは限らない。
一人で行動するより、誰かと一緒にいた方が安全な場合もある。
「……分かった」
紗良が顔を上げた。
「本当?」
「ああ。ただし、俺の邪魔はするなよ」
「……うん」
蒼真は琴音の端末を拾い上げた。
画面には、識別記号Bが表示されていた。
「……やっぱりBだったか」
蒼真は端末を紗良へ差し出した。
「ほら」
紗良は両手で受け取った。
「……ありがとう」
端末を操作すると、回収数が更新された。
『回収済み端末 2/3』
紗良は画面を見つめた。
あと一つ。
それで、自分もクリアできる。
「……行こう」
蒼真が言った。
紗良は頷いた。
二人は砂利道を歩き始めた。
足元で小石が鳴る。
左右には、朽ちかけた家々が並んでいる。
背後には、琴音の身体が残されていた。
さっきまで一緒に歩いていた三人のうち、二人は別々の道へ。
そして、もう一人は二度と立ち上がることがなかった。




