第135話 再会
藤崎奈緒は、路地の入口で足を止めた。
「……逃げられちゃった」
曲がり角の向こうに、三人の姿はない。
さっきまで目の前を走っていた篠原琴音、雨宮紗良、白川結衣。
何度か撃ったが、誰も倒れなかった。
「せっかく見つけたのになぁ」
奈緒は拳銃を持ち直した。
追いかけようと思えば、まだ追いかけられるかもしれない。
けれど、細い路地がいくつも枝分かれしている。
どちらへ逃げたのか分からなかった。
「……ま、いっか」
奈緒はあっさり諦めた。
予備の弾薬はあるものの、使い放題というわけではない。
それに、腕の傷もまだ痛む。
「いたた……」
傷口に触れ、顔をしかめる。
「ほんっと、あの男……」
御堂隼人の顔が浮かんだ。
逃げられたことも、腕を切られたことも気に入らない。
だが、今は探しても仕方がない。
奈緒は拳銃を下げ、住宅街の奥へ歩き始めた。
◇
宮原拓海は、古い建物の壁に背を預けていた。
額に浮かんだ汗を拭い、端末を確認する。
「……くそっ」
神谷蓮が見つからない。
島を歩き回っているのに、手がかりらしいものは何もなかった。
以前、蓮と一緒にいた女たちの顔も覚えている。
あいつらが邪魔をしなければ。
そんな考えが何度も頭をよぎった。
「……蓮」
小さく名前を呼ぶ。
返事がないのは分かっている。
それでも口にせずにはいられなかった。
拓海は壁から背を離した。
そのとき、近くで足音がした。
誰かが鼻歌を歌っている。
「……?」
拓海は建物の角から顔を出した。
女が一人、こちらへ歩いてくる。
拳銃を持っていた。
その顔を見た瞬間、拓海は足を止めた。
「……お前」
藤崎奈緒だった。
奈緒も拓海に気づいた。
最初は何気なく視線を向けただけだったが、すぐに目を丸くした。
「あれ?」
そして笑った。
「……あーっ!」
拓海は反射的に後ずさった。
「お前、また……!」
「久しぶり!」
奈緒は嬉しそうに手を振った。
「まだ生きてたんだ!」
「……ふざけんな」
拓海は奈緒の手元を見た。
拳銃。
以前、自分を襲ってきた女。
その相手が、また目の前にいる。
「何でお前がここにいるんだよ」
「えー? 歩いてたら会っただけだよ」
「近づくな」
拓海は距離を取った。
奈緒が首を傾げる。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃん」
「一度襲ってきた奴を警戒しないわけねえだろ!」
「あははっ!」
奈緒は笑った。
「覚えててくれたんだ!」
「当たり前だ!」
拓海は周囲を見回した。
左には建物の壁。
右には雑草の生えた空き地。
後ろへ下がれば、角を曲がって逃げられる。
だが、奈緒は拳銃を持っている。
背中を向けた途端に撃たれるかもしれない。
「……俺に何の用だ」
「別に?」
奈緒は肩をすくめた。
「偶然会っただけだし」
「だったら、どっか行けよ」
「冷たいなぁ」
奈緒は唇を尖らせた。
「せっかくの再会なのに」
拓海は返事をしなかった。
奈緒の笑顔が気味悪かった。
さっきまで人を撃っていたとしても、おかしくない顔だ。
「……そういえば」
奈緒が思い出したように言った。
「何してたの?」
「……人を探してる」
「人?」
「ああ」
「誰?」
拓海は一瞬ためらった。
この女に教える必要はない。
だが、奈緒は島を歩き回っている。
蓮を見かけている可能性もあった。
「……神谷蓮って男だ」
奈緒が瞬きをした。
「神谷蓮?」
「ああ。知らないか?」
「どんな人?」
「黒髪の男だ。俺と同じくらいの年で……」
拓海は言葉を探した。
「女と一緒にいるかもしれない。二人くらい」
「ふーん」
奈緒は少し考えた。
湖の近くで出会った三人組。
男が一人、女が二人。
撃ちかけた相手の顔を思い出す。
「ああ、もしかして」
拓海が身を乗り出した。
「知ってるのか!」
「うん。たぶん会ったよ」
「どこで!」
「湖の近く」
拓海は目を見開いた。
「……それで?」
「それで?」
「そいつ、どこに行ったんだよ!」
「知らなーい」
奈緒は笑った。
「逃げられちゃったし」
拓海の顔が引きつった。
「……逃げられた?」
「うん。撃ったんだけどね」
奈緒は軽い調子で答えた。
拓海の目つきが変わった。
「……撃った?」
「そうだよ」
「蓮を?」
「誰が神谷蓮なのかは知らないけど、男の人もいたよ」
拓海は拳を握った。
「……お前」
「ん?」
「蓮を撃ったのかよ!」
奈緒はきょとんとした。
「だから、逃げられたって」
「そういう問題じゃねえ!」
拓海は一歩踏み出した。
奈緒の笑顔が消える。
「……何?」
「勝手なことしやがって!」
拓海は声を荒らげた。
「あいつは俺が……!」
そこで口を閉じた。
奈緒はじっと見つめている。
そして、また笑った。
「あー、そういうこと?」
「……何がだよ」
「その神谷蓮って人が大事なんだ」
拓海は答えなかった。
「だから探してるんだね」
「……黙れ」
「でもさぁ」
奈緒は首を傾げた。
「本人は会いたがってるの?」
拓海の表情が強張った。
「……は?」
「そんなに探してるのに、ずっと会えてないんでしょ?」
「……うるせえ」
「逃げられてるんじゃない?」
「黙れって言ってんだろ!」
拓海は怒鳴った。
奈緒は肩をすくめた。
「怖ーい」
まったく怖がっていない声だった。
拓海は奥歯を噛み締めた。
こいつと話していても無駄だ。
蓮の居場所も知らない。
それなら、ここにいる理由はない。
「……もういい」
拓海は後ろへ下がった。
「俺は行く」
「えー、もう?」
「お前と話すことなんかねえよ」
奈緒は何も言わなかった。
拓海はさらに一歩下がった。
そのとき。
「ねえ」
奈緒が呼び止めた。
「……何だよ」
「前にも思ったんだけどさ」
奈緒は拳銃を持ち上げた。
「君って、すぐ怒るよね」
拓海の顔から血の気が引いた。
「……おい」
「そんなに怒ってばっかりだと、疲れない?」
「銃を下ろせ」
「え?」
「下ろせって!」
奈緒は笑った。
「また命令?」
拓海は後ずさった。
奈緒の指が引き金にかかっている。
「……待て」
「何?」
「俺は、お前に何もしてねえだろ」
「うん」
「だったら……!」
奈緒が発砲した。
◇
拓海は地面に膝をついた。
「……っ!」
撃たれた。
腹の辺りが熱い。
手を当てると、指先に血がついた。
「……てめえ……!」
奈緒は拳銃を構えたまま、拓海を見下ろしていた。
「まだ動ける?」
「……ふざ、けんな……」
拓海は壁に手をつき、立ち上がろうとした。
だが、足に力が入らない。
奈緒が一歩近づいた。
「ねえ、まだ探しに行くの?」
「……っ」
「神谷蓮って人」
拓海は顔を上げた。
「……当たり前、だろ……」
奈緒は目を細めた。
「そっか」
拓海は歯を食いしばった。
ここで死ぬわけにはいかない。
まだ蓮に会っていない。
あいつに言いたいことがある。
聞きたいこともある。
「……蓮……」
拓海は身体を起こそうとした。
奈緒が拳銃を向け直した。
「……待て」
拓海の声が震えた。
「待って、くれ……」
奈緒はしばらく見つめていた。
「……ごめんね」
拓海の目が見開かれる。
「もう、いいや」
二発目の銃声が響いた。
拓海の身体が後ろへ倒れた。
道路に頭が触れる。
青い空が見えた。
雲がゆっくり流れている。
拓海は口を開いた。
「……れん……」
それが最後の言葉になった。
宮原拓海は、二度と動かなかった。
◇
「……あーあ」
奈緒は倒れた拓海を見下ろした。
「せっかく生き残ってたのに」
拳銃を下ろす。
腕の傷がじくじく痛んだ。
「……もう」
奈緒は顔をしかめた。
「今日は歩きすぎかな」
しゃがんで拓海の顔を覗き込む。
目は開いたままだった。
「そんなに会いたかったんだ」
返事はない。
「神谷蓮、ね」
奈緒は名前を口にした。
湖で出会った男。
あのときは逃げられた。
そして、今殺した男も、同じ相手を探していた。
「……何か人気者だね」
奈緒は立ち上がった。
端末を取り出し、地図を確認する。
近くには中央広場。
その周辺には、まだいくつもの道がある。
「……さっきの三人、どこ行ったんだろ」
琴音たちの顔を思い出す。
逃げるのが上手な三人だった。
もう一度見つけたら、今度はどうしようか。
奈緒は端末をしまった。
「ま、歩いてれば誰かいるでしょ」
軽い足取りで道路を進む。
拓海の身体は、その場に残された。
◇
役場の地下。
千尋と澪は、並んでモニターを見ていた。
蓮は少し離れた机で、書類を調べている。
「……これも管理者の名前がないな」
蓮は点検記録をめくった。
設備の交換日。
稼働確認の記録。
監視カメラの番号。
必要な情報は細かく残されているのに、作業した人物の欄だけが空白になっている。
「……妙だな」
別のファイルを取り出す。
そのとき。
「……蓮!」
千尋の声が響いた。
蓮は顔を上げた。
「何だ?」
「ちょっと来て!」
いつもの明るい声ではなかった。
蓮は書類を置き、モニターの前へ向かった。
「どうした?」
千尋が画面を指差す。
「……あれ」
古い住宅街の道路。
そこに男が倒れていた。
周囲には血が広がっている。
蓮は画面に顔を近づけた。
「……あいつ?」
宮原拓海だった。
先ほどまで歩いていた男が、今は動かずに横たわっている。
「……さっき見たときは、普通に歩いてたよね」
「ああ」
澪は口元を押さえた。
「……死んでるんでしょうか」
蓮はしばらく画面を見つめた。
映像だけでは断定できない。
だが、血の量と身体の様子からして、無事とは思えなかった。
「……誰がやったんだ?」
蓮が呟く。
千尋は別の画面を指差した。
「……あの女」
蓮が視線を移す。
藤崎奈緒が歩いていた。
拳銃を片手に持ち、住宅街の道を進んでいる。
「……また、あいつか」
蓮は眉をひそめた。
「さっきの三人を襲ったばかりだろ」
「うん……」
千尋は倒れた拓海の映像を見た。
「……あの男、私たちを襲ってきたけどさ」
言いかけて、口を閉じる。
蓮も画面を見つめた。
拓海には散々振り回された。
また会いたいとは思わない。
だが、こうして死んでいる姿を見ると、妙な気分だった。
「……澪」
蓮が声をかけた。
「はい……」
「無理して見なくていいぞ」
澪は少し迷い、視線を落とした。
「……ありがとうございます」
千尋が操作盤に手を伸ばした。
「この画面、切り替えるね」
「ああ」
拓海の姿が消え、別の道が映る。
蓮は奈緒の映像を確認した。
女はまだ歩いている。
「……あいつの位置だけは追っておいてくれ」
「分かった」
「他の参加者が映ったら、それも教えてほしい」
「うん」
澪も頷いた。
「私も見ます」
「頼む」
蓮は机へ戻った。
書類を一枚めくる。
だが、さっき見た光景が頭から離れなかった。
拓海は、もう動かない。
その一方で、奈緒は何事もなかったように歩いていた。
蓮は息を吐いた。
「……調べることが多すぎるな」
机の上には、まだ目を通していないファイルが積まれている。
島の住民が移転した記録。
その後も続けられていた設備の点検。
そして、管理者の名前がない書類。
蓮は新しいファイルを開いた。
モニターの前では、千尋と澪が参加者たちの動きを追っている。
地下の監視室に、紙をめくる音と機械の低い駆動音が響いていた。




