第133話 消えた住民
『……また女……』
「っ!?」
蓮は勢いよく振り返った。
背後には、中央広場が広がっていた。
古びた建物。
雑草に覆われた地面。
そして、少し離れた場所にある小さな墓。
莉奈の墓だった。
「……何だ?」
蓮は目を凝らした。
誰もいない。
墓の周囲には風に揺れる草があるだけで、人影らしいものは見当たらなかった。
「蓮?」
千尋が足を止める。
「どうしたの?」
「……いや」
蓮は墓を見つめたまま答えた。
「今、何か聞こえなかったか?」
「何かって?」
「声」
「声?」
千尋は周囲を見回した。
「私、何も聞こえなかったけど」
「……そうか」
蓮はもう一度、墓を見る。
先ほど聞こえた声。
あれは確かに、頭の中へ直接響いてきた。
聞き覚えのある声だった。
――また女。
蓮の頬が引きつる。
まさか。
いや、そんなはずはない。
死んだ人間が話しかけてくるなんて、あるわけがない。
だが、声はあまりにもはっきりしていた。
「……蓮?」
千尋が顔を覗き込んでくる。
「顔色悪いよ?」
「気のせいだ」
「本当に?」
「ああ」
蓮は無理やり視線を前へ戻した。
「行くぞ」
「またそれ?」
「何だよ」
「さっきからずっと行くぞって言ってる」
「実際、行かなきゃいけないんだよ」
千尋は少し不満そうに頬を膨らませた。
その様子を見た蓮は、思わず墓の方を振り返りそうになった。
だが、寸前で踏みとどまる。
――違うからな、莉奈。
心の中で言い訳する。
――そういうんじゃないからな。
もちろん返事はない。
蓮は小さく息を吐いた。
今は考えない方がいい。
そう判断して、歩き出した。
*
中央広場には、いくつもの建物が残されていた。
商店らしき小さな建物。
窓ガラスが割れた住宅。
看板の文字が消えかかった施設。
どれも長い間使われていないようで、壁には蔦が絡みつき、屋根の一部が崩れているものもあった。
「……変だよね」
千尋が呟いた。
「何が?」
「ここって、ゲームのためだけに作られた場所じゃないよね?」
蓮は周囲を見回した。
「そうだな」
建物の造りは、どれも普通だった。
人が生活するために建てられたもの。
少なくとも、最初から殺し合いやゲームを行うための施設には見えなかった。
「昔は誰か住んでたのかな」
「可能性は高い」
蓮は道路の端に目を向ける。
錆びた街灯。
割れた側溝。
雑草の間に埋もれた古い標識。
人の手で整備された痕跡が、あちこちに残っている。
「でも、今は誰もいない……」
澪が小さく言った。
「どうしてなんでしょう」
「それを調べたい」
蓮は前方の建物を指差した。
「あそこに行ってみよう」
広場の奥に、周囲より少し大きな建物があった。
二階建ての鉄筋コンクリート造り。
正面には広い階段があり、入口の上には文字の消えかかった看板が掲げられている。
蓮は近づき、看板を見上げた。
「……役場?」
かすれた文字の一部が、かろうじて読み取れた。
「役場って、市役所みたいなところ?」
千尋が尋ねる。
「ああ。島の行政を管理していた建物かもしれない」
「じゃあ、昔の資料とか残ってるかな?」
「それを期待してる」
蓮は入口へ向かった。
ガラス扉は片側が割れ、もう片方は半開きになっていた。
慎重に中を覗く。
薄暗い玄関。
倒れた案内板。
埃をかぶった長椅子。
奥には受付カウンターらしきものが見えた。
人の気配はない。
「……入るぞ」
蓮は足元のガラス片を避けながら建物へ入った。
千尋と澪も後に続く。
床を踏むたび、細かな埃が舞い上がった。
「うわ……」
千尋が鼻を押さえる。
「すごい埃」
「長い間、誰も掃除してないんだろ」
蓮は周囲を見回した。
壁には古い掲示物が貼られている。
住民向けの案内。
健康診断の日程。
ごみの収集についての注意書き。
どれも、ごく普通の生活に関するものだった。
「……本当に人が住んでたんだね」
千尋が掲示板を見つめる。
「ああ」
蓮は一枚の紙へ視線を向けた。
そこには、地域の祭りを知らせる案内が残されていた。
色あせた写真には、提灯の下で笑う人々が写っている。
子ども。
老人。
浴衣姿の女性。
どこにでもありそうな夏祭りの光景だった。
「……普通の島だったんだな」
蓮は小さく呟いた。
少なくとも、この写真が撮られた頃は。
*
受付の奥には、いくつもの事務室が並んでいた。
机や椅子はそのまま残されている。
書類棚の扉は開きっぱなしになり、床には大量の紙が散乱していた。
蓮は手近な書類を拾い上げた。
住民向けの通知。
公共施設の管理記録。
水道設備の点検報告。
特別なものは見当たらない。
「……本当に役場だな」
蓮は書類を元の場所へ戻した。
千尋も別の棚を調べ始める。
「こっちは何かあるかな」
澪は壁に掛けられた古い地図を見ていた。
島全体を描いたものらしい。
現在の端末に表示されている地図とは、建物の配置が少し違っていた。
「蓮さん」
「ん?」
「これ、昔の島の地図みたいです」
蓮は澪の隣に立った。
地図には住宅地、学校、診療所、商店街などが記されていた。
さらに島の端には、港のような施設も描かれている。
「……港があったのか」
蓮は指で地図をなぞった。
現在の地図では、その場所に港を示す表示はない。
「船が来てたってこと?」
千尋が覗き込む。
「だろうな」
「じゃあ、昔は普通に外と行き来できたんだ」
「少なくとも、そういう設備はあったみたいだ」
蓮は地図を見つめた。
今、自分たちがいる島。
外部との連絡手段はなく、海へ出る方法も分からない。
だが、かつては違った。
人が暮らし、船が行き来し、日常生活が営まれていた。
では、なぜ今は誰もいないのか。
蓮は地図から目を離した。
「もう少し調べよう」
*
しばらくして、千尋が一冊の分厚いファイルを見つけた。
「蓮、これ」
「何だ?」
「住民関係の資料みたい」
蓮は受け取り、表紙を確認した。
古い紙には、かすれた文字が印刷されている。
『島内人口推移・行政記録』
「……人口の記録か」
蓮はページをめくった。
年ごとの人口。
世帯数。
転入者と転出者の人数。
細かな数字が表になって並んでいる。
記録が残る時期には、島には数千人規模の住民が暮らしていたようだった。
「結構住んでたんだね」
千尋が横から覗き込む。
「ああ」
蓮はページをめくり続けた。
人口は長い間、大きく変化していない。
多少の増減はあるものの、安定していた。
だが、ある時期を境に数字が大きく変わっていた。
「……ん?」
蓮の指が止まった。
住民の転出数が、突然跳ね上がっている。
それまで少しずつ減っていたわけではない。
ある年を境に、島の住民が一斉に移動したような記録になっていた。
「どうしたの?」
千尋が尋ねる。
「これを見ろ」
蓮は該当する欄を指差した。
「……すごい数」
「ああ」
通常の転出とは考えにくい。
まるで、島そのものを空にするために住民を移動させたようだった。
「何かあったんでしょうか」
澪が呟く。
「分からない」
蓮はさらにページをめくった。
そこには、行政機関の移転に関する記録が残されていた。
学校の閉鎖。
診療所の移転。
公共施設の使用停止。
そして、住民の島外移住。
すべてが短い期間に集中していた。
「……計画的に移住したのかな」
千尋が言った。
「その可能性はある」
蓮は資料を見つめた。
島民が自主的に出ていったのか。
行政が移住を決めたのか。
それとも、何らかの事情で住めなくなったのか。
資料には、移住が行われた事実は残っている。
しかし、肝心の理由については詳しく書かれていなかった。
「理由が分からないな」
「書いてないの?」
「ああ」
蓮はもう一度、前後のページを確認した。
移住前の記録は普通に残っている。
だが、移住に関する部分だけ、説明が妙に少ない。
まるで、詳しい事情を記録することを避けたかのようだった。
「……変だな」
蓮は呟いた。
「何が?」
「これだけ大勢の人間が島を離れてるのに、理由がほとんど書かれてない」
千尋は首を傾げた。
「古い資料だから、なくなっちゃったんじゃない?」
「かもしれない」
蓮はファイルを閉じた。
だが、引っかかるものがあった。
普通の生活が営まれていた島。
突然の住民移住。
無人になった建物。
そして、現在行われているゲーム。
これらが無関係だとは、どうしても思えなかった。
もちろん、まだ証拠はない。
ただ、島の過去を知ることが、今の状況を理解する手がかりになるかもしれない。
「他にも資料がないか探そう」
蓮が言うと、千尋が頷いた。
「うん」
*
さらに奥の部屋には、古い書庫があった。
金属製の棚が何列も並び、分厚いファイルや帳簿が詰め込まれている。
湿気のせいか、紙の一部は変色していた。
蓮は棚を順番に確認していく。
行政文書。
建築関係の記録。
施設管理台帳。
しかし、住民が島を離れた理由につながる資料は見つからなかった。
「……ないな」
蓮はファイルを棚へ戻した。
千尋も疲れたように息を吐く。
「こんなにあるのに、肝心なことが書いてないんだね」
「どこか別の場所に保管されてるのかもしれない」
「別の場所?」
「重要な資料なら、鍵のかかった部屋とか」
蓮は書庫を見回した。
だが、目立った扉はない。
窓は高い位置にあり、外からの光もほとんど入ってこなかった。
その時だった。
「……あれ?」
部屋の隅にいた澪が、小さな声を上げた。
「どうした?」
蓮が振り返る。
澪は床の一角を見つめていた。
「ここ……何かあります」
蓮と千尋が近づく。
棚の陰になった床。
埃と細かなごみに覆われた場所に、わずかな隙間が見えていた。
「……穴?」
千尋がしゃがみ込む。
澪は頷いた。
「はい。床の色が少し違ったので……」
蓮は床へ手を伸ばし、埃を払った。
すると、四角い金属製の蓋が現れた。
周囲には細い溝があり、片側には指を引っかけられる小さなくぼみがある。
「……何だ、これ」
蓮は蓋を軽く叩いた。
コン、コン。
乾いた音が返ってくる。
床下には空間があるらしい。
「地下室かな?」
千尋が尋ねる。
「分からない」
蓮は蓋の縁を調べた。
鍵はついていない。
だが、かなり重そうだった。
「ちょっと離れてろ」
蓮が言うと、千尋と澪は数歩下がった。
蓮はくぼみに指をかける。
力を込めた。
「……っ!」
最初はびくともしなかった。
もう一度、体重をかける。
ギギッ……。
金属が擦れる音が響いた。
蓋が、わずかに浮き上がった。
「開く……!」
千尋が声を上げる。
蓮はさらに力を込めた。
重い蓋がゆっくりと持ち上がる。
長い間閉ざされていたらしい隙間から、冷たい空気が流れ出した。
蓮は顔をしかめながら、最後まで蓋を開いた。
ゴトン。
重い金属音が、静かな書庫に響いた。
床には、ぽっかりと四角い穴が開いていた。
蓮はその縁に手をつき、慎重に中を覗き込んだ。




